論理パズル‐天国への扉‐
『この二本の道の先にはそれぞれ天国へ続く扉と地獄へ続く扉が存在します。一方の扉の前には天使が、もう一方の扉の前には悪魔が存在しており、天使は真実だけを、悪魔は嘘だけを話します。あなた達には一度だけ質問する権利があります。質問の内容は必ず、イエスかノーで答えられるものでなければなりません。……あなた達が無事、天国へと辿り着けることを心よりお祈りいたしております』――そんな文章の書かれた石碑を前にして、俺達は立ち尽くしていた。
気付くといきなりこんな場所に居たのだ。混乱せずにいるなど不可能だ……と思っていたのだけれど、意外とみんな平静を保てていた。
俺自身も例外ではない。……まるで、こうなることを最初から知っていたみたいだ。
天国か地獄かを選ばなければならない――そんな状況に陥る事を、知っていたかのようだ。
突然、頭に鋭い痛みが走った。
――フラッシュバック。
迫りくる列車。動けない老人。線路に飛び降り駆け寄る。すぐ後ろに風を感じた。とっさに老人を突き飛ばす。老人がホーム下の避難所に転がる。その瞬間、衝撃。
そうだ……俺は、死んだのだ。
ストンと納得のようにその事実が胸に落ちる。周囲の人達も似たり寄ったりなようで、皆が同じような表情をしていた。
そのなかの一人が口を開いた。
「あ、そっか。オレ死んだのか」
その一言をきっかけに、死人同士のコミュニケーションが始まった。
「これからどうしましょうか」
「やっぱあの石碑に書いてある通り動くしかないんじゃないですか?」
「てことはとりあえず、どっちかの道に進んだ方がいいかもしれないね。時間制限がないとも限らないし」
随分とのんびりと話が進んでいく。誰も慌てている様子はない。
俺はその光景に疑問を感じた。これから自分達が天国に行くか地獄に行くか決まるのだというのに、なぜそんなにも平然としていられるのかがわからない。死んだ事に対するショックも酷く薄かったけれど、もしかして感情の起伏が制限されているのだろうか? だとしたら、俺一人がこんなにも追い詰められているの理由がわからない。
「あ、あの! なんで皆さんそんなにも落ち着いていられるんですか!? これから俺達が天国に行くか地獄に行くか決まるんですよ!? もっと真剣に取り組まないと……っ!」
俺は耐え切れなくなって、思わず叫んでいた。
周囲の人達は一瞬不思議な顔をし、すぐに納得の表情になった。
「ああ……なるほど。君は知らないんだね。そんな人もいたなんてなぁ」
「はー……今時、天然記念物並みに珍しい」
「あのね君、私も知らない人がいるなんて意外だったんだけれど、この問題――論理パズルは有名というかもはや定番なほどで、みんな答えの導き方を知っているのよ。だから安心して、私達が君もきちんと天国に連れて行ってあげるから」
そうだったのか、どおりで……。
俺はこの問題をてっきり、神様か何かがこの時のために作ったのものだと思ってしまっていたが、違ったらしい。ありきたりな問題を設置されていたに過ぎないようだ。
「まあそういうわけだから、移動し始めようぜ。待ってても結局、やることは同じなんだし」
「そうだね、そうしようか」
「僕もそれが良いと思います」
「ええ。君も行くよ?」
そうして俺達は道を進み始めた。左の道を選んでいたけれど……特にどちらでも問題はないようだった。
人数は俺を含めて五人。年上に見える青年、年下に見える少年、中年の男、お姉さんのような印象を受ける女性、そして俺。俺以外の全員が特に不安も感じていないようだった。
俺はまだ答えの求め方を知らないからか胸中に不安が渦巻いている。今は心細さから後ろについて回っている状態で、自分から行動を起こそうという気はまだ起きていなかった。
「結構遠いな。天国への扉が反対側だった時は、横の林を突っ切った方が早そうだな」
「やめといたほうがいいんじゃないですか? 何があるかわかりませんし、不要なリスクまで負う必要はないと思います」
「そうだね。私もそう思うよ」
「あたしは距離によるかな。もしかしたら、ここから何万キロも先に扉がある可能性だってあるわけだし……」
と、そんな可能性をするかのように唐突に目の前に物体が現れた。
高さが10メートル以上もありそうなほど巨大な扉が、道を遮るかのように存在していた。
