英クロ短編小説『門の試練~レヴィンとけせらん~』
※この小説にはグロテスクな表現が含まれています※
英クロのゲーム本体では載せられないレベルの
ミクシィ版、英雄クロニクルを題材にし、他プレイヤーさんのキャラを借りました短編小説。
~登場人物(敬称略)~
16uo『お郷巡り』より
・小竹女
・サシュアン
・シャムス
17g8『黒鴇宮』より
・レヴィン
・トト
17se『幽霊屋敷』より
・けせらん
この小説を『黒鴇宮』さんと『幽霊屋敷』のプレイヤーさんに捧げます。よいインスピレーションを下さってありがとうございました。久しぶりにラノベ書いた。
二つ、死体がある。そして二つとも無い。首から上が。
「死んでるわね」
笠の中で、ぽつりと小竹女はそう漏らした。
雨ざらしになった命の抜け殻は、すでに腐乱して膨れ上がっている。無関係な他者の死に何を悲しむこともない。見慣れたものだ。誰でもないただの死体など。それでも、自分の声に憐れみと苦々しさが含まれているのはわかる。
「どこをどう見たら、生きてるって思えるのサ? わかりきったようなこといわないでよ」
後ろには褐色肌の女が二人。ローブ姿で雨を避けるように俯いた女が言った。
小竹女は死体を足蹴にした。正確には、裏返した。
一人は女。一人は男だ。体つきからわかるのは、恐らく二人ともまだ若かっただろうということ。腹の中に腐敗の気配を溜めこんで膨れ上がった躯では、皺だらけの老人であったとしても見分けがつきにくくなるものだが。
「周囲に人の気配はありませんわね。少なくとも、下手人はもうここにはいない」
もう一人の褐色女が言った。曲刀を持ち、簡易な革鎧を着こんでいる女は、降りしきる雨を無視して、刀を抜き放っている。答えたのはローブ姿の方。
「いるわけないだろ。死んでから、何日経ってると思ってんのよ。あたしたちが気付かなけりゃ、誰も気付かないうちに白骨になってただろうサ。そしたら、行き倒れと見分けもつかなかったろうよ」
ローブ姿の女はサシュアン。革鎧の女はシャムス。そして自分。三人そろっていても、不安はぬぐえない。
小竹女は言った。
「問題は、誰が、何の目的でこんな真似をしたのかってことよ」
この死体は単なる殺人の犠牲者ではない。それは、躯が物語っている。これほど腐乱しても、それはわかる。
「朧月亭に居を移して、こちらの時間では長くなる……シャムス、サシュアン。首なし死体をこの山道で見付けたのはこれで四人。全部、同じ手口。一応、あたしを含めて全員に確認しておくけど」
その言葉の意味は、二人ともにすぐに伝わった。
「あたしじゃないよ。こんな力はない」
「わたくしでもありませんわよ。こんな趣味じゃございませんもの」
「そうね。あんたたちじゃないし……あたしでもない。朧月亭に今まで来た人でもない。でも、どこかの誰かが、ここで始末して回ってる。黄金の門を、くぐったやつを」
こことは異なる世界では、Tシャツとジーンズ、カットソーとスカートと言われる服を着込んだ男女の死体。これらの服は、この世界には存在しない。明らかに、彼らは異世界からの旅人だ。黄金の門に迷い込み、導かれるように気脈の上をたどり、この山道を歩いていた。だが、保護をする暇はなかった。
「殺すに飽き足らず、ついでに首を持ち去っていくわけサ。その上、殺す前にこんな真似をして」
サシュアンが、忌々しい事実を初めて持ち出した。目の前の死体の様子を見れば、兵隊稼業を営んできたシャムスですら気分を害しているのもうなずける。
男の死体には、桃色に裂けた裂傷が躯中に刻まれていた。流す血もなくなり、ぱっくりと開いたままの皮膚。這いまわる、巨大な蛆のように見える。この男はただひたすら、躯中を薄く、薄く、何度も何度も、執拗に切り裂かれ続けた。傷跡は死体の膨張に合わせて引きつれ、うっ血のどす黒い色と血の気のない白色のまだら模様になっている。
女の死体は、関節という関節が逆に曲がっていた。いや、躯中が捻じ曲げられていた。肘は逆さまに向き、指はてんでんばらばらな方向を指し、何度も念入りにかくかくと曲がっている。足は逆に曲がるどころか、すねに無理やり新しい節が刻まれていた。凄まじい力で、骨ごとへし折られていた。
「サシュ、殺す前、と言ったけど。例え相手が無抵抗でも、生きている人間にこんな真似をするのは至難の業よ。いくら人気が無いとは言え、こんなところで人間を二人、拷問にかけて息の根を止めた挙句に、首を切り落とすなんて。犯人にとっても重労働な上に危険なことでしょうに」
自分の声が虚ろなことに気付く。自分でもわかっているのだ。これは、死後にもてあそばれた傷ではないと。
「小竹女。誰かを拷問する時には、何か目的があるものよ。聞きだしたいことがあるとか、相手を憎んでいて苦しみを与えてやりたいとか。でも、彼女たちは、この世界に迷い込んだばかり。憎まれる理由もなければ、荷物を奪われたわけでもなく、まして、何かの秘密を知っているはずもない。つまり、何と言っていいか」
シャムスの曲刀は、しまわれないまま、彼女の視線は周囲を巡っている。巡らせておかずにはいられない薄気味悪さが、周囲の森を包んでいる。
シャムスはそれ以上言わなかった。それは、この場の誰もがうすうすわかっていることだから。
何故かはわからない。だが、犯人の目的は、この名もなき死体たちを初めからこうしてしまうことだった、と。
この山林の、どこかにいるのだ。
黄金の門をくぐった者を、こうするために蠢く、何者かが。
レヴィン・フライヘルトとは如何なる男か。そう問う者に、彼を知る者は言うだろう。その戦いぶりを見れば、それはわかる。と。
「よっ……と! 行くぞ、クリカラ!」
"承知"
煌めく光刃が、賊徒の刀をはねた。悲鳴を上げて逃げ惑い、あるいは恐慌状態で襲ってくる彼らを、時に薙ぎ払い、時に光刃を回転させて投げ飛ばし、その足の腱や腕の筋を切り裂いていく。
"脆い。聞いていた賊とは思えぬ"
光刃を放つ三鈷杵の形をしたものが、振動によって頭に声を伝えてくる。レヴィンは、口の端に笑みを浮かべた。
「確かにな。こいつらみたいな三下が、そんな真似をしたとは思えないが」
雄たけびを上げて突っ込んでくる賊徒の金砕棒を光刃で受け止め、レヴィンは薙刀のように光刃を左右に展開させた。すぐさま、賊徒の足首を切り裂き、悲鳴を上げて倒れる男の手の甲を斬りつける。巨大な金砕棒がその手を離れ、倒れた男の頭を押し潰す瞬間、レヴィンはそれを光刃で掃い、頭へ直撃するのを防いでやった。
「この辺を荒らす賊徒には違いない。倒しておくのに越したことはない、ぜ!」
逃げていく最後の男に向けて回転させながら投げた光刃は、男の太ももをかすめて戻ってきた。男が前のめりに倒れる。光刃を受け止めると同時に、声が響いた。
"確かに。異論はない"
これであらかた片付いた。央国から押し出される形で、この辺りに根城を築いた山賊どもは、一網打尽に出来たはずだ。光刃をしまうと、クリカラは三鈷杵にしか見えない。レヴィンがそれを腰にもどした時、周囲には十人ほどの男どもが鈍いうめき声をあげていた。口々に、痛みや苦しみを訴え、誰にともなく助けを求めている。
「なんだよ、山賊なんてやってる割に情けねーな。全員、致命傷じゃないから、安心しな。ま、これに懲りたら悪さなんてしないことだな」
戦闘が始まる前に脱いでおいたロングコートを拾い上げると、レヴィンはそれを肩に懸けた。
「いい腕だこと。レヴィンくん、でしたかしら?」
「ああ……シャムスさん、だっけ? これで良いんだろ?」
曲刀を携えた女は、反対側に逃げた男を一人、引きずりながら現れた。その男も、足首を斬り落とされて泣きじゃくってはいるものの、生きてはいる。その手口は、筋を傷つけて動きを封じる、という繊細なものではない。
「文句はありませんけれど、わざわざ手加減して、全員生きたまま捕まえろとまでは言ってませんわ? 賊なんて、息の根を止めてもよかったでしょうに」
褐色の女は、曲刀をしまうと慣れたような手付きで山賊たちの手足を縛りあげ始める。
「この辺りの殺人事件を調べたいから、生きてる奴を引っ立てて来いって頼んできたのは小竹女さんだぜ」
「だからって、全員生かせとは言ってないでしょう。こんな人数、運ぶの大変だわ……全く」
「殺せ、とも聞いてない。それに、無闇な殺生を、悲しむ人もいるんでね」
「お熱いこと。いえ、あなたのお相手は、お熱くはないんでしたかしら?」
その嫌味には、レヴィンは無言で睨み返すことで返事を返した。
「レヴィンは、こういう子ですよ。尤も、彼を変えたのは一人の少女ですが」
宮司の格好をした男はそういう。レヴィン本人にそれほど深い自覚はないが、一人の少女との出会いが己を変えつつあることは自覚している。
古びた社のような建物。今は朧月亭と呼ばれる旅籠。脇にある茶屋の外に作られた席で、隠居宮司、トトの言葉を聞いているのは小竹女と言われる女。賊徒たちを縛り上げている縄目を確認しながら、レヴィンはその声を聞いている。
小竹女は、今回の依頼を持ち込んできた依頼主であると同時に、昔の巡りでトトと縁があった女だ。レヴィンも、その姿は幾度か目にしている。飛鳥という鬼族、レヴィンが先生と呼ぶ女が、彼女たちと一緒に店を営んでいた折に。今は事情があって、この場所に店を移し、飛鳥たちとは別れたようだが、縁自体は続いているようだ。
「こういう子、ね。シャムスが甘さの目立つ小僧、と、露骨に文句を垂れてたけど。本当に全員生かしたまま持ってくるとは思わなかったわ」
「無益な殺生は何も生まない。それは確かなことですよ」
「悟りきったように言うのね、トトさん。ま、いいけど。いつもの話だしね。腕が立つのなら、それに越したことはないんだから。しかし、近くを通ると聞いたから大急ぎで頼んだものの、あんなおまけがついてきてるなんて知らなかったわ」
「おまけ?」
「あの……人の魂が凝って残ったもの、よ。サシュアンが初めて見た時、びっくりしてたわ。あのオトコオンナは、ああいう凝った思念を喰って巫術を使うやつだから。反射的に、あれは喰っていいのか、喰わない方がいいのかって聞いてきたわよ」
「ああ。あの子ですね」
トトが笑う。笑いごとではない。あのサシュアンというローブ姿の女は、自分の恋人の気配を察するなり、殺意に近い意識を向けてきた。危うく、こっちから手を出すところだった。
「サシュアンさんがそういう力の持ち主だとは知らなかったものですから。失礼しました。わかっていれば、先にお伝えしたのですが」
「あたしは、まあ、別に人に害をなさないなら、無理に祓う必要はないと思ってるけど……。サシュにとってはああ言った、思念の凝りは、自然界の調和を乱すもの、なんだそうよ?」
「どうでしょうね。ふふ」
二人が喋っている間を縫って、ふわりと覚えのある気配が自分の後ろに現れた。
「癒します、この人たちも」
「けせらん」
黒髪に、白いワンピースを着込んだ少女。の、姿をした幽霊。膝から下が無いその姿は、この国にあってはまさにその言葉にぴったりと当てはまる。傷の痛みに呻いていた山賊たちが悲鳴を上げて、必死にあとじさった。尤も、縛りあげられた躯では、満足に動くことも出来ないのだけれど。
その態度に、一瞬、怒りがこみ上げたが、それをなじっても仕方がない。確かに、彼らにとってはけせらんは「化け物」と同列に称されるようなものなのだろう。当の少女は、既に慣れた様子で、悲しみの色を浮かべることもなく、淡々と山賊たちの手足に癒しの魔力をかけた。舞うように彼女は癒しの風を呼ぶと、野薔薇の香りが立ち込める。風が流れるのに合わせるように、山賊たちの手足からゆっくりと傷が消えていく。
「あの女の人が傷つけた山賊さんの足を治すのに手間取りました」
