静白の門
崖から落ちたときに、輝尚石が入った革袋を、ふたりして失くしてしまった。
ローグの左肩の怪我は、皮膚を薄く切っているだけだったので、取り急ぎ止血の処置だけした。かばってもらったときにできた傷だ。またも胸が苦しくなる。無事、サガノトスにたどりつけたら、ちゃんとした手当てをしようと心に決める。
日はすっかり傾き、世界がランプのような橙色に染まりはじめた。夜が近くなってきたのだ。けれど、ふたりして座り込んだまま。お互いが運命の岐路にいるのだと、語るまでもなく感じていた。
止血の途中から、ひどく真面目な顔をしたローグが、あごをさすっていた。
彼が持つ知識の幅は、自分に世慣れろと言えるくらいには広い。行商をしていたためか、各土地にも詳しいようであったし。真導士の里についての知識も、彼と自分とでは大きくちがうことがわかった。
「では、真導士って仕事をしているのですか」
「……本当になにも知らないんだな。自分が真導士になったのに、興味もなかったのか」
興味がないというよりは、悲嘆に暮れていてそれどころではなかっただけなのだが。もっともな意見なので、またもや丁重に聞き入っておく。
「真導士は、国内外で変事が起こった際の調停役だ。国同士、町同士でいざこざがあったら仲を取り持つ。災害があれば、国王や領主から依頼をうけて活動をおこなう。あとは、真術をこめた術具を作って売っている。輝尚石みたいな道具は、真導士しか作れないから値が張る。真導士の派遣は、もっと高いらしいぞ。値は知らないが、王侯貴族や豪商でなければ、とても頼めないと聞く」
伝説の真導士の里は、意外と世知辛い。神官のように、粛々と祭祀や修業をおこなっていると思っていたのに。今日は、本当におどろくことが多い日だ。
「真導士たちは、巻きあげた莫大な資金で生活をしている。真導士になれば一生困らないという。なにもしなくても、毎月安定した給金が入る。もちろん里からの依頼で仕事をするときもあるらしいが、里にいるかぎりは食うに困ることはない。世間がうらやましがるご身分というやつだ。率先して仕事をこなせば、各国に名が売れる。真導士の位だって上がるだろう。さらには王族や貴族に求められて、要職についたり血縁になったりと、夢のような道が開かれると聞いたな」
後半はローグ自身が興味を持てないらしく、じつに味気ない口調となっていた。物語のように幸福な話だと思う。それなのに、憂鬱な気分が晴れない。
「……かわりに、なかなか気分の悪いことも多いとか。王位継承問題がかすむような覇権争いがあるらしい。富と権力、ついでに真力までそろえば、わからんでもない。詳細は知らないけど、里のなかで起こっていそうなことは想像がつく」
女神から多大な恩恵を得ても、道から背く者がいるという悲しい事実。
「……うわさ通り、真導士の里はきな臭い。結局、あいつの正体がさっぱりわからなかった。やはりあれは修業ではないだろう」
「はい。修業では絶対ないですね……」
殺意をむけられていたことは、いまもはっきりと覚えている。
不安が首をもたげてきた。このままサガノトスに行っても大丈夫だろうか。そうは思えど、サガノトスに行くしかないのだ。 "迷いの森" から出たとしても、聖都に戻る方法がわからない。
「サキ」
「はい、なんでしょう」
「サキは、俺を信じるか?」
「え……、どうしたんですか急に」
「サガノトスに行ったら、きな臭いことに巻きこまれると思っているべきだ。そうなれば、信じられる奴がいないとさすがにつらい。俺はサキを信じる。サキは俺を信じられるか?」
黒い瞳が自分を見つめてくる。答えなど、すでに決まっていた。
「信じます」
空いていた場所に、なにかがかちりとはまったように思えた。
「よし、決まりだな。とりあえずおそわれたことは、確実に信用できる相手以外にはだまっておくか。……あと、サキの真術もだ。なにもできない真導士でいたほうが、周囲に油断してもらえる」
「はい」
返事をしてローグを見る。
これからなにが起こるのか想像もつかない。けれど、ローグといっしょなら大丈夫なのではないかと、めずらしく楽観的に考えた。
そうだといいと強く願った。
結局、崖はとても登れそうではなかったので、落ちた場所から道を探すことにした。辺りを警戒しながらふたり同時に真眼を開いて、声をあげ、顔を見合わせて笑った。目の前に、白い光の道が煌々と光っていたのだ。
すこしたどっていくと大きな洞窟があり。洞窟のなかでは、真円が光を放っていた。
光からは害意を感じ取れなかった。警戒しながら手をつなぎ、真円の中心に立つ。真円と真眼から、白い光がこぼれて立ち昇っていく。
——音もなく、風もなく。夜が訪れる前の夕闇のなか、ただ白い。
気がつけば、目の前に四人の真導士が立っていた。
「来たか」
シュタイン慧師の淡白な声が、もうなつかしい。
白銀の目が自分とローグの顔を見て、そのままつないでいる手に流れた。真円に乗ったとき、はぐれまいとしただけなのだが……。人の視線を感じた途端、忘れていた羞恥が一気に戻ってきたため、大急ぎで手を離す。
「……無事、とは言えんが、相手を選んで抜けてきたな。お前たちは決まりだ」
決まり。
慧師はいったい、なんの話をしているのだろう。
