やさしい覚悟
「だれだ、お前は」
場に、険呑な気配が満ちた。
声にひるむことなく、さらにがさがさという音がひびいて、ゆっくりとした足音が聞こえてくる。
閉じていた目をうっすらと開き。そこに見た覚えのある人物が立っていたので、とてもおどろいた。
「サキちゃん?」
「……ヤ、クスさん」
森から、長身の導士があらわれた。場に乱入してきたヤクスは、人のよさそうな顔を、ほんのすこしだけこわばらせ、それでも歩みをとめようとはしない。
「なんの用だ!」
珍客の出現。警戒したリーガが、目をぎらぎらとさせたまま怒声を発した。そこでようやく、足音がとまった。
「ヤクスって者だ。ちょっと彼女と知り合いでね。……なにをしているんだ」
刺激しないようにしているのか。ヤクスの口調は、つねと同じくらい軽い。
「知り合い……ね。こいつはお前の相棒か?」
「いや、ちがう。相棒でなければだめな理由でもあるのか? そうなら呼んできてやるよ」
ヤクスの質問に、リーガは答えなかった。そして前髪をつかんでいた手をはなし。後ろに回りこみながら、腕でこちらの首をしめてきた。
「――おい!」
「動くなよ。この人数を相手にできると思っているのか?」
リーガ以外の四人が、ヤクスを取り囲む。場の気配が、針のようにとがっていく。
「……おたくら、どうも彼女の仲良しさんって感じじゃないね」
ヤクスは、時間をかせぐように会話をつづけている。会話を聞いているうちに胸に強いあせりが浮かんできた。このままでは、ヤクスも巻きぞえとなってしまう。
「仲良しね。……そんなことはないぜ、これからじっくり仲良くしていくんだからな」
背後から聞こえてきた言葉。それを聞いただけで、全身に鳥肌が立った。気持ちわるくて、吐いてしまいそうだった。
「彼女をはなせ。もうすこししたら給金が出る。それで都に下りて遊んでくればいい。聖都ダールの華宿は、美女ぞろいだって聞いた」
「給金が出るまでまち遠しくてな。全員でひまをしているところだ」
リーガは、あざ笑いながら応じる。
「ヤ、クスさっ……」
声をあげようとして、さらに強くしめられる。息がつまって、自然と口が開いた。大気の気配がとても遠い。
(逃げて……、逃げてください)
届かない哀願を、胸のうちでくり返す。自分が逃げてもすぐに捕まってしまう。ヤクスが逃げて、人を呼んできてくれたほうが、まだ助かる可能性がある。
「なあ、あんたもいっしょに参加するか? それとも正義漢ぶってこの人数を相手してみるか」
首をふって必死に伝えようしてみたのに、リーガの腕にはばまれてひとつも届かない。しばらくの間、じっとこちらを見ていたヤクスは、眉をあげて、笑顔を作りながら答えた。
「期待にこたえられそうにないな。昔から喧嘩は弱くってね」
まわりの男たちを見たあと、また歩みを進め、自分たちのほうへ近づいてくる。
「ごめんな、サキちゃん。オレにこいつらの相手はできないや」
ちっとも変わらない、いつもの軽い口調だった。まわりの男たちは、にやにやしながら彼の言葉を聞いている。息が満足にできないので、頭がまっしろだ。視界のなかにいるヤクスの顔が、おぼろげになってきた。
「だからさ、わるいんだけど……」
にぶくて重い音と衝撃がきて、まうしろにいるリーガごと地面にたおれた。いやリーガがたおれて、そのままいっしょに転がったのだ。地面にたおれたときに腕がはずれて、一気に呼吸が楽になった。
「てめえ!」
男たちが殺気立つなか、ヤクスに腕を取られ、リーガから引きはなされた。
「なにしやがる」
緊迫した場で、背の高いその人にかばわれつつ、来た道のほうへ押されていく。
「……わるいんだけど、守り切れないから。一生懸命、逃げてもらっていいかな?」
ヤクスは、自分を背にかばいながら、そんなことを言う。
「無理です。わたしでは追いつかれてしまう。……ヤクスさんが行ってください」
その人にむかって、必死になって言い返した。ヤクスだって、女である自分が、男たちから逃げ切れるとは思っていないはず。
「お嬢さんをおいて、自分だけ逃げるなんてできないよ。それに、こいつらなんかより。カルデス商人の逆鱗のほうが、ずっと怖いからさ」
ああ、そうか。ヤクスはどんなに不利な状況でも、ここから逃げられないのだ。
自分が女であるがために。
——ヤクス自身の、道を外れることをよしとしない、その真面目なやさしさゆえに。




