「幸せになれ」と婚約破棄されたので、本当に幸せになりました
子供の頃から大好きだった領主様の嫡男リシャール。
「僕は幼なじみのソフィアリスが好きなんだ。お前とは親が勝手に決めた婚約だった。子供の頃に親に捨てられて可哀想だとは思うが……フィオリナ、お前のことはやっぱり愛せない……」
リシャールは本当に申し訳なさそうに言います。
私はリシャールがテーブルに置いていた書状を手に取りました。
幼なじみのソフィアリスが働きに行くはずだった王都への紹介状です。
「……わかりました。私がここに行きます」
「フィオリナ! ありがとう!」
リシャールが顔を上げて、明るく笑いました。
目尻に涙の跡が見えて本当に辛い決断だったんだと思います。
「フィオリナ、幸せになれ!」
私が王都に出発する日に、明るい声でリシャールが見送ってくれました。
大好きな彼に言われて、私の心はあったかくなりました。
あなたとソフィアリスのためになるのなら、私がここベルナール侯爵家の領地を去る意味がある。
——幸せになれ!
大好きな人からのその言葉を信じて、私は幸せになろうと思います。
◇
「本当に行っちゃったわ……」
ソフィアリスが少し不安を含んだ呆れ声で言う。
「フィオリナ……あいつはずっと僕のことが大好きだったからな。王都の両親に捨てられて、侯爵家に拾われていい暮らしが出来てたんだ、十分にいい思いはしただろう」
リシャールは関心がなさそうに言ってあくびをすると、目尻に涙が見えた。
「ランベール家って、本当なら伯爵令嬢なんでしょう? 何で捨てられたのか知らないけど、平民の私の代わりに王都で仕事なんて出来るのかしら……?」
「……まあ、それは何とかなるんじゃないか? 貴族の屋敷のメイドの仕事なんて誰だって出来るだろう? 心配なのはあいつが僕を忘れられるかだなぁ。ずっと未練持って好きなんだろうなぁ」
「それじゃ、幸せになんてなれるはずないじゃない」
ソフィアリスは呆れてリシャールを見るが、だらしなくソファに寝転んでいても隠しきれない美しさがあった。
この男を忘れるなんてきっと無理だわ。
家族に捨てられて、地方の侯爵家に拾われて、こんな素敵な男性の婚約者になれてしまった、元伯爵令嬢のフィオリナの不幸をソフィアリスは思った。
でも、王都ではメイドの仕事もあるんだから、きっと新しい男性とも出会えるわよね。
「僕のことが忘れられなくても、誰か別の男とは結婚できるだろう。腐っても伯爵令嬢だ」
リシャールが恋人のソフィアリスと同じことを思っていた、その時——。
——な、なんて美青年なの!?
彫刻みたいに美しくて金髪と碧眼が輝くようで、本物の王子様だってこんなに美しくはないと思う。
昔見た絵本の中の王子様が現実に現れたみたい——!
リシャールなんて足元にも及ばないわ!
——フィオリナは、この国一の美しい騎士に助けられていた。
◆◇◆
困っている親子がいたの。
聞くと南の親戚の家に行くためのお金を落としてしまったらしい。
王都とは逆方向だけど、私はリシャールに紹介状と一緒に餞別として貰ったからお金は十分持っていて、王都につけば働き口もあるし、王都までの旅費があれば良かった。
親子にお金を渡すと、とても感謝されて逆に戸惑ってしまう。
親にこの地に捨てられて、私は領主の侯爵様に拾われてその息子のリシャールの婚約者にまでしてもらえたんだもの、誰かに親切にする事は当然で、これくらいで恩返しにすらならない。
『幸せになれ!』って送り出してくれたリシャールのためにも幸せになりたいけど、困っている人を放っておいて幸せなんて思えないもの。
親子を助けて、いいことをしたと思っていたのだけど……。
王都への辻馬車に乗ろうと移動している時に、私からお金を取ろうとする男達に囲まれてしまった。
そういう人がいることは知っていたけど、昼間で辻馬車の乗り場もすぐだから警戒していなかった。
街の中で、まだ若そうに見える人達……。
……お金を渡してもいいけど……王都に行く分は残しておかないと……。
「金を渡さないつもりか?」
迷っていたら誤解されたようで、男達がジリジリと詰め寄ってくる。
「……あの……」
私がお金を渡すと言おうとした時に、それは起こった。
男たちが後ろに飛ばされて次々に倒れて気を失って行く。
「——大丈夫ですか!」
男たちを倒した騎士が、私に呼びかけた。
金髪と碧眼が輝く彫刻みたいに美しい騎士だけど……。
「……この人たちと話をしようとしていたところだったのに……!」
私が騎士に向かって言う。
「え……?」
騎士はお礼を言われるものと思っていただろうから驚いていた。
私も助けて貰ったのならまずはお礼を言うべきだったとハッと気づいた。
◇
「俺はユーグ・ド・ヴァレンヌと言います。王都からこの先の地方で用をすませた帰りなんです」
私を助けてくれた騎士様が自己紹介をする。
「わ、私はフィオリナです。王都の貴族のお屋敷に仕事を紹介していただいたので、働きに行くところです」
私も自己紹介をするけれど……。
「それはちょうど良かった、王都の紹介のある屋敷まで送りますよ。あなたを一人にしておくのは危なっかしいですからね」
「いえ……もう次は絶対に大丈夫ですから! ユーグ様にこれ以上のご迷惑は掛けられません!」
絵本から抜け出たような姿に見惚れてしまうし!
私が強く否定するけど、ユーグは笑顔を崩さずに言う。
「王都にはただ戻るだけですから、迷惑ではありませんよ。それよりフィオリナがまた暴漢に襲われたと後から聞かされた方が嫌ですからね」
ユーグに悪意はなく善意で言ってくれてるのは分かるけど……笑顔の圧がすごい……!
