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真導士サキと第三の地  作者: 喜三山 木春
第三章 咎の果実
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甘美な誘惑

 暗い通路を、並んで歩く。


 誰も口を開こうとはしない。先ほどの光景を忘れて、明るく話すなどとてもできない心境だ。

 四大国の戦は、聖都の近くであっても深く深く刻まれている。こんな酷な過去の上に、平和な町があるのだと民には知る由もない。そして、知りたくもないはず。

 この町の青果で起こった食中毒というのは、あの果実のことだろう。

 大戦中は、民の数を増やすことがすべてだったのだ。真術による歪な成長。その報復すらも享受して、力を使っていたのではないだろうか。


「模様があるわ!」

 ディアの声が通路に反響する。

 導士達の間で、歓声が上がった。やっとこんな薄気味悪いところから出られると、手を叩いて喜び合う。

「待って、ディア。まだ触らないでくれ」

 イクサの制止に、ディアが不満そうな顔をして鼻を鳴らす。

「どうしてよ。早くここから出たいのに……」

「これが転送なのか。それ以外の何かなのかはわからないから」

 そう言って、後方にいた自分に声を掛けてきた。

「この気配、読んでもらえないかい」

 これに、ローグが猛反発した。

「無理だ。灰泥の倉庫に残っている気配は、サキにとって強過ぎる」

「でも、この中で一番気配を読むのに長けているのはサキだよ。少しだけ我慢してもらえないか」

「させられない。これ以上は絶対に駄目だ」

 集団の要となっていた二人の言い合いは、周囲に動揺を広げた。

 原因は自分だ。

 せつない気分ではある。だが、いまの自分は確かに限界だった。この場にいるだけで耳鳴りがしている。確かに、先ほどよりはずっとましにはなってきた。でもそれは、ローグが真力を出して、周囲を包んでくれているからだ。

「ごめんなさい、イクサさん。わたし、いまは何も見れそうにありません」

 喜び合っていた導士達から、憤りと非難の気配が伝わってくる。上がったところから、一気に落とされた気分なのだろう。その気持ちはわかる。

 しかしだ。あの悲鳴の中で、真術を見極められると思えない。どう考えても、いまの自分では不可能だった。

「そうか……。こちらこそ申し訳ない。無理を言ってしまったようだ」

「じゃあどうするの。この模様は?」

「真術での脱出より、通常の道を探してみよう。模様に触るのは最後の手段かな」

「何で、こんな……。肝心な時に役に立たないっ」

「ディア、よしなさい。それはオレ達も同じだよ。誰もこの気配を読めないからね」

 悔しそうなディアと何も言わない導士達を連れて、イクサが前を行く。


 これは何という皮肉だろう。力がない自分を責めていたのに、いまは力があることを責めてしまう。

 壁を一つ越せたばかりでも、宿命の試練は、絶えることなくやってくる。

「ジェダスさんもティピアさんも、ごめんなさい」

「いえ、とんでもない。首席殿の言う通りです。これ以上はさせられませんし、我々には貴女のような力もないのですから。そもそも何も言う資格はないのです」

「……サキさんは、悪くありません」

 握る手に力が込められる。彼の気配が、より強く自分を包み込んできた。あたたかさが、全身に沁みていく。もう、顔を下げたりはしない。きっと次も乗り越えられるはずだから。

「さあ、行きましょう」




 一行は、ついに通路の果てまで辿りついた。

 『選定の儀』があった、あの日が思い出される。そこはまるで、神殿の一角のような広い空間。闘技場のような階段が三段だけあり。それ以外は、円形の広場となっている。

 そしてその広場の床に、いくつもいくつも不気味な模様が描かれている。

「これは、厳しい……」

 イクサの呆れたような声に、返事をする者はいない。

「この中から、探せってことか?」

 燠火の導士が、責めるような口調でイクサに聞く。その憤りは、本来イクサにぶつけられるべきではない。誰もが焦燥にかられ、苛立っている。見えない恐怖が、正常な判断を狂わせているのだ。

「あのさ、どうしても駄目なのかな」

 鼠を操っていた蠱惑の導士が、焦れたように聞いてきた。

「駄目というより、わたしの気力が持ちそうにないのです。正確に気配が辿れるかどうか……」

 あまりに激しい慟哭のため、どうしてもあの部屋の気配に引きずられる。その状況で、精巧に偽装されている真術を見切るなど不可能に近い。

 もし、間違った答えを出したらどうなるか。まったく予想ができないのだ。

「ほんの少しだけ。一瞬だけ見て、それで駄目なら諦めがつくんだ。何もしないでっていうのは……」

「いい加減にしろ。サキはずっと気配を追っていた。これ以上は本当に無理だ」

 ローグの加勢に一度はひるんだ。

 それでも焦りが強かったのか、引く様子はない。

「じゃあ、お前は何なんだよ。真力が強いんだろ? それなら何かやってみたらどうだ」

 言い募りながら自身の言葉に後押しされて、男の激情が加速していく。

「何が歴代最高の真力だ。気配も辿れない、真術も破れない。この状況を変えることだってできないんだろ。そんなのは、ただの宝の持ち腐れじゃないか!」

「それは、お前も同じだろう?」

 彼の静かな声音を、男はどう受け取ったのだろうか。

「疲れているのは理解できる。誰だってそうだ。その上、こんな辛気臭い場所に閉じ込められれば、喚きたくもなる。だからとって、八つ当たりはされる筋合いはない。手はまだ残されている。俺達がいなくなったことぐらい、キクリ正師が気づくはず。……最初の場所に戻ろう。あとは助けを待つ方がいい」

 ローグはまだ、最悪の事態だと思っていないようだ。道はいくつか残されている。この模様で博打を打つよりも、正師の助けを待っていた方が戻れる可能性が高い。模様を使うのは最後の最後だと、そう判断したのだ。

 それに、自分の気力が回復して気配が辿れるようになる、というのも道の一つ。だからこそ、真力で包んで守ってくれている。ローグは決して、何もしていないわけではない。

 皆で助かる道を、黙って作り続けている。彼が真力を出しているのを、気づかないはずがないだろうに。

 ……わからないのか。それともわかりたくないのか。


 目の前にぶら下げられた、甘美な果実。

 どれかに毒があると知っていても。冷静さを失った彼らは、その誘いに惑わされている。




 人の心は何とも脆い。

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