「でっけえ! つかいつの間に現れた!?」
「まあ、現実の世界じゃないでしょうし、これくらいはおかしくないでしょう」
「これは……すごいねぇ」
「おっきーね……あれ? あそこにいるのってもしかして……」
思わず扉を見上げていた首を、声に従い扉の根元へと向ける。
そこには、中世ヨーロッパにでもいそうな村人風の中世的な人間(?)が立っていた。
麻のような素材でできた貫頭衣で、腰の部分を紐で縛っている。足に履いているのも、何かの動物の皮を当てて上から紐で縛りつけたような、靴とは呼び辛いものだった。
「あれがもしかして、天使か悪魔か? なんであんな恰好してんだか」
「雰囲気はありますね」
「へえ、私はてっきりもっとオーラっていうのかな? そういうのが漂ってるようなのを想像していたよ」
「あたしは、ここに居るのが全員日本人だから向こうも同じようなのを想像してたわ」
その門番(と呼ぶにはあまりにも粗末な外見の人、というかそもそも門じゃなくて扉なので扉番?)の前まで行くと、相談もなしに青年が質問を投げかけた。
「質問権を行使するぜ。――あんたは、俺がもう片方にいる奴に『その扉は天国への扉ですか?』って聞いたら、なんて返って来ると思う?」
ちょ、ちょっと待って! ――そう叫ぼうとしたけれど俺の行動はあまりに遅かった。
「イエス」
村人は機械的に、そう即答していた。
俺には正直さっぱりだ。なんでそんな質問を――そうか!
疑問を口に出そうとして気付く。
もしもこの門番が天使であった場合、イエスと答えたという事は、反対側に居る悪魔がイエスと答えるということだ。つまり、反対側は地獄への門である事になる。
逆にこの門番が悪魔であった場合、イエスと答えたという事は、反対側に居る天使がノーと答えるという事だ。やっぱり、反対側は地獄への門であることになる。
「あ、気付いたの? 君、けっこう頭がいいんだねー。お姉さんは初めてこの問題を出された時、三回も説明してもらわなきゃ理解できなかったよー」
「私も随分と、納得するまでかかりましたよ」
「僕は割とすぐ理解できました」
「んなことはどーでもいいからよ、さっさと入っちまおうぜ。幸い反対側まで回る必要はなくなったみてえだしな」
それもそうだ、と言って皆が青年に続いて扉へと歩いていく。
扉はそれに反応するかのように開いていく。その向こう側には、先ほどまで歩いていたような長い道がまた続いていた。
「んだよ……向こう側もまた道なのか? 天国までまだ歩くのかよ」
「というよりもこれは、問題は一問ではないというのを表しているのかもしれませんね」
「うーん。幸い、扉はくぐらなくても近づけば開くみたいだし、念のために反対側の向こう側を確かめてからでもいいかと私は思うんだけれど」
「んー……あたしはこのまま進んでいいと思うかな。どちらにせよやる事は一緒でしょ? それに、向こう側を見ればわかるような問題を出してくるわけないでしょうし」
話しながらもどうやら、多数決によって判断は既に決まっているようだ。
男も青年達に続いて、扉へと歩いている。俺も最後尾に続いて歩く。
先頭を歩いていた青年が扉の向こうに足を付けた瞬間――その姿は唐突に消えた。
少年、お姉さん、男が続いて消え、俺も足を向こうへと踏み入れようとした瞬間――強烈な悪寒が走った。まるで、何かを見落としているような、なにかとんでもない勘違いをしているような、取り返しのつかないミスをしでかそうとしているような、そんな感覚。
俺はとっさに、足を止めていた。
「何を……俺は何を見落としている? 何も問題なんてないはずだ。質問の内容に落ち度なんてなかった。反対側に居る門番がなんて答えるのかを質問する――そうすれば、天使は悪魔の答えをそのままに、悪魔は天使の答えを捻じ曲げて答えてくれる。その、ハ、ズ……ッ!」
口に出すことで情報が整理され、そしてこの質問の致命的な穴に気付く。質問の内容と答えを聞いてから導き方を考える――逆算のようなことをしてしまったために生じていた根拠なんてない事実が、捏造されていたことに気付く。
「俺はなぜこの門番が、『反対側の門番は自分とは逆の種族である事を知っている』という事を前提に考えていたんだ……?」
そうだ。少し考えてみれば分かる。
