来訪者
日は確実に傾いてきていた。
ローグはいまだひとこともしゃべらず、こちらに背をむけた状態で真円を探している。何度か会話を試みようとしたのだが、硬質な拒絶を感じて、結果的に自分も口を閉ざしてしまった。
あれから、ずっと真眼を開いて探しているけれど、どうしても真円が見つけられない。森のなかにある真円は、全部消されてしまったのだろうか。
ローグに聞かれないよう、そっと息を吐く。彼に、これ以上の負担をかけては駄目だ。あまりにも出来た人だから、気づかないうちに甘えていた。
——今日、たまたま会ったばかりの赤の他人なのに。
じくりと胸が痛む。
自分はこんなにも弱かっただろうか。強い人間でないことは知っている。でも、人と話せないだけで悲しいと思ったことは、いままであっただろうか。存分な愛情を受けられなくても。親に愛され、慈しまれている同じ年頃の子どもを見ても、心がゆらぎはしなかったのに。なぜだろう、ローグの拒絶がとても辛い。
真円を見つけたら、さっきまでのように話をしてくれるかもしれない。そうでなくとも、話すきっかけくらいにはなるだろう。自分でも単純だと知ってはいた。しかし、ほかに上手い機会など作れそうもない。自分は、人と深く関わる経験自体が少ないのだ。喧嘩だってしたことがない。だから、仲直りの仕方もよくわかっていない。
話がしたい。このままはいやだった。もっと彼と話がしてみたい。はじめていだいた気持ちに正しい名前をつけられず、自分はとてもさびしいのだと思いこんだ。
真眼を開くのにもなれてきた。難なく開閉ができるし、開く強さも調整できるようになった。
もう、岩場に終わりが見えている。まっすぐに進んだところに、とうてい降りられないような深い崖。右手には急峻だけれど、どうにか登れる草むらがある。片や左手には、いばらが生い茂っていた。進むのは無理そうだ。
やや手前に、いばらがない、樹木だけの場所もあるにはあった。けれども、そこに真円がないのは確認済みだった。
右手の草むらに意識を集中する。見つかってほしいと願う、白い光の輪をもとめて。真眼に強く強く開けと念じていると、白い光が一瞬だけ青を帯びた。
(何……?)
ふいのできごとのせいで気を散じてしまい、真眼が明滅する。真導士がおこなうすべての奇跡は白い光のはず。それは伝聞でも、今日の経験でも裏打ちされた事実だった。その事実から、外れようとする光の意味。
(まさか……枯渇?)
ついにきてしまったのだろうか。底が浅い真力の限界が。心の困惑を映したかのように、真眼が明滅をくり返している。
(まだ見つけていないのに)
彼の役に立てない。そんな自分のふがいなさに、悲しみが強くなる。すべての真力が消えてしまう前に。本当の役立たずになってしまう前に、真円を見つけないと……。
(開け!)
勢いにまかせて真眼を開き、草むらを見すえる。
近場にはない。徐々に確認する範囲を広げていく。
左へ、右へ、下から上へ、さらにその上へと視界をずらしていく。草むらの先には、樹木が生い茂った黒々しい緑が見える。そこに、きらりと白く光るなにかがあった。
樹木の生い茂った個所、太めの幹のわずかうしろに光が見える。白い光の輪——まぎれもなく真円だった。
あったと思った。けれども、よろこびは湧かなかった。
だっておかしいのだ。
目印の真円にしては、あまりにも高い位置にある。とても地面から光っているように思えない。まるで、幹の近くに浮いているような。
さらに目を凝らしてよくよく見ると、真円のうしろに影が浮かんできた。
あれは……人?
認識した直後、目の前で真円が大きくふくらんだ。それと同時に、疑いようもない悪意が白を染める。
(真導士……!)
