真導士の里の現実
四大国には、五つの真導士の里が存在する。
そのうちの一つ。"第三の地 サガノトス"は、ドルトラント王国の聖都ダールに存在している。
サガノトスには、稀有な力を持つ、真導士と呼ばれる者達が生活している。
しかし、その詳細が外部に語られることはない。
ある者は、神官のように粛々と修業や祭祀をしているのだと言い。
またある者は、厳しい苦行に耐えて真術を磨く、険しき日々を送っていると言う。
伝説として語られる真導士は、神話のように厳かであり。畏れと憧憬で、鮮やかに着色されている。
真導士の里の現実を知らない彼等に、この光景を見せたら何と言うだろうか。
両手を腰に当て、長椅子に横たわっている芋虫状の塊を見た。
毛布にくるまって唸り声を上げ。きつくこめかみを押さえている相棒は、こちらの気配に気づき、情けない声で水を所望してきた。
「……ローグさん、飲み過ぎです」
芋虫状にごろごろとしているローグは、日が高くなっても、浴びるほど飲んだ昨夜の酒を撃退できずにいる。
伝説の真導士の里の一角。
歴代最高の真力を持ち、物語の英雄のように端整な顔立ちをした男は、ごくごくありふれた"二日酔い"という呪いに苦しめられていた。
昨夜は、三日遅れの祝勝会だったのだ。
リーガ達の一件があった次の日。
涙に濡れながら起きた自分は、ものの見事に発熱した。
疲れが出たためだ。
村を出ていきなり真導士になった上。サガノトスに入ってからは緊張の連続だったため、完全に休まる時がなかった。
そんな状態であったのにリーガ達の一件が起き、決定打となってしまったのだろう。
打たれ弱い心と体は、熱烈に休みを求めた。
当然と言えば、当然の成り行きではある。
涙の理由は別のところにあった。
けれども、泣きながら熱を訴え。休みたいと言い出した自分の様子を見て、ローグはひどく動揺していた。
訴えを受けた彼は、自分を寝床に戻し。枕元に水などの必要な物を整えてから、慌ただしく外へと駆けていった。
昨日の一件を思い出して泣いている。
そう勘違いされたのはわかっていた。
ところが当の自分は、高熱のあまりしゃべることすら億劫で、誤解を解かないまま寝込んでしまった。
自分が寝込んでいる間に、真導士の里では色々なことがあったらしい。
まず、リーガは追放された。
本人は真術を使えば大丈夫と思っていたようだが、里はそこまで甘くはなかった。
あの日、リーガが使った紫炎の真術は、"誘炎の陣"と呼ばれるものらしい。
蠱惑の真術は、自分に関係ない。そのため、あまりよく見ていなかったのだけど、初歩真術の教本に載ってはいた。
"誘炎の陣"は、人の理性を焼き尽くし、暗示をかけて相手の行動を奪いとる。
そんな真術を使っておいて言い逃れしようとしても、通用するわけがない。
主犯であるリーガは、慧師にしか使えない"禁術"でもって真力を封印され、二度と真術を使えなくなったそうだ。
そして、真術を使えない者など里に置いておくことはできぬと、その日のうちに故郷に帰された……とローグから聞いた。
他の四人は、謹慎処分が下った。
彼等は娘を襲ったというより、喧嘩をして相手に怪我をさせたという罪状になったようだ。
ローグは不満そうだったけれど、自分としては妥当な処分だと納得した。
自分の嫌悪と恐怖はリーガに集中していたので、あの男と二度と会わないという結果に安堵したのもある。
彼等の処分の影響もあり。学舎はしばらくの間、休みとなっている。
ローグとヤクスは持て余した時間を使い、かなり献身的に看病してくれた。
寝ている間のことなので、おぼろげな記憶ではある。
だけど、二人が交互に見舞ってくれていたのは覚えている。
特にヤクスは、祖父の代から医師の家系ということで、よく効く薬湯を煎じてくれたのだ。
ちなみにあの日は、胸やけ用の薬湯を作ろうと、薬草を探していたのだそうだ。
献身的な看病のおかげか、二日寝込んだだけで体調はすっかり戻った。
戻ったというか、前よりも元気になった気すらしている。
快気祝いも兼ねて行った昨夜の祝勝会は、サガノトスに来てからもっとも楽しい夜になった。
何かと揉め事が多く。周りとの関係作りを避けていた自分達にとって、ヤクスは里で初めての友人となったのだ。
待ちかねたとばかりにステーキを頬張りながら、酒を飲み交わす二人の姿を見ていたら、胸に新しい感情が生まれた。
人はこれを友情と呼ぶのだろう。
ローグに対する寂しさは消えないが、心強い感情を密かに噛みしめていた。
「二人は"迷いの森"で、襲撃を受けていたわけだ……」
「ああ。ヤクスは何もなかったのか?」
「なーんも。オレの相棒が優秀でね。真導士一族のご令嬢なんで、もともと真眼が開いてて真術も使えたんだよ。かなり早く森を抜けちゃったから……。怪しい奴なんか見かけもしなかった」
話を聞いて驚いた。
真導士の里に来る前に、真術が使える人がいるのか。
「真眼って、慧師に開いてもらわないといけないのですよね」
「いけないってわけじゃないんだって。真導士なら誰でも開けるんだとか。国家の儀式として、国王の勅令で行うから、儀礼的に慧師がやっているだけ。ほんとは慧師じゃなくてもできるんだってさ。民の中から見落としがないように『選定の儀』をやってはいるけど、その前に真眼を開いちゃ駄目ってわけじゃないらしいよ」
ヤクスの相棒は、真導士の里ではかなり名高い一族の出身。
系統に関わらず、初歩真術はすべて扱えるくらい優秀だという。
ご令嬢の大活躍で、ヤクスは"迷いの森"から一番に抜け出したと言った。"迷いの森"で見た最初の転送は、たぶんヤクス達だったのだろう。
「そんな話、オレにしちゃって大丈夫か? もしかしたら悪人かもしれないよー」
一番怪しくない奴が怪しいんだと、朗らかに笑う。
とても悪人とは思えない、気持ちのいい笑顔だ。
「お前ではない」
「おー! ローグの信用を勝ち取ったな。オレってばなかなか出来る奴?」
「信用というわけでもない」
「……ひどいな、否定するなよ」
いじけたヤクスを見てローグが喉で笑った。ヤクスと話している時のローグは、いつも楽しそうだ。
その事実に、自分の心もあたたまる。
「あいつは正鵠の真導士ではなかったからな。お前の真円を見て確信した。正鵠の真導士の真円は特徴的過ぎるから、見間違いようがない」
ローグの言葉を受け、自分も肯いた。
ヤクスが造り出した真円は、あまりに独特だったのだ。
真術を展開していないのに立ち昇る光――。
"森の真導士"の真円がどのような流れを作っていたか、はっきりと覚えていない。
ただ、正鵠の真導士だけはあり得ない。それが二人で出した結論だった。
「危ない場所だな、真導士の里は……」
「まったくだ。どいつもこいつも怪しくて辟易してくる」
ヤクスは、ぐったりとしたローグのグラスに酒を注ぎつつ、こちらに語りかけてくる。
「あんまり一人にならない方がいいよ。あいつらの件は解決したけど、"森の真導士"は長引きそうだからさ」
「はい……。ありがとう、ヤクスさん」
礼を伝えたら、やさしい「どういたしまして」が返ってきた。
隣でローグが微笑む気配がする。
その気配を感じて、頬におかしな熱が生まれた。
酔ったのだろうか。
お酒なんて初めて飲むから、よくわからない。
熱を隠そうと、最初の一杯すら空かないグラスに、そっと口をつける。
二人はどんどん飲み進めていくのに、自分はこの一杯も怪しい。
「サキちゃん。無理して飲まない方がいいから。病み上がりなんだし、医者の言うことはちゃんと聞いてね」
「……はい」
「そろそろお開きにするか。じゃあ、これ全部飲んでおいてくれ」
「あ、おい! 入れ過ぎだ!」
ローグの抗議を聞かず、ヤクスはボトルを開けた。
この時に止めておけばよかったと後悔したのは、長身の友人が帰ってからだった。