「慧師、お待ちください! この者は、真導士のなかでもっとも高い真力を持つ者。それなのに相手がこの娘では、力が存分に発揮できませぬ。どうかお考え直しを……」
「できぬ。 "迷いの森" を共に抜けてきたのだ。この者たちはこれで決まりだ」
突然はじまった言い争いに、ふたりして困惑する。なんの話をしているのだ、この人たちは。
助け舟を出してくれたのは、ムイ正師だった。
「お疲れさまでした。突然、森を抜けて来いなんて……大変だったでしょう? 毎年、もっと説明しておいてくれと言われます。でもね、先に言ってしまうと、変に意識して混乱させると思いまして、あえてなにも説明していないのです」
「どういうことでしょうか」
聞いたのはローグだった。自分はまだ、状況が飲みこめていない。
「 "迷いの森" は、これから真導士として共に成長し、支え合っていくバティを選ぶための試験なのです」
「……バティ、ですか?」
またまた聞いたことのない言葉が飛び出てきた。
「バティというのは、相棒という意味です。真導士の里の伝統なのですけれどね。じつは、真導士が有する真力の質は、ひとりひとり違っています。得意な方向がちがうと申しましょうか。それぞれにかならず偏りが出るのです。その偏りを、もっとも効率的に補い合える相性のいい相手。それを調べるのが "迷いの森" の試験というわけです」
「つまり……俺たちの真力の相性を計ったと」
「ええ、その通りですよ。真眼を開いて森のなかを歩いてもらって、みなさんの真力の質を見極めるのです。相性のいい人たちがいっしょになるよう、場所を移動してもらったり。 "転送の陣" を通ってきたときに、もっとも真力の質が合う方と共にいられるよう、あらかじめ、森全体に真術を展開しているのですよ。おふたりは、森をいっしょに抜けてきましたから、相棒として決定ということになりますね」
そういうことだったのか。
森全体が真力を帯びていたのも、森が動いて飛ばされたのも、入口が複数用意されていたのも。全部、真力の相性を計るためだったのか。
言われてみれば、ローグと会ってから、ただの一度も森は動かなかった。
「慧師! お考え直しください」
「ならぬ、と言っておろう」
ナナバ正師は、自分がローグの相棒になるのを、よしと思ってくれていないようだ。ローグには "落ちこぼれ" ではなく、もっと真力の強い人と組んでほしいと、そう考えているのだろう。
「……ナナバ正師。これはわがサガノトスの伝統。それを覆すなど、とんでもない話です」
キクリ正師は、やはりナナバ正師と仲がわるいようだ。ふたりがにらみ合いをはじめたので、シュタイン慧師の表情がやや億劫そうに曇る。
「お待ちください」
言い合っているふたりの間に、ローグが割って入った。
「 "迷いの森" はふたりで抜けてきました。もし、彼女を相棒として認めていただけないなら、俺はだれとも相棒を組みません」
彼の横顔を、呆然と見つめる。
「ならぬ! 相棒はかならず選ぶ。真力の質を補う相手がいなければ、真導士として大成できない。……だが、相棒というのは修業中だけの仲ではない、今後、真導士として生きるかぎり、一生つきまとうものなのだ。どのようなことが起こっても信頼し助け合う、己の片割れとも呼ぶべき存在。そこもふまえて。最良の選択をせねばいかん」
ローグは、怯まなかった。
「でしたらなおのことです。俺と彼女は、真力の相性がいいのでしょう。森の踏破には、彼女の協力がなければとても無理でした。俺は彼女以外のだれとも、相棒を組む気はありません。相棒を選ばなければ真導士として生きていけぬと言われても、ほかの奴を選ぶなど到底できない」
「その才能を、この娘のためにつぶすというのか。考え直しなさい、若いうちは道を誤ることもあるのだから」
「彼もこう申しておりますし、決まりですよ。私情をはさみ、場を混乱させるのはいかがなものでしょうか」
三人の言い合いをながめていたシュタイン慧師が、こちらに視線を移して問うてきた。
「お前は」
——わたし?
ナナバ正師の視線が、自分の弱気を捕える。きつい非難をうけ、己のふがいなさが思い出された。
キクリ正師が何事かを言おうとしたが、シュタイン慧師が手でさえぎった。しみ渡るような沈黙のなか、ひとり視線にさらされる。胸中では、さまざまな記憶がよみがえっていた。
神殿で。草原で。森のなかで起こったすべてのできごとと、たしかに味わった苦しみと痛み。そして——新たに生まれた、この気持ち。
「相棒というものが、真導士にとって、そこまで大切な存在だとおっしゃるのでしたら……」
意志をこめて、白銀の瞳にむかう。
「わたしも、彼としか組めません」
となりで、ローグが笑う気配がした。
「決まりだ。諸君らを "第三の地 サガノトス" の導士として、相棒として認める。決して奢らず、互いに支え合い、知恵と知識をもって己を磨くがよい」
シュタイン慧師から、宣言が出された。
各々の感情を飲みこみ、正師たちが一礼をする。それにならい、ローグといっしょに一礼し、そろって顔を見合わせた。
憂鬱な朝にはじまったこの日が、自分の真導士としてのはじまり。そして、それに連なるすべてのできごとのはじまりだったのである。
『静白の門』は開かれた。流れ出した風は止まらない。
すべてが終着する、そのときまで。