ユーグが私を助けてくれた時に——。
『私が領主様の屋敷で何不自由なく暮らしている間に、領民たちが追い剥ぎをしなければいけないほどに困っていたのなら、私のせいでもあるんです。持っているお金は渡します』
と言ってしまったのが悪かったらしい……。
ユーグに、私はとてもあぶなっかしい子に映っているみたい。
結局、男達にはお金を渡した。
ユーグが説教して事情を聞いてくれたら、貧しい家を支えるためだと言うので、男たちに私に対して二度とやらないように約束させてお金を渡して見逃した。
最後までユーグは自警団に処分を任せるべきだと言っていたけど。
「真面目に働く人たちに見えましたから、信じてみようと思います。心を入れ替えた人達を処分してしまっては、良くなるところも良くなれません。私も『幸せになれ』と送り出してもらえたので、他の方の幸せも願いたいんです」
私の言葉に、ユーグは悩んでいるようだった。
「フィオリナが善良だと言うことは分かったけど、信じた人まで善良とは限らないんだ。……さっきの男達は俺にも改心したように見えたけど、きっかけがあればまた何をするか分からない」
ユーグの言っていることはもっともだと思う。
「……私が居なくなれば、領主様が領民にも気を配ってくれると思うんです。親に捨てられた私を娘のように可愛がってくれた方だから……」
◇
フィオリナの黒髪と青く澄んだ善良な瞳は、どこか高貴なあの方を思わせた——。
フィオリナの身の上話から、彼女が善良で人に親切過ぎる理由がこの地方の領主に親切にされて育ったからだと分かった。
ただ、たまたま彼女の運が良かっただけで、そんなに親切な人ばかりじゃない。
困っている親子を助けた事が、悪いことだとは思わないが、無防備過ぎた。
「じゃあこのお金を使ってください!」
親子の話を聞いて、迷わずお金を差し出す笑顔の純粋さに、俺も思わず見惚れてしまったくらいで、金に困った男達の目を引くには効果的だったのだろう。
近くの住人に辻馬車の場所を聞いてお礼を言ったり、どこに行くかも周りに筒抜けだった。
たまたま、王妃様の依頼での辺境での魔物の討伐帰りの俺と出会えたからいいようなものの……王都の貴族の家でもやっていけるのだろうか?
かなり心配だ……。
だから、俺はフィオリナと一緒に王都まで行くことにした。
急いで王都に戻る必要はないからフィオリナを俺の馬に乗せてゆっくり移動する。
王都に戻れば、すぐまた王妃様から地方の困りごとの解決の依頼が来るだろうけど、帰るまでは自由だった。
と言っても、辻馬車よりは俺の馬の方が早い。
辻馬車では二日目に着く街で宿を取ることにした。
「私は一番安い部屋で大丈夫です、ユーグ様はいいお部屋に泊まって下さい。明日の朝にまたお会いしましょう」
大きな宿でいい部屋は高いが、安い部屋は本当に安い。
安い部屋には、困ってる人の一人や二人はいるだろう。
嫌な予感がして俺はフィオリナを引き止めた。
寝室が二つある一番高い部屋に泊まることにした。
宿の最上階までは女性の給仕が案内してフィオリナの寝室まで案内した。
男性の給仕が後からついて来て荷物を俺とフィオリナの部屋に置く。
真ん中のリビングを挟んで寝室は左右に分かれていた。
「夕食を後でお持ちします」
女性の給仕が言って、給仕が二人とも外に出て行った。
俺が寝室にこもってしまうとフィオリナが一人で外に出て困っている人を助けてしまう気がしてリビングにいると、フィオリナがすぐに寝室から出て来た。
「こんな高い部屋、私、お金を持ってません!」
男たちに渡してしまったから、フィオリナが王都までの辻馬車と宿代になるくらいの最低限のお金しか持ってないのは知っている。
「俺も泊まる必要があるんだ。宿代は変わらないから気にしなくていい」
「……嘘です。ユーグ様だけならいい部屋でも寝室が一つのところで良かったのに……」
まあ、そう思うだろうけど。
「それが無理なんだ。もうすでにそこは埋まっていたから、俺一人でも寝室が二つのこの部屋に泊まるしかなかった」
実際に俺一人なら、宿に泊まらずに街へも寄らずに行けるところまで進んで野宿していただろうけど。
急ぐ必要もないのに急いでいたはずだ。
「そうなんですか……。でも、辻馬車代も宿代も浮いてしまって……この分を誰かに還元しないと……私、幸せになれない……」
フィオリナは部屋の外へ出て行こうとする。
「待って! 困っている人を探しに行くより、困っている人に会った時に助けられる方がいい。困っている人なんて探せばいくらでも出会えるけど、一時的に助ければずっと幸せでいられるわけじゃないだろう?」
フィオリナは少し間を置いてうなずいた。
「……でも、私はずっと助けてもらえました。ずっと部屋の中で、もう捨てられないように……」
「……じゃあ、王都でちゃんと生活できるようにして、ずっと誰かを助けられるようにならないとな」
少し間があった。
「……はい、そうですね……」
フィオリナにとって親に捨てられたことが大変なトラウマになっているんだろう。
当然だと思うが、平民の間なら孤児は珍しいことじゃない。
拾われた相手が侯爵で大事にされていたから、自分も誰かを助けたいという思いが強いのかもしれない。
とりあえず、フィオリナの人助けを阻止できた。
——はずだった。
——さっきの女性の給仕が、夕食を運んでくる。
「どうかしたんですか?」
フィオリナが給仕に聞いていた。
「……な、なんでもありません……!」
フィオリナに言われて注意を向けると、給仕の女性は真っ青な顔をして、なんでもないって様子じゃない。
困ってる人に会ったら助けられるようにとは言ったが……こんなに簡単に会うものなのか?