気づいたときには、もう遅かった。
爆発するようにふくれあがった悪意が、牙をむいておそいかかってくる。白い光が、眼前の地面にぶつかる。途端、強烈な突風に足からすくわれて飛ばされる。一瞬の空白を置いて、したたかに背をうった。衝撃が肺のなかのものを、強引にかき出していく。
耳の奥で奇声のようにわめき、暴れる音がある。おそわれたのだとすぐさま把握した。あまりにも静かにひそんでいたので、まったく気がつかなかった。
突風の影響か、舞いあがった砂ぼこりと岩のかけらが全身に降りそそぐ。顔にぱらぱらと小石が当たって痛がゆい。両腕で身体を支え、起きあがってみたけれど、背をうった痛みと砂ぼこりのせいで、咳が止まらない。
砂ぼこりのすきまには白い光。悪意の輝きが、いままさに小さな輪から大きな輪へと進化しようとしていた。
(撃ってくる……)
立ちあがって逃げる姿勢を整えたところで、またも白の光が飛んできた。今度は逃げられない。身体をかばうこともできず、茫然と光景を見ていたら、砂ぼこりから黒い影が飛び出し、硬直していた身体を強い力でさらっていった。
ふたたびの衝撃。
今度は地面にこすれ、熱を感じた。肩に体重がかかって骨が軋む。けれど小石の雨は降ってこなかった。地面につぶされた自分。そのうえに、おおいかぶさっているのは——。
「ローグさんっ!」
呼べば、彼がまっすぐに自分を見た。
「立て。もどって森に入るぞ!」
腕を引かれ、まろびながらかけていく。すこし前に、いばらが生えていない場所があった。そこから森に隠れるつもりだと思惑を理解して、懸命に足を動かす。
前をいくローグの上着は、左肩の一部がやぶれていた。やぶれている箇所は、あざやかな赤でぬれ、黒ずんできている。
「ローグさん、怪我!」
「あとだ、突っ走れ!」
彼はそう言いながら傾斜のうえへ——草むらの奥にいる、望まれざる来訪者へと視線を飛ばした。左腕を引く力が強くなる。視界の端で、白い光がまた生まれた。
ああ、もうちょっとで森に隠れられるのに……!
傾斜で光がはじけた。地面を、鈍く低い激震がかけ抜けていく。前を走っていたローグが、足を止めてふり返り、自分を抱きこみながら飛ぶ。さきほどの砂ぼこりとは、比べ物にならないほどの土煙が、もうもうと立ちこめている。
傾斜を形作っていた大量の土砂が、真術を打ちこまれた拍子に崩壊した。森へ至る道は、くずれ落ちてきた土砂に、すっかり埋めつくされている。ローグは退路を断たれてしまったのを確認してから、いま一度と自分を立たせた。土砂が流れ切っていないのか、またも地響きが起き、周囲の土煙を一段と濃くしていく。視界が濁ってローグの背中すら見えない。目に細かい砂粒が入りこみ、まぶたを開けることも難しい。
「まだくずれてくる。……さっきの場所までもどるぞ。あそこから草むらをあがる」
「でも、あの人は上から」
「生き埋めになるよりはましだ。土煙が収まって煙幕がなくなる前に、上の森へ入るしかない。……走るぞ」
「はい……!」
手をにぎられたので、強くにぎり返した。それを合図に、ふたりでもう一度走り出す。
土煙を吸いこまないよう、袖で口と鼻をふさぎ、ひた走る。土砂がくずれた影響だろうか。森の真力が舞いあがっていた。視界いっぱいに、白い光が浮遊している。精霊は異変を察知し、なげくように大気でゆらめいている。
これでは、相手がどこにいるかわからない。相手からも、こちらが見えないという可能性の糸にすがるしかない。
崖が見えてきた。傾斜のうえに人影はない。草むらを登ろうとしたそのとき、土煙の合間から、白い光の輪が見えた。
こちらに向かってかまえられている悪意の——殺意の白。
白が自分たちの真上ではじけて、樹木と土に盛大な亀裂を入れた。一気に雪崩れてきた土砂と爆風に押され、身体が崖へ流される。
(落ちる!!)
それは一瞬のできごとだった。
土砂と共に、ふたりして宙を舞う。落ちながら、ゆっくりと世界を見た。望まれざる来訪者が、興味をなくしたように立ち去るうしろ姿を。舞っている土砂を。にぎりしめられているふたりの手を。そして、自分が落とされていく底を見た。
もうだめ。
——大丈夫
落ちてしまう。
——大丈夫、大丈夫だよ
助からない。
——怖がらないで
わたしにはなにも。
——できるよ、やってごらん。覚えているでしょう
ほら、こうやるんだよ
世界に圧倒的な青が満ちた。