真導士サキと第三の地

第二章 鼎の道

道

　ひとりで道を歩いていた。

　今晩の食材を、倉庫からもらってきた帰りだ。どうも自炊している人はあまりいないらしく、倉庫のおばさんに「毎日感心ね」とほめられた。

　料理をするのは好きだった。なにしろ十歳から食堂を手伝っていた。食堂の旦那さんが腰を痛めてしまったこともあり、ここ二年ほどは、ほとんどひとりで切り盛りをしていた。それに比べれば、ふたり分の食事くらいたやすいものだ。

　ローグにはじめて食事を出したとき、こんなに手のこんだものは作らなくてもいいと、それはそれは恐縮された。話を聞けば、故郷での食生活は量が重要。肉か魚を多めに焼いておけばいいだろう、といったあつかいだったらしい。実家は家族総出で商いをしていた。だから、誰も手のこんだ料理を作る余裕を持ってなかった……と。そして周りの家も、だいたいそんな感じだったとも言っていた。

　とても不思議に思っていたのだけど、ヤクスの話を聞いて腑(ふ)に落ちた。彼は、だれも彼もが忙しい商人の町に育ったのだ。そして塩気が強い料理を好むのは、港の出身だからだ。ローグのことが、またすこしわかって、それがとてもうれしい。

　今晩はとっておきの料理を作ろう。厚めの牛肉をもらってきた。これを特製のソースで食べてもらおう。そう決めてきたのに。残念ながら、目当ての香草が手に入らなかった。あれがなくても一応のものは作れる。でも、せっかくなので完璧な状態で食べてもらいたい。香草があるかどうかで、風味が全然ちがう。どうしようかと悩んでいたら、いきなり肩を叩かれた。突然の事態だったので、うっかり悲鳴をあげてしまった。

「ごめん、脅かしたようだね」

　声の主を確認して、さらにおどろいた。草原で会った、あの金髪の男が立っていたのだ。

「あ、こちらこそすみません。変な声を出して……」

　彼は、じつに柔和な顔で微笑んでいた。その表情をみとめて、ついつい目をそらしてしまった。直そうと思っているのに……。このくせは、ままならなくてもどかしい。そう内心でぼやき、苦心しながら紫の瞳を見つめ返す。

「いや、いいよ気にしないで。君を探していたんだ。会えてよかった」

「わたしを……ですか？」

「そう、森ではぐれてしまったから。……ずっと心配していた。わるかったね、気づいてあげられなくて」

　どうやらヤクスと同じで、謝りに来てくれたらしい。そうであれば失礼な態度は取れない。できるかぎり、しゃんと背筋を伸ばす。

「いえ、いいんです。気になさらないでください。わたしは大丈夫ですから」

　彼はひとつだけうなずいて、かかえていた荷物を持ってくれた。こういう場合、男の人に荷物を持ってもらわなければ、かえって失礼となってしまう。先日、ローグにきつく注意をされたことを思い出し、すみませんと言いながら荷物を手渡した。

「自炊をしているの？」

「はい」

「それはすごいね。みんな食堂で食べているのに」

「いえ、大したことはないです。ここに来る前は、食堂で働いていたので」

「そうなのか。でも本当に感心だよ。楽ができるからと手を抜く人が多いのに。……まあオレもだけどね」

　紫の目がやわらかに細められる。落ちつかなくて、また目をそらしてしまった。

「そういえば、まだ名前を聞いていなかった。教えてもらっていいかい」

「……サキと申します」

「サキか。めずらしい名前だね」

　呼ばれたときの感じがローグとは全然ちがう。どうしてか変にそわそわしてしまう。

「オレはイクサという。なにか困ったがあったら声をかけてくれ。お詫びをしたい」

「そんな、お詫びなんて……。本当に気にしないでください。無事に森を抜けてきましたので」

「うん、元気そうでよかった。君も相棒もしっかりしていたのだろうね。相手は誰だい？」

「ローグさ、ローグレストさんです」

　名を告げたら、はて……という風に首をかしげられた。

「聞いたことのない名前だ。どんな人かな」

　問い返されてから思い出す。導士たちは、親しい者以外の名前を知らない。自己紹介の機会もなかった。とくに自分たちは、周りとの関係作りを意図的に避けている。

「あの、黒髪と黒眼の……」

　とても顔が整った人です、とは言えない。

「ああ。もしかして評判の首席殿のことかな」

　そうそれだ。たしかヤクスが、彼のことをそう呼んでいた。ローグはとてもいやそうな顔をしていたけれど、これが彼の通称であるようだ。

「はい、その人です」

「では大丈夫だったろうね。彼はしっかりしていそうだ」

「すっかり助けられてしまいました。……イクサさん、評判って？」

　聞き流そうと思ったけれど、気になってしまい我慢できなかった。

「ああ、ずいぶん貴公子然とした御仁だとか。どこぞの貴族ではないかと、娘さんたちが大さわぎしていたから」

　いいえ、港町の悪徳商人です。そんな言葉が喉元まできたが、どうにか飲みこんだ。こんなこと言ったと知れたら、またデコピンをされてしまう。結局、上手な切り返しができずに、仕方なく曖昧に笑って誤魔化した。笑いながらも、ちくちくとしたなにかが、胸に刺さっている気がしてならなかった。

「今日は、彼といっしょじゃないのかい」

「ええ、ちょっとほかの用事がありまして」

　出かけるとき、長椅子に座ったまま無心に本を読んでいた。あまりに面白い本らしく、声をかけたら生返事をしていた。

「では、家まで送ろう。この荷物、なかなか重いから」

「い、いいです、なれています。それにほかにも必要な物があって、ダールに下りるつもりなので……」

　サガノトスには、聖都ダールへの "転送の陣" がある。商店が建ち並んでいる場所から、そう遠くない教会まで飛べる。いまから行っても、夕食には十分間に合いそうだ。

「倉庫にはなかったの」

「ええ、香草はおいてないそうです。今度から仕入れてくれると言っていましたけれど」

　そう言うと、イクサは明るい笑顔でとっておきの情報を教えてくれた。

「香草だったら、サガノトスの森で採れるよ。薬草とか香草とか、結構な種類が自生しているらしいんだ」

「そうなのですか？」

「必要なら案内するよ」

　胸に迷いが生じた。そこまでしてもらっていいのか。さすがに迷惑をかけすぎな気もする。それに、時間がかかるなら、一度家まで戻ってローグにひとこと伝えたほうがいいかもしれない。

「イクサ！」

　首をかしげながら悩んでいたら、聞いた覚えのある声が耳に届いてきた。

「ああ、ディアか」

　イクサを呼び止めた高い声の主を見て、思わず手を握りしめた。なぜなら、紅玉の瞳をもつ例の娘が、あのときと同じように自分をにらみつけていたのだ。