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真導士サキと第三の地  作者: 喜三山 木春
第五章 邂逅の歯車
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本当の寂しさ

「おはようございます」

「おはようございます。よいお天気ですね」

 朝日に照らされていたその人が、艶やかによく通る声で挨拶を返してくれた。

 今日の実習は、ムイ正師が付き添いをしてくれるらしい。


 ついてきたがる白い獣を、悪戦苦闘の末にようやく撒いてきた自分達だったが。正師の姿を見て、くったりと疲れていた背筋を伸ばした。このやさしく美しい正師が、真導士の里サガノトスにいる三人の正師の中で、もっとも怒らせてはいけない人なのである。

 他の実習で付き添いをした際に、悪ふざけしていた導士を笑顔のまま一喝し。問答無用で三日ほど懲罰室に放り込んだと聞いた。

 リーガを処罰する時も、追放が適切だと真っ先に進言したのも彼女だったらしい。

 事情聴取のため、揃って呼ばれていたローグとヤクスによれば、それはそれは恐ろしくも美しい笑顔であったと、怯えながら語っていたものだ。他にも、ムイ正師の武勇伝はいくつかあり、里の中で知れ渡っている。

 そのため、サガノトスの導士達は、誰もがムイ正師にだけは逆らうまいと心に決めている。


「お二人が来ましたから、残るはあと四人ですね。門の近くでもう少しだけ待っていてください」

「はい、承知しました」

 借りてきた猫のようになってきっちりと返事をし、すでに来ていた友人達の元へ向かう。

「おはよー」

「おはようございます」

 元気に挨拶してきたヤクスとジェダス。そして、まだ挨拶をするには時間が掛ってしまうけれど。ローグを見ても、ジェダスの後ろに隠れなくなったティピアと挨拶を交わした。

「ものの見事に全員一緒だな」

「本当ですね。今日も頼りにしていますよ、ローグレスト殿」

「おい……」

 変な持ち上げが再発したかと警戒しはじめたローグ。しかし、ジェダスはしれっとしながら先を続けた。

「貴方が張り切れば、楽ができますからね」

 思わず全員で笑った。

「言うようになったな、ジェダスも」

 こう言った軽口も、そろそろ日常の一部となってきている。

 さすがに二月も経つと、導士達の間で一定の親しい集団ができていた。自分はこの五人組の中に入っていて。あとは前回の実習で一緒になった人達と、たまに世間話をしたりもする。こうやって人の輪にいれば、嘲笑を受ける機会がぐんと減ってくる。

 まだまだ完全には消えていないけれど、辛くて体調を崩すようなことはもうなくなっていた。


 毎日が楽しくて、いろいろなことに満ちあふれているサガノトス。この真導士の里を、いつか心から故郷と呼べる時がくるのだろうか。

 自分の郷里はすでにない。

 村長へ出した手紙も、先日手元に戻ってきてしまった。あの時の喪失感は、何とも言い表し難いもので……。細々と。だが、確実に繋がっていたはずの時間の糸が、ふつりと切られてしまったように思えたのだ。

 けれども、いまはサガノトスがある。

 少しずつ強くなっていく里への愛着は、ここで見つけた宝物の一つだ。

 最近の自分は、どうも欲張りになってきている。ローグの気持ちを貰って、やさしい友人達に囲まれている。その上、自分の故郷まで欲しがるなんて。

 ただでさえ気が強くなってきたとも言われているのに、欲深くもなってきているらしい。

 何とも図々しく贅沢な話だが、この自分はそんなにいやではない。あいまいだった自分の存在が、ようやく形を成してきたと。そんな風に思えてならなかった。


「やあ、おはよう」

 柔らかな声が聞こえてきた。

 やってきたのはイクサとディアだ。今回も同じ実習に組み込まれたのか。

 笑顔を向けているイクサ。彼とは対照的に、ディアは相変わらず自分を睨んでくる。ディアから一方的に向けられている負の感情。しかし、いつの間にか嘲笑はなくなっていた。ただ、変化らしい変化はそれくらいで、やはり彼女は自分が嫌いなままなのであった。

 いまの自分は、睨まれて逃げるような娘ではない。悪徳商人殿との睨み合いが、こんなところで意味を成すとは思ってもみなかった。これも女神の気紛れだろう。

 せっかくなので、睨み返してみようかとも思った。けれど、さすがにそれは控えておいた。

 ディアに遠慮したわけではなく、イクサに遠慮したためだ。何故なら……自分の相棒がイクサの姿を見つけて、仏頂面になったからである。

 説得しても、頼み込んでも。これだけは譲ってくれなかった。イクサはいい人なのに、どうしてそこまで目の敵にするのか、まったくもって理解しがたい。

 二人して態度が悪いのもあれなので、自分は平静を保つと決定し。口々に挨拶をしていく友人達と混ざって、イクサに挨拶をした。海の気配が激しくなったが、気にしてなどあげるものか。


 騒がしくなってきた門の前。そんな時、遠くから甲高い奇声のようなものが聞こえてきた。

 すわ耳鳴りかと身構えたが、耳はどうやら正常だ。おかしいなと悩み、じっと待っていれば、門の外から一人の娘が、高い声を上げながら走り込んでいた。

 唖然とする一同の前で、ぴたりと足を止めたその娘。彼女は、はあはあと息をしつつも頬を赤らめ。瞳をきらきらとさせながら、イクサとローグを交互に見比べ。そして、ひときわ大きい叫びを上げた。

「やったー! 女神よ、感謝しますっ」

 両手を広げ、天に向かって盛大な祈りを捧げた。呆気にとられる一同の前で、彼女は滔々と語り出す。

「長かったあ。"三の鐘の部"に当てられてから二月近く。ようやく、ようやくわたしにも女神の恵みが……」

「……えーと、お嬢さん?」

 ヤクスは尋常ではない娘の行動が気になったらしい。必要があれば医者の本分を果たそうと、状況の改善に乗り出した。しかし、娘はそれをあっさりと無視した。

「はじめまして! わたし、"三の鐘の部"のユーリって言います。お二人のお名前聞いてもいいですか?」

 お二人……。

 ここには七人の導士が揃っている。その内のお二人。

 この様子だと、イクサとローグを指しているに違いない。でも、何だろう……とてもちくちくとする。

「はじめましてユーリ、オレはイクサだ。それからこちらはローグレスト」

 さすがはイクサと言うべきか。誰よりも早く立ち直って自己紹介をした。ローグが口を利かないと察したのか、ついでに彼のことまで紹介してくれた。

 本当にいい人だ。

 イクサは、さらに他の導士を紹介しようとして……。上がった黄色い声に遮られた。

 名前を教えてもらえたのが余程うれしかったらしい。ユーリは、ぴょんぴょんと飛び跳ね、薄い桃の瞳をきらきらとさせている。軽快に飛び上がるたび、萌黄色の前髪と、三つ編みにされている添え髪も一緒に跳ねる。

 何とも元気な喜びの舞。それを横で見ていたディアが、顔を真っ赤にしてやめさせた。

「ちょっと、貴女。いきなり来て大騒ぎして、いったい何なのよ!」

 険のあるディアの声。反発を覚えたのか、ユーリが喜びの舞を止めてディアと睨み合う。

「自己紹介よ。名前くらい聞いたっていいじゃない。そもそも貴女、誰よ?」

「わたしはイクサの相棒よ。何か文句でもあるの!」

 ユーリはその言葉を聞いて、不服そうな大声を上げた。文句はしっかりあるらしい。

「何で女の子なの? そんなのずるいじゃない」

「わたしが女なのが、どうしてずるいになるの!」

 先行きが読めてしまったので、今回ばかりはディアの肩を持とう。心で覚悟を決めていたら、ローグにも矛先が向いてきた。

「じゃあ、じゃあローグレストさんの相棒は……?」

 縋るように見つめられたローグは、感情を落とした表情のまま自分を指差した。

「そ、そんなあ……」

 大騒ぎしていたのが嘘だと思えるくらい静かになったユーリ。彼女をどう扱ったらいいかと悩んでいた一同の耳に、新たな声が届いた。


「おい、ユーリ」


 全員が声の主に視線を移した。

 そこにいたのは、キクリ正師と似た赤毛を持つ、一人の導士だった。

 潔く短く揃えられている髪を、がしがしと掻きながら。だるそうな足取りでこちらへ向かってくる。

「お前って奴は、行くところ行くところで大騒ぎしやがって。相手の迷惑ってもんを考えろよ」

「うるさい、馬鹿……」

 しおれたユーリは、それでも男に対して返事をした。

「えっと、君は?」

 またまた立ち直ったイクサが、赤毛の男に問うた。

「クルトだ。うちの相棒が迷惑かけた」

 ユーリの相棒は、疲れ切った表情でだるそうに謝ってきた。どうやらこの人はまともそうで、ほっと息を吐く。

「……保護者面しないでよ」

 ユーリはいかにも面倒だといった顔をクルトに向け、ぶつぶつと文句を言っている。

「仕方ないだろ、おばさんに頼まれてるんだから。オレだって好きでお前の世話してるんじゃねえよ」

 はじまってしまった言い合い。間に入って止めたのはヤクスだった。

「まあまあ、落ち着いて。二人も同じ実習でいいんだよね」

「ああ、騒がせるとは思うけどよろしくな」

 だるそうにしているだけで案外気さくなクルトの出現に、全員が救いの光を見た。

「騒がせるって何よ……」

「お前がぎゃあぎゃあ騒いで迷惑になるから、先に謝っといてやってるんだよ。いやなら突っ走っていちいち男に絡むのをやめろ。本当に悪かったな。こいつ少しでも顔がいいと、すぐ絡みに行くんだ。相手にさえしなければ飽きるから、放っておいてくれ」

「……止めはしないのか」

 ずっと黙っていたローグが、やっと口を利いた。クルトは安全であると判断したらしい。

「止めたいのは山々だが、十五年間これできているから無理。止めようとしたこともあったけど、一度も止まった試しがない」

(……十五年?)

「あれー、じゃあもしかして二人は……」

「幼馴染ってやつだ。家も向かいで兄妹って言った方が近いけど。まさか、真導士の里に来てまでユーリの世話をするはめになるなんて……」

「それはこっちの台詞よ! せっかく真導士の里にまで来て、どうしてクルトが相棒なの? 新しい出会いを期待してたのに、これじゃあ家にいるのと変わらないじゃない」



 幼馴染の相棒。そんなこと、あり得るのか。

 これは相当すごいことだ。真導士が出ることすらめずらしいのに、同じ町から二人も出て。さらには相棒になるなんて。自覚などなさそうな二人は、とんでもない確率の上にいるらしい。

 胸の奥にちりりと、悲しみに似た感情が生まれた。自分にとって二人の関係は、とても羨ましく思える。本人達の意向は別にしても。郷里について語れて。それぞれの家族も知っていて。同じ思い出を共有している二人。自分では持つことができなかったものを、たくさん持っているユーリとクルト。

(寂しい、な……)

 そうか、寂しいとはこういう時に使うのか。

 いつも感じている寂しさとは違う、悲しい気持ち。感情と言葉を重ね合わせれば、確かにこちらの方が"寂しい"のだとそう思えてくる。

 しかし、これが"寂しい"だとすると、あの感情は――。


「サキ、どうした」

 心配げな低い声が、頭上から降ってきた。真力の揺れをローグに気づかれてしまったようだ。隣に立っていれば、明確に気配が追えているはず。気配を追えるのはとても便利だけれど、こういう時は困ってしまう。

「いいなって思いまして……」

 負の感情は否定せず、素直に吐き出す。少しだけ心が楽になったのを感じて、ついでに息を整えた。

「幼馴染も兄妹も、羨ましいなって」

「そうか……」

 贅沢になってきている自分に、煌びやかな宝物を見せないで欲しい。そんな勝手なことを考える。羨ましいのに決して手が届かない。寂しくてとても悲しい。


 印象深い幼馴染相棒の出現により、学舎の門の前は大賑わいとなってしまった。

 声に満ちあふれた門の前。

 楽しげな会話を眺めながら、ふと不穏な気配を察知した。

「――そろそろ、よろしいでしょうか」

 掛けられた艶やかな声に、全員が目を見開いた。

「元気なのは大変よろしいのですが、今日が実習であると忘れてはいけませんね?」

 ムイ正師のやさしげ笑顔が、ものすごく怖い。

 姿勢を正して静まり返った導士達を、微笑みながら見渡すムイ正師。耳鳴りがしてこないのが不思議なくらいの恐怖を、全員でしっかりと味わうはめになった。

「さて、そろそろ参りましょうか」

 問答無用が信条であるらしい正師は、全員を巻き込んで真円を描き出す。


 かなり強引な、"転送の陣"に飛ばされている最中。

 今日は穏やかな日にはならないだろうと、そんなことを考えていた。

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