岐路
まるで、草原での出来事をなぞっているかのようだった。
娘のまなざしは、あざけりと非難を隠そうともしていない。
「なにをしているの?」
冷たい感情をふくんだ声に、足がすくむ。
「ああ、そこで会ったから。荷物をね」
彼女の不穏に気づかないのか。あえて無視しているのか。いままでと変わらない口調で、イクサが答える。返答を聞いて、元からつりあがっている紅玉の目に、険しい色が入りこんだ。
不愉快さをにじませたまま、娘が自分たちのほうへ歩いてくる。彼女の歩みに合わせて、円筒の帽子につけられた金属のかざりが、しゃらしゃらと音を立てている。
「ねえ、わたしの相棒になにか用なのかしら」
娘はイクサを飛ばして、自分にきつく問いかけてくる。
「ディア。彼女にはオレが声をかけたんだ。そんなに怒ってどうした」
困惑気味なイクサが、間に入ろうとしてくれる。だが、彼女はそれを許さない。
「腹ぐらい立つわ。どうしてわたしの相棒が、 "役立たず" なんかの荷物を持たされているの?」
「ディア!」
自分のふがいなさとあの日の屈辱が、眼前に差しだされた。夢のためにふみ出した道を、またその分だけ戻っていく。
どうしてだろう。強くなろうと。彼にふさわしくなろうと決めたのに。臆病な自分は、立ちむかう勇気を持てないまま、また逃げ出すことを選んでしまった。
「ごめんなさい。……ここからはひとりで大丈夫ですので」
イクサの腕から荷物を引き取り、ふたりに背をむけた。
「待ってサキ。いっしょに取りに行くんだろう」
あわてて呼びとめてきた彼の瞳には、心配そうな色が映りこんでいた。
「場所を、教えてください。ひとりで行けます……」
イクサは、自分のかたくなな拒否と、険呑な気配を出している自分の相棒を見比べて、肩を落とした。
「……ここからまっすぐ進んで、ふたつ目の分岐を左手に行った場所だ。森道だけど深い場所ではないから、行けばわかると思う」
教えてくれたイクサに「どうも」とひとつ礼をして、今度こそ場を立ち去る。うしろから、ふたりの話し声が聞こえてきた。それを頭から強引に締めだす。
彼らの声が聞こえなくなったところで、ようやく足をゆるめた。イクサには申し訳ないことをした。あんなに親切にしてくれたのに。いまになって自分のひどい態度を、とても悔やんだ。
そして、ディアと呼ばれた娘の瞳を思い出す。彼女の瞳を見るだけで胃の腑が痛む。こんなにも自分は弱い。遠くから耳鳴りがやってきた。ふがいない自分は、どこまであの日を引きずれば気が済むのだろう。
逃げ出してしまった。なんて情けない。彼に——ローグにふさわしい相棒になんて、とてもなれはしない。だって、こんな些末事すらも自分で解決できないのだ。
真導士の力は、真力と真術の経験。そして、気力で構成される。自覚はあった。自分には圧倒的に気力が足りていない。ただでさえ真力がすくないのに、それを満足な形で補うこともできない。
戦うべきだった。場に留まり、なけなしの力をふりしぼって。すこしずつでも変わらなければ、ずっとこのままだ。
じわりと、目に涙がたまってきた。
(ああ、また……)
とめどなく流れる涙は、弱さの証。守られてばかりの "役立たず" の証明。
彼に守られて、甘やかされて。導士になる前よりも、弱くなったのではと思う。きんきんと甲高い音が、耳に届いている。その高い音を感じていたら、先日学んだばかりの知識が、自然と思い出された。
真導士は気配に敏い。そのなかでも、さらに気配が敏い者がいる。真力や真術の気配にかぎらず、人や獣の気配。さらには、自然の予想もできない危険を、事前に察知できる者がいる。
その話を聞いて、ローグは自分をほめてくれた。あのときの勘は、サキの能力だったのだ、と。これからも頼りにしていると言われて、心から喜んで、舞い上がってしまった自分。
いまになってあらためて考える。自分が持つ察知能力は、ただ臆病である証明なのか、と。すべてに委縮して、弱い自分を守ろうとする、獣の本能のようなものではないか。そうだとしたら、とてもローグに釣り合う力とはいえない。
情けなさとさびしさが募って、自然と頭がさがる。
一歩進んでは、またふりだしに戻る。こんな状態で、彼の歩みに追いついていくのは不可能だ。いつか置いていかれて、離れ離れになってしまう。そう考えただけで、耳鳴りがわめくような音に変わった。
いやだ。ローグと一緒にいられないなんて、そんなこと——。
そのとき、ふたたび肩に手を置かれた。
イクサだろうか。まさか追いかけてきたのだろうか。のろのろとふりむいて瞠目する。とっさにあとずさろうとしたけれど、肩に置かれている手がそれを許そうとしない。
ふりむいた先には、草原で自分を追いつめた、あの大柄な男が立っていた。