フィオリナは心配そうに給仕に話しかけ続けている。
「……実は……お客様の持ち物を壊してしまって……」
給仕の女性がフィオリナに話し出した。
「お客様の侍女によると、代わりのないもので新しい物も用意できずに困ってしまって。弁償出来る物だとしても、私にはとても出来そうにありませんし……」
侍女がいると言うことは、寝室が一つのいい部屋に泊まっている客だろう。
どこかの貴族や裕福な商人で、持ち物は高価な物が多いだろうが、代わりがきかないものとは……。
「これから会いに行かれる婚約者から贈られたドレスで、凝った装飾の刺繍がされていたのですが、私がドレスに引っかかってスカートの刺繍をほつれさせてしまったんです……」
それは代わりがないな……。
「刺繍なら、私が直せるかもしれません。部屋にこもってずっと刺繍をしていましたから」
そう言ってフィオリナは自分のハンカチを見せた。
「これは……すごい……」
俺も貴族の家に生まれて貴族女性がする凝った装飾の刺繍は見てきたけど、フィオリナの刺繍は圧倒的だった。
「……これなら……」
給仕の女性が、事情を話して主人には内緒で侍女からドレスを借りてきた。
俺が見る限り、思った以上に刺繍がほつれて布も破けていた。
「これなら直せると思います。朝には出来ていると思うから、朝一番に来て下さい。こっそり戻しておきましょう」
フィオリナがにこりと笑う。
給仕の女性は涙を浮かべてフィオリナに礼を言うと、仕事に戻って行った。
「ユーグ様は私のことは気にせずお休みになって下さい」
フィオリナも自分の寝室にこもってしまったが……朝一番に取りに来てとは、直すのにそこまで時間がかかると言うことだろう。
俺も気になってリビングのソファにいたが、いつの間にか眠ってしまったようだった。
トントンとドアを叩く音に起きると、フィオリナがドアの前で給仕の女性にドレスを渡していた。
給仕の女性はフィオリナに何度も礼を言って、ドレスを戻しに行った。
「すみません、ユーグ様。起こしてしまいましたね。私も寝ますから、ユーグ様もお部屋でお休みになって下さい」
そう言ったフィオリナがとても美しく見えた——。
俺は、寝室に戻るフィオリナを振り返って引き止めたい衝動を抑えて、自分の寝室で眠りについた。
◇
ドンドンッとドアが叩かれた。
もう朝も遅く、宿を出る時間になっていた。
ドアを開けると見るからに高貴な身分の金髪で金の瞳の女性がいた。
フィオリナが刺繍を直したドレスを持っている。
「あら、ユーグ・ド・ヴァレンヌ様!」
彼女は俺の事を知っているらしい。
俺も彼女を王都で見かけた事があるような気がした。
「私は、ローザリンデ・ランベールです。ランベール伯爵の長女ですわ」
「あの、ランベール伯爵家の……。あなたがドレスの持ち主だったんですか」
「まさか、ドレスを直してくれたのはユーグ様じゃありませんよね?」
ローザリンデがからかうような笑みを浮かべた。
「……ドレスに何かありましたか?」
フィオリナの刺繍に不手際があったのか?
完成した物を俺は見ていないが……。
「……こんなもの、ドレスを贈ってくれた婚約者に見せられませんわ」
まさか……。
「す、すみません! 私が直せると思ってやってしまったんです……!」
いつの間にかフィオリナが起きて俺たちのそばにいた。
青くなってローザリンデに謝っている。
俺は、怒りが込み上げて来た。
フィオリナの刺繍に不手際などあるはずがない。
ローザリンデは目を細めてフィオリナを見ていた。
「直すね……。周りの刺繍に合わせてはいるけど、見る人が見ればあなたの刺繍したところだけ出来がいいのが分かってしまうわ」
「それは……いけないことなのか?」
俺は拍子抜けした。
良くなってるならいいと思うが……。
「婚約者のお母様が刺繍してくださったものだから……上手すぎると誰の仕業かと聞かれるでしょう? 私がこんなに刺繍が上手いと思われたら困るわ……」
「……それは」
切実な悩みかもしれない……。
「給仕の不注意だったけど、ドレスがほつれたり破れるのは仕方ないのよ。無理を言って直して貰ってごめんなさい。こんなに素晴らしいものをありがとう」
ローザリンデはドレスの刺繍がほつれた事を知らなかったらしい。
「お義母様に聞かれたらあなたのことを話さないといけないわ。王都で一番注目されている騎士のユーグ・ド・ヴァレンヌ様とご一緒だったことも……」
ローザリンデが含みのある言い方で俺を見る。
俺はフィオリナと一緒だったことを知られてもいいと思った。
むしろ、王都中に知られれば……。
見るとフィオリナはホッとして、刺繍を褒められた事に照れているようだった。
「私はローザリンデ・ランベール、伯爵令嬢よ。あなたは……」
ローザリンデがフィオリナの手を取って名前を名乗る。
フィオリナの顔色が変わった。
無言でローザリンデを見つめている。
「フィオリナ?」
俺が呼びかけても反応がない。
「フィオリナ……というの……」
ローザリンデも表情を変えたが……。
「お嬢様、出発の準備が整いました」
侍女に呼ばれて、フィオリナの手を離す。
「……ユーグ様のところに行けばまたフィオリナに会えますね?」
ローザリンデが去り際に言うが、フィオリナは王都に働きに来ていて、そこの屋敷にいるだろう。
フィオリナの居場所はずっと把握しておくつもりだったが……いや、それでは足りない気が、俺自身していた。
◇
「フィオリナはどこに行ったんだ」
留守にしていたリシャールの父のベルナール侯爵が、帰って来るなり騒ぎだした。
リシャールはソフィアリスと部屋にこもっていたが、父親の騒ぎようにたまらず飛び出した。
