楽しいひととき
食卓に、三人分の昼食が並んだ。
突然、そそくさと帰ろうとした長身の彼——ヤクスを、あわてて引き止め、いっしょに昼食をとる運びとなったのだ。作り置きしようと、いつもより多めに準備していたのが功を奏した。おかげで、ヤクスの分も問題なく用意することができた。
「いやー、サキちゃん料理上手だね！ こんな美味い飯は初めて食べたよ」
屈託なくほめてくれるヤクス。彼の言葉を、くすぐったい心地で聞いた。
「お口に合ってよかったです」
料理は、自分のなかで唯一誇れるものだ。ローグもさんざんほめてくれたけれど、手料理を喜ばれると幸福な気分になる。
ほくほくとしながら、横目でちらりと食卓に目をやった。ローグの皿は、そろそろ空になってしまいそうだった。
「ローグさん、おかわりありますよ」
「もらう」
声をかければ、残っていたひとくちを食べて、皿を差し出してくる。今日は、いつもよりお腹が空いているようだ。「はい」と返事をひとつして、竈へむかう。それから、火を通し直そうかと思い立ち、竈の下に置かれている水晶——輝尚石を三回つつく。すると、またたく間に炎があがり、鍋をあたためていく。
真導士の里では、普段の生活でも真術を活用していた。修業の意味合いもあるにはらしいが、圧倒的に便利だからだ。ちなみに、この家も真術で構築されている。真術が籠められた樫の杖が大もとだ。家を建てるとなると、さすがに導士ではできない芸当であるらしく。家を建てるのは正師が代行してくれた。
実物を再現するのは、蠱惑の真導士の得意分野らしい。正師たちのなかでは、キクリ正師がこれに当たる。
時間をもてあまし、初日のできごとを思い出す。
"迷いの森" を抜けてきた自分たちのために。キクリ正師が居住区まで付きそい、家を構築してくれたのだ。ふたりの真力を樫の杖にそそぎ。地面に突き刺して、見事な真術で立派な家を造り出した。
「この家に鍵はついていない。真力をそそいだ者だけが扉を開くことができる。里では泥棒が出ることなどない。しかし、年頃の娘には心配ごとも多いから……ま、念のためだ」
正師はそう言って、顔にいたずらっぽい色を浮かべながら、ローグを見た。
「各部屋の扉も、住人にしか開くことができない。ひるがえせば住人には開くことができる。ゆえに、くれぐれも無体を働くことはないよう。……すまぬな、男女で相棒を組む場合、全員に注意しているのだ」
ローグはむっとした顔をしていたが、黙って最後まで話を聞いていた。
「部屋割は相談して決めなさい。居住するための部屋には、それぞれ水回りも整えてある。ふたりで共有する必要はない。ただ、炊事場だけは居間にあるひとつのみ。使う場合の規則も自分たちで決めなさい」
婚姻前の男女が、いっしょに住むことを想定しているからか、家はかなり親切な構造となっている。新しい家のすばらしさに感激していたら、キクリ正師が意味深な笑みを浮かべた。
「相棒は一生の縁だ。仲良くやるように。……ちなみに真導士の里では、真導士は真導士と婚姻することを推奨している。そうなる者もじつに多い。なかでも相棒同士というのが過半数だな。ということで、仲良くなりすぎて困ることはない」
ではな、と言い置き、正師は "転送の陣" で消えてしまった。あとに残された自分たちは、おかげでなんとも気まずい思いをしたのだった。
あの時の羞恥が戻ってきて、頬に熱が生まれた。竈に向かいながら、時間をかけて鍋の具合を確認する。背後からは、絶え間なくふたりの会話が聞こえてきていた。
「うらやましいな首席殿は。毎日これを食わしてもらっているのか」
「……だから、それはやめろ」
「あー、わるいわるい。ローグだったっけ？ とにかくうらやましい。食堂の飯はどうにも甘ったるくて……。最近はさすがに胸やけしてきてさ」
「真導士の里とはいえ、ここも聖都ダールの一部だからな。 "聖都ダールの甘ちゃん飯" ばかり食っていたらそうなる」
会話の内容を聞いて、ちょっとだけ違和感を覚える。ローグの口調がいつもとちがう。すこしばかり、ぞんざいな感じだ。男性同士だと、こういう会話になるのだろうか。
「甘ちゃん飯……あー、その。ローグって実家は商家か？」
「そうだ。見ればわかるだろう」
やはり貨幣の額飾りの意味は、知っていて当たり前のようだ。ヤクスはちゃんとそれを知っている。自分は、もっと知見を広げないといけない。そんなことを考えつつ、お皿に料理を盛りつけて居間に戻る。歩きながらヤクスの弱ったような声を聞いて、またも違和感を覚える。
「商人……。もしかして、故郷はカルデス湾の近くか……？」
さっきまで、ほがらかに語らっていたというのに、ヤクスの顔が妙におびえていた。
「よくわかったな」
ヤクスのおびえを眺めつつ、ローグが不敵に笑う。最近はあまり見かけなかったけれど、悪徳商人殿はご健在のようだ。
そんなローグの返事を聞いて、ヤクスが奇声をあげた。
「そういうことは早く言ってくれっ。話かける前に鉄兜を用意しておくべきだった！」
頭をかかえ、食卓につっぷしたヤクスを、ローグは、ただおもしろそうに見ている。
「なんだったら俺がいいのを調達してやろうか。そうだな、特別に割引をしてやってもいい」
ローグだけ、ひたすらに楽しそうだ。
「あの、なんで鉄兜が必要なのですか」
「なんでって、サキちゃん知らないの？ カルデスの商人って言ったら悪名高いじゃない」
ぱちりぱちりと目をまばたく。ローグの故郷の商人は、みんながみんなして悪徳商人なのだろうか。……それはちょっと怖いかもしれない。
「カルデス湾には商いの町が多い。船場が整備されているから、大量の積み荷をさばきやすい。大型船もよく入ってくる」
ローグは悪い笑顔をそのままに、詳しく説明をしてくれた。が、彼の説明にしてはめずらしく、詳細がまったく飲みこめない。
「サキちゃんには隠し通す気か。お前、汚いぞ。……あのね、カルデス湾の商人っていったら、喧嘩っぱやくて有名なんだ。いつも船乗りとやりあっているから、そろいもそろって大力無双なんだとか。カルデス商人ともめたら、とにかく逃げろって言われてるくらいだよ」
ローグが喧嘩っぱやい。納得がしづらい説明だったので、思わず小首をかしげる。
自分にとってローグは、時としてあわててしまうほどやさしくて、とてもおだやかな相棒だ。ごくたまに……悪戯小僧のような一面をのぞかせるけど、不愉快な気分には決してならない。有体に言ってしまえば、とてもできた人という印象なのだ。荒くれ者だと言われても、理解するのが難しい。
その反応に、ヤクスがまた弱々しい声をあげる。
「サキちゃん、絶対だまされてるよ……。目を覚ましなよ……」
「ひどい言われようだ。サキにおかしなことを吹きこまないでくれ」
ローグは喉で笑いながら、愉快そうにヤクスを眺めている。よくわからなかったが、ふたりは気が合うのだなと思って、胸にぬくい気持ちをいだいた。