けせらんは、眉を寄せて何とか笑った。嫌なものをみた、ということを、隠しきれる顔ではない。切れ味があるとはいえ、鉄の塊を叩きつけられてもぎ取られた足首は、完全に治りきりはしなかっただろう。あのシャムスという女は、自分とは全く違う戦いをこなす女だった。彼らを縛り上げる縄目も、レヴィンが少しばかり緩めてやらなければならなかったほどだ。どちらかと言えば、自分と対立していた奴らに近い。ふと、そう感じた。
「大変だったろ……あれ」
「まあ。そうですね」
けせらんは透き通るような笑顔に、微かに疲労の色を見せた。味方であり、依頼主でもあるとすれば、そのやり口を叱責することも説得することも出来ない。所詮自分たちは部外者だ。
考えを逸らすように、トトと小竹女の会話に意識を向けた。
「やはり、懸念のもとではなかったようですね?」
「ええ。聞いてみたけどね。こいつら全員、こちらに来てから、追剥はしても人を殺めてはいないそうよ。多分、本当でしょうよ。殺された人たちの死体は、荷物から何から残ってた。物取りの仕業じゃないわ。ま、それでも、この辺に出るようになった追剥を根こそぎに出来たっていうのは良いことだけどね。それも、一人の犠牲も出さずに」
「無駄な死も苦痛も、少ないに越したことはありませんよ」
「シャムスに任せてたら、こうはいかなかったからね。無縁の死者を増やしたって仕方がないのは確かなことだわ」
「しかし、そうなれば誰でしょうね。そんな真似をしている輩は。黄金の門をくぐって此方に呼ばれる方の多くは……少なくとも何かを持っていることが多い。資格、と言えばよいでしょうか。単純に、能力、といっても良いかもしれませんが。ありていな話をすれば、この山賊の方たちとは比べ物にならないほど、強い。それを四人。一方的に殺してのける者とは」
小竹女という女は、裳の上に組んだ手に額を乗せて、溜息を落とした。
「わからないわ。さっぱり。いくつかわかるのは。まず、大人数じゃないってこと。それなら、あたしたちが気付く。そして少なくとも、あたしやサシュの腕力で、どうにか出来る相手じゃないってこと。シャムスはいるけど、それでも不安なの。殺された人たちがどんな力の持ち主か、あたしはさっぱりわからないけど、四人もの人間が何の抵抗も出来ずに殺されて……しかもそいつは、殺して首を持って帰る以外に何もしていないってことが不気味なのよ」
「いくさの犠牲者、というわけでもありませんね。黄金の門から出てきたばかりの人は、この世界が何なのかさえ、まだわかっていないのですから」
「ええ……だから、ね。トトさん。お連れの方も、幽霊でも何でもいいわ。あたしもつてを辿って、頼りになる人をもう少し呼ぼうと思う。それまで、ここを守ってほしいのよ。梅花楼を離れてここまで来て、ようやく落ち着いてきたところなの。黄金の門に絡む事件となれば、あたしの、いえ、その……ここへ来る人の身も危ういかもしれない」
トトは安心させるように微笑んで「わかっています。私も全力でご協力しますよ」と返した。
そう。それがレヴィン達がここを訪れた理由だ。ふと、近くを通りがかった折、小竹女がトトが来ているという噂を聞きつけて、慌ててやってきたのだった。
何者かが、黄金の門をくぐった人間を、惨殺して回っている。助けてほしい、犯人を見付けてほしい、と。トトは、社はしばらく鐘に任せていれば大丈夫だろうと快諾した。彼は、知り合いが命の危険にさらされているのを見過ごすような男ではない。それで自分と一緒にいたけせらんもついてきたわけだ。
何のことはない。いつもの仕事。すなわち、用心棒だ。だが、小竹女という女の魂胆は、どことなく底に黒いものを感じる。トトも気付いていながら、それでも力を貸しているのだろうけれど。
弱々しく相手を頼る態度の裏に、微かに見え隠れする臭い。隠していても、修羅場をくぐってきたレヴィンにはわかる。落ち葉は森の中に隠せ、という気配。黄金の門をくぐった者が狙われるなら、その数が多いほど自分が狙われる危険性は下がる。すなわち、自分より力のある者を呼び寄せたのは、守ってもらうことを期待する以上に、その陰に隠れることが狙い、というわけだ。ただし、あの女はその腹の底を露ほどにも見せようとはしないが。
「あの人のことを見てるんですか?」
小竹女のことを眺めていたら、不意にけせらんが声をかけてきた。
「美人さん、ですよね。ここにいる人、みんなそれぞれ」
慌てて、首を振る。
「そういうわけじゃなくってさ。いや、別に小竹女さんが美人じゃないってわけでもないけど。ま、いいんだ。人助けになるなら、それはそれで良いことだよな」
けせらんは何を言っているのか一瞬、わからなかった様子だが、最後のひとことに対してだけは「それはそうですよ。よいことです」と、応えた。彼女に、小竹女の魂胆を説明しても仕方がない。それに、彼女の言うとおりだ。人助けになるなら、こちらが利用されているとしても、良いことだ。あの女もまた、生きることに必死なのだろうから。
そういや、飛鳥先生が言っていたな。お郷巡りを行う昏使いのところは、それぞれ生きることに容赦がない女たちだって。
もし、俺と同じ世界に生まれていたら、どうなっていただろう。会ってみた限り、恐らく俺とは対立することになっただろうな。同じ世界に生まれていたら、追手として巡りあっていたかもしれない。
同時に、一瞬、こうよぎった。
じゃあもし、けせらんが俺と同じ世界に生まれていたら? と。何かが、違っていただろうか。
いや、きっと同じことになっただろう。例え、全てが悲劇に終わったとしても。生きざまとは、人それぞれ。なんとも違うものだ。だからこそ、
「ここで、会えて良かったな」
漏らした言葉に、けせらんが「なにか?」と、尋ねてきた。レヴィンは慌てて首を振った。何でもない、と、伝えるのが精いっぱいだった。
木々の間に陰がある。朧月亭の傍にある、藪の中。それは、木の影でも、獣の影でもない。陰、だ。ただそこにぽっかりと開いた黒い淵。
「マールヴォロ。見付かるわよ」
幼い少女の声は、しかしその響きに幼さを全く感じさせない。乾ききった、老婆のように感情のすり減った音。
「見付からないさ。彼らに、僕らは見えない」
若い柔らかな男の声。その響きは、底が知れない。何かを深く考えているようでいて、しかし全くその思考を読み取らせない。
「獲物になるようなのは、ここにはいないって、この間見定めたじゃない」
「といって、大人しく待ち続けて、訪れる者を屠り続ければ、彼女たちはことさら怪しむ。狩り場を移すか、それとも全員始末するか。考えなければね」
「ことを大きくすれば、ばれるわよ」
「悩むところだね。いい気脈の上なのにこんな邪魔ものが現れてしまって」
男の声が、ふと、話題を変えた。
「ところで、彼女たちはどうかな? あの、今日現れた方だ」
「あの、透けてるのと、蒼い髪の小僧?」
「彼は良い獲物だ。誇りを貫く、若い瞳だ」
「わたしは、あの透けてるの嫌い。見ているだけで嫌になる」
「じゃあ、ちょうどいいじゃないか」
「ええ。まあね。ちょうどいいわね」
『首をもぐのにね』
二人の声は重なって、そして、陰は消え、そこには何も無くなった。縁側に出ていたトトの目と、屋敷の中で書物をあさっていたサシュアンの目だけが、陰が消えた方を向いた。何かが開き、何かが閉じた。覚えのある感触を察して。
夜になった。山賊たちは役人へと引き渡され、今日の仕事はひと段落している。外は雨。蒸した空気を冷やす長雨の音が、静かに響いている。
「小竹女さんに頼まれて、こうして仕事を引き受けましたが、」
あてがわれた部屋で、トトが言った。けせらんも一緒だ。けせらんは竹に活けてある紫陽花を眺めながら、雨音に耳を澄ましている。
「何か怪しい」
「あの、小竹女さんたちがかい?」
「いいえ。小竹女さんたちの想いはわかりますよ。彼女たちは人として、生きることに必死になっているだけ。そうではなく」
「なんでしょう? トトさんが心配するほどのものなら、何か不吉なことでしょうか?」
けせらんの言葉が言い終わらないうちに、木戸をこつんと叩く音が聞こえた。
「こーんばーんはー。お郷巡りのアイドル、サシュアンだよー。用心棒さんたち、入って良い?」
「どうぞ、サシュアンさん。ちょうど、お茶をしていたところです」
サシュアンはスリットの入った黒いワンピース姿に、銀盆を抱えて入ってくるなり、ポットをちゃぶ台の上にどんと乗せた。
「これ、差し入れ。裏で取れたミントのハーブティだよ。良かったらどうぞ。えっと、そっちの……残りものさん、は……飲むのかな?」
「あ、ありがとうございます。飲みます」
「飲むんだ……ふうん」
彼女はやたらと、けせらんのことを気にしている。それは、山賊たちが彼女を怪物扱いするのとも、不思議なものに好奇の目を向けるのとも違う。彼女にとってけせらんは、祓ったり、散らしたりするべき対象なのだ。けせらんを「残りもの」と表現したことからしても、それがわかる。レヴィンは、溜息を落としつつ、ミントのハーブティを啜った。
「ま、いいや。大事なのはそっちじゃない。廊下で、お話ちょっと聞かせてもらったんだけどサ。トトさん。怪しいってのは、アレのことでしょ? なんか、この辺で、開いたり閉じたりしてる、変な気配」
トトは、珍しく黙っていた。それと、言ってよいものかどうか、迷っている様子だった。
「隠さなくてもいいじゃん。感じたんでしょ? あんたもさ」
やがて、トトは口をつけ掛けていたカップをそっと置いた。
「……ここは、朧月亭と今、呼ばれておりますが。黄金の門からイズレーンに向かう気の流れの上に建てられたもの。もとは、その流れを正したり、その流れを感じとったりするための社でした。同時に、黄金の門をくぐった旅人達が、イズレーンを訪れる際の受け皿となる場所でもありました。今になって、小竹女さんやあなたがその仕事を引き継いだようですけれど。黄金の門をくぐってあてどなく彷徨い、イズレーンに向かう者は無意識にこの道を通る。黄金の門の気脈を辿って。その気脈の上で、門の気配を感じることそれ自体は、不自然なことではありません」
トトの言葉の後ろに、何か釈然としないものを感じる。何か、言い残したことがあるような。代弁するように、サシュアンが続けた。
「だからって、小さな亀裂が生じるのを、何度も繰り返し感じるのはちょっと不自然。あんたも、そう感じてんでしょ? シャムスはこういうのに疎いから全く分からないし、小竹女はアレでまだ勘が鈍い。もちろん、そこのボーヤも、残りものさんにも、わかんないんだろうけどサ。でも、あんたとあたしは気付いた。そーでしょ?」
トトは何も言わない。彼は、危惧が可能性に過ぎない段階で、それを口にするほど乱されやすい性格ではない。反して、サシュアンという女は、何か気付けばそれを真っ向から口にするか、でなければ最初から言わないか。そういう性質のようだった。
「あんたが今、用心棒さんたちに話そうとしてたのはそれでしょ? 黄金の門が、おかしな動きをしてる。気をつけろ。そういう話じゃないの?」
けせらんとレヴィンは、完全に蚊帳の外だ。トトは溜息をついて頷き、諦めたように言った。
「そうです。しかし、なにに気をつければよいか。まだ、形に出来ませんので。言うか言わぬかをためらっていたところですよ」
「なにに、か。確かにね。あたしにもそれはわかんない」
「それであれば、軽率に口にしない方がよいかもしれませんよ。不安を煽るだけでは、意味がありませんからね」
「警告は、必要だと思うケドね。あたしには、そしてあんたにも、まだ手に負えない。負えるかどうかわかんない。そういう話だから気をつけるこった、ってサ。あたしが言いに来たのは、そんだけ」
サシュアンが立ちあがる。初めて、レヴィンは口を挟んだ。
「具体的に、何に気をつけるべきなのか。トトにもわかんないし、あんたにもわかんないなら、言う意味あるのか、それ?」
サシュアンは、じっとりとした目付きでこちらを見た。その目には、値踏みするようないやらしさを感じる。やがて、彼女は肩をすくめた。
「さあ? ……でも、ボーヤ、用心棒引き受けたんだろ? あたし、これでも一応、味方には優しい方なんだよ。囮を用意しながら、そいつには何も含みを持たせておいてやらない、誰かと違ってね。よく聞けよ、ボーヤ。あたしたちはつまるところ、今まで四人も殺されてるのに、一人も狙われてない。トトさんは、異変を察知できる。残りものさんは……もう死んでる。そうなりゃ、今、次に生首持っていかれる可能性が一番高いのは、誰だと思う?」
いつもは大好きなはずのハーブティのカップを、震える手がちゃぶ台の上に置いた音が聞こえた。
「次に、狙われるのが、レヴィン君だって言いたいんですか?」
「小竹女は、そう考えてるだろうよ。異変に気がつけず、後ろを取られやすいのは誰かさんだと。それが殺されるまでは、あたしたちは安全圏ってワケ。さて、何に気をつけるべきかはわかんないけど、何に気をつけても損はないと思うね? そーだろ、用心棒?」
俯くけせらんの背に、レヴィンはそっと手を当てた。温かい鼓動が伝わるように。
「俺は、そう簡単にはやられはしないぜ」
「だといいと、あたしも思ってるよ。小竹女は都合良く現れたあんたを囮にしている間に、戦力を集める気だろうサ。あいつにも色々とツテはあるからね。でも、あたしは、あんたが原因をきっちりやっつけてくれることを望んでる。これでも、味方だからね? さて、警告はしたからね、用心棒。しっかり仕事たのむよ?」
サシュアンはそれだけ言うと、去った。トトが溜息を落とす。
一瞬、よくない考えが浮かんだ。だが、用心棒とは、本来であればこういう仕事だ。今までが、優しい人に巡り合わせがあっただけ。そういうことだ。
「味方、ね」
皮肉な言葉を、レヴィンは繰り返した。けせらんが、不安そうに自分を見上げている。レヴィンは笑みを返したが、どことなくぎこちなくなるのを、抑えきれなかった。
雨が激しさを増し、障子の向こうをぱちぱちとはねている。
幾日かが経った。レヴィンはここでの日課として、山道をけせらんと二人で歩いている。
結局、あの後、しばらくの間こうして歩きまわっているが、異変はない。
小竹女はどうやら助けを乞う文を色々と送っているらしい。もうしばらくここにいれば、人数も増えることだろう。そうなれば、大がかりに山狩りをして、得体の知れない殺人鬼を狩りだして、この仕事はお終いだ。
けせらんは、結局は何を言っても安心せず、憑いてきて、もとい、ついてきてしまった。尤も、癒しの力がある彼女がいることは、武芸一辺倒の自分にとっても、助かることではあるのだが。あんな警告を受けた後では、朧月亭に残しておいた方がよかったのではないかと思う。トトは、小竹女やサシュアンと言った女たちと協力して、黄金の門の異変について、朧月亭で調べものをしている。あのシャムスという女が彼女らの護衛。必然的にレヴィンとけせらんが、前線で調査というわけだ。
「不安か?」
ここに来て、少し暗い顔をしているけせらんを励ますつもりで、そう言った。もし彼女が不安だと言えば、朧月亭に戻してもいい。もちろん、彼女はそうは言わなかった。首を振って、こう言った。
「レヴィンと、一緒なら。何があっても、大丈夫」
「俺も、何があっても、君を守るよ」
ふと、視線が絡んだ。暗い空の下でも、透き通るように白いワンピースの少女。どちらからともなく、ふと、手が伸びた。お互いの手と手、指と指が、透けてしまうことなく絡み合う。その指の根元に、ピンクゴールドの指輪が煌めいている。
「何があっても」
その言葉が、どちらのものであったかはわからない。ただ、心からの言葉だった。
ぽつりと、雨が二人の頭を濡らし、二人は素っ頓狂な声を挙げた。
「わわっ、降ってきたな」
「だね。激しくなるかも」
「とりあえず、戻るか」
「ふふっ」
「な、何かおかしいかな」
「いいえ。何があっても、大丈夫。そう、思えただけ」
「そうだな。何があっても」
繋いだ手の間に、僅かな鼓動を感じる。けせらんの想い。自分の想い。互いにそこを通して、感じあえる。
大丈夫だ。何があっても。
笑みを重ねあって、二人は振り返った。
道を塞ぐように、黒い陰が立っていた。
稲妻のように走った、何かがぴしりと割れる感覚。トトは、朧月亭の部屋の中ではっと目を開いた。
「こんにちは、初めまして。レヴィン君。それから、けせらんちゃん」
それは、まるで気配を感じない何かだった。目の前にいるのに、けせらん以上に何も感じない。まるでそこに何もないかのように。
だが確かに、目には映っている。黒いスーツに蝶のタイ、灰色の手袋をはめ、象嵌細工のステッキを持った気取った姿の男。そして、腰にしぼりのある薄水色のワンピースを着込み、大きな眼鏡をかけて、木偶人形を撫でつづけている陰気な少女。見た目は二十代の後半と、十四、五歳と言った、不自然な組み合わせの二人組。
「誰だ。なぜ、俺の名前を知っている」
「名乗らないのは失礼だったかな。申し訳ない。僕の名前はマールヴォロ。彼女の名前はソーニャ」
「何か……ご用事ですか」
けせらんの問いかけに、マールヴォロはにっこりとほほ笑むと、そっと、象嵌細工のステッキの取っ手を回した。
「レヴィン君。けせらんちゃん。君たちの、」
二人の足元から、するすると陰が伸びる。夕日が照らすより長く、誰が走るより早く、闇が二人の足元を走り、背後で伸びあがったかと思うと、暗い帳が下りてくる。
「首をもらいに来たんだよ」
象嵌細工の取っ手の先に、白い刃が煌めいた。瞬間、黄金色の光が、けせらんとレヴィンの間を割いた。
「小竹女さん!」
トトが彼女を見付けるより早く、サシュアンと小竹女は蒼い顔をしながら何事か話し合っていた。意味がわからぬ様子ながら、あのシャムスという娘もいる。
「トトさん、今、何か、凄い気配が……」
小竹女の言葉を遮って、サシュアンが言った。
「門が開いた。あれは、黄金の門よ。前々から、山道に勘を張ってて良かった」
「ええ、そして……二人の気配が消えました。しかし、門は開いたままです」
振り返ったトトの肩を小竹女が掴んだ。
「行くの?」
「行きます。二人に危難が迫っているのなら。行かねばなりません。私一人でも」
「あたしも行くよ。黄金の門が絡んでるなら、調べなきゃならない。小竹女、あんたもだよ」
「そう、だけど」
「あら、小竹女、憶していらっしゃるの? 安心なさいな。黄金の門のことはわからないけれど、物理的な危難はわたくしが掃います。トトさん、参りましょう」
「助かります。シャムスさん」
「あ、ちょっと、三人とも! あたしも行くわよ!」
三人の女の足音を後ろに引きつれながら、トトは山道へと入った。ここから、現場まで。間に合うか。間に合わねばならない。そんな予感がする。
レヴィンの目には、そこはただ薄暗い、何もない場所に見えた。目の前に、マールヴォロと名乗った男だけがいる。相手の底は知れないが、負けるつもりはない。ただ、左手を確かに繋いでいたはずの、けせらんの姿もないことだけが、レヴィンの不安だった。
「彼女が気になるかい、レヴィン君」
マールヴォロはあくまで丁寧な物腰で聞いてきている。その右手に、ステッキから引き抜いた暗器の刃が煌めいていなければ、世間話をしてきているのと間違えそうだ。
「彼女なら、大丈夫さ。なんといっても、な」
一度、死んでいるから。言いたくないから、それは言わなかったが。その気になれば、彼女は透けて逃げることも出来なくはないはずだ。
「強がりを言っているね、レヴィン君。本当は不安なはずだ。今の僕と君の状況。けせらんちゃんの姿が無いこと。そして、ソーニャの姿も無いことが、彼女がどういう状況に置かれているかを物語っている。気付いているはずだよ」
レヴィンは舌打ちして、ロングコートを跳ねのけると、三鈷杵を取った。
「クリカラ、行くぞ」
いつもの声は、聞こえなかった。ただ、光刃だけはレヴィンの声に従った。
「クリカラ?」
「無駄だよ」
マールヴォロの声が響いた。
「僕が許可した意志以外は、ここに入れない。その剣の機能は使えても、意志はこちらにやって来られない。君は独りだ、レヴィン君。尤も、僕もそうだが」
「はっ、タイマンってことか?」
「君の言葉で言えばね。君は、僕がやる。そして彼女は、ソーニャがやる」
「やらせねえさ! 俺が、な!」
レヴィンの光刃は翻り、マールヴォロ目がけて飛んだ。クリカラと会話が出来ない以外はいつもの動きだ。マールヴォロはするりと身をかがめてその攻撃をかわし、戻ってきた刃もまた、踏み越えるようにして避けた。この動き。少なくとも、先日の山賊程度の相手ではない。
レヴィンはそのまま突っ込み、光刃を受け止めると同時に、相手に斬りかかっていた。マールヴォロの方は、刃ではなくステッキ状の鞘でそれを受け止めると、刃を突きだしてきた。捻るようにして、身をかわす。左腕に、熱い線が走った。光刃を回して距離を取る。左の二の腕から、一筋、血が垂れている。
おかしいな。確かにかわしたはずだが。
「だが、この腕前に、領域型の魔術。お前が犯人で間違いねえな」
「いかにも。君たちが探している人殺しは、僕たちだよ」
「なら、加減はしねえ!」
両刃を回転させ、相手の目を欺いてからの突き。マールヴォロは身を捻ると、再び鞘で光刃を止めつつ、剣を捻った。
速い。
レヴィンもまた身を捻ったが、頬に赤い筋が出来た。
いや、速いだけではない。少しおかしい。速いには速いが、今の攻撃も、完璧に避けたはずだ。それに、奴の攻撃は、いくら細身の剣を使っているとは言え、恐ろしく軽い。
二人は無言で、再び馳せ合った。光刃が回転し、薄刃が煌めき、空を斬る音が蜂の羽音のように響き渡る。二度、三度、互いの攻撃を受け合い、しかし、微かな傷が増えていくのはレヴィンの方だけ。それも、不可思議な手口だ。確かにぎりぎりで相手の攻撃を避けているはずなのに、何かが届いてくる。魔術的な力ではない。こいつの剣から、そういった気配は感じられない。
レヴィンは身を捻るように抜き胴を放った。風を斬るほどに速い体捌き。対してマールヴォロは、出来るだけ最小の動きで身を捻って光刃をかわすと、後ろに回り込んだレヴィンと向き合った。ひゅっと音を立てて、マールヴォロが剣を腰に構えなおす。
「少しずつ、傷が増えてきたね、レヴィン君」
「ふん、なるほどな。わかったぜ、お前の手品」
「ほう?」
「道理で、その刃の方で、剣を受けないと思った、ぜ!」
瞬間、レヴィンは自分の背を通すように光刃を回して敵の目を欺くと、その懐に飛び込んでいた。両刃の長柄を振りかざすレヴィンにとって、肉薄した間合いはむしろ二刀流のように戦う相手の有利になる。それもわかってのこと。振りおろしてくる瞬間の薄刃を狙って光刃を打ちすえると、弦を弾いたような音が響き、刃は根元からへし折れて宙を舞った。
退こうとするマールヴォロの首元に、さっと光刃を突きつける。
「見た目で剣だとばかり思ってた。まさか、剃刀のように薄く鍛えて、鞭のようにしならせてたとはな」
マールヴォロの薄刃が落ちる。それは、薄い金属が地面に落ちたとき特有の撥ね方をしながら、びぃんびぃん、という音を立てた。
「道理で、かわしたと思ったのに斬られてたわけだぜ。手首のひねりで、刃自体を曲げる剣術か。だが、そういう剣は暗器の類。衝撃には弱い。ここまでだ。投降しな」
互いに、息が上がっている。だが、マールヴォロの方が、苦しそうではあった。額に汗がにじみ、肩で息をしながら、折れた仕込杖を眺める。
「やはり……正面からでは勝てないね。しかし中々……ふう。面白かった。並の使い手なら、首の脈を斬れたのだけども。流石に、君は速い」
「わかってるなら、降参して、この空間を解きな小悪党」
「ふふ、彼女が気になるかね? 僕の相棒が、何らかの卓越した魔術の使い手だったら、あのお嬢さんが危ない、とでも考えているのかな?」
「ごたくは良い。解くのか、解かないのか、行動で示してもらう」
マールヴォロは観念したように両手をおろした。
「やはり焦っているね。安心すると良いよ。ソーニャには、別に君たちの言う魔術といった力はない」