「フィオリナなら、ソフィアリスの代わりに王都に仕事に行かせましたよ」
リシャールの言葉にベルナール侯爵の顔色が一瞬で変わった。
「なんだと! お前はなんて馬鹿なことをしてくれたんだ! フィオリナを部屋から絶対に出すなとあれほど言っていただろ!!」
確かにリシャールは子供の頃に何度もフィオリナを部屋から出すなと言われていたが、自分と婚約して成人した後も有効な命令だとは思っていなかった。
ベルナール侯爵は息子のリシャールを怒鳴り散らすと、ガクッと膝から崩れ落ちた。
「……ベルナール侯爵家は、おしまいだ……っ!」
頭を抱えてつぶやき続ける父の姿を見て、リシャールは訳が分からなかった。
◆◇◆
私は、ユーグに助けられて王都に着いた。
「ありがとうございます、ユーグ様。後は自分でなんとか出来ますから」
でも、ユーグは私の手を離してくれません。
「フィオリナは危なっかしいから、目的の屋敷までは俺が送るよ。今日は遅いから俺の屋敷に泊まろう」
ユーグにはずっと迷惑をかけてばかりだと思ったけれど、あと一日、一緒にいれると思うと自然に笑みがこぼれた。
ユーグも私を見て微笑んでいて、私の胸がドキドキと早くなる。
ユーグの伯爵家の屋敷では何故かとても歓迎された。
ユーグのお父様とお母様と一緒に食事をして、親に捨てられて拾ってくれた侯爵家の領地で大切に育てられたことや、刺繍が得意だとユーグが話していた。
私はそれを聞いて胸が痛んだ。
私は今まで信じていたことが違っているのではないかと思い始めていたから。
フィオリナ・ランベールというのが私の名前で、ランベール伯爵家の娘だと思っていたけど……。
旅の途中で出会ったローザリンデ・ランベールは姉に当たる人なのに、私と全然似ていなかった。
ローザリンデは美しい金髪と金色の瞳をしていて、私の黒い髪と青い目とは似ていない。
兄妹や家族に会えば、見てすぐに血のつながりに気づくと思ったのに……名乗られても気づかないくらい、似ていなかった……。
◇
私はその日に泊まる部屋に案内されていた。
ベッドに腰を下ろしたけど、自分の素性に自信がなくなり、不安で落ち着かなかった。
トントン
ドアが叩かれてユーグがいた。
「明日、君が働きに行く屋敷に送って行くけど、何処なのか聞いていなかったから、なんという貴族の屋敷なんだ?」
それは私も知らなかった。
ソフィアリスのためにリシャールがお父様に頼んで探して貰った働き口だから立派な貴族の家なのだと思う。
結局リシャールはソフィアリスと離れるのを嫌がったけど。
私は紹介状を開いてみる。
アインハルト公爵家への紹介状でソフィアリスの名前で書かれている。
ソフィアリスのものをもらってきたのだから名前が違うのは当然なんだけど……。
「別人の紹介状では雇って貰うのは難しいだろうな……」
「……そうなんですか……」
ユーグが額に手を当てて顔をしかめている。
「……危なっかしいと思ったけど、ここまでだったとは……。場所もあのアインハルト公爵家で、紹介状を渡された事情もちゃんと聞けば、婚約者に幼なじみの方がいいと婚約破棄されて「幸せになれ」と言われたからだって……受け入れる方がどうかしている……」
ユーグが心底呆れていた。
「……でも、育ててくれた侯爵様には感謝しているし、ずっとリシャールのことは大好きだったけど……それしか知らないだけだから……心から愛せないのは私も同じだと思ったの。「幸せになれ」って言ってもらえたなら、別の人と幸せになりたいと思ったんです……」
ずっと私は部屋の中にいて、屋敷の中でさえ自由に歩けなかった。
ソフィアリスも、リシャールが私の部屋に連れて来てくれたから会ったことがあっただけ。
リシャールの幼なじみは何人もいたけれど、私の幼なじみではなかった。
『伯爵令嬢なのに親に捨てられた子なんだって?』
リシャールの幼なじみたちから、私はそう言われていた。
なのに——伯爵令嬢ですらなかったのかもしれないなんて——!
暗い思いに沈みそうになっていたのに、ユーグの顔が私を覗き込んだ。
にこりと笑っている。
「ユーグ……様……?」
そんなに気持ちのいい笑顔になる程、私のしたことっておかしかったの……?
「フィオリナが今のままで良かったと思っていたんだ」
「……馬鹿に出来るから……?」
私は思いついたことをそのまま言った。
ユーグ様はますます笑顔になる。
「フィオリナが、俺のそばに来てくれたからだよ! 俺と幸せになるために、フィオリナはここにいるんだ!」
「……え? そんな……伯爵家の嫡男なのに、ユーグ様が勝手に決められることじゃ……」
「……逆に勝手に決められてるんだよ。もう俺の両親も使用人達も、フィオリナを俺が結婚相手としてつれて来たと思ってる。だから、俺の部屋のすぐそばに君を案内したんだ……」
「え……?」
一晩だけのお客を泊めるには、ずいぶん広い部屋だとは思ったけど……。
「……フィオリナが別の相手がいいって言うなら身を引くことも考えるけど、今は俺しかいないんだ。ここにいて考えてくれないか?」
「そんな……私は、本当は伯爵令嬢じゃないかもしれないんです! 伯爵家の嫡男のユーグ様とは身分が釣り合いません!」
ユーグ様が不思議そうな顔をする。
「……フィオリナのことは平民の孤児だと思っていたから、身分のことなど気にしていなかったけど……伯爵令嬢とは……?」
そういえば、ユーグ様には名前しか名乗っていなかった。
捨てられた家の名前を名乗っても仕方ないと思っていたし……。
……。
私は無言になってしまう。
何を言えばいいんだろう?
