真導士サキと第三の地

第三章 咎の果実

欺きの壁

　仕事をしている間に、ちょうど昼食の時刻となっていたようだ。

　初仕事を終えた導士達は、ベロマの町で昼食をとる運びとなった。倉庫の地下にはすでに、十人分の食事が用意されていた。国王の勅命というだけはあって、丁寧なもてなしである。

　食事が用意されていると聞いて、一名を除き全員が諸手を挙げて喜んでいた。真術を使った真導士らしい仕事というよりは、肉体労働の方が大きかった。皆が皆して腹を空かせていたのだろう。

　黒髪の相棒だけは、食事と聞いてがっかりした様子だった。家で食べたいと言っていたけれど、さすがに待機中に帰れるはずもなく。甘い食事を、強引に喉へと流し込むという暴挙に出た。

　キクリ正師は里への報告があるようだ。全員に待機を指示してどこかへ行ったまま、まだ戻らない。

　地下の食堂は、それなりの広さがあった。大きめのランプが掲げられているので、倉庫よりもずっと明るい。しかし、地下は地下である。全体的に、じめじめとした感じが拭えない。

　石造りの壁にある隙間から水が沁み出していて、すっかり黒く塗りつぶされている個所もある。

　水が沁みている壁は、倉庫と同じで無骨な印象だ。しかし何故か、不気味な一つの模様が描かれていた。模様を見た時、またもや額に泥水を感じた。いま誰にも気づかれず、ローグにだけ伝えるのは不可能だろう。仕方なく、地下を出たら話そうと喉の奥に飲み込んだ。

　食事中はさすがにフードを取ってもいいようだ。明るいランプの下、ようやくお互いの顔を確認できた。

　並べて見れば髪色は金が多い。そもそもドルトラント王国は明るい色味の髪が多く、中でも金髪がもっとも多い国である。漆黒というのはとてもめずらしい。その点でもローグは否応なく目立つ。

　だが視線を向けてきても、彼に話かける勇気を持つ者はおらず。話題の中心は、話しやすいイクサとなっている。

「さすが、イクサ殿。術具を早々に見つけられるとは、おかげで早く仕事が終わりましたよ」

　相変わらず、わかりやすいおべっかだ。　聞いているだけで、背中がむずむずとしてきてしまう。イクサはとても広い心を持っているようで。男の言葉にも動じることはなく、謙虚に返答していた。

　懸命にイクサの歓心を買おうとしている彼も、どうやら金髪の持ち主だったようだ。金髪といっても赤毛が混じった金だ。瞳は柘榴石のような濃い色味をしている。特徴的な大きな唇と、垂れ下がった眉。延々と吐き出される言葉が印象付いてしまって、どうにも忘れられない人物となりそうだ。

　男女比率はちょうど半分。

　男同士、女同士の相棒がそれぞれ一組ずついて、それ以外は男女の相棒で構成されている。女同士の一組は、ローグに興味を持っている様子だ。時々こちらに視線を送りながら、ひそひそと話し込んでいた。

　彼は、こういう時に何を考えているのだろう。気づいていないとは思えない。けれど、内心は決して表に出さない。無関心ぶりが徹底されている時の彼は、少し苦手だ。まるで知らない人のようで、遠くに感じてしまう。

　胸のうちにある寂しさは、ちゃんと治ってくれるだろうか。気力が高くなれば治るというなら、さらに修業に勤しまねば。このままでは、実習中に気が逸れてしまいそうで不安だ。できる限り早期解決を目指していこう。

　今後の実習は、今回のより難しいものだってあるはずだ。

　はあ、と溜息を落とす。

　思った以上に大きい音が出て、無意識に背筋が伸びる。自分に向かって、全員の視線が集まるのを感じた。しまったと後悔したが、矢のように鋭い何かを甘んじて受け入れる。これは自業自得だ。

　以前ほど辛くなくなったとはいえ、やはりこの手の視線は苦手だと思う。ローグが持つ胆力を、少し分けてもらえないだろうか。

　ふと視界に白の袖が侵入してきた。額に熱のある手が当てられる。

「ぶり返したか」

　ごく当たり前に、ローグは自分の体温を確認した。

「いえ、大丈夫です」

　彼に引きずられ、つい自分も家にいる時の対応をしてしまった。先日、体調を崩してから何度も繰り返されたことだったので、お互い気遣いを忘れていた。

　周囲の視線がさらに鋭くなる。特にローグに対して興味を示していた娘達の視線は、とうとう槍と変化した模様だ。ローグの手がぴりりと固くなる。その固さを通して、自分も状況を理解した。

（しまった……）

　恥じらいが、首と頬を熱で染めていく。

　少年の心を隠し持っているとはいえ、ローグは男だ。そして自分は女だ。一年のはじめとされる春迎祭を十五回越えた以上、自分達は立派な大人。少年少女の時間は終わっている。

　妙齢の男女が互いの肌に触れ合うなど、よほど親しくなければしない行為。さらにローグは額に手を置いている。翠色の髪留めでまとめているが、それでも前髪には触れてしまう。

　男が女の髪に触れる行為は、有体に言ってしまえば心の通じ合いをあらわす。しかも人前でやるというなら、他の意味まで付加される。

　自分以外の男に対する、独占の意思表示だ。

　何てことをしてしまったのか。

　慣れとは実に恐ろしい。これは医療行為の延長だと大声で叫びたい。肌に触れても、髪に触れても怪しい意味合いはない。ヤクスだってそう言っていた。医者と患者なのだから固く考えなくていいと。そんなことを言っていたら看病などできないと。

　そこまで考えて、新たな疑問が生まれた。

　ローグは医者ではない。ならばここ数日の行為は、どうなってしまうのか？　いや違う。そうであっては困る。そうであったとしたら、あんなに……何度も、はしたない真似を。

　思考の渦に巻き込まれた自分は、彫像の如く硬直した。かたやローグは、焦りを悟られないためかしばらく体温を確認して、ゆっくりと腕を下ろした。

「サキ、具合よくないのかい……」

　沈黙を破ったのはイクサだった。

　彼は、この行為の意味をきちんと把握してくれたようだ。救いの手を差し伸べてくれたことに、心から感謝をする。

「よくないわけではない。悪くならないよう気をつけているだけだ」

　ローグはすっかり平静を取り戻した様子で、無関心な返答する。そういうことかと安堵した娘達の気配に触れ。またも胸で荊が生えはじめたが、いま心の刺を排除するゆとりはない。

「まさかこれだけの仕事で、真力が枯渇したのかしら……」

　ディアは、この時を待っていたのだろうか。罵る言葉に、感情の抑揚がありありと含まれている。そのうれしそうな声音を不愉快に思ったようで、ローグの気配が強くなった。

　彼は相手が女でも、理不尽な言動を許さないだろう。だが、それを周りが受け入れるかどうかは話が別だ。女に怒鳴り散らしでもしたら、彼の人格が疑われてしまう。

「体調が優れない時に仕事をされたのなら当然でしょう。彼女は先日あった暴挙の被害者だ。首席殿が案じるのも無理はありません」

　意外な場所から差し伸べられた救いの手。思わず呆気にとられてしまった。

「ジェダスは"落ちこぼれ"をかばうわけ？」

「そのような言い方は辞めていただきたい。これは僕の信条に基づく考えです。真力の高低を理由に、暴挙や暴言が許されるべきではありません。首席殿、貴方もそう思うでしょう？」

　おべっかを繰り返していた男――ジェダスは、どうやら自分をかばうことで、ローグの歓心を買おうとしているらしい。搦め手ではある。けれど、ただ耳当たりの良い言葉を並べるだけより、彼には効果があると睨んだのだろう。

　この男、変なところで目ざとい。

「まったく、ジェダスの言う通りだ。もし許されるのなら、俺は全員に暴挙を行えることになる」

　ローグも目ざとい。目ざといというか狡賢い。不愉快に思っていただろうジェダスを、利用できると踏んだ途端、あっさり自分側に組み込んだ。利益優先の悪徳商人の変わり身には、舌を巻いてしまう。

「まあ、真力の高低を理由に、彼女を貶めるという者がいれば、あえて貶めてやってもいい。そういう信条ならば、俺に何を言われても納得するはずだ。……この中にも何人かいるように思えるが、どうだろうな」

　幾人かの肩がびくりと動いた。明らかなローグの牽制に、食卓が沈黙に包まれていく。

　きっと想像もしていなかったのだろう。貴族の令息のように見えるこの人が、その容貌に反して、迸る激情を隠し持っていることを。

「誰も貴方には、何も言っていないじゃない」

「相棒への侮辱は、俺への侮辱だ」

「ディア、いい加減にしないか。すまないサキ、ローグレスト。不愉快な思いをさせてしまったようだ。オレからも謝罪させてくれ」

「イクサ！　どうして貴方までそんなこと言うの」

　ディアは感情のまま席を立ち上がる。

　いまにも外に駆け出して行きそうな彼女を、イクサが慌てて押し留めた。

「駄目だ、待機と言われている。気持ちを落ち着けておくれ。どうしたというんだ。いつもの君らしくないじゃないか……」

「もう、放っておいてよっ」

　立ち上がって揉み合う二人。その傍にはあの不気味な模様がある。事実を認識して、冷や水を浴びせられたかのような心地になった。

　不気味な模様はただ待っている。利口な番犬のように。忠実な兵士のように。いつか下される指令を、ひたすらに待っている。

「それに、触らないで！」

　叫びも虚しく、ディアの手が模様に触れてしまった。酸味のある甘い匂いが、地下の食堂に満ちあふれていく。