「そうかい。だったら、とっとと、」
足に、まるでハンマーで思いきり叩かれたような衝撃が走った。僅かに剣先がぶれた瞬間、マールヴォロはのこった鞘で光刃を弾くと、すぐさま身を引く。追おうとする右足に、激痛が走った。地面に貼り付けられたかのように動かない。いや、文字通り、右足は地面に打ちつけられていた。鋭く長い、釘のようなもので。
「ほうら、焦っているから、すぐに策に嵌まる。暗殺者の手管も、知っているくせに。暗器が一つとは思わないことだ。若さだね、レヴィン君」
するりとマールヴォロが左手の袖を拭って見せる。手首のところに、長い針のようなものを射出するらしい、小型の器具が縛りつけられていた。
「て、めえ……!」
「まあ、ご自慢の足が動かなくなったところで、話でも聞きたまえよ。要するに、こんな喧嘩は僕にとってはお遊びでね」
スーツの裾をはらい、腰に並んでいた葉巻程度の大きさの矢を、マールヴォロは再び手首の射出機に差し込んだ。あれを心臓に撃ち込めば、恐らく一撃必殺。強力な暗器だ。ただし、矢羽もついていない金属製の重い矢をあの大きさの器具で射出出来る距離はごく短いはず。近づいてくれば斬る。遠くから撃つなら、自分ならば打ち落とせる。
「昔は、暗殺者として仕事をしていてね。ちょっと、遊んでみたくなった。久しぶりに、真っ当な戦いというやつをね。してみようかと」
そんな考えをよそに、マールヴォロはポケットに手を差し入れる。恐らく、内側にそのまま繋がっている穴なのだろう。マールヴォロは足に仕込んであったらしい、刃の予備を取りだした。かちりと象嵌細工の取っ手を弄ると、残っていた刃の破片がからりと落ちる。新しい刃を差し込むと、彼の仕込杖は元通り、しなる鞭のような剣の形を取り戻した。
うかつにも、相手の装備は万全にもどり、こちらは最大の武器である機動力を奪われたというわけだ。
「ここから先は遊びじゃない。しっかりとした、僕の用事の話をしよう」
足の矢を抜かねばならない。どうする。一瞬、考えあぐねた。誘いに乗ってみるか。
「なんだ、それ」
「君の首を、持ちかえらなければならない。どうしてもね。僕たちの目的のために。ただ、その為にはしなければならないことがあるんだよ」
「目的、だと?」
「見たいものを見ること。僕なりの自己表現をすることと言えば良いかな」
「つまり殺人が目的ってことだろ。変態の小悪党」
「小悪党という言葉は僕を指すのに全く正しい。ただし、前半は少しばかり意味を異にしているね。君は死ぬ。僕の手で。それは僕個人の悦びだけれど、目的は他にある」
くそ。こんな奴に手間取っている場合じゃないってのに。変態野郎が。
レヴィンは打ちつけられた右足を僅かに捻った。かなり固く、地面に打ち据えられている。恐らく、あの金属矢は、先端に返しでも付いているのだろう。
「その目的のために、君を殺すんだよ、レヴィン君。だが、まあ、悦びを味わうことは否定しない。ここから、お楽しみの時間だ」
マールヴォロはしなる剣先にかすかに指をつけて、ぐっと弓なりに曲げた。びぃん、という独特の金属音を響かせながら、クラシックに聞き入るようなうっとりとした目付きで言う。
「さあ。君を綺麗なオブジェにしてあげるよ」
けせらんは、灰色の何もない空間に、少女と二人きりで佇んでいた。他には何もない。右手を確かに繋いでいたはずの、レヴィンの姿もない。それだけで、けせらんの胸に不安を抱かせるには十分だった。少女と一緒にいたあの男からは、得体の知れない恐ろしい気配が感じられた。今、自分が一人、この少女と向かい合っているということは、恐らくレヴィンの方は、あのマールヴォロと名乗った男と一緒にいるはずだ。
「あの……」
何を言えば良いのかわからず、けせらんは少女に語りかけた。少女の方は、先程から右手に持った木偶人形を何度も撫でるように弄っている。大きな丸眼鏡の奥にある眸は、まるで老婆のようだった。眉間にずっと寄っている皺が、恐らくは笑えば可愛らしい顔をしているはずの少女の顔を、歪めたものにしている。
「ねえ、えっと……」
名前が思い出せず、けせらんが口ごもっていると、ぶっきらぼうな答えが返ってきた。
「ソーニャ。わたしの名前はソーニャ」
「あ、そうなの。ソーニャ、ちゃん、ね? あのね、わたしはけせ」
「うるさい」
少女はにべもなく、けせらんの言葉を塗りつぶした。睨むような三白眼をずっと人形に向けながら、その表面を撫でている。何度も何度もその動作を繰り返すさまは、けせらんの目から見ても偏執的で、異常なものを感じさせた。
金髪の髪は首元辺りで切り揃えられ、大きな眸はまなじりが垂れて、薄い青のワンピースの中には華奢な躯が感じられる。ほとんど全ては、ただの少女のはず。だが、けせらんは恐怖を感じた。何か、この少女は、危険なものを抱えている気がする。
「あの、ね。でも、私はレヴィン君のところにいかなくちゃならないの」
「あの小僧はマールヴォロが始末するわ。わたしはあんたを始末する」
幽霊のはずのけせらんの背筋に、寒いものが走った。自分をどうすると言われたからではない。やはり、あの男とレヴィンは、今頃戦っている。どうにかして、その場に行かなければ。自分がいれば、レヴィンが負けるはずがない。何と言っても、無茶をする彼の傷を癒せるのは、共に居て、そこで癒すことを望まれたのは、自分なのだ。
「でもね、ソーニャちゃん。えっと、あの、難しいと思うの。きっと、あなたが私を……どうにかするのは。何故って私は、」
「わたしはマールヴォロほど優しくないわ。あんたの首は持って帰る」
「あの、そうじゃなくて。びっくりしないで欲しいんだけど、私はね。実は一度、死んでいるの。ほら、その証拠に、足が無いでしょう? だから、」
「そんなことは知ってるわ。でもね、首は、持って帰らなくちゃいけないのよ。そして、わたしはマールヴォロみたいに、余計な遊びはしない主義なの」
少女の言葉は、まるでこちらを無視していた。完全に、自分の世界に浸りきっているように。
「あの、やっぱり、首を……ああしていたのは、あなたたちだったのね? あなたみたいな子が、どうしてそんなことを」
「首は、持って帰らなくちゃね。きっちり」
取り付くしまもない。ただ、ソーニャはそれを繰り返しながら、人形を手の中でこねるように撫でている。何を言えば良いのか、けせらんはわからなくなってきた。この子を取り押さえるべきだろうか? 自分は彼女に触れられるだろうか? いや、しかし、
「でも、その前にお人形遊びをしなくっちゃね。それがわたしの仕事だもの」
「あ、あの。聞いて。ね? 私はね。けせらんて言うの。あなたのこと、もう少し話し」
瞬間、ぎっと口を押さえられた感触がした。凄まじい力で、無理やりに木の棒を口の中に突っ込まれたかのようだった。思わずのけぞって口を抑える。出るはずのないものが、ぼたりと地面に赤い染みを作った。こつん、と、小さな音を立てて、血だまりの中に白い欠片が落ちた。自分の、上の前歯だった。
「う、そ……」
嘘だ。あれほど求めた鼓動。温かい血の流れ。いくらレヴィンから鼓動を分けてもらっても、自分から血が落ちるほどに人に近くなっているはずはないのに。
驚愕のまま、顔を上げると、少女はまだ人形をいじくりまわしている。
「何を、したの……私に」
少女がそっと、手に持った人形をこちらに向けた。今まで、顔すら書いていなかった人形は、いつの間にか黒い髪を生やし、白いワンピースを着こんで、薄く微笑んでいる。ようやく、鏡で見ることが出来るようになった顔、そのままに。
「それは。私、の、」
「お黙り、わたしのお人形」
少女は、人形の顔に爪を立てた。けせらんの言葉は、頬を抉られるような力で押されて、かき消された。口の中で、奥歯が折れる音がした。あれほど求めた血の鼓動が、今、口の中に錆びた味として一杯に広がった。
少女の唇が、薄く、弓を描いた。
「さあ、出来た。綺麗なお人形は、壊してしまいましょう。滅茶苦茶にね」
レヴィンの躯に、幾筋目かの赤い線が描かれた。何度、切り裂かれたかわからない。右足を動かせなくなった、という不利が原因の話ではない。自分の腕であれば、例えそのハンデを背負っていても、相手の刃を避け、反撃に転じることが出来る。何と言っても、あの刃の手品は見切ったのだ。タネがわからなかった先ほどとは違う。
だが、目の前の男の動きが、急にわからなくなった。いや、動いているのかどうかさえ、さだかではない。先程まで目の前にいたかと思えば、後ろに。後ろに気配を感じたかと思えば更にまた後ろを取られていた。レヴィンが必死になって振るった光刃が、まるで当たらない。速いなどという話ではない。目に見えない。
「綺麗だよ、レヴィン君。君の、今の姿」
息をするのも精一杯だ。こいつの動きは、なんだ。なんだというんだ。
「君を何度斬ったかわかるかな? 僕は数えている。君と喧嘩していた時から数えて十七回だ。段々、綺麗になってきた。ふふ、溜息が出るよ」
声が聞こえたのは左後ろ。だが、こいつは前後左右、どこからでも現れる。不可思議な移動術を使う。ひょっとすると、それがこの領域の持つ力なのかもしれない。
なら、これでどうだ!
レヴィンは、左後ろの声を狙うふりをして、光刃を突きだすと、その瞬間に自分の躯を軸にそれを回転させた。前後左右、全く隙無しの回転剣舞。これなら。
「そういう目をする君が好きだよ、レヴィン君。あの魂だけの女の子より、僕は君が好きだ。綺麗だと思っているよ」
声は、読みきったかのように、剣先からわずかに離れた場所から響いた。目の前に、黒いスーツが翻る。
「ほざけよ、変態」
だが、何故当たらない。何故、読まれる。
「安心しなよ。内臓は一切、傷つけないとも。僕が斬るのは皮膚と筋。一つ一つ、模様を刻む。この過程も大事なんだ。僕の目的には」
マールヴォロの剣は、剃刀のように薄い。だからこそ鋭い。鞭のようにしなり、本気で振るわれれば目には見えない。だが、自分にならば軌道が読める。例えあのしなりがあろうとも、自分ならば、かわせるはずなのに。
速いのではない。技術が高いのでもない。もちろん、それもあるが、そんなこととは関係なく、根本的におかしい。
「おかしいと思っているね? どうして僕を捉えられないのか。力も技も速さも、そして武器も、君の方が勝るのに」
クリカラで、防げない。防いでいるはずなのに。まるで、すりぬけているようにしか思えない。触れているはずなのに、触れていないのだった。これは、あの剣のしなりの手品ではない。全く違う何かだ。
「今頃、同じことが、君の大事な彼女に起こっているよ。きっと、とても痛いおもいをしている。ソーニャは容赦がないからねえ」
傷だらけの痛みが、一瞬、燃え上がったように消えた。彼女を。そんなことが。
「ふざけるなよ……ふざけんじゃねえ! 足、捕まえたくらいで、なあ!」
怒りが、右足を動かした。今は、構わない。けせらんの術で治せるのかも、そのハンデをこれから背負って、こいつと戦えるのかも、関係ない。怒りのままに、レヴィンは右足を無理やりに宙に浮かした。射し込まれた矢は、地面からは抜けたが、足からは抜けなかった。いや、構うものか。今は、こいつを、斬る。
矢が刺さったままの右足が、跳躍した。黒い陰は、瞬間移動をする暇もなかったらしい。驚いたように目を丸くしたまま、レヴィンを見据えていた。
「ほう」
あの子に、何かしてみろ! 許しはしない!
「死……ッ!」
ね、まで、言えなかった。攻撃されたからでも、防がれたからでもない。避けられたからでもなかった。
すり抜けたからだった。マールヴォロの首を狙った一閃が、まるで手ごたえのないものであるかのように。そこに何もないかのように。するりと通りぬけたからだった。
「さすが、レヴィン君。あの間合いを、その足で詰めるとは」
何が、起こった? 今。
振り返る。マールヴォロは、首を光刃が通り抜けたことなどどこ吹く風のように、笑った。
「さて、続けようか」
血が。痛みが。何故?