最初から私の勘違いなら、ランベール伯爵家に捨てられたという事実そのものがないのだし……。
「……伯爵令嬢といえば、ローザリンデ・ランベールだが……。君とローザリンデの間に何かがあったようだったけど……君はランベール伯爵家と関係があったのか? 後でローザリンデの方から君のことで俺を訪ねて来るとは思うが……」
私はハッとする。
ユーグの前で、ローザリンデと会ったんだ……隠すことは出来ない……。
「……やっぱり、ユーグ様から見ても、私とローザリンデ様は似ていないですよね……」
「似ていないと思うが……っ! ……そうか!」
ユーグが叫んだ。
「フィオリナが、あのランベール伯爵家の誘拐された養女なのか……!!」
「え……」
◆◇◆
ユーグに呼ばれて、ご両親のヴァレンヌ伯爵と夫人が居間に集まっていた。
もう休む時間だったのではないかと思うけど、翌日には出来ない程の緊急の話題だった。
『ランベール伯爵家の誘拐された養女って何……?』
ユーグ自身も昔のことで詳しいことは知らないらしいけど、十五年前にあった事件で、今でも話題に上るほどの出来事なのだと言う。
「フィオリナが、ランベール伯爵家の誘拐された養女かもしれない!?」
ユーグから聞かされた、お父様のヴァレンヌ伯爵が大声で叫ぶと、お母様のヴァレンヌ伯爵夫人も口に手を当てて目を大きく見開いた。
二人が改めて私を見ると息を呑む。
「似ている……!」
ユーグも私を見た。
「…………っ!」
けど、すぐに私から目を逸らしてしまう。
平民でもいいと言ってくれたのに……ランベール伯爵家の養女ってなんなの?
実の両親がやっぱり私を捨てたの……?
「……フィオリナは何も知らなかったのか。まだ三歳だったから仕方ないのかもしれないな……」
ヴァレンヌ伯爵が言う。
「十五年前は今の国王が即位された年ですね」
ユーグがヴァレンヌ伯爵に聞いているけど……国王の即位と何か関係があるの?
「今の国王陛下は元々は公爵家の嫡男だったと聞いています」
「そうだ。ユーグもまだ六歳だったから覚えていないだろうが、前の国王が亡くなって、後を継ぐはずの王太子も同じ頃に流行り病で亡くなってしまい、王位継承権のあった公爵家の嫡男が王になったんだ」
私は王家のことはよく知りません。
王都があるし王様が住んでいるとは知っていたけれど、王様の年もいつ即位したかも聞いたことはなかったし、疑問に思いもしなかった。
「王位継承権があったのは今の国王だけでなく、アインハルト公爵家にもあったんだ。ただそこの嫡男はまだ子供だったし継承権の順位も下だった。だが、どちらが王位を継ぐかで争いは起こった。
現国王側で問題になったのが、両親に反対されて結婚していない侯爵令嬢の恋人と娘がいたことだった。現国王は二人と別れるくらいなら王位などいらないと言ったが、恋人とだけは結婚させる約束で王位を継ぐ事を承諾させ、娘を養女にすることで反対派を黙らせたんだ」
私はハッとした。
もしかして、その娘が……私……。
「……フィオリナの黒髪と青く澄んだ瞳は、王妃様——エレオノーラ様にそっくりです……」
ユーグが私を見ずに言う。
「唇と鼻は国王様にそっくりよ」
伯爵夫人が私を見て微笑む。
「……そんな……私が、国王様と王妃様の子供だなんて……」
「アインハルト公爵側の人間が現国王に王位を放棄させようと、ランベール伯爵家に引き取られる日に娘のフィオリナ様を誘拐したんだが、それが返って現国王の逆鱗に触れてしまったんだ。王位をそんな卑怯な奴らには渡せないと王位に着かれ、国は前国王時代よりも良くなったんだよ」
伯爵が優しい目を私に向ける。
「誘拐した犯人がアインハルト公爵だと言う証拠はなかったが、アインハルト公爵家は信用を失っていった。誘拐を実行したのは信用できる仲間だったのだろう。国王も王妃も、必死で君を探したけど見つけることが出来なかったんだ」
「……私は……ランベール伯爵家から捨てられたと……」
この話が本当なら、私がランベール伯爵家から捨てられたなんて話が間違いだとベルナール侯爵様には分かっていたはずで……ずっと部屋から出られなかったのも、捨てられたからじゃなくて誘拐されたから……。
拾った子なら、国王に連絡するのにしなかったのは、誘拐したのが、ベルナール侯爵だったから——。
『あなたはフィオリナ・ランベール。明日からランベール伯爵家の娘になるのよ』
ふと思い出した優しい声。
そうか……私が自分でランベール家の娘だと思って言い続けていたから、誘拐したベルナール侯爵は私が伯爵家に捨てられたと言わなければいけなかったんだ……。
私がリシャールやソフィアリスにもランベール伯爵家の娘だと話すから、外に出したり別の場所に預けることが出来なかった……。
そういうことだったの——。
ポタッと涙が手の甲に落ちた。
お母様の優しい声を思い出す。
『ランベール伯爵夫人はお母様の従姉妹なの。だからフィオリナはお母様にいつでも会いに来れるし、お母様もフィオリナに会いに行きますからね』
