道へ
それは一瞬のことだった。だれもが息を止め、眼前で起きた信じられないできごとを、ぼうぜんと見つめていた。
なにしろ、ひとりの人物が、とうとつにあらわれたのだ。
音もなく、風もなく。その人だけが、壇上の変化を如実につたえている。
「何事か」
あらわれた人が尊大な声で問う。声は若いように感じる。けれど、隠しようもない貫禄は、古老のそれのようだった。
ほかの三人より豪奢で長い白のローブ。床まであるローブには、銀糸で装飾がなされている。
フードからのぞく髪は、こちらも冴え冴えとした銀の髪。左目は前髪で隠れてわからない。銀の右目だけが、フードの影から刺すように世界を見ている。
全身を白銀で埋めつくしている男は、三人の真導士を一瞥した。視線をうけた真導士たちが、白銀の男に一礼する。
「慧師。こちらをご覧いただけますでしょうか」
女真導士が、壺を手で示す。数歩ばかり歩み、ちらと壺を見た白銀の男は、女真導士に話の先をうながす。
「ご覧のとおり、選定線に重なっております」
年若い真導士がさらにつづける。
「規定にのっとり、この者を里にむかえようと思うのですが……」
「規定では選定線を越した者とあります。越しておらぬ者に、資格などございますまい」
白銀の男は、ふたたび三人の真導士をながめ、最後にこちらを見やる。
「同胞と認める」
永遠とも思えた時間を越え、尊大な声が自分の罪を確定させた。
許されるなら、ひざを折って座りこんでいただろう。胸中で女神に救いをもとめたのに、こたえる声はない。
「慧師! お待ちを。真力が低き者をわが里になど……。とうてい使えるようになるとは考えられませぬ。おいていかれ "落ちこぼれる" に決まって——」
「だまれ。異論は認めぬ」
白銀の男が、壮年真導士の言葉をぞんざいに切り捨て、視線をからめてきた。
「 "開眼の間" で待つ。来るがよい」
ひとことだけを残し、またとうとつに消えた。
もはや自分がなにを見ているのか、それすらもわからなかった。そこかしこから聞こえる笑い声。動くこともできず、ただ両手を握りしめる。
「待たせてしまったね。……顔色がわるいようだな。私も共に参ろう。さあ、こちらだ」
年若い真導士の気づかいにつられて、ふらふらと歩き出す。床は、布が敷きつめられているのではと錯覚するほど、ふみごたえがない。
にぶい音と共に、左側の扉が開かれる。
もう逃げられない。
獲物を捕えたとばかりに、闇が全身にまとわりついた。扉が閉じる直前。あざけるような笑い声が、冷えきった背中を追いかけてくる。
泣きたい、と胸中でつぶやいた。
扉の閉まる音と同時に、ひときわ高く耳の奥が鳴り、ついに静寂がおとずれる。
年若い真導士が、左手のうえに炎を出した。
ランプの灯りに似たそれは、肉をこがすこともなく、空中にふわりと浮いている。油の燃える匂いもしない不可思議な炎。心が平坦であったならば、きっとめずらしく思えただろう。
「すまないね……」
申しわけなさをにじませた声が、耳に届く。
ぼうと見あげれば、フードの影で赤茶けた髪の真導士が、眉をこまらせていた。やさしげな碧の瞳が、心配そうに自分を見つめている。
「ずいぶんとつらい思いをさせてしまったようだ」
いえ、と返事をしようとしたけれど、のどがはりついて声が出なかった。
男はわずかに笑んでから、白いローブのすそをひるがえし、ゆっくりと歩みはじめた。灯りにおいていかれないよう、そろそろとうしろを歩く。
「真導士のなかには、おごる者もいるのだ」
うたがいようもなく批判的な言葉だった。返し方がわからず、しばしまどう。答えは期待していなかったのか、男はさらに話をつづけた。
「けれども君は、シュタイン慧師がお認めになった、われわれの同胞。気にすることはない。胸をはりなさい」
——ケイシ。聞きなれない言葉だ。
会話の流れから、あの白銀の男の名であると、それだけを理解する。
「慧師とは、真導士の里を統べる最高位の真導士のことだ。四大国には、真導士の里がいくつかある。各国の聖都にひとつずつ。それから、四大国のちょうど境界にある湖の島にひとつ。……あわせて五つだな」
男は歩みを止めずに、話をつづける。
語られる話は聞いたこともない内容だった。いまの気分をそらすにはちょうどよく、耳をかたむける。
「真導士の里には、それぞれに名前がある。ここ聖都ダールにあるわれらの里は、 "第三の地 サガノトス" と呼ばれている。サガノトスを統べるお方が、さきほどのシュタイン慧師というわけだ」
白銀の男は、とても偉い人だったようだ。年は何歳くらいだろう。そこまで高齢のようには見えなかったのだけど。
「これから君は真導士となり、サガノトスで修業に入る。修業中の真導士は導士という位になる。里で導士を教育し、みちびく者。……私たちのことだ。こういった者は正師と呼ばれる。さきほどのふたりも正師だ。ほかに、導士の修業を終えた高士。導士や高士を個人的に教育する令師と呼ばれる位もある」
真導士にも、いろいろと種類があるらしい。真導士と縁遠い者には、一生知ることもない知識だろう。
「真導士となるためには真眼を開く必要がある。……知っていたかい?」
シンガン?
また知らない言葉だ。すなおに「いいえ」と首をふる。
「人は皆、真力を有している。だが有しているだけでは真術を使えない。真導士が使う真術は、大気に棲む精霊の力を借りて展開する。そのために必要なのが真力であり、精霊と対話するために開かれるのが真眼なのだ」
追いついていけるだろうか。知らない言葉が多くなってきて、ひそかにあせる。本当に自分が真導士などやっていけるのか、不安で不安でたまらない。
「これから "開眼の間" で、慧師に真眼を開いてもらう。そうすれば君も真力を解放し、真術を使えるようになる。もともと開いている者も稀にはいる。しかし大半は、慧師に "開眼" してもらう必要があるのだよ」
そう、だったのか。
たくさんの真力があれば真術が使えるのだと、勝手に思いこんでいた。
「詳しくはサガノトスで説明しよう。ひとつひとつ学んでいけばいい。……さあついた。ここが "開眼の間" だ」