茫然と、自分の口から落ちていく血だまりを地面に見ながら、けせらんの混乱した思考は、そのまま言葉になった。
「私には、躯が、血が、ないはずなのに……」
ソーニャは人形が出来あがったことを悦ぶように、にんまりと口をゆがめながら、人形の頬を張った。手で軽く払うように、ぱん、と。瞬間、壁か何かに正面衝突したような衝撃が顔に走り、けせらんの躯はぐるりと回って吹き飛んだ。赤い飛沫が飛んだ。地面に転がり、思わず顔を抑えると、鼻から血が出ている。
「どう、して?」
ソーニャはこちらを見ていない。相変わらず、自分が作った人形を見ながら、笑っている。眉間の皺が刻まれたままだから、その表情は一層、老婆のようになった。
「躯なんてね。なくても構わないのよ。それは、わたしがここに作ってあげたから」
作った。あの、自分そっくりに出来あがった木偶人形。あれが、やはりこの現象の原因か。
「作、った?」
はっと気がついて、けせらんは自分の足を見た。足が、そこにあった。見える。あり得ない。これは、あの人形が自分を模しているのではない。自分がまるで、あの人形を模しているかのようだ。
聞いたことのある魔術の名前が思い浮かんだ。魂移し。自分の核となるものを、何か別のものに移植する魔術。それによって、死を避ける、と。いや、そんな莫迦な。自分の核となる魂自体を器として動いている自分にそんなことをすれば、それはそのまま封印になってしまうはずだ。
ソーニャは自慢のおもちゃを見せるように、再び木偶人形を自分に見せつけた。その口と鼻から、赤い筋が垂れているところまで、完璧に同じになっている。
「これがあなた。あなたはお人形」
少女に、あれを握らせていてはまずい。とっさに、そこに気付いた。不可思議な術の正体はつかめないが、自分がもし、あの人形を模させられているのだとしたら。それならつまり、躯があるということ。彼女に触れられるということだ。
「それを、放して」
「いやよ。これから人形遊びをして、それから首をもぐんだって言ったでしょ?」
言い終わる前に、けせらんは飛び出した。自分の足で走れる。こんな状況でなければ、踊りだしたいほど喜ばしい出来事だが、そうも言っていられない。とりあえず、あの人形だけでも少女から奪い取らなくては。
飛びこむように少女の躯を抑えつけようと手を伸ばすと、わけのわからないことが起こった。すり抜けた。不可思議なことに、自分がすりぬけたのではなく、相手にすり抜けられたのだと、わかった。何か、僅かな感触の違いが、それをわからせた。その証拠のように、少女の足がけせらんの足をとらえてつまづかせた。けせらんはそのまま少女の後ろに向けて転んだ。
「莫迦ね。わたしはマールヴォロみたいに、わざわざ自分に触れる権限を相手に与えて遊ぶような真似はしないって、言ったでしょ」
「触れる、権限?」
足をひっかけられた。それなのに、自分は相手に触れられない。起き上がりながら、事態の重さが段々と沁み入ってくる。
彼女たちに、自分たちは触れられないが、彼女たちは自分たちに触れられる。そういうことだというのか。
それは。それでは。レヴィンは……
「さーて、お人形の名前は何にしようかしら?」
ソーニャが言った。自分そっくりの人形を眺めながら。いや、今や自分そのものを奪い取られたのだと、けせらんは気付いた。あの人形に自分がトレースされているのではない。自分の存在にあの人形が上塗りされているのだ。
「ソーニャちゃん、やめて。そんな酷いことをしないで」
戦う術は持っていない。せめて、と、思い、癒しの力を自分の身に発動できないかと、風を呼んでみる。予想通りと言うべきか、あの人形以上の能力は、自分に与えられていなかった。力の欠片さえ、出てこない。
「ねえ、名前何が良いと思う? このお人形の名前。あんたの、名前だよ」
「わたしの、名前はけせらん……思いだせるのは、この名前だけなの」
「うーん、綺麗な黒髪に、垂れた目に、華奢な躯……名前は、えーっと、どれにしようかしら?」
「けせらん。けせらんだよ! 私の名前は、それ以外にないの!」
「シンディにしよう。そうしよう。ねえ、良い名前でしょう?」
少女はこちらの言葉には全く反応せず、時折こちらを眺めては反応を楽しむように口元を歪めるだけで、一方的に宣言した。まるで、名前さえ奪うように。
にやにやと微笑む少女の手が、再び人形に掛かる。けせらんの僅かな鼓動を感じさせている胸が、潰れるような恐怖で一杯になった。思わず、もう一度人形を奪おうと手を伸ばす。その手は、虚しく少女の躯をすり抜けた。
「さあて、シンディ。わたしと遊ぼう」
「やめて。やめて! お願い、やめて!」
「ほら、シンディ、痛いでしょう? 痛いって、素晴らしいでしょう?」
右の人差し指が、ぐいっと逆に曲がった。それは、何の躊躇もなく、瓶のふたが外れるような音を立てた。ハンマーで叩かれたような衝撃の後に、灼熱が遅れてやってきた。その力は、すぐさま中指と親指に移り、抵抗する間も与えずに同じことが起こった。ぴきゃん。かきゃん。激痛が、目の前に赤い膜を張るように、意識が遠くなった。
「うるさい!」
また、張り倒されたように口がふさがった。どの歯が折れたのか、口の中にまた血が吹き出る。自分が悲鳴を上げていたのだと気付くのに、時間がかかった。少女が、それに逆上したのだとも。
「みぃんな同じね。みぃんな同じ。綺麗なお人形。綺麗で、美しくて、雅やかで、誰からも愛される、可愛いお人形。でも、あたしは大嫌い。あんたたちなんか、みぃんな、大嫌い」
意識を引き戻されたけせらんは、起き上がろうとして、右手の激痛に悲鳴を上げた。三本の指が、あらぬ方向に曲がっている。動きもしなければ、力も入らない。小竹女たちが説明してくれた、首をもぎ取られた死体の情景が、ありありと頭に浮かんだ。この力で、この少女が何をして来たのか。今となっては、知らない方が良かったかもしれないと思うほど。
「全部、壊してやるわ、シンディ。あんたの手足も、躯も、取り澄ましたいい子ちゃんのお顔もね。あんたが死んでいようがいまいが、許さない。名前も、心も、壊してやるわ。あんたの、愛もね」
少女の声音は、既に狂気を孕んでいる。憎まれる理由は何もないはずなのに、そこには永劫に続く崖を除きこむように深い憎悪が横たわっていた。
「どうして……そんなに、」
「さあ、前戯はお終い。始めましょうか。楽しいお遊びをね」
瞬間、煌びやかな金色の光が、後光のように少女の躯から挿した。眩しい、というほどではない。きらきらと、その輪郭が輝く程度の輝き。だが、見覚えがある。この金色。そして、この空間。少女から感じる気配。三年ごとに訪れる、身を包む感覚。これは。まさか。
「わたしは、お人形が嫌い。大嫌い。いいなりになる可愛い娘。ご都合主義のお姫様。出来のいい造形のヒロイン。わたしは、お前みたいなのが大嫌いだ。死ねよ、アイドル。死んで、壊れろ、お人形」
押し潰されそうな恐怖の中で、それでもけせらんははっきりと少女が何なのか認識した。触れられない穴。開かれた門。金の光。
これは、黄金の門だと。
レヴィンの目に、黄金に輝く男の姿が映っている。
黄金の門。幾度となく、目にして来た輝き。見間違えるはずがない。黄金の門が開くときの、あの光。それを、男は身にまとっている。だから、触れることが出来ない。奴は、門を開いているのだ自分自身を覆うように。いや、奴自身が門であるかのように。
トトの言葉、そしてあのサシュアンという女の言葉を思い出す。
黄金の門の開く気配。その気脈の、おかしな動き。
ああ、これで全て合点がいく。こいつらが、黄金の門を操る力を持っているのだとすれば。
「なんで、黄金の門を、お前たちが開くことが出来る」
レヴィンの言葉は、一種の諦観を含んでいる。自分の口から、諦めの色が滲み出ているのが、これほど情けないと思った時は無かった。勝負に負けたことは幾度もあった。敗北に心折れるほど、自分は弱くない。それは知っている。だが、これは違う。試合でも、勝負でもない。いや、殺し合いですらない。
マールヴォロの目には、血塗れで膝をつく自分の姿が映っているはずだ。四肢という四肢、腰にも、胸にも、背にも、紅い筋を無数に刻まれ、着込んだ服ごと赤黒く染まった自分の姿が。
最初から、こいつは遊んでいるだけだった。言葉の通りに。彼らはただ、自分たちをなぶるためだけにここに引きずり込み、己には逃げる術さえない。
「良い声音だ。諦めと絶望と、そしてまだ僅かな希望が混じった音だ。お喋りをしながら、僕の手品の種を探ろうとしているね。それを破れば、勝機はある。そんなことをまだ考えているね」
読みすかすようにマールヴォロは言い、鮮やかな手付きでレヴィンの喉仏から、下唇に掛けて剣を振るった。薄く、撫でるように。濁った声が出た。輪郭の線に合わせて動き、喉の軟骨さえ傷つけない。皮膚だけを、ぱっくりと裂いて見せる、精密な技だった。だが、それを掃おうとしても、クリカラの光刃は今やこいつの刃にさえ触れられない。
「君に、勝ち目なんていうものはない。そもそも僕は勝負なんてしていない。殺し合いもしていない。最初に、少し遊んだがね。君はただ弄ばれるだけだ。なぜだと思う?」
触れられないなら、避けようと思った。間に合わなかった。頸筋に、赤い線が走った。薄く、限りなく薄く。脈を一切、切らないまま。こちらの動きさえ、完全に見切られている。次に、どう動くかまで、わかっている。こいつは剣の使い手として考えれば、かなりの業師だ。だが、こいつの手品は、質が違う。そう言う域の話ではない。
「なぜなら君は、黄金の門を潜る資格のある者だから。だから、君は僕に勝てない。いいや。勝負にならない。君だけじゃない。どんな人間も、それ以外のものも。君の先生……トトだったかな? 彼であろうとも。朧月亭の女たちも。すでに一度死んだはずの、君の恋人も。僕たちは君たちの首をもぎ取ることが出来る。一人残らずね。僕たち、黄金の門の力を持つ者には、黄金の門をくぐる資格のある者は決して勝てない。君は今、開いた門の、何もない空間に向けて剣を振りまわしているんだよ」
では、反対から言えば。黄金の門を潜る資格のない者であれば、彼らを倒せるということか。ただの、名もない、民草であれば。
「考えているね? 多分、それで正解だよ。誰であっても僕たちのことを、殺すことが出来る。竹槍で突き殺せる。包丁で十分だ。いや、ただの棒きれでもいい。僕という個人は、ただの人間だ。ただし、黄金の門をくぐる資格を持つ者だけは、僕たちに手出しは出来ない。君たちが持つ如何なる力も、能力も、僕たちに通じることは無い。なぜなら僕は、人間であると同時に、黄金の門でもあるから。それがルールだ」
「莫迦な。人間が、あの門を操りきれないのはわかってる! ありえないだろ、そんなの!」
もう一度、レヴィンは光刃を振るった。もう、マールヴォロは避けようとも、防ごうともしない。ただ、彼はそこにいないかのように、刃がすりぬける。何度やっても、同じことだった。彼は構わず続けた。
「あり得るとも。考えたことはなかったのか? 門に選ばれた者がいるなら、選ばれなかった者がいるように。選ばれた者に対して、選ばれた者がいる、とは? 無駄なんだよ、レヴィン君。資格ある者では、僕を傷つけることはおろか、足止めすることも、時間を稼ぐことも、逃げることも出来ない。時空や概念を歪める力を持っていようが、異世界を渡る力を持っていようが、不死者であろうが、ブリアティルトの中にいる限りは、僕の力が上位に立つ。なぜならこの世界は、黄金の門の影響下に存在しているから。その力によって存在している者が、どうやって門を壊すというんだい? 君は今、僕という開いた門の中に独りで立っている。何もないものを壊すことは出来ないんだよ」
肉を落としたような、湿った音が響いた。自分に躯がある。それが、今は恨めしい。自分が、そんなことを感じるのは何とも皮肉なことだった。横たわったまま、けせらんは自分の左腕が、あらぬ方向に曲がっているのを眺めていた。
息が切れて、唇が震える。それでも、意識が手放せない。
「気を失うことはできないよ、シンディ。それはここが、黄金の門の中だから。意識と躯と、全てを司る狭間の中だから。だから、起こされている限りは、眠ることはできない。そういうこと」
「選ばれた者に対して……選ばれた力を持つ、者……」
けせらんは赤い霞が目の前を覆いながらも、手放せない意識の中で、言われた言葉を反芻した。
「もし、そうなら……レヴィン君は」
「もちろん、マールヴォロと戦おうとしても、勝ち目なんてない。わたしとお前も、そうだったろう? 勝負になる要素なんて、なかったろう? あの小僧も、同じこと」
ソーニャは冷たい、しかし憎しみの籠もった声音で、そう言いきると、左手の指を折った。もはや、どこが折れたのかもわからない。うめき声だけが、虚しく響いた。
「わたしは人であると同時に、黄金の門。反吐が出るけど、それをさだめられた者。門をくぐる資格のある者は、わたしに何もできない。さて、そろそろ良いかな。マールヴォロのやつは遊びたがりだけど、今頃はあの小僧も血塗れで這いつくばってるころだろうし」
「レヴィン君に……お願い。酷いことしないで」
必死の懇願は、蠅を払うように踏みにじられた。
「酷いことをするのがわたしたちの仕事なんだよ。もったいぶった遊びは好きじゃないけど、しなきゃならないことだから、お前に謎ときを出してやる。よぉく聞きな、シンディ? わたしの大嫌いなお人形」
謎とき? しなければならないこと?