きっと、お母様とお父様に会ったらすぐに血のつながりが分かる……そんな気がする。
「すぐに国王と王妃に連絡しよう。明日、会えるはずだ」
ヴァレンヌ伯爵が約束してくれる。
◇
ユーグが私の泊まっている部屋まで送ってくれた。
ユーグの部屋のすぐ近くだけど……私がユーグの結婚相手だと思われていたからこの部屋になったという話だったけど……。
「ユーグ様……」
私を見ないユーグに話しかけた。
「……君が王女様だとは知らなかったから……」
「……私は王女ではありません……。お母様とお父様には会いたいけど、王女にはなれませんから。ずっと部屋にこもりきりだったのに……伯爵令嬢にもなれないし……伯爵夫人なんてもっとなれなかったんです……」
ユーグが私を見た。
「俺と一緒だった君は危なっかしいけど、善良で優しくて平民でも素晴らしい人だと思ったんだ……王女様でもおかしくない……」
そして、また笑った。
「だから、俺の妻になって欲しいと思ったんだ。それは今も変わらないよ」
ユーグに見つめられて、私はまたドキドキしてしまう。
「事情は知らなかったけど、エレオノーラ様が俺に依頼するのは誰かを探しているからだと察していたんだ。探して欲しい人が娘ならエレオノーラ様から奪えないと思った……」
ユーグが私を抱きしめる。
「でも、俺にも君しかいない……」
たぶん、私も同じだと思った。
リシャールのことは好きだったけど、私を愛せないと言われたら、それは私も同じだと思った。
でも、
「ユーグ様に『幸せになれ』って言われたら、私は悲しくて幸せになんてなれません……」
ユーグが少し笑って身体が揺れた。
「うん、俺がフィオリナを幸せにするから」
ユーグが私に優しく言う。
「はい……」
私は、ユーグの腕の中で幸せになりました。
◆◇◆
フィオリナを探していたら、王都に着いてしまった。
塞ぎ込んでしまった父上の様子からフィオリナを連れ戻さなければと思ったんだが……、
最初にフィオリナは辻馬車に乗ったはずだと思ったが、誰もフィオリナを覚えていない。
それでも辻馬車に乗って王都を目指しながらフィオリナを探すと、二日目に着いた街の宿でフィオリナを覚えているものがいた。
宿の一番いい部屋に美しい騎士と一緒に泊まっていた黒髪の美しい女性——フィオリナだろう。
フィオリナが美しい……?
それよりも、騎士と一緒だったとはどういう事だ……?
フィオリナは僕を好きなんだ。
別の男と一緒にいる訳がない。
何か事情があるはずだ……。
王都で、貴族の子女が通うという学園の前を通った。
父上も通ったというが、僕は通わせて貰えなかった。
もう僕は十八歳で同じ歳のフィオリナも、通っていても卒業している歳だから関係ないだろう。
……少しだけ、なぜ父上が王都の学園に通わせてくれなかったのか疑問が残る。
ずっと領地にいて、僕には貴族の友達はいない。
遊ぶのは決まった平民の幼なじみだけだった——。
部屋に閉じ込められてるフィオリナとも勝手に婚約者にさせられて……僕も、ベルナール侯爵家の狭い世界に閉じ込められているようなものだった。
それは、フィオリナが屋敷にいたからだったのか?
『……ベルナール侯爵家は、おしまいだ……っ!』
フィオリナがいないことを知った時の父上のあの言葉。
僕には知らないことがある。
知らされていないことが——。
◆◇◆
私、フィオリナは、自分の出自を知って、翌日に王宮へ行く。
支度もそこそこに朝早く出発することになって、国王様や王妃様にご迷惑だと思ったけど……。
王宮の外の門から見えないギリギリの場所に、すでに国王様と王妃様が待っていた。
「フィオリナ……!」
二人が私を抱きしめる手が冷たくて……いつから待っていてくれたのだろう。
昨日の夜中に娘が見つかったと知らせがついたと思うけど……それからずっと……?
「……ごめんなさい……お父様、お母様……」
「フィオリナが謝ることなんて何もないのよ……」
記憶の中のお母様と同じ声がする……。
「よく戻って来てくれた……」
お父様が泣いていた。
「ふふ、きっと絵本の王子様ならフィオリナを見つけてくれると思ったのよ」
お母様が泣きながら笑って言う。
ああ、あのユーグに似た王子様が出てくる絵本はお母様と読んだんだわ……。
「……お母様は、私がユーグ様を好きになると思ったの……?」
「フィオリナの王子様だもの。フィオリナが好きになった人が、一番フィオリナを幸せにしてくれると思っていたのよ……」
お母様の笑顔に私も笑った。
「待て……やっと見つかったばかりだぞ」
お父様が慌てて言うけど、
「でも、フィオリナもう十八歳よ。私がフィオリナを身籠った歳だわ」
お母様が言った。
お父様は言い返せなくなってるけど、私も恥ずかしくなる……。
私に付いて来てくれた、ユーグとヴァレンヌ伯爵夫妻とは少し離れてるから聞こえてないと思うけど……。
まだ、そこまで考えられない……!