例えばこの門番が天使であるとして、もし、反対側に居るのも天使だと聞かされていたとしよう。すればどうだ。イエスという答えはそのまま真実となり、反対側が天国への扉ということになってしまう――先程出した答えとは反対になってしまう。
俺達はあの石碑に書いてあった文字に対しても何の不信感も覚えなかった。自然とそこに書いてある事が事実だと感じていた。……逆に言えば、この疑問を思い浮かべられるのは、答えを求める為に必要だからということになってしまう。
この仮定が、正しいという事になってしまう。
「どう、すれば……」
すでに他の人達は全員、扉の向こうに消えてしまっている。永遠と続く道だけしか、扉の向こうには見ることが出来てない。
既に質問はなされた後であり、今からでは追加の情報を得る方法など存在しない。……いや、男が言っていた案――反対側の扉の向こうを確認する、ということは出来なくもない。このままでは思考が空転するだけでいつまでたっても前進できそうにない。とりあえずは何か行動を起こすべきだろう。
そう考えて俺は立ちあがり、道を引き返し始めた。
なぜかその行為がすでに他の可能性――自分だけが反対側の扉をくぐり助かる、という可能性を望んでいるかのようで酷く嫌な気持ちになった。他の四人を見捨てたような、そんな感情を覚えずにはいられなかった。
石碑にまで戻ってくる。ついでとばかりに問題を確認するも、新しい情報は得られなかった。それは、反対側の扉に辿り着き、近づき、開いた扉の向こうを見た所で何も変わらなかった。
しいていうなら、扉の先は同じく永遠と続く道がある、という一切役に立たない情報を得たということになる。そんなことは本当にどうでもいい。くだらないことを考えている時間があれば、この状況を打開するための思考をするべきだった。
タイムリミットがあると知ったわけではない。けれど、タイムリミットがある、という思考が出来ている時点でそれはもはやあることと同義であった。
「……そうかっ!」
自分の思考の中に、既に答えが示唆されていたことに気付く。
考えられるということはすなわち、設定として組み込まれているということ。
その考えで行くならば、向こうの門番にした質問と答えで、真実を導くことが出来る。つまり、今、目の前にある扉こそが天国へと繋がっているのだと。
あの門番が天使だった場合、こちらの門番も天使だと思っていることになり、イエスと答えた場合、そのまま『イエスと答えると思った』――つまり真実はそのままイエスということになり、こちらが天国へと扉という事になる。
逆にあの門番が悪魔だった場合、こちらの門番も悪魔だと思っていることになり、イエスと答えた場合、『ノーと答えると思った』――つまり真実はイエスということになり、やはりこちらが天国への扉という事になる。
「もしこれが天国への扉だったら――俺が天国へと辿り着ければ、あの人達を地獄から救おう。間違っていたなら……誰かに助けてもらえるといいなぁ」
そう呟き、俺は足を踏み出した。今度は嫌な予感を覚えることはなかった。
「大丈夫。大丈夫だ。何も問題はない」
先程の見捨ててしまったような感情を引き摺っているのか、足を地面へと降ろすにはひどく時間がかかった。
何度も自分に大丈夫だと言い聞かせ、なんとか一歩前へと進み、扉をくぐった。
次の瞬間、すぐそこにあったはずの扉が消えていた。まるで最初からなかったかのように、道だけがあった。
後ろを振り返ってもそれは同じだった。
「……すぅ、はぁ」
一度大きく深呼吸し、前を向いた。
そして、大きく足を前へと踏み出した。
自分が天国への扉を選べたのかどうかはわからない。けれど、あの人達を助けようと決めたからには、前へと進む以外の選択肢はなかった。
歩く、歩く、歩く。前へと進む。
上へと昇っている感覚はまだないけれど、自分が進んでいることははっきりと感じることが出来た。その証として、目の前の視界に少し変化が起きていた。
見覚えがあるような……というかつい先ほど見たばかりのそれ――少し違うと言えば違うが、ほとんど同じそれが、行く先にあった。
「石碑……」
近くまで辿り着けばもう、疑いようも見間違いようもない。
そこにあったのは、先程とは別の問題が書かれた石碑だった。
もう一度大きく深呼吸する。
「さて、次の問題と行きますか。天国へと至るために」
俺はまだ、天国への道程を歩み始めたばかりだ――……