「そう。お前たちは、黄金の門の中にいる。結論から言うよ。わたしをくぐり、ここを抜け出る方法を見付ければ、お前たちは自由になれる。その方法とは、なんだと思う? もちろん、それだけじゃわからない。一つ一つ、ヒントを出して行ってあげなきゃならない。ああ、そうだ。ヒントを出すごとに、残った指を折っていく遊びにしよう。それなら、わたしも楽しいものね?」
「やめ、て」
足の親指が、横に曲がった。どこかに向けて外れた関節が、悲鳴を上げる。
「あっ……!」
「一つ。黄金の門とは、何だと思う?」
黄金の門。ブリアティルトと、異世界を繋ぐ門……
ばきりと音がして、左手の小指の感覚が消えた。代わりに、灼熱と痛みが、溶岩のようにこみ上げてくる。
「多分、正解だから、とっとと次ね。二つ目。黄金の門は、単なる架け橋以上の機能を持つ。選別し、呼び込む機能を。黄金の門は何を呼び込む?」
呼び込まれるもの。レヴィン。そして、私。トト。その他にも、色々沢山の人々や、人でないもの。それらに共通する何か。
ふと、頭をよぎる。黄金の門をくぐるとき、時折人が見るという、灰色の吟遊詩人が言う言葉。
"生まれましたか。英雄の雛が……"
ソーニャもまた、資格を持つ者、という言葉を使った。黄金の門が呼び込む者。それは、英雄? いや、女性も多いと考えれば、英傑と言うべきか。
ぴきっと何か割れるような感覚が、左足に響いた。今度は、小指だった。
「ぐっ、う……」
「悲鳴が濁ってきたわね。次は、もっと大きな関節にしようかな。三つ。黄金の門は選別し、選ばれた者をくぐらせる。厳密にいうと、わたしやマールヴォロは、その機能を、門から受け継いでる。ということは?」
選別する。ということは。つまり……
「なあ、レヴィン君。黄金の門を潜った者、潜る資格のある者は、全て何かの資質のある者。その門を操る僕たちが持つ力とは、具体的に何だと思う?」
けせらんが、今、同じ質問をされている。そう、この男は言った。今ならわかる。例え、けせらんが死者であり、肉体を持たなくても、こいつらならば、今、自分がされていることと同じことが出来る。自分という存在そのものを傷つけ、存在そのものを殺してしまう力がある。
それなのに、自分は今、こいつの前で這いつくばることしかできないのか。
「僕たちは、門そのものと言ったね。まあ実際には、繋がっている、という表現が正しいのだけれど。本来、黄金の門は、くぐるものを自動で見分けて呼び寄せる。人間のような意志はないからね。だが、僕らは人間だ。意志がある。選別は、自分で行うことが出来る。これはすなわち、試練なんだよ、レヴィン君。わかるかい? くぐることが求められる試練。乗り越えることが求められる課題。それが僕たちの黄金の門の力。さて、レヴィン君。僕は門として君の前に立ちはだかる。何の試練だろう? そしてソーニャは彼女の何を試すのだろう?」
「急に……饒舌に、なり始めたな……」
「ここが大事なところなんだよ、レヴィン君。君には、もっと追いつめられてもらわないとねえ」
するりと、まるで刺繍でもするような鮮やかな手つきで、マールヴォロの刃が口の中に割って入った。舌の表を切り裂きながら、前歯の間に薄く割って入り、歯ぐきと上唇を裂いて見せる。
「うっ、ぶ……」
血の味が口の中を満たし、唾液にまじった赤黒い液体が、顎を濡らした。
「門が選ぶのは、英傑だ。だが、英傑の資質というにも、色々ある。勇気? 慈悲? 誇り? 力? 愛? 様々に、選ばれる資質がある。さあ、ヒントだ。僕たちは、それぞれに選ぶ資質を門から得ている。僕が選ぶ資質とは、なんだろう? 僕が何故、君の恋人でなく、君を選んだのか。あの朧月亭に住む女たちでなく、君を選んだのか。君が選ばれる資質とはなんだろう? さあ、もう、無駄な遊びはやめろ」
持ちあげようとしたクリカラを、マールヴォロが蹴った。光刃が縮み、からからと音を立てて、ただの三鈷杵と化したクリカラが転がっていく。マールヴォロは、うっとりとした瞳で、膝をついて四つん這いになるレヴィンの顎を支えた。
「君自身の中にある英傑の資質。わからないかな、少年? 僕は勇気と誇りを持つ者を餌食にして来た。それが君の資質。もちろん、他にもあるかもしれないが、僕が君を選んだ理由は、それだ」
涙が落ちる。
ああ、躯って、こんなにも痛いと、こんなにも哀しいと、涙を流すんだな。
けせらんは茫然とそんなことを思った。今、自分の躯がどうなっているのか、どこが動くのか、よくわからない。痛みと苦しみは全身を覆っているが、感覚は何処か遠くに行ってしまったようだ。
「わたしは、慈悲を持ち愛を与え合うことの出来る者を餌食にして来た」
ソーニャは今、汚らしいものでも見るかのように、自分のことを見おろしている。
「さっき言ったように、マールヴォロがお前の恋人を選んだのは、お前の恋人がマールヴォロの試練に適当な相手だったから。わたしにとっては、お前がそうだから。こっちを見ろ、お人形さん」
ごつっと音がして、頭を蹴られた。首の向きを調整しようとするように力を込めて、無理やりに視線を合わせられる。
「わたしが選別する、英傑の資質はそれ。慈悲を持ち愛を与え合う者としての資質。お前が、既に持っているものよ。わたしたちが、本当に欲しがっているものは、お前たちの首じゃない。英傑の資質が最も高く示された瞬間の、存在の核になるもの。その依代として、首をねじ切って持って帰る。お前が死んでいようがいまいが、その時、お前はわたしのものになる」
乱れたけせらんの髪を踏み付けたまま、ソーニャは鼻で笑った。酷く、皮肉な、乾いた笑いだった。
「そして、教えてあげるわ、シンディ。わたしたちの門を破る方法。それは、とても簡単な、とても単純な、本当なら誰にだって出来ることよ。わたしなら、簡単に出来る」
「私の、ことは……レヴィン、君を、たすけ」
ソーニャの蹴りが、口をとらえた。鋭くとがったつま先が頬の内側をかすめ、けせらんの顔を弾く。尤も、口の中はもう血塗れだ。泥の味が、却って新鮮だった。
「それはねえ。お前が、門に選ばれないことだよ。自分の持ってる、その資質を、否定することだ」
初めて、ソーニャは押し殺したように声を上げて笑った。それは段々と甲高くなり、けたけたと暗闇の中にこだまする。
乾いた音が、絶望の中にあるけせらんの内に、虚しく響いた。
否定すること、だと?
顎を掴まれ、無理やりにマールヴォロと視線を合わせられたまま、レヴィンはその答えを聞いた。
「具体的にはそれが、英雄性の否定なのか。それとも、既に英傑である君が、もう一度示しなおすべき英傑としての新たな資質なのかわからないがね。だが、それを示すことが、僕たちの門を破る鍵になる。簡単な答え合わせだったろう? 命乞いをしてみろよ。助けを求めてみろよ。この、僕にだ、少年。出来るものならね」
やってみりゃあ、いいというのか? じゃあ、やってやる。
「助けて、ください……これで、いいって、のか?」
「駄目だね。英傑としての資質で、大事なことはなんだ? 心のうわべか? それとも、真に心からそう思えることか? どちらだと思う、少年? 自分の真実を試す門を前にして、嘘は通じない」
ぐっと顎を持ちあげたまま、ゆっくりとマールヴォロは立ちあがった。合わせて、自分の躯も、ぎりぎりと首を絞められながら持ちあがる。
「もっと、命乞いが心からしたくなるように手助けするべきかな? 例えば、」
するりと、マールヴォロの刃が足の間を潜った。太ももの間を上がり、股の辺りでとん、と、止まる。その目に、ぎらついた光が宿っているのを見て、彼が本気で興奮しているのだということがわかった。彼の顔はすでに、口付けが出来るほど近くにある。
「いやいや、ふふ。ここは最後の楽しみかな。さて、大方の手順は君にも伝わったことと思うが。もちろん僕は、君がそんなことをする男ではないと、信じている。君は最後の最後まで、英傑であると信じているよ。でなければ、君は君で無くなるも同じことだからね。勇気を手放すこと。誇りを捨てること。負けを舐めること。それぞれ個々に行うことは簡単に思える。多くの人は出来る。しかし、君には出来ないよ。心からは言えない。例え、この僕にレイプされることになったとしても、人質がいる状態で、君はその言葉を口にしないと、僕は信じている。わかるかな?」
人質。人質、だと? まさか。そんな。俺に、それを言えと。
「そうだよ。恋人を見捨てて、自分の命を助けてくれと、乞うことが出来れば、君はここから出られるんだよ」
躯中の関節がどこを向いているのか。自分の姿を、外から誰かが見たら、どう見えるのだろう。レヴィンが、見たとしたら。
少なくとも、魅力的には見えないだろうな。莫迦だな。そんなことを考えている場合じゃ、ないのに。
「お前がわたしに示すべき資質。わたしの門を破る資質を、示す術。あとは、お前がそれを搾りだせるかどうかだけだ。うふ、ふ。今や、ただの壊れた人形に過ぎない、お前がね」
壊れた人形。その言葉ほど、確かに今の自分を表現するのに妥当な言葉はない。
「慈悲を……与えず。愛し、合わない。独りで戦うこと。例え、勝ち目のない戦い……でも、私自身で、勝とうと、すること?」
半ば顎を砕かれ、歯も折れていては言葉にはならない。だが、そう言ったつもりだった。それで、伝わるはずだ。彼らは、この世界で自分が何を言っているかを、わかっている。
だが、けせらんの脳裏に去来するのは、あの少年のことばかりだ。今頃、同じ目にあっているというのだろうか。
もし私が勇気を以って立ち上がり、戦いの意志を示せれば、助けに行けるのだろうか?