ユーグの顔を見て真っ赤になってお母様に抱きついていた。
◇
後日、私が養女になるはずだったランベール伯爵家の一家が王宮を訪れた。
ローザリンデも一緒だった。
「フィオリナという名前を聞いてもしかしてと思ったけど、本当にあなただったのね」
ローザリンデは私の姉になるはずだったけど、両親から妹が出来ると言われて楽しみにしていたのに一度も顔を合わせることなく私が誘拐されてしまったらしい。
ランベール伯爵家には他に、兄と妹、弟もいた。
「ユーグと結婚するのなら、王女では面倒も増えるな」
国王のお父様もすっかり私とユーグが結婚すると思っている。
私は、ランベール伯爵家の養女に正式になったけど、王宮でお父様とお母様と暮らしていた。
お城には私の弟に当たる王子が三人いたけど、すぐに弟だと分かった。
みんな私に似ていた。
「ユーグ様と結婚するって本当ですか? お姉様?」
弟たちに聞かれる。
ユーグは『この国一の美しい騎士』と言われて女性から人気があるけど、お母様の依頼で魔物を倒したり、その強さで若い男性からも人気があるらしかった。
「……た、たぶん……」
私は弟たちに答えた。
弟たちは喜んで、剣術の訓練に向かって行く。
ちょっとだけ嘘をついたような罪悪感があった。
ユーグは私を幸せにしてくれるって言って、毎日のように王宮にも会いに来てくれるけど……やっぱり、私はまだ自信がなかった。
ずっと部屋に閉じ込められていたんだもの……。
私は、王宮では家庭教師が付いて、令嬢に必要な教育を受け直して、一通りの知識があるとは言われている。
本を読んだり、ベルナール侯爵夫人が少しだけ教えてくれたりはしていたから……。
侯爵夫人も私が誘拐された王女だと知ってはいたんだと思う。
ただ、侯爵のやった事を公には出来なかった……。
私は侯爵夫人を少し冷たい人だと感じていたけど、私の扱いに悩んでいたからなのかもしれない。
——そして、私の刺繍は誰に見せても絶賛された。
ローザリンデが私の刺繍した新しいドレスを着て夜会に行くと注目の的だったと言う。
今度、王家主催の大きな夜会があって、そこで初めて私はお披露目されることになるんだけど……刺繍がすでに評判で、大注目されているらしい。
「……はぁ……」
刺繍をしながらため息が出た。
「酷いなフィオリナは。俺と結婚すると聞かれて『たぶん』で、ため息までついて」
ユーグがいた。
「き、聞いていたんですか……!」
ユーグは私に優しく微笑んでいる。
私が戸惑っている事を、私以上に分かっていてくれる気がする。
「フィオリナは周りが急に変わってしまったから疲れているんだろう。夜会では俺との結婚まで急いで発表する必要はないから、刺繍のことに集中して。ローザリンデが助けてくれるし、俺も近くで見てるよ」
「……ユーグ様……ありがとうございます……」
ユーグ様の膝の上で抱きしめられながら刺繍の続きをする。
ドキドキするけど、幸せな時間で……。
「……本当はずっとユーグ様に抱きしめていて欲しいから……一番最初にユーグ様と結婚するってみんなに言いたいです……」
ユーグ様の私を抱きしめる腕が強くなる。
「……フィオリナは、俺の一番欲しい言葉を言って、幸せにしてくれるね……」
ユーグが私を抱きしめたままでキスして、私もとっても幸せです。
◆◇◆
そして、王家主催の夜会の夜が来た——。
私は、国王と王妃に十五年ぶりに見つかったランベール伯爵家の次女だと紹介された。
二人の娘だと言わずとも、多くの人が事情を察していた。
アインハルト公爵家の者は、私が見つかった事を事前に知っていて、夜会に出席してはいなかったけど、何人かの貴族の顔色が変わった。
陰謀が露見した事を知らなかった、アインハルト公爵側の貴族なのだろう。
私の誘拐事件に関わったものたちの処分は、私のお披露目の後に行われると聞いている。
他国に逃げるにしても、財産を移すような時間はもうないだろうし、既に没落している家も多い。
アインハルト公爵家も今は私の誘拐に関わっていた本人ではなく、王位継承権のあった当時は子供だった息子が跡を継いでいる。
先代が処分されて一部の財産を没収されるくらいで、大きな変化はないとお父様がおっしゃっていたけど……。
私はローザリンデの横で女性たちから刺繍のことを聞かれていた。
ユーグの言った通りにローザリンデが助けてくれて良かった。
「どういうことだ!」
横から男性の声がした。
夜会用の服を着ているけど……着慣れていない気がする。
私と同じく、はじめての夜会のようだ……。
「……リシャール……」
リシャールが私を睨んでいた。
「フィオリナ……お前が王女な訳がない! 探して、王宮にいると分かって、会うために今日まで待っていたが、僕の家で大事に育てられた恩を忘れたのか……!」
「何を言っているの? 知り合いなの、フィオリナ」
ローザリンデが警戒する。
リシャールは自分の父親が私を誘拐したと知らないんだ……。
私が王宮にいることまで調べたなら、噂は耳に入っているはずだけど、信じていないんだ。
——私だって、侯爵様が私を誘拐していたなんてすぐには信じられなかった。
でも、王宮やランベール伯爵家の人たちは、私が部屋に閉じこもっていたら外に連れ出そうとしてくれる。
親切だと思っていたことが間違っていた——。
でも、リシャールも私と同じように間違っている。
リシャールには誰も正しいことを教えてくれる人がいないの。
「リシャール、私はランベール伯爵家に戻っただけよ……」
私はリシャールに微笑んだ。
リシャールは私の顔を見て少し落ち着いたようで、ふっと笑った。
「……お前は、僕が好きなんだろう。今更、伯爵令嬢に戻ったからって嬉しくはないだろう。愛人くらいにはしてやるから、一緒に帰るんだ!」
「え?」
なんでそうなるのか、私はリシャールに手を引かれて引っ張られた。
「……ソフィアリスは? 愛人なんてソフィアリスも嫌がるでしょう!」
「僕と結婚出来るんだ、ソフィアリスに不満なんてないだろ。お前の望みを叶えてやるんだから黙ってついて来い!」
「フィオリナ!」
