道中にて
足の具合は、すっかりよくなっていた。
ついくせで、またも恐縮しながら謝ったところ。
「謝ってほしくてやったわけじゃない」
と言って、ローグは顔をしかめた。気分を害してしまったかと小さくなっていたら、彼は自分のひたいに右手をかざして笑った。
眼前の手は、人差指と薬指と小指がぴんと立っており。ほかの二本の指は、中ほどでまとめられていて、たいそう複雑な形を成している。
「つぎに、必要のないときに謝ったらデコピンな」
右手をかざしたまま、いたずら好きの少年のように宣告してきた。
意外な仕草に笑い。気をつけますと返答してから思い出す。びっくりすることに、ローグには人見知りしていないらしい。めずらしい自分に対して、密かに感心した。今日は不可思議なできごとが多すぎて、感覚が麻痺してきているのかもしれない。
満足したのか、ローグがしかめっ面を止めた。端整な顔のせいですこし気難しい風に感じていたけれど、相好をくずして語らってみれば如才ない人だと思った。
ふたりでいる森は、抱いていた恐ろしさが薄れてきたのも相まって、とてもおだやかな場所のように思えてきた。
相談の結果。森が動いているという前提で、距離を離さず歩くことにした。手を伸ばせばふれられるというのが、ローグが提案したふたりの距離だ。地割れに一度落ちたのもあり、普段なら出てくる羞恥心を無理やり押しこんで、その提案に同意した。
さらにローグは、真眼をふたり同時に開こうと言ってきた。これには目を丸くした。普通に考えれば、真力の枯渇がなにより怖い。いつ森を抜けられるかもわからないのだ。ふたりの真力を、なるべく長くたもったほうがいいのでは、と考えていたけれど……。
「ふたりで同時に使って、枯渇しませんか?」
「それはない」
そう言って、革袋を指し示す。
「革袋には、せいぜい二食分のパンしかなかった。水も同じくらいだな。…… "迷いの森" の修業は、毎年おこなっている伝統行事。つまり、毎年だいたい二食分——半日くらいで、全員が森を踏破することがわかっているわけだ。そして落伍者がいないということは、半日のうちに真力を枯渇させる奴はいないってことになる」
ローグの話を聞いて、深く納得した。とても聡い人でもあるようだ。
「でも、わたし……真力がいままでにないくらい低いと」
「大丈夫だ。俺がいままでにないくらい高いから」
あっさりと答えて、そこの足場は滑るから気をつけろと言う。言われた通り、半歩だけよけて進む。
「枯渇よりも、森が動くほうが厄介だ。すこしでも兆候をつかまないとな」
「はい」
真眼に開けと念じつつ、周りを注視する。
ふたりとも、一列に並んだ同じ真円が見えている。動いている真力の森で、ちゃんと出口まで導いているのか不安だった。でも、いまのところ分岐するような真円はないので、黙々と光の列にそって歩いていく。
歩きながらも、やはり真力の差はあるのだとつくづく思った。自分がわかる真円は、ローグがわかる真円より手前にしかない。実質、ローグの後追いしかできない事実に心苦しさを覚える。
歩く速度だってそうだ。彼は明らかに歩幅を合わせて歩いている。ひとりだったら、ふたりで行くよりずっと早く森を抜けられるだろう。やはり自分は——。
悶々と考えごとをしていたら、ひたいに弾けるような不意打ちがきた。ひたいを押さえながら顔をむけると、ローグの右手がそのままの形で残っていた。
「痛いです……」
「デコピンしたのだから、痛いだろう」
「どうしてでしょう。わたしなにも言っていません」
「いまなにを考えていた。内容を聞いて、俺の勘が間違っていたら謝ろう」
う、と短くうめき。彼から目をそらす。
「あまり、役に立てず申しわけないと……」
「やっぱりな。考えていることが顔に出るからすぐわかる」
そうなのだろうか。
「でも、謝っていませんよ?」
「追加だ。俺が迷惑しているとか考えたらデコピン」
「……無茶です。ひどいです」
「俺の考えを、サキが勝手に決めつけて作るほうがひどい」
ぐうの音も出ない。反論できないでいたら、彼はにやりと人の悪い笑顔を作った。顔が整った人がやると冗談に見えない。
「そもそも、俺がただの親切でサキを助けていると思っていたのか」
「ええ?」
「世の中で無償の借りほど、後々の負債が大きくなるものはないんだぞ」
「わたし、お金ないです……」
心からの本音だった。
村長からは聖都ダールにつくまでの路銀しか渡されておらず、その路銀もわずかしか残っていない。正直、かつかつもいいところだった。
「金はいらん。金だとすぐに片がついてしまうからな。金以外のほうが俺にとって都合がいい。形がない、量で計れないもののほうが助かる。サキ相手ならいくらでもごまかせそうだ」
そう言って、また悪徳に笑う。それがまた様になっているので、とても困る。
「そもそも額飾りを見れば、俺がどういう出自か想像つくだろう」
額飾り?
四大国の男性が、成人の証としてつけている額飾り。親から贈られるのが一般的。成人した息子に対しての、思いや願いが込められていると聞く。ローグの額飾りに玉はついていない。銅貨に見える丸い板が、一枚だけそこでゆれている。
「まさか、これも知らなかったのか?」
知らなかったので、素直にうなずく。すると悪徳顔が一瞬でとけて、もとのローグに戻った。
「なるほど……。この額飾りは、ずっと前に流通していた銅貨だ。昔から貨幣を額飾りにするのは、品を売り買いする家だけ。どこでもそうだと思っていたんだが……」
「では、ローグさんは商人なのですか?」
「そういうことだ。ちなみに大概の品はあつかっている。……さて、サキからはなにを対価として頂こうか」
言ってからまた悪い顔を作る。悪徳商人なのか、この人は。品定めをされ、売られていく羊の気分で、精一杯の防衛をこころみる。
「わたし、高価な物はなにも持っていません……」
「だから高価な品も求めていない。労働のほうがありがたいんだがな。……得意なことはあるか」
得意なこと。
人に誇れるような事柄などそうはない。強いて言うなら——。
「料理くらいです」
自分は孤児だった。十まで村長の家で育てられ。それ以降は村に唯一あった食堂で、手伝いをしながら生活していた。職を探すなら、まずは食堂を当たろうと思っていたところだ。
「料理か。それはいい」
悪徳商人殿のお気に召したようだ。彼はやや胸をはり、こう言った。
「サガノトスについたら、美味い料理をごちそうしてもらおうか。サキが俺に助けられたと思う分だけ料理を作る。……どうだ」
「何食ほど、ごちそうすればいいでしょうか」
彼は、悪い笑みをことさら深くした。かかったなと言わんばかりだ。
「サキが決めてくれればいい。——誠意とはそういうものだろう?」