「あぁ、もう、お前が答えを手にしかかってることはわかってるわよ? わたし、頭鈍くはないのよ。見た目ほどはね。ただね、勇気を以って立ち上がるってだけじゃ駄目。そんなんじゃ駄目よ。馬鹿馬鹿しいわ。わたし、そんなお涙ちょうだい、好きじゃないの」
ソーニャは最も簡単な答えを、捻り潰すように笑い飛ばすと、こう言った。
「本物の絶望を前にして立ち上がることは出来ない。感情を持つ者にはね。なぜなら、希望によって立つ者が、本当に絶望しているのなら、立ち上がる理由が無いからよ。お人形が、わたしの手によって動かされないと動けないのと同じように。お前はまだ、希望を持っている。それで戦おうとしている。自分一人で戦うと口では言っても、その後ろに様々なものを見ている。支えてくれるお友達、愛しい想い人、再びまみえたい相手。色々とね」
何故、彼女は答え合わせをするのか。いつでも自分の首を……そう。ねじ切って攫えるものを。何故。
彼女自身が言っていた。英雄性の最も高まった時に、持ちさることが必要だと。すなわち、自分が助かる術を示されてもなお、自分を貫いてしまったとしたら。恐らくは、その時に、自分は屠られる。一度死んだはずの身が、こんなことを思うのは滑稽だが、彼女たちにならばできる。そう、自分の存在を門の向こうへ連れ去ってしまうことが。
「だが、希望は必要ない。わたしの前に示さなければならないものは、そうじゃない。お前は独りぼっちのお人形だ。では、何が立ち上がる理由になるかしら。カマトト気取りのお嬢さん? もし、何一つ希望が無いなら、お前の足を支えるものはなんだ? お前の前にいるのは、わたし独り。これからお前の全てを奪う、少女の姿をした試練が一つ。お前はその前に捨てられたお人形。その他に何もないなら、お前を立ち上がらせる理由はなんだ?」
「……希望がなくても、立ちあがれる、力」
知っている。過去、レヴィンを追って来た追手に、一度だけ、たった一度だけ抱いた感情。まるで、絡め取って囚われてしまいそうになった時の、あの気持ち。
それは恨みつらみ、怒り憎み、嘆きと悲しみを燃料に燃え上がる、唾棄すべき感情。復讐心。
「そうよ、未だに心のお綺麗なお人形。お前が死ねば恋人のことは助けてやる。わたしがそう言っても、お前自身の恨みつらみのために、わたしを殺してやると決意出来れば、お前はここから出られるんだよ」
辿り着いたトトの前に、歪んだ空気が広がっていた。降り始めた雨を弾きながら。
「あれは、なに?」
シャムスが、初めて怯えたような声を出した。空間に稲妻のような、硝子の割れ目のような亀裂が走り、金色の光を漏らしている。見ればわかる。あれは、閉じた門。こちらから開くことの出来ぬ亀裂。
「全員、近づくな。巻き込まれるよ」
そういって、差し止めたのはサシュアンの声。ただ、トトだけはその言葉を無視して、そっと亀裂に手を伸ばした。自分なら、何か出来るか。この身を犠牲にしてでも。そう、思った。甘かったというべきか。雷球のようにねじれた空間に手を差し伸べた瞬間、指先に亀裂が走り、関節がねじ曲がった。
「これは……」
触れられない。影響の一切、及ばぬ力。
その時、トトは聞いた。門の奥から響く声を。その声は、重なり合い、混じり合うように響く、濁った音。人の心の深みに、無理やりに手を差し込んで、その心の臓腑を握った者だけが口にできる、陰湿で嗜虐的な響き。少女の声と、男の声が重なり合って、それはこう響いた。
『英傑であることを捨ててみろ。矮小で汚らしい、いじましくてみみっちい、本性を晒して見るがいい。出来るものなら』
「あの娘を僕に差し出して君の身代わりにしてでも」
「あの小僧をお前の代わりに助けてやると言われても」
『それでもなお、心から言ってみろ。醜い執着に目をぎらつかせて、心の底からたった一言、望みを口にすればいい』
「、助けてください、とね」
「、殺してやる、とな」
それが問いかけ。あの二人に対する、最も残忍で、残酷な。
それは、己の心を殺すとおなじこと。己の芯をへし折るのと同じこと。選ぶものはどちらか。自分の命か。それとも、守るべき何かか。
黄金の門を潜る資格のある者が、何故、やすやすと殺されるのか。力を持つ者が、何故。そう、思っていた。その答えが、これか。
多くの民草であれば。いや、例えば同じく門をくぐった者であったとしても、後ろに連なる三人の女であれば。どこかで心折れるだろう。トトへ伝わってくる、あの二人が、傷つけられた痛み、苦しみ。人間が耐えられる限界を、僅かに超えたもの。後ろの女たちならば、心折れ、正気を失い、どこかで相手の誘いに乗るだろう。彼女たちに、この試練は通じない。
そう、これは。あるべき者として、誇り高くあろうとするが故に、くぐり抜けられぬ試練。英傑であるが故に、くぐり得ぬ門。
それがここに開き、今、自分の愛する少年と、その少年の愛する少女をとらえている。
なんということだ。
「その望みがかなわないとわかっていてなお、君がそれを口に出来るのなら、」
「ひょっとすれば何か起こるかもしれないわね。もちろん、何も変わらないかもしれないけど」
『さあ、どうする?』
「僕の名はマールヴォロ。慈悲を乞う敗者の門」
「わたしの名はソーニャ。愛を焼く憎悪の門」
『くぐってごらん、この試練』
それは、レヴィンの思ったことか。けせらんの思ったことか。
もし、自分が心の底からそれを言えば、相手の下へ帰れるのか。だとしても。それを言えば、己が相手の下へ帰る資格は、失われる。ああ、そうか。それが、英雄性。やつらの、求めるもの。それを貫けば、自分が死ぬ。貫かなければ……己の魂は死に、自分の殻が生き残る。
言えるわけがない。言えば、己の最も大事なものを、手放すことになる。それでも、言わなければ、己の最も大事な者が……きっと、同じような選択を迫られて、死ぬだろう。助けに行けるのは、自分だけ。助けに行くことを手放さなければ生き残ることは出来ず、助けに行くことにしがみつけば死ぬ。
それでも、大事なものを助けに行くために、己の信念など全て捨てて、どんな無様にでも、生き残るべきだろうか。ああ。そうするべきなのかもしれない。
でも、きっと。自分にはわかる。愛する者は、同じような試練にさらされたのなら、誇りを貫いて死ぬだろう。自分が全てを捨てて助かっても、きっと、愛する者は助かる道を選ばないだろう。
あの道で、振り返った時。あの時、繋いでいた手が離れた時。罠は閉じた。最初から、抜けられぬ罠だったのだ。
それなら……それなら――
「いけない! 駄目だ! くっ……!」
「トトさん、おやめよ! この門は、黄金の門だ。いくらあんたがこじ開けようとしても、開かないよ! こればかりは……」
サシュアンの声だった。残念ながら、彼女の言うとおりだ。この門は、今、意志を持っている。門そのものが、まるで邪悪な人間のような意志を。
他者を絡め取り、この世界に引きずり込んでしまう門。意志のない状態でならば、働きかけに応じることもあるだろう。出口を開いてくれることもある。しかし、この世界の側に自分が存在する限り、黄金の門の意志には抵抗できない。時間は進められず、戻すことも出来ない。ブリアティルトに堕ちた以上、如何なる存在も、この力にだけは逆らえない。三年ごとの巡りを、己が呼ぶことが出来ず、止めることも出来ないように。
そしてもし。ここで、二人が連れ去られたら。門の向こう側へ。その奥へと連れ去られてしまったら。自分には、その因果を変えることが出来るだろうか。彼らに試練として与えられている課題は悪魔の誘いそのものだ。彼らが英雄性を示し、己が門をくぐれる存在であることを証明してしまった時、存在の核そのものが向こう側へと行ってしまう。仮に彼らの過去に働きかけて、彼らの運命を変えようと思っても、もう遅い。彼らは、すでに囚われ人だ。そしてこのままでは、その過去ごと、門の向こうへ持ち去られるだろう。
仮にそれを最初から再生して、彼らが在ったことに置き換えたとしても。それはもう、別の存在だ。ただの、レヴィンのコピー。あの少女のコピーに過ぎない。そしてもし、それが出来ると知られれば。この門を操る邪悪な何かは、喜んで再び同じことをするだろう。ブリアティルトにいる限り、そして試練との相性が悪ければ、この意志は万全の自分でさえ歯が立たない。なぜなら、ここは彼らの、黄金の門の支配領域だから。同じく因果に働きかける力を持つなら、相手の土俵に踏み込んだ時点で、自分の負けが決まっている。
三人の女たちは、人としての、もしくは門をくぐった者としての本能か、身を寄せ合うようにあとじさった。彼女たちに、出来ることは何もない。そして、哀しいかな、それは自分についても同じだった。
囚われた二人が、門の支配下から、せめてこの大地へだけでも出て来てさえくれれば。そうすれば、まだ何か希望はある。出来ることはある。しかし、彼らはそれを選ばないだろう。門から伝わってくる決意には、死への諦観がうっすらと現れ始めている。
「レヴィン……駄目だ」
この声さえ、届くまい。共に死のうとする健気な意志に、自分は声をかけてやることもできない。
いや……待て。私は、この門には何もできない。だが、彼らになら? 因果を調整し、記憶を操作する力も、あるにはある。それは、この門を操る意志には全く通用はしない。だが……もし、彼らに。彼らに届くのなら……――
絶望の中にあっても、最後まで誇りを失わなかったレヴィンの眸に、さっと陰が差した。いや、魔が差したというべきだろうか。それは、けせらんも同じこと。最後の最後に、愛する人がせめて自分と違う決断を下すようにと祈っていた眸に、暗い何かがよぎった。
マールヴォロとソーニャは、それに気付かなかった。門の隙間から囚われ人の心に滑り込んだ、何かに気を取られた。
「なんだ?」
「誰?」
それは一瞬の隙。
門は、自分の意志で完全に閉じてしまうことが出来る。それを完全に閉じておかなかったのは、むしろそれに気付いた彼らの仲間をひとところに集めさせて、この仕事が終わった後に、全員を始末しておく予定だったから。自分たちと相性が合わずとも、その英雄性を引き出すことが出来ずとも、自分たちの犯行に気付いた者たちだ。生かしておくよりは、問答無用で始末しておいた方が良い。ほとんど足しにはならないにしても。そう思っていたから。
いま一つは、マールヴォロとソーニャが誰に気付かれることもなく連絡を取り合うためには、間に共通した空間が必要だったから。門の中同士に、完全に別れてしまえば、お互いの意志の疎通が出来なくなる。相手の首を掻き斬るタイミングは、可能なことならば一致させたい。その後に、目撃者どもを一掃するには、その方が都合が良い。
その隙間から、何か滑り込んでくるとは思いもよらなかった。だが、無駄なことだ。自分たちに何かしようとしたところで、彼らの力では全くの無意味。だからこそ、僅かな隙間を開いてあったのだ。彼らの力は、この中にいる限り何一つ通用しない。自分たちには。
自分たち、には。
刹那、気付いた。気付いた時には遅かった。互いに繋がりあった空間を通し、悲鳴に似た警告が響く。
「しまった! ソーニャ!」
「首を落として、マールヴォロ、早く!」
暗い陰がよぎった二人の眸が、歪んだ言葉を紡ぎ出す。瞬間、暗い空間の中に、金色のひびが入った。それは、卵の殻を剥ぐように急速に広がっていき、闇を粉々に砕くと、金色の光が溢れだした。
朧月亭の布団に、二人の人影が横になっている。
その隣の部屋に置いた椅子に、もたれかかりながら、トトはハーブティを啜った。躯が重く、そしてだるい。これほど大きく力を使ったのは、それもこのブリアティルトの中にある躯を通して使ったのは、久しぶりのことだった。
二人の看病をしている小竹女が、そっとふすまを閉じた。この部屋には、トトから話を聞いている三人の女以外は、誰もいない。
「二人とも、何も、ないようだけれど。傷も、熱も……でも、酷く疲れてる様子よ。目を覚ます気配はないわ」
「そうでしょうね」
喋るだけでも、いつになく辛い。力が擦り切れて、躯中の関節がきしむ。
「その……本当であれば、二人は傷だらけのはずなのよね?」
「ええ。あの傷は、存在の本質につけられた傷。だから、躯の存在しない彼女も、攻撃の対象にされた。ですがあれはあくまで試練。だから、試練が破られれば、それは躯に対してはなかったことになる。逆に、試練を破れなければ……いや、それは反対のことなのかもしれませんが。とにかく、あの門に取り込まれていれば、中で起こったことは本当のことになる。どちらにせよ、あの子たちが本質を深く傷つけられたことは、事実です。そして……最後に私が行ったことで、更にあの子たちの本質に重い負荷をかけてしまったことも」
座ったまま俯いていたサシュアンが、ぽつりと言った。
「あなたが最後に、あの二人の心に滑り込ませたものは……あの二人の心を、それとなく歪ませたものは、あたしが喰うことが出来る。あの二人の本質に残された、歪んだ力の残滓もね。残りものさんの方は、ちょっと、手間取るけど。本体を喰っちゃいけないからね。あたしは、その人を蝕むものを取り除くことができる、そういう神子だから。でも、トトさん、あなたの疲労は、あなた自身で癒すしかないよ。すまないけど、手は貸せない。あたしには、癒しの力があるわけじゃないんだ」