ローザリンデがリシャールに手を引かれる私の名を呼んで、刺繍について話していた女性たちも騒ぎ出す。
夜会の会場にいた人達が次々に、私とリシャールを見る。
「……なんで僕たちを見てるんだ!?」
リシャールは騒ぎになったことに慌てている。
賑やかな場所だから少し騒いだくらいで注目されないと思っていたのだろう。
私もそう思っていたから、急に異物を見つけて注目する貴族の動きにビクッと身体がこわばった。
異物に向けられた目……異物を排除しようと冷たく光っている——。
リシャールも……私も、貴族としてはやっていけないのかもしれない……。
「フィオリナは俺の婚約者だ。手を離してくれ」
ユーグの声がした。
ユーグが私の背中に手を置いて、片方の手でリシャールに捕まっていた私の手を掴む。
冷えた心があったかくなる。
リシャールが思わず手を離すと、私はユーグの腕の中に収まっていた。
「……フィオリナの……婚約者……」
リシャールはユーグの美しさに息を飲む。
けど、笑って言う。
「フィオリナは、僕のことがずっと好きなんだ。王都で見つけた婚約者なんかと一緒でも、幸せにはなれない。フィオリナ、来るんだ」
私に手を伸ばす。
私は首を振る。
「あなたを好きだったことが間違いだったのよ。それしかなかったから、好きだと思っていただけ。外の世界を見て、一番好きだと思えたユーグ様とは違う」
私はリシャールに伝えた。
なのに——。
「……ああ! やっぱり王女様は、ユーグ様と結婚されるんだわ!」
「噂は本当だったのね!」
「女性に興味がないと思っていた国一番の美しい騎士様は、王女様を探していたんだわ!」
周りの貴族達が騒ぎ始めた。
私とユーグの周りに人が集まって来て、おめでとうと声をかけられて……リシャールが見えなくなる。
「ユーグ様……」
私はユーグにギュッと抱きついた。
「ごめん……結婚の話はしないって言ったのに……」
「それは、助けていただいたのだし、私もユーグ様が一番好きだと言ってしまったし……」
静まり返った夜会会場に私の声はどこまでも響いたのかもしれない……。
「俺も、世界で一番、フィオリナが好きだ」
今度はちゃんと大きな声でユーグが、夜会会場のざわめきの中に声を響かせる。
ユーグが私を抱き上げると、周りの貴族たちから歓声が上がる。
ユーグが私にキスをして、また歓声に包まれた。
「ユーグ様……!」
私が真っ赤になってユーグを見つめると、
「みんなの前で、フィオリナにキスできて幸せだよ」
ユーグが愛おしそうに私を見つめているから、一層恥ずかしくなって、もっとユーグが愛おしくなった。
すぐそばのローザリンデが祝福してくれて、遠くのお父様やお母様も喜んでくれている。
私はユーグの首に抱きついて、世界一幸せになりました。
◆◇◆
夜会からいつの間にか消えていたリシャールは、ベルナール侯爵家の領地に戻っていた。
ただし、ベルナール侯爵は私の誘拐と監禁の罪で捕まり、遠縁のものがベルナール侯爵になっていた。
リシャールは誘拐のことを知らなかったから罪にはならないけど、事件に関わった侯爵家の領地をそのまま息子に引き継がせることはできなかった。
それで領地にずっと住み続けられることがリシャールにとっていいことなのか分からないけど、夜会での醜態が噂になっていて、もう何処にも行く当てがなかった。
私は、リシャールにはソフィアリスと一緒に幸せでいて欲しいと思う。
◇
「どうして、侯爵様が別の人になって、フィオリナが王女で捨てられたランベール伯爵家に戻っているのよ!」
ソフィアリスがリシャールに怒鳴っていた。
リシャールは侯爵家の自分の部屋を追い出されることもなく、ソフィアリスや他の幼なじみたちもいつも通り遊びに来た。
使用人たちもほとんどが前と同じだ。
侯爵夫人だけはフィオリナが誘拐されている事を知って隠していた。
仕方のない面もあったが、誘拐を見逃していた罰として侯爵夫人は新しい侯爵の監視下に置かれることになり自由がなかった。
リシャール自身はそんなこともなく、何も変わらない。
——何も変わらないが、リシャール自身が知ってしまった。
フィオリナと同じく、自分が閉じ込められた子どもだったことを——。
フィオリナは王都に行けたが、自分に行く当てはなかった。
夜会で、フィオリナは自分を選ぶものだと思っていた。
王都で思い知った自分の無知さを、フィオリナがそばにいれば和らげられると思った。
——けど、フィオリナはユーグを選んだ。
「——っ!」
リシャールの頬を涙が伝う。
本当はずっと知っていた。
自分が他の貴族の子供たちと違うことを。
でも、フィオリナも一緒だからいいと思っていた。
『リシャール、ハンカチに刺繍したの。外に遊びに行く時には持って行って』
フィオリナの部屋に遊びに行くと、フィオリナはいつも刺繍をするか本を読んでいた。
『刺繍なんてない方がいい……』
リシャールが喜ばなくても、フィオリナは刺繍をしていた。
それが、ずっと続くとリシャールは思っていた。
フィオリナはずっとリシャールのものだった。
「あーあ、私が王都に行けば良かった。ここじゃリシャールとの仲を知られているから、誰も私に声をかけて来ないもの……」
後悔するリシャールの横で、ソフィアリスもまた後悔していた。
◇
私はユーグのヴァレンヌ伯爵家にいた。
ユーグと結婚して、一番最初に泊まった部屋が私の部屋になっている。
王妃のお母様やベルナール伯爵家のお母様やヴァレンヌ伯爵家のお母様、ローザリンデに贈る刺繍や他の刺繍をして、ユーグがいない時も部屋で充実して過ごしていた。
「困っている人に出会わないから部屋にいてくれるといいな」
ユーグが言う。
私の刺繍が売れたお金で寄付はしてるけど、お金を落とした親子だったり、その場で困っている人を助けてあげられないのが不安だった。
「俺がフィオリナの代わりに、街で困っている人を見つけたら声をかけているよ。家に戻ればフィオリナがいると思うと放っとけないからね」
私はにこりと笑う。
「ユーグ様、大好きです!」
「俺もだよ」
二人は重なって、世界が閉じていく——。
でも、私の幸せはずっと広がっていく。




