記憶の青
青に巻きあげられている。
途方もない量の青い光が世界でうず巻き、風をとらえ、飛翔しながら踊る。青の光に溶け出している自分を、ただ見ていた。自分とその青の境界を放棄して、風にただよう。世界はどこまでもおだやかで、うれしくてうれしくてほほえんだ。
「なんだ、これは……」
彼が自分を見ている。
ねえ、そんなにおどろいてどうしたの?
「サキ、お前」
ああ、もうついちゃうね。楽しかったのに。
また今度、だね——。
足に降り立った感触。そして世界から、青い光が失われる。
同時に力も失って、ひざから一気にくずれ落ちた。
「サキ!?」
ローグのあわてた声がしている。
くずれ落ちたときに、ひざを打ちつけてしまった。じんじんとした痛みで、われに返る。
「……いまの、なんでしょう?」
問われたローグは目を見開いた。驚愕をきざんだ彼の顔を、ぼんやりとした心地でながめる。
「わたしたち、助かったのでしょうか」
「お前、わかってないのか?」
どうしたものか……という顔で、顔をのぞき込まれる。
夢心地から抜け出しきれていなかった自分は、ただゆったりと、うなずきだけを返した。
しばらくの間、ふたりして茫然と座りこんでいた。
「俺たち、飛んでいたよな」
「……たぶん、そうだと思います」
「あれは、真術か?」
「わ、わかりません」
「わからないって、サキだろう? あれを使ったのは」
「……そうなのでしょうか」
本当によくわからない。
真導士に足場をくずされたところまでは、どうにか覚えている。けれども、そのあとのことはひどくあやふやで、自分が見ていた景色くらいしか、記憶に引っかかっていない。ただ、青い世界がなつかしいと。そのように感じていたことだけはたしかだ。
靄がかかったままの頭に苦戦する。こんなあいまいな話をどう伝えよう?
困り果ててローグを見る。彼はそんな自分を、感情がうかがえない表情のままじっと見ていた。そして、さっきまでの気まずい時間を思い出す。いろんな事がありすぎて、すっかり忘れていたけれど、結局あれからなにも解決していないのだった。いまさら思い出して、あわあわとしている自分をながめながら、彼が口を開いた。
「サキは、俺を信用していないな……」
唐突なつぶやきを飲みこめず、目を見開く。
「そうだろう? 真術を使えることも内緒だったうえに、ごまかそうとまでして」
「ご、誤解です。わたし真術なんて使えません! ごまかすなんてそんな——」
朝起きて忘れてしまった夢と似たようなものだ。見ていた記憶はあれど、どんな夢だったかはよく覚えていない。
「ほら、まただ。今日はずっといっしょにいて、苦楽を共にしてきたというのに……薄情だ」
「本当に、わからないんです。わたし、夢中で……」
すねた顔まで様になっているのだから、こちらとしてはたまらない。
「さっきだってそうだ。俺の話などちっとも聞かず、自分が悪いと信じこんで。……迷惑だなんて言ってないだろうに。人の気持ちを勝手にねじ曲げるのは、わるいくせだ」
急に矛先が変わり、守りの姿勢を整えられなかった。冷や汗が浮いてきたけれど、ローグの怒りはもっともだったので、おとなしく拝聴する。
「そのうえ、あんな……あそこまでひどいことを言われたのは初めてだ。身を地に落とせと言ってもおかしくない……そこまで卑劣な男だと。いったいどういう目で俺を見ているんだ」
そういうことだったのかと、ようやく納得した。
彼は、命を粗末に見ている言葉が気に入らなかったのだ。自分が役に立たたないことを。彼のためにできることが、なにひとつないと伝えたかったのだけれど。彼はきっと、言葉そのままの意味で取ったのだ。つまり「命を捨てるしかない」と思ったのだ。
そういえば「これ以上できることがない」という意味だと教えてくれたのは、村で一番長生きしているお婆さんだった。言葉になじみがなくてもしかたない。
どうも言葉の選び方がまずかった。変に誤解をさせてしまったようだ。
人にはそれぞれ役目がある。役目を放棄し、女神からいただいた命を粗末にしてはならない。ローグは、そういう理由で怒っていたのだ。彼は、なんとできた人なのだろう。
このとき、自分がさらに誤解を重ねたことに気づかず、ローグの心根にいたく感動していた。
「……そうですね、ごめんなさい。わたしよくないことを言ってしまいました」
「まったくだ」
「これ以上、できることがないと自らあきらめてはいけませんね。そのうえ、女神からいただいた命を、粗末に扱うような物言いをして……。ローグさんが怒るのも当然です」
「——なに?」
「どんなに苦しくとも、自身の『静白の門』を開き、道を歩いていかなければ、きっと女神もなげかれますよね」
伝えてからローグを見て、つい首を傾げた。どうしてか彼は、口を開けたまま固まっている。
「まさか……、身を地に落とすって、そっちのほうか?」
言っていることが、よくわからない。
そっちとは、どっちだろう? 固まりながら、こちらの顔をまじまじと見ていたローグは、奇怪な声をあげ、そのまま大地に寝転んだ。
「そういうことか、俺はてっきり。……いや、普通はそう思う。若い娘に身を地に落とすと言われたら。そんなの、身売りに決まって……」
そして、ぶつぶつと何事かをつぶやいている。
「ローグさん、あの……」
彼の不穏な様子に、忘れていた不安がよみがえってきた。
「無しだ」
「ええ?」
「さっきのは無しにしよう。サキもわるいし、俺もわるい。サキはわるくないし、俺もわるくない。だから無しにしてしまおう」
またもよくわからない。ローグのどこがわるかったのだろうか。自分が彼を不愉快にさせてしまったのではないのか。
けれどもこれは仲直りだと、それだけは理解した。ちゃんと仲直りできたことがうれしくて、その言葉を深く追求しなかった。
「はい、わかりました」
素直によい返事をすると、ローグは寝転がりながら、毒気を抜かれた様子でこちらを見返した。
「……あと、もうすこしは世慣れたほうがいいな」
心配そうな声に、多少の疑問が湧いた。
なんだか疲れた顔をしたローグを見つめる。聞きたいことがあったのだけど、彼はそれ以上語るつもりがないようだ。なので仕方なく、あいまいに肯きだけを返したのだった。