宿命の門
ひとごみに流され。やっとの思いでたどりついた女神パルシュナの神殿は、どこまでも白く、大きく、圧倒的な存在感をほこっていた。
神殿を囲う白楼岩の壁には、女神の神話が繊細な技巧でほどこされている。
壁がとぎれた場所に、大きな門がひとつだけそなえられており、これも神話に登場する『静白の門』を描いていると見てとれた。『静白の門』は、神話のなかで語られる、宿命をつかさどる門のことをいう。ときおり『青白の門』と称されることもある。白い門に、瑠璃の装飾を施されているからだという。
女神の子である人には、それぞれに役目が与えられている。宿命のときがくれば、おのずと『静白の門』が開かれる。門が開かれたのち、人は宿命にしたがい、女神にあたえられた道を歩んでいく。歩みを止めれば焦燥の息吹が心をうち、道に逆らえば怒りの息吹が命をけずる。宿命に逆らわず、正しくまっすぐ進めば、命つきるときまでめぐみの息吹をうけられる……との教えをふくんだ神話だ。
『静白の門』の先にある神殿の入口は、長く広い階段がしかれている。階段のわきには、灯籠が連なっている。重厚な階段のうえに、大蛇のような列がはっている。列にはおなじ年ごろの男女が、緊張しながらも整然とならんでいた。
(こんなに……)
儀式には成人を迎えた十五歳の若者が、国中からあつまってくる。そのため、つねに華やかだというこの都が、まるで即位式があるかのように、いっそう華やかに賑々しくなるのだと聞いてはいた。
聞いてはいたけれど、想像と現実はまったくちがう。外界から閉ざされた、さびしい村しか知らない自分にとって、眼前の光景はあまりにも強烈だった。
朝一番に宿を出てきた。それなのに、もうこんなにたくさん並んでいる。これだけの人が儀式をうけるのだ。はたして今日だけで終わるのだろうか?
民に課せられた義務である『選定の儀』。十五をむかえた者たちが、聖都にある女神パルシュナの神殿につどい、真導士の選定をうける儀式だ。
女神パルシュナのめぐみにより、人には生来、真力とよばれる力がそなわっている。
そのなかでも、人並みはずれた真力を有する者は、大地にさらなる豊穣と平和をもたらす稀有な存在——真導士となれるのだという。
しかし、大きな真力を持つ者はめったに生まれない。だからこそ稀有な力の持ち主を見落とさぬようにと、民のすべてに参加の義務が課せられている。
真導士。
物語ではよく聞く存在ではある。でも、まだ一度も会えていない。自分が田舎者だからというわけではない。たとえ都に住んでいても、彼らと知り合うのはむずかしいのだ。
稀有な存在である真導士は、真導士の里に居をかまえている。真導士の里は、真導士しか足をふみいれられず、どこにあるのかもさだかではないとされている。
今日『選定の儀』をうけたうちの一握りだけが、伝説の世界にいくことを許されるのだ。
たたえられ、ほめそやされる名誉。きっと素晴らしいにちがいない。けれど、どうしてかうらやましいと思えないでいた。どう転ぶにしろ、自分には縁遠い世界の話。そんなことよりも、長蛇の列のほうが重要だった。いったいどこまで続いているのだろうか。
できれば、日暮れまでに宿へもどりたい。いくら都といえども、夕闇のなかをひとりで出歩くのは危険である。
思いふけっていたせいで距離感をあやまったようだ。目の前にいた人の背中に、顔を盛大にぶつけてしまった。
「ご、ごめんなさい!」
あわててその人を見あげ、硬直した。思わずかたまった自分を、相手はだまったまま見おろしている。
黒い瞳と出会う。
あざやかな黒髪のすきまに、意思の強そうな黒い瞳があった。そうと認識しただけで、弓で射止められたように動けなくなる。
通った鼻筋のしたにある唇が「ああ」とだけ動くのが見えた。それきり、男はまた前へと向きなおり、持っていた本に視線を落とす。
しばらくのあいだ、男の濃藍の上着を、息をつめたまま無言で見つめた。男は本に集中しているらしく、襟足にかかっている髪すら微動だにしない。
振り返らないことを確認して、細く息をついた。あちらから目をそらしてくれたので、本気で安堵した。
自分からは到底できなかっただろう。突然やってきた衝撃のせいで、心臓がかつてないほどはげしく鐘を打ち鳴らしている。
(……びっくりした)
物語から飛び出てきたような男が、平然とそこに立っていた。さすがは聖都だと、妙な具合に感心し、その存在から気をそらす。
自分は人見知りがはげしかった。
昔から知らない人というのは苦手で、なかなかやりづらい存在だった。なかでも男性は苦手だ。同性ならば、どうにか平静をたもちつつ会話ができる。けれども異性となると、なにを話せばいいのかわからない。そのうえ、圧迫されるような恐ろしさをいだいてしまって、どうしても無理だった。
もう決して、目の前の男に当たらないようにと距離を取り、長い列を粛々と進んでいく。




