文学少年
東堂 冴様に書き出しをお借りしました。
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「夢と愛って似てるよね」と君は呟いた。
「そういうこと言ってるから叩かれるんだよ」
振り向きもせずに返すと、君の気配は苦笑を滲ませる。幸いにして彼の奇矯な呟きを聞いたのは私だけだ。クラスメートは部活に帰宅に出払っていて誰もいない。
特別彼が好きなわけではない。けれど人が嘲笑されるのを見るのも好きなわけではない。
「懲りなよ」
手元の紙に視線を落としたまま思いついた言葉を投げる。個人面談の資料。平日の平均勉強時間は、正直にゼロと書いたら怒られるだろうか。無難に埋める。2時間。ん、と曖昧な君の声が心許ない金管の音に溶ける。うちの吹奏楽部はお世辞にも上手いとは言えない。
「てか、もう懲りたでしょ」
「今日のこと?」
具体的な事柄は口にしたくなかったのに、君はわざわざ口にする。抽象的な範囲の言葉、けれどその場に居合わせた君や私にとっては十分具体的なはず。特に当事者たる君はどうしてそう易々と、事も無げに。理不尽な苛立ちに顔を上げると、隣の席に座っている貧相な少年は私を見ていない。私の手元にあるものと同じフォーマットのそれを見つめて、眉間にしわを寄せている。
「わかったの?」
「何が?」
「書いたの僕だって」
淡々とした口調はさっぱりとしたもので、その声色にまた苛立ちを誘われて、私は上半身をひねって教室の後ろを振り返る。落書きだらけの黒板の隅に磁石で磔にされた便箋。それをぐりぐりと取り囲む粗暴なチョークの輪は安っぽいピンクと黄色をしている。清潔に白かった便箋にも降りかかっている。
「……わかったよ」
「どうして?」
「文章と言い回しのくどさが部誌に載せてる話にそっくり」
ふ、と君は息を漏らした。ほとんど変わらない表情から読みとれるのは不快感ではない。
「もっと精進するよ」
もう十分。君の文章は誰よりも綺麗。部誌に載る誰よりも。そう言うには私はひねくれすぎている。
綺麗な言葉は脆い。
今朝、クラスでも華やかな人たちの集団が騒ぎながら教室に入ってきた。1人が封筒とそこから抜き出された便箋を持っていた。誰もがその便箋を覗き込み、口々にフレーズを抜き出して大声で口にし、嘲笑した。教室にいたクラスメイトたちの間から失笑が漏れた。聞き覚えのある文章が消費され貶められていくのを私は黙って聞いていた。隣の席の君も、黙って聞いていた。
君の繊細な言葉が教室の猥雑な空気に触れ急激に酸化していくのを、私は硬直して聞く他なかった。
そして差出人不明のラブレターは、ああしてさらし者にされている。見ているのが不快で、姿勢を戻してするべきことに向き直る。
勉強時間、睡眠時間、勉強内容、部活、そんなつまらないけれど面倒な項目を適当に埋めていく。私たちはまだ高校1年生だ、進路のことなんてまだまだ他人事でしかない。志望校はもちろん空欄、希望する学科を訊かれても学科自体ろくに知らない。希望する職業は、無難に公務員にしておこうか。書くのを延ばし延ばしにしていたら今日居残りにされたのだけれど、こんなアンケートはやっぱりなんだか気持ちが悪い。
あらかた書き終えたところでまた顔を上げると、君は同じ姿勢で俯いていた。
「書き終わったの?」
「……ん、まだ。ここずっと埋められなくて」
こつこつと君のシャーペンの先が紙を叩く。希望する職業の欄。
「適当に書いてしまえばいいのに」
「書いたよ。正直に。でも真剣に書けって言われて、書き直し」
だから居残りをさせられていたのか。君はいつも真面目に提出物を出すタイプのようだったから、少し不思議に思っていたのだ。
そこにはうっすらと文字が残っていた。消しゴムで消しても消えない紙のへこみ。今でも読める。
「真剣な夢だったんだ」
君の声音は変わらない。淡泊で柔らかで諦念にまみれた軽やかな声をしている。君はその声で、夢と愛は似ていると言った。
「とりあえず、ラブレターの差出人が男だってばれなくてよかったな」
思い出したように君は口にする。その顔は幸せとしか言いようのない表情で、私はまた理不尽に苛立つ。失恋というものはもっとえげつないものだと信じているような私は。君の真意も知らないというのに。
「叶わないから似ているんだよ」
言葉をなさない悪罵を飲み込んで無表情に冷えていく私に、君は穏やかに微笑して解答した。