「感謝します。それだけでも、十分に。正直、苦肉の策でした。二人の心に働きかけて、その人格を歪ませるのは。あの段階では、あの子たちの存在を守るにはあれしかなかった。しかし、どうなるか、わかりませんでした。私には、一度手を加えたものを、取り除く力があるわけではありませんから。力の上塗りをすれば、あの子たちの心を根本から歪めることになってしまうかもしれませんし、といって、記憶を完全に消すわけにもいかない。あの門への対処法は、覚えておかなければなりません。あなたがいてくれて、本当によかった」
「こちらとしては、あなたたちがいなければ、もっと大変なことになっていたかもしれないんだから、お安い話サ。ねぇ、シャムス?」
「わたくしには、正直、見当もつきませんわ。黄金の門を操る何者かがいる、なんて話は。ただ、」
シャムスという女は立ったまま、外に降り続く雨を見ている。
「あの門が破れた時、あの二人が倒れていて、何か……おぞましい気配が門の向こうに消えた。わたくしたちに、どうにか出来る相手ではなかった。尤も、それはあちらのお二人にとっても同じことだったようですけれど。それでも、結果として、あのお二人は生き延びて、わたくしたちが救われた。それは、事実のようですわね」
あとは無言のまま、雨音だけが響いている。酷く眠い。自分も、休まなければならない。しかし、その前に、伝えなければならないことがある。今回の仕事は、最初に頼まれた時に予測したものとは大違いの、凄まじい仕事になった。
「全てが終わったわけでは、ありません。あの意志は、死んだわけではない。まだ生きている」
「それよ。恐いのは。黄金の門を自在に操れるのだとすれば、いつやってくるかもわからないんでしょう?」
「大丈夫ですよ、小竹女さん。やつらは、すぐには来ないでしょう。一度、結界を破られたわけですし、その対処法もこちらに渡った。むしろ、私たちのことは避けるはずです。しかし、長く生かしておきたいとは、思わないでしょうね。いずれ、何らかの形で、もう一度まみえることになるでしょう。きっと、今度は別の手口で。しかし、しばらくの間は、やつらは大人しくしているはずです。手傷を負わせた、と、考えて良い。やつらのプランは、台無しになったわけですからね」
「そう、なの? まあ、確かに、あいつらは完全に無防備になっているレヴィン君もけせらんちゃんも放り出して、何が起こっているんだかわからないあたしたちも、疲労困憊のトトさんも無視して逃げたわけだけど……」
「大丈夫ですよ。あとは出来るだけ多くの人に、この事実を知ってもらって、対策をそれぞれに立てておくことです。彼らの持ち掛ける試練は、一見すると負けてはならないものに見える。しかし、自分から負けることによって、破ることが出来る、と。予め示し合わせ、冷静な判断力を失わなければ、対処できないわけではありません。例えば、小竹女さん、失礼なことかもしれませんが、あなたが襲われなかったのは、それが理由です。負けてしまえる人は、やつらは餌食に出来ない」
「なるほど、ね……たしかにあたしは、そんな拷問に耐えようなんて思えない。相手に命乞いすると思う。その上で、示し合わせておけば、人質を取られても負けることも出来るものね。わかったわ。そういうなら、とりあえずは、安心ということね。あの……トトさん、大丈夫? 顔色、真っ青よ?」
息が、切れ始めた。休息が必要だ。この躯には。それでも、最後に。
「二人には、最後に何があったのかは、伝えないでください。私が、何をしたのかも。自分たちが、何を言い、何を思ったのかも……あの二人は、そんなことは、知らない方が良い。少なくとも……まだ」
サシュアンが、立ちあがった。
「シャムス。布団を用意して。三人目の病室がいるわ」
シャムスが頷いて出ていく。小竹女に支えられて、かろうじてトトは立ちあがった。
「ええ。ええ。大丈夫。二人には目が覚めた時、トトさんとあたしたちが間に合って、どうにか門を開くことが出来たとでも伝えておくわ。それでいいんでしょう?」
「感謝します。本当に」
「感謝するのはこっち……トトさん? トトさん? ああ、ちょっと。サシュ、手を貸して。運びましょう」
女二人に支えられながら、トトは目の前が暗くなっていくのをぼんやりと感じていた。頭の奥の方ではまだ、警鐘がなっている。
あれは、死んでいない。あれは生きている。きっと、次にまたやってくる。ここではなく……恐らくは、もう一度……
取り損なった首を、取りに――
暗い、暗い、淵がある。門の向こうの、そのまた向こう。引きずり込まれた奥の奥。自分たちしか入れぬ居場所。そして、自分たちが囚われて離れられぬ場所。
「わたしの門が破られた。マールヴォロの門も」
「二人は手を取り合って脱出し、僕らはこうして引きずり出された」
「最後のあのインチキさえなければ、首をもげていたはずよ」
「ああ。彼女たちは、きちんと英傑であることを通しただろう。誇りと生き様を捨てる勇気を、持てる英傑は少ない。特に、若者には」
「あの邪魔さえ、はいらなければ。あいつらは、無駄な意地を張りとおして、無様にくたばったはずなのに!」
「どうだろうね。意地を張って死ぬか、意地を捨てても生き延びるか。どちらかな? 人として誇り高いのは」
「そんな議論には興味が無いわ。あのトトとかいう奴に、あんな力があるとわかっていれば、そうでなければ、あなたが最初に遊んでいたりしなければ、こんなことにはならなかった!」
「そうかな? 起こるべくして起こった失敗に思えるよ、僕は。君にしても、ずいぶん、虐めたようじゃないか。あの女の子のこと」
「あなたに言われたくないわ。人間同士の喧嘩の真似ごとなんかして! おかげで、どれだけの力が失われたか、わかってるの!」
「そう、力は失われた。僕たちの負った傷は大きい。僕たちは死なないが、試練を破られれば、無事ではいられない。そこが重要だ」
「……ええ、重大よ。おかげでしばらく、大人しくせざるを得ない。わたしたちの手口も、見破られた」
「さあ、それなら退こう。あの子たちが目覚める前に離れよう。今回は、彼女たちの首は取れなかった。インチキもイカサマも、負けは負けだ」
「ええ……これじゃ、まったく足りないわ。首が足りない。見てなさい。もう一度、必ず思い知らせてやる。あいつらは、なぶり抜いて、始末する」
「そうだよ。門をくぐる、その瞬間の英傑の首がいる。葛藤と、絶望と、希望と、全ての力を持った首が。寝ている子の首じゃ駄目だ。もう一度、プランを練り直す必要がある」
「もったいないわ。本当にもったいない。遊び過ぎた。あのときに、もいでおければ……」
「いいじゃないか。互いに、楽しんだろう? 久しぶりに、僕たちの門から外に出られた子たちが出た。僕たちのボスはその方が成果だと見るよ」
「……ええ。まあね。曲がりなりにも、試練を潜り抜けたんですもの。あの英雄性。餌食にせずにはおかない。今度は、首をもぎ取るわ。今度はね。今度は」
「ああ。今度は、首を持って帰ろう。今度はね。今度は」
「またね、けせらん。また逢いましょう」
「まただね、レヴィン君。また逢いに来るよ」
『首を、もらいにね』
陰の気配はそっと淵を乗り越え、更に深い、闇の底へと堕ちて行った。
<終わり>
おまけの悪役キャラ紹介
マールヴォロ:
異世界から黄金の門に取り込まれた、ただの人間。見た目は二十代後半の優男。時代的には、近世に入ったころの、どこかの世界の生まれ。
元は一匹狼の暗殺者。暗器の使い手としては一流。戦闘能力も低くはない。が、その力は正面から戦士と向き合うことが出来るほどではなく、本人も正々堂々とした戦いで勝てる実力のないことはわかっている。そもそもその武装も、戦闘向きのものではない。暗殺者に身をやつしたのは、彼自身がシリアルキラーとしての自分を自覚していたからで、他者の命をもてあそぶことを好む性質にあった職を選んだだけ。その残虐性ゆえに、元々彼は「恨みを晴らすために殺人を依頼する」という目的を持ったクライアント専門の暗殺者だった。
幼いころは名士であった金持ちの家の生まれであり、礼儀作法や丁寧な物腰などはその時に身につけた。この当時は真っ当な道徳教育も受けている。やがて、悪事を重ねて金を稼いでいた父親が失脚。父親は処刑され、マールヴォロは十代にして路頭に迷う。その際、身につけていた武芸の業などもあって、浮浪少年たちの組織の中で制裁屋として台頭。相手を痛めつける楽しみを知っていたマールヴォロは、そこに生きる道を見出し、復讐や殺害も含めて手掛けるようになっていく。
当初は自分の受けた道徳教育と、父の行ってきていた所業、そして他者を痛めつける悦び、という狭間で揺れ動いていた。やがて「悪の血とは贖えない」と、父から引き継いだ悪の血が流れていることを自覚した彼は、悪党として生きることに後ろめたさを感じず、むしろ真っ直ぐにその道を行こうと決心する。
幼少時から、清々しく美しいものを好んでいる。ある種、彼は生き方において「清々しいほど悪」であることを選んだ。逆に、濁った中途半端さを嫌っており、うわべを取り繕って善人に見せかける者などが嫌い(彼は名士然としていた父親が大嫌い)。胸を張って道を歩む者を善悪問わず好み、悪党である以上は、受けるべき報いに囚われることになっても、仕方がないと割り切ろうとしている。
尤も、相棒のソーニャとの出会いによって、色々と揺れている面もある。それでも、ソーニャもまた、彼にとっては「憎悪の道を歩む者」として、真っ直ぐに生きる存在である。相棒の少女に対しては保護者として、兄として、そして恋人として振る舞い、教育を施している模様。
黄金の門と繋がり合い『慈悲を乞う敗者の門』という試練を司る。誇り高く生きる者に対して有効に作用し、その誇りを全て捨て去って自ら敗者となる心を示さなければ、彼の門から出ることは出来ない。負ける勇気に欠けた、という理由で門をくぐれなかった、とも、屈しない英雄性を示したことによって門をくぐる資格を得たからこそ、彼の門に引きずり込まれてしまう、とも取れる。『負けることに成功』した場合、彼の試練を破って外に出ることが可能。
生粋のサディストで、簡単に命乞いされることをつまらないことと思っており、折れぬ心を持っているものをなぶっていくことを楽しむ。ならびに、はねっかえりの少年が趣味のバイセクシュアル。いたぶり方には、性的な意味合いが多分に含まれている。その人格から、上記の門の試練を司るようになったものと思われる。
諸々の暗器に加え、主武装は剃刀のように薄い刃をした仕込杖。使い捨てのしなるほどに薄い刃をかまいたちのように操り、相手の皮膚を狙って無数の裂傷を与えていく攻撃方法をとる。内臓を傷つけず、大動脈や静脈をわざと外し、細かい裂傷で敵を失血死に追い込むことを好む。彼はこれを「綺麗なオブジェ」と表現する。
ソーニャ:
異世界から黄金の門に取り込まれた、ただの人間。見た目は十代中ごろの少女。時代的には、近世に入ったころの、どこかの世界の生まれ。
元は孤児になったところをマールヴォロが引き取り、連れ歩いていた。
幼いころから父親に性的暴行を受け、母親には無視されて育った子供。母親も父親から暴力を受けており、自分のこと以外は考えていなかった。異常性癖を持っていた父親が、他者からの復讐の対象にされ、マールヴォロへ殺害を依頼されたことで接点が生じる。ソーニャや妻を差し出してでも命を乞う父親を、とてつもなく汚らしいもの、と認識したマールヴォロは、妻とソーニャに対し「彼を助けてくれと想う気持ちがあるか?」と問いかける。ソーニャは「その男を殺して」と懇願した。妻は娘の言葉に、何も言えなかった。誰も彼もが自分の死を望んでいると思い知らせた上で、マールヴォロは絶望しきった父親を殺害したという経緯を持つ。
絶望の中を生きてきた妻とソーニャには興味のなかったマールヴォロは、彼女たちを解放して去ろうとするが、ソーニャにとっては彼こそ「地獄から救い出してくれた張本人」であり、自分を愛さなかった母親より彼を選んでついてきた。妻がすでにソーニャを置いて逃げたことを確認すると、マールヴォロはソーニャもまた彼によって殺されたように見せかけ、彼女を連れて行動を共にするようになる。
その後、弟子として、妹として、娘として、時に恋人として、マールヴォロに寄り添う存在となった。
黄金の門と繋がり『愛を焼く憎悪の門』という試練を司る。慈悲深く、人を憎んだり、傷つけたりすることを嫌う者に対して有効に作用する。それらを全て捨て去って、憎悪に身を焦がし自分に殺意を真っ直ぐに向けてくる心を示さなければならない。希望を糧に立ちあがるのではなく、あくまで自分の憎悪のために立ちあがる気持ちを示さなければならないところに、彼女の門の残虐性がある。
愛を受けず絶望と憎しみを糧に生きのび、邪悪極まりない人間に救われ、初めて示された優しさが実の父を殺害してくれることであったソーニャは、他者から愛される人間を心から嫌っているため、上記のような力が発現した様子。
門の力を得たことで他者の存在の位置をずらして、人形として自分の手の内に収める力を得ている。関節などを逆に曲げることでその痛みや苦しみを与えることが出来る。相手を人形にする、という力も、人形のようにもてあそばれて来た自分の人生への裏返しであると同時に、誰からも愛されるお人形のような人物に対する憎悪の現れ。
全身の関節という関節、骨という骨を破壊して、相手をショック死させ、首をもぎ取っていく。
元々、ひねた邪悪の申し子であるが、黄金の門に囚われた後の時間経過によって人格的な磨滅が進み、荒んだ性格は救いようのないものとなっている。