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真導士サキと第三の地  作者: 喜三山 木春
第三章 咎の果実
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カルデス商人と甘い果実

 キクリ正師の"転送の陣"によって、隠し倉庫から脱出できた。

 隠し倉庫には、里の高士達が調査に入ることになったようだ。


 今回の一件は大手柄であると、キクリ正師に褒められながら馬車に戻る。

 馬車の中では、他の導士達が疲れ果てた表情で座り込んでいたが。自分達の姿を認めると、大きな歓声が上がった。口々に無事を喜んでくれる彼等からは、もう侮蔑の気配を感じることはなかった。

 例外はディアだけで。彼女はこちらを睨みながら、それでもこの時ばかりは何も言わず、静かに座り込んでいた。


 馬車に揺られ、自分もローグもすっかり寝入ってしまった。

 聖都ダールの"転送の陣"まで戻った時、ジェダスが起こしてくれた。どうも自分は眠っている間、ずっとローグに寄りかかっていたようで「お邪魔をして申し訳ありません」と余計な一言を頂戴した。

 次に会った時、どのような顔をすればいいのだろう。鬱々と悩みながら慣れた道を歩いていく。


 足元には、かわいい白イタチ。

 今朝、家においてきたはずのジュジュ。この子はどうやって、自分のところまでやってきたのだろうか。

「ジュジュ、どうやって出てきました? 家からは出られないはずなのに……」

 聞いてはみるものの、ジュジュからの返事は期待していない。どうしてあの場所にいたのか。理由がさっぱりつかめなかったので、あふれる疑問を外に出してみただけだ。

「変なこともありますね。……聞いていますか?」

 並んで歩いているというのに、黒髪の相棒は黙りこくったまま。疲れているのはわかる。でも、ここまで無言になられると気になって仕方がない。


 ローグに視線を送ってみれば、ただ黙って見つめ返してくる。感情を落としてきたかのような彼に、ひどく胸がざわめいた。

「……あの」

「また、覚えていないのか」

 抑揚のない声音。

 だが、彼が何を聞いているのかは理解している。

「全部は、覚えていません……」

 全部は覚えていない。けれど、全部を忘れてもいない。

 記憶を辿りながら、視線を手の平に落とす。夕闇の中に浮かび上がった手の平は、青白さを強調されているように思える。

「あの時、自分の中にある何かが外れて……」

 ずっとずっと、そこにあった大きな蓋。

 それがあると気づいたのは、あの穏やかな夢を見た時だ。

「その奥に、懐かしいものが詰まっていたから。夢中で引っ張り出して……」

 蓋の奥には、たくさんの何かがあった。いまとなっては、よく思い出せないけれど、とても懐かしい何か。

 両手を天に差し出した。

「青くて、幸せで……。知っているはずなんです、わたしは」

 夕闇の空に、自分の両手を掲げた。

「すごく、よく知っている――」

 このまま両手を差し出していれば、つかめるような気がして、無心に腕を伸ばしていく。

 もう少し、あと少し……。


 そう思えた時。骨ばった熱い手に、道を遮られてしまった。つかむ形のままの右手を、彼がゆっくりと下ろしていく。

 届かなかった何かへの寂寥が、胸を占めた。

「やめてくれ……」

 不安を映す彼の顔。何故か悲しくなってしまう。

「いまは、もういい。どこかに行ってしまいそうだ……」

 わたしが?

 そんなことはない。いまだってこうやって一緒に家に帰ろうとしているのに。


 ローグが、右手を連れて歩き出す。

「あの!」

 疲れてはいるが、支えられないと歩けないほどでもない。

 手を離してもらって大丈夫だと、そう告げたのだが。彼は手を解いてくれない。

「ゆっくり、行こう」

「え?」

「無理して急いでもいいことはない。少しずつでいいんだ……」

 ローグさんと呼びかけようとして、追加規則を思い出す。

 あと二点だ。

 危ない、危ない。

「俺はまだ待てるから、ゆっくりでいい」

 待つ?

 彼は何を待っているのだ。

「まあ、虫よけくらいはしないと、そろそろまずいのかもしれん」

 どこかで聞いた覚えのある話に、妙な予感を覚える。

「ロー……。あの」

 呼びかけようとしてみたが、恥ずかしい。

 意識してしまって、とてもではないが言葉にできなかった。

「今度ばかりは失敗したくないからな。時間をかけてやらないと」

 ぞわりと、背中が震えた。

 何故だか急に鳥肌が……。今度こそぶり返してしまったのか。ふるふると震えていたら、ローグが足を止めて自分の正面に立った。


「あ、あの!」


 この気配は覚えがある。身の危険を感じて、一歩下がってみたが、彼がその一歩分の距離をまた埋めてしまう。

 ローグが笑っている。

 魅惑的なその笑顔は自分の弱点で、いつもなら目が離せない。しかしいまは、視線を集中させて黒の瞳を確認する。吸い込まれそうな黒の奥……。

 そこには、あの種火のような光があった。

 逃げようと後ろに足を伸ばしてみたが、彼の両手が顔を固定してそれを阻止する。いつかを再現するような状況。忘れていた羞恥が一気に立ち昇っていく。

「慣れたわけではなかったのか?」

 熱に染まってしまった顔を、ローグが楽しそうに眺めていた。彼の中の少年が、悪戯をしかけてきている。必死に思い込もうとしてみたけれど、彼の言葉が思い込みを否定する。

「きっと、美味いはずだ。だから時間をかけても惜しくはない」

 彼の手が頭の後ろに回されて、より顔が近づいてきた。正面から届くその低い声に、あらぬものが混ざっていると……わかってしまった。

 もはや意識をしないようになど、できようはずもない。


「甘く実れよ」


 耳に直接注がれた色めいた声は、すべてをあっさりと打ち負かしていった。




 のぼせた頭を抱え、家路を辿る。

 しばらくは果実など見たくもない。胸中で呟いたその声は、生憎と女神には届かなかったようで。

 次の日、長身の友人から白く透き通る果実を贈られ、思わず天を仰ぐことと相なった。

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