緩やかな歩幅
みんなで家路を行く。
正確に言えば、歩いているのはローグとヤクスのふたりだけ。気力と体力を使い果たしていた自分は、歩くこともままならず。またもや横抱きにされていた。ジュジュは、もう離れまいと自分のお腹に乗っている。
ローグはひとりと一匹分の重さを抱えているというのに、まったく苦にもせず歩いている。彼のとなりを行くヤクスは、途中で落としてしまっていた紙袋を持ってくれていた。
歩きながらの会話は、先ほどの大乱闘——ではなく、今晩の夕食についてだった。
歩けないほど消耗している自分に、夕食を作る力は残っていない。無論、ローグもヤクスもやらせようという気はないのだけれど、ではどうするのかというのが議題だ。
お腹が空いてしまっているので、我慢という選択肢はあり得ないとのこと。では、あり得ないと言い切った男ふたりが料理を作れるのかといえば、無理だというご返答。自分の指示のもと、調理をするという案もあるにはあった。しかし、彼らは下ごしらえの説明だけで断念してしまった。
さらには今晩の夕飯が、特製ソースの牛ステーキだったという話で食欲が倍増したらしく。先ほどまで、じつに頼れる男だったふたりは、せつないため息をもらしている。
「食べたかったな……ステーキ」
「言うな。口に出すな。余計に腹がへる」
「だってさ、厚切りだぜ」
「頼むから言うな」
「あ、でも香草がまだ手に入ってなくて。それがないと焼いたときの香りが……」
ついうっかり言ってしまって、ふたりから哀愁の視線を受ける。
「……焼いた時の香り。うわー、やっぱり食べたい！」
「だから言うなって。そもそも、なぜヤクスまで食べるつもりになっているんだ」
言われてみればそうなのだが、食材は三人分あるからまったく気にしていなかった。
「ひどいなローグ、功労者にそんなこと言うなんて」
「夕飯に招待されてから言え。まったく図々しい」
本気でお腹を空かせているふたりを、笑ってはいけないと思う。けれど、どうにも堪えられずに忍び笑いをもらす。ローグの体温に包まれて。歩くときの振動が心地よくて、目がとろとろとしてしまう。ぼんやりとした視界で、ふたりもいっしょに笑っている。視界の隅で、ジュジュの白い尻尾がふわふわとゆれていた。
「……サキ、辛いなら目を閉じていろ」
はい、と返事をして目を閉じる。夢の世界は、すぐそこまで来ていた。
「眠っちゃったかな」
小声で聞いてきたヤクス。自分も同じように小声で返す。
「ああ。……気を張っていたんだろう」
疲れ切った顔は、紙のように白い。泣いたために目の縁だけ赤くて、それが痛々しい。
「なにがあったか聞かないのか……」
サキが眠ってから話題に出したということは、先ほどまで無駄に多弁だったのはわざとだ。そういう気の使い方は嫌いではない。
「聞かなくても、だいたいわかる」
眠る彼女の顔を見て、嘆息する。
あの光景を見たときの自分の感情を、どうあらわせばいいのか。男たちに囲まれて。拒むことを許されない格好で、頬を打たれていた彼女。羽織っていたはずのローブはその身にはなく、無防備なまま、かたくなに抵抗していたあの姿。
激流のような感情が、いまだも身のうちを巡っている。自分の感情だけを考えれば、まだまだ返し足りない。だがすこしでも早く、彼女をあの場から連れ出したくて、あれですませたというのが本当のところだ。
「あまり、ひとりにしないほうがいい。知らないだろうけど、ふたりは目立ちすぎてるから」
やはりと思った。お互いの極端な真力は、どうしてか周りの神経を逆なでするらしい。自分に対する嫉妬と羨望の裏返しが、サキに対する侮蔑と嘲笑になる。元は同じ負の感情が、相手によって姿形を変えているだけだ。
「迷惑な話だ」
ただでさえ、 "森の真導士" の一件があるというのに。敵となり得る奴が、ここには多すぎる。……そのうえ、本当はどちらが狙われているかも。その目的も不明だ。
「まあ手助けはするさ、お邪魔かもしれないけどね」
「余計な一言が多いな、ヤクスは」
この曖昧な関係について自覚はある。それこそ、彼女が委縮してしまうほどかまっているとは思う。相棒だとしてもやりすぎ。この庇護欲が、この先どういう形に育つかの予想はつく。しかし、ひとりで急いでも意味はない。
ゆっくりと変わろうとしている彼女の、ゆるやかな歩幅に合わせて歩くのもいいだろう。
