実は善人な軟派ヤンキー、元スケバンの幼馴染に惚れている。
「おいそこのネーチャン、俺と茶ァシバかね? なんならカラオケでもいいぜぇ?」
駅前のロータリー。夕暮れ時の雑踏の中で、俺、桂木 叶斗の声が響いた。
金髪オールバックに、龍の刺繍が入ったスカジャン。目つきは鋭く、見るからにカタギじゃない。
声をかけた相手は、ベンチでうつむいていた地味な女子高生だ。肩を震わせて泣いていたところに、俺みたいな柄の悪い男に絡まれたもんだから、彼女はビクッと顔を上げた。
「ひっ……!」
「あァ? なんだその面は。俺の誘いが断れねェってのか? あ?」
「ち、違います! ごめんなさい、急いでるんで!」
女子高生は涙も引っ込んだのか、恐怖で顔を真っ赤にして猛ダッシュで逃げていった。
その背中を見送りながら、俺はポケットに手を突っ込んで、フンと鼻を鳴らす。
(よし……これでいい)
あの子、さっきまで死にそうな顔をしてやがった。失恋か、テストの失敗か知らねえが、悲しみに暮れて動けなくなってたんだ。
だが、俺みたいな「理不尽な恐怖」が現れれば、人間ってのは悲しむ余裕すらなくなる。「あいつムカつく」「怖かった」っていう怒りや恐怖は、生存本能を刺激して活力を生むんだよ。
家に帰って友達に「変な金髪に絡まれてさー! マジ最悪!」って愚痴れば、さっきまでの鬱屈とした気分なんて吹き飛ぶだろう。
俺は、街の清浄機。
嫌われ者を引き受ける、ダークヒーローってわけだ。
(……なんてな。ほんとは『大丈夫?』って優しく声かけてやりてェけど、このナリじゃ余計怪しまれるだけだしな)
俺が心の中で善行の余韻に浸っている、その時だった。
「――おい、コラ」
地獄の底から響くような、ドスの利いた声。
背筋が凍る。いや、もはや条件反射で内臓が縮み上がる。
恐る恐る振り返ると、そこには長い黒髪を風になびかせ、くるぶしまで届きそうな長いスカートを穿いた美少女が立っていた。
切れ長の瞳は涼しげで、モデルみたいに整った顔立ち。だが、その拳は固く握りしめられ、ギリギリと音を立てている。
安藤 萌。
俺の幼馴染にして、かつて近隣の中学を恐怖のどん底に陥れた伝説の元スケバンである。
「げっ……も、萌……」
「叶斗ぉ……。テメェ、また弱い者いじめしてんのか? あの子、泣いて逃げてったじゃねえか」
「ち、ちげェよ! 俺はただ、愛の伝道師としてだな……!」
「やかましいわ!」
ドゴォッ!!
鳩尾に突き刺さる鋭い正拳突き。
俺は「ぐえっ」とカエルのような声を上げて、その場に崩れ落ちた。
「いってェ……! いきなり殴るこたぁねえだろ!」
「うるせえ。弱い女を泣かすクズには鉄拳制裁だ。……ほら、立てよ」
萌は冷たい目で見下ろしながらも、倒れた俺に手を差し伸べてくる。
長いスカートがふわりと揺れ、シャンプーのいい匂いが鼻をかすめる。
(くっそ、可愛い……! なんだこのツンデレ! 殴られた痛みすらご褒美に感じる俺はもう末期か!?)
俺は内心で萌え転がりながら、表面上は不機嫌そうにその手を払いのけて立ち上がった。
「けッ、手ェなんか借りなくても立てらァ」
「素直じゃねえな。……ま、いいけど。帰るぞ」
「お、おう」
俺たちは並んで歩き出す。
夕焼けに染まる商店街。周囲の人間は俺たちの姿を見て、「関わらないようにしよう」と道を開ける。モーゼの十戒かよ。
だが、俺にとってはこの時間が至福だった。
隣を歩く萌の横顔。長いまつ毛。凛とした佇まい。
元スケバンで今は「普通」を目指して猫を被っているこいつだが、曲がったことが大嫌いな芯の強さは変わらない。
俺は、そんな萌に、昔からどうしようもなく惚れているのだ。
「……お前さ」
「あ?」
「またあのノート、書いてんのか?」
萌が唐突に言った言葉に、俺の心臓が早鐘を打つ。
「は、はぁ!? な、なんのことだよ!」
「とぼけんな。お前が落とした黒い表紙のノートだ。『人助けの極意』とか書いてあるやつ」
「ぶっ!!」
俺は盛大にむせ返った。
ま、待て。待て待て待て。
あれは俺が中二病全開で書き殴った、俺の行動原理(という名のポエム)を記した門外不出の聖典だ。
『嫌われる勇気こそが人を救う』とか『ナンパは挨拶、無視は信頼の証』とか、恥ずかしい自論がビッシリ書いてある。
「み、見てねェだろうな!?」
「さあな。中身がキモすぎて、最初のページで吐き気がしたから閉じたよ」
「ぐはっ……!(精神的ダメージ)」
萌は意地悪くニヤリと笑った。
その笑顔すら可愛いのが腹立つ。
バレてない。まだ、俺の「わざと嫌われて人を助けている」という本質まではバレてないはずだ。たぶん。
◇
「喉乾いたな。ジュース買ってくらァ」
「ん。あたし、あそこの公園で待ってる」
帰り道、俺は自販機に向かうために萌と少しだけ離れた。
炭酸飲料を二本買い、プシュッと一本開けて喉を潤す。
萌には甘いミルクティーだ。あいつ、見た目に反して甘党だからな。
(へへっ、これ渡したらまた『子供扱いすんな』とか怒るかな。楽しみだぜ)
ニヤニヤしながら公園に戻ろうとした、その時だ。
「――おいおい、無視すんなよ姉ちゃん」
「そーそー、俺ら隣町の『マッドドッグス』ってんだけどさァ」
公園の入り口から、不穏な声が聞こえてきた。
俺の足が止まる。
公園のベンチに座る