茶会
面白い奴だ。
冬に逆戻りしたような寒さも和らぎ。すっかり大地にぬくもりが戻ったその日。
眼前にある光景を見て、心で同じ言葉を繰り返していた。ガラスの円卓にはカップが並べられており、中に入っている赤茶の液体から、上品な香りが漂ってきている。
これで同じ卓にお嬢さんが一人でもいれば……とは思うが、叶わないなら仕方ない。
サガノトスの喫茶室で出る茶は、年頃のお嬢さん方が好む、とても芳香の強い葉を使っている。
名をカノンテプスというらしい。テプスという茶を趣味で育てていた貴族が、改良を重ねて造り出した品種。その時、貴族が想い染めていたカノンという踊り子の名をとり、カノンテプスと名付けられたのだとか。
ちょっと色が入った話を、男だらけの茶会で唐突に語った首席殿――もといローグレストは、カップを傾けて茶をすすっている。
周囲にいるお嬢さん方の視線を、一身に受けているこの男は、むさい卓の中でもひときわ目立っている。熱心に見つめている中には、こいつが貴族の令息であるという噂を、信じているお嬢さんもいるだろうな。
かわいそうに。
現実を知って卒倒しなければいい。
ローグは確かに、見栄えはいい。
もしこいつが恋敵であったなら速攻で白旗を上げる。だが残念なことに、まさに容姿端麗を体現している友人の正体は、かの悪名高いカルデス商人だ。夢を見ている可憐なお嬢さん方には、とても伝えられないようなことを平気でやらかす男である。
カルデス商人は大力無双。
喧嘩っ早さは一品で、相手が誰でも容赦はしない。
過去に一度、カルデス湾に広がる町々と国とが揉めた時も、各町を取り囲む兵団をものともせず。逆に王都への交易を一切止めて、ついに国から譲歩を引き出したのは有名な話。
時の指揮官に「あの者達がすべて国軍に下れば、我が国は安泰である」と言わしめた逸話は、この国の男であれば必ず耳にする。揃いも揃って豪の者ばかりという、カルデスの噂に間違いはなかった。
リーガ達には不運だったかもしれない。まさかこの見た目で、あんな乱闘を演じるとは思わない。こいつの正体を知っていたオレですら、かなり驚かされたもんだ。
ローグはその体躯に似合わず、非常識なまでの怪力の持ち主だった。
先日の喧嘩も、技と早さか何かで美麗に戦ってくれていれば、素晴らしいと絶賛できたんだけど……。
あれは完全な力押しだ。
結局、やられていた奴等は、全員骨折をしてしまっていたらしい。
確かにきつい音が聞こえてはいた。医者として止めなきゃいけなかったかもしれない。でも、オレじゃまず無理だな。
まあ、その恐怖のカルデス商人も、ちゃんと筋を通して親しくなればただの気のいい友人だ。堅苦しいことも言わず。誰に媚びるでもなく。ひたすら真っ直ぐなローグの性質は、オレとも合っているようだし。
でも時々、どうにも読みにくいと思う部分を見かけるようになってきた。
カップのぬるい茶をすすりながら、件の人物を眺める。
赤毛混じりの金髪と、垂れ下がった眉が特徴的な男。名をジェダスという。
「喫茶室に行こう」とめずらしい誘いをしてきた友人は、あまりにも不似合いな男を連れていた。本人達は実習で知り合ったと言っている。でもさすがに、この組み合わせは予想しなかった。
ジェダスの他者へ媚びへつらうような態度は、この一月で何度も目にしていた。絶対にローグと合いそうにもないと思っていたのに。奇妙なこともある。
さらにいえばジェダスの方も、オレが知っている人物とは違うように思えた。延々と吐き出されていた調子のいい文句は、いったいどこに行ってしまったのか。たわいない世間話を、ローグと気さくに交わしている。
カルデスの海風に当てられたのか?
この黒髪の友人は、変な影響力を持ち合わせているらしい。まったく、なんて面白い奴だ。
その面白い奴、ローグレストと。奇妙な友人ジェダスの会話の主題は、彼らの相棒について。
こいつらは、相棒が揃って人見知りという部分で、変に共感し合っている。茶をすすりながらとても熱心に、互いの相棒の人見知り具合について語っている。
「サキ殿は人見知りとは思えません。ちゃんと会話ができていますから」
「それはお前、ティピアが酷過ぎるからそう見えるだけだ。サキの人見知りはかなり激しい。最初はヤクスとすらよく話せなかったんだ」
なあ、と話を振られたので、奇妙な会話へと参戦することになってしまった。
「そうだなー。あの時はすっかり嫌われているもんだと思ったくらいだ。人見知りなんですって言ってもらえなければ、落ち込んでたかも」
ジェダスはううむと唸り、垂れ下がった眉をさらに垂らして、弱り切った顔をした。
昔、近所にこういう犬がいたな。
「そうなんですよね。相手に気を悪くさせることもあるのですよ。それを気にしてまた緊張するから、さらに悪化していってしまって……。なかなか難しいものです」
へえ、意外なところがある。立身出世を狙っているだけの男かと思ったら、ずいぶんと相棒思いだ。ティピアと呼ばれる相棒の顔は、どうにも記憶にないけど。困っていたら助けてやらねばという気がしてきた。
「自信をつけさせることだろうな。落ち着けばちゃんと話せるのだと、自分で自覚が持てれば直ってくる」
「確かに。サキちゃんはそうやって直ってきているもんな。そのティピアって娘も、話せる奴をちょっとずつ増やしてやればいいさ。いきなり煩い奴とか、ローグみたいに怖い奴は無理だろうけど。できればおっとりした感じの……」
「俺が怖いってどういうことだ」
「怖いに決まってるだろ、カルデス商人なんて」
いつもの軽口に、ジェダスは驚嘆の声を上げた。
「ローグレスト殿は、カルデスのご出身で?」
「そうだ。言っていなかったか」
おいおい言っておけよ。相手にだって心の準備ってものがあるんだから。
内心で苦情を申し立てていると、ジェダスは得心がいったというように何度も肯いている。
「なるほど、なるほど。道理で……」
「……ローグ。実習で何をやらかして帰ってきたんだよ」
聞けば、何かしたか? と首を捻る。
「いえね。男が三人がかりで開けられなかった扉を、ローグレスト殿が一蹴りでぶち抜きまして」
怪力留まることを知らず、だな。
ローグはようやく理解したらしく、大したことではないと言ってのけた。
「中身と見た目が合ってなさすぎだ……。家とか壊すなよ」
「壊すわけないだろう。真術でできているからかなり頑丈だぞ、あれは」
そういう意味じゃない。
言っておいて、本人もそれはわかっているらしく。楽しそうに喉で笑っている。
「とりあえずそのティピアちゃんも、サキちゃんともっと話す機会を増やしてあげればいいさ。何度か一緒に飯でも食べれば、自然と話すようになるだろうし」
名案だ。自分の案に満足していたら、ローグが渋い顔で睨みつけてきた。
「だから、招待もしていないのに飯をたかりに来るな。何度言えばわかるんだ」
「あ、ばれた。……仕方ないじゃないか、食堂の飯はお前が食わないんだから。食事会やるとしたらサキちゃんの手料理しかない」
「ヤクスが食いたいだけだろうが」
「食いたいよ。美味いもんサキちゃんの手料理。ローグ一人で独占するなんて、ずるい考えだ」
反論すれば、ますます深い渋面を作る。そんな面じゃお嬢さん方に幻滅されるぞ。
「サキ殿は、料理がお上手なのですね」
感心した様子のジェダスに、渋面のままローグが返す。
「前に食堂で働いていたらしくてな。今度ティピアと一緒に来るといい。ヤクスは来るな……」
「ええ、なんでだよ! 絶対にオレも行く」
「来るな。呼んでなんかやらん」
「いいよ、サキちゃんにお願いするから。ローグが飯を作るわけじゃないし、そっちの方が早い。今日も昼飯食べに行こうかと思ってたんだよね」
勝手に決めていたことを伝えてみたら、渋面を急に真面目な顔に戻してこちらを見た。
「今日は駄目だ。悪いんだが遠慮してくれ」
いままで断られたことはないので驚いた。冗談半分の拒否はローグからよく頂くけど。いつもなんやかんやで家に上げてくれる。
「あれ? サキちゃんまた体調崩したか」
「そうではないが、今日だけは駄目なんだ。来ても家には上げないからな」
何だ、何だ。何事だ。
突然の拒否に釈然としない気分でいたら、ローグがやらしい笑みを浮かべた。
人によってはこの笑いが、貴公子のように見えるという。目が悪いようだから、一度診察してやらないとまずい。サガノトスには患者候補があまりに多過ぎる。
「少しは、気を利かせてくれ」
……あらま、そういうことですか。
「お邪魔虫ってことかな」
質問には答えず優雅に茶をすすり出した。取り澄ました顔が様になっていて小憎たらしい。
「ヤクス殿。どうも今日はお日柄が悪いようですよ」
「お日柄ねえ……。何を企んでいるんだか知らないが、心配だな」
言えば、心外だと嘆いたような顔を作る。真導士より商人より、役者の方が向いているかもな。
「ヤクスは、どうも俺のことを勘違いしているらしい」
それはない、絶対に。
思わず心で毒づきながら、ローグの相棒である彼女のことを思い浮かべる。
サキちゃんは、覇気があり余っているローグとは対極にいる、儚い印象のお嬢さんだ。
極端なこの相棒達は、里の中で悪目立ちをしてしまって、いらぬ不幸を呼び寄せる時がある。つい先日も、その最たる一件があったため、彼女は体調を崩してしまったばかり。
あの一件で、二人と親しくなったわけだけど。それと同時に、カルデス商人の内心に触れることにもなった。
たまたま垣間見て知ってしまった、というわけではない。単純にこいつが隠さないだけだ。露骨な彼女への態度を見て、それを理解しないわけがない。
「無理強いだけはするなよ」
ローグも友人だが、もちろん彼女も友人だ。辛い目に合わせたくはない。
「そんなことするか。俺一人が急いでも、何の意味も成さないだろう」
きっちり否定してローグは席を立った。むさい茶会は終わりを迎えたようだ。
「とにかく、今日だけは絶対に訪ねてくるな。来たら湖に沈めてやるからな」
不敵に笑ったローグを見て、その懐にすっかり入れられている子羊の無事を、パルシュナに願う。
――女神よ、どうぞ彼女をお守りください。




