焦燥
かりかりとした、聞きなれない音が耳に入ってきた。何事だと室内に視線を飛ばしてみたものの、その原因が見当たらない。窓は締めていた。風は涼しかったが、本の頁を勝手にめくる。そのため、通り道を先ほどふさいでしまった。
音の原因を探るべく立ちあがる。その拍子に身体がぶつかり。食卓に置いてあった輝尚石が、ころころと転げおちた。
サキが造りだした "癒しの陣" の輝尚石。自分では操れない真術を、いつものお礼と言って、まっさきに造ってくれた。失くしてはいけないと、ローブのポケットに入れる。
そうしている間にも音は鳴りやまず、室内でひびきつづけている。あらためて見わたして、入口の扉に爪を立てている、白い塊を発見した。
「そんなところで爪をとぐな」
新たにやってきた同居人に、声をかける。彼女はいま、食材の調達に行っている。すっかり彼女になついた白イタチは、姿の見えない主を探しているらしい。帰ってくるまで、大人しくさせなければ。そう考えて捕獲にむかう。ていねいに抱きあげたのに、白イタチは鳴き声をあげ、抵抗をしめした。
「お前、サキにしかなつかないのか？」
それともただの女好きか。そうだとしたら、イタチのくせに贅沢というもの。暴れる白い獣を、ずっと抱えているのはむずかしい。早く帰ってきてくれないかと入口の扉を開けて、表に顔をだした。
家は、居住区の外れにある。倉庫につづく道は、ひとつ角があるだけ。曲がってしまえば、あとはまっすぐだ。近くまで帰ってきているなら、姿が見えるはずだった。
角までの道をながめて、彼女の姿がないのを確認する。いつもなら、もう帰ってくるころだ。遅いなとは思ったが、待つと決めて家に入ろうとした。
その瞬間、白い獣がするりと腕から飛び出していってしまう。
「こら！」
油断した。
まったく世話のかかると、内心おだやかではない。しかし、自分の相棒がかわいがっていることを思えば、追いかけざるをえない。しずんでいた彼女に、ようやく笑顔が戻ってきた。ジュジュがいなくなれば、また落ちこんでしまう。
全力で追いかけるが、身の軽い獣にはそうそう追いつけない。倉庫への道を半分行ったところで、ようやくジュジュが立ち止まった。
せわしなく、なにかを嗅いでいる。小道との分岐に、不自然な物が落ちていた。紙袋だ。ひととおり匂いをたしかめて、ジュジュは小道へ走っていった。追いかけねばと思えど、目の前の物と。そこにある意味を確認しろと、直感が告げている。真眼を開けば、勘がにぶくなる。だが、本能からくる警告を無視してはいけない。
紙袋は倉庫で配られるものだ。なかには、肉や野菜などの食材がつめられている。顔をあげ、倉庫までの道に人影をさがす。さすがにおかしい。ここまで来て、彼女の姿が見えないはずがない。
この紙袋の持ち主は、サキだ。彼女の身に、なにか異変が起きたのだと理解して、白い獣が行った道へ走りだす。彼女がもつ、琥珀の瞳を脳裏に浮かべながら。
ずるずると引きずられて、森道の奥までやってきた。途中で目当ての香草を見つけた。でも、とても喜ぶ気持ちにはなれなかった。
逃げようにも腕をしっかり捕えられていて、自分の力ではふりほどくのは不可能。真術が使えればいいのだけど、さすがに見逃すつもりはないようだった。わずかでも真眼を開けば背中をこづかれ、罵声をあびせられる。
胸中では、くり返し彼の名を呼んでいた。言葉にしようとすると、いつもかき消されてしまう言葉。馴染み深い悪夢は、まだ自分のなかに残っていた。助けを求めようとすれば、悪夢の記憶が口をおさえつけてくる。見つかってしまう――と。そのため、ずっと言えないままの言葉を、ひとりでかかえつづけている。
「ここらでいいか」
処刑場についたと言いたげに、リーガがまわりの男たちに、同意をもとめた。
「めったに人も来ないしな」
「声も聞こえないだろう」
男たちの言葉を、ふるえながら聞く。
「あらら。顔色が悪いな」
顔をのぞきこまれたのが不快で、とっさに横をむいた。身体と同じように、唇がふるえているのを知られてしまっただろうか。
ぐいと前髪をつかまれ、顔を強引にあげさせられる。
「それにしても、おとなしい顔をしているな」
じろじろとながめてくるリーガとは、絶対に目を合わせたくない。嫌悪感からくる意志にしたがい、きつく目をつむる。
「醜いわけじゃないが、もっと華やかさが欲しいもんだ。……せっかくだからな」
なにがせっかくなのか。考えるのも恐ろしくて、目に力を入れつづける。
「なあ、何かしゃべったらどうだ。楽しくおしゃべりできたら、やさしくしてやってもいいんだぜ」
嫌悪感がひどく、身体のふるえが止まらない。高まりすぎた耳鳴りは、すでに頭痛を引きおこすまでになっていた。
もう終わりだと、あきらめそうになったとき。近場でがさりという音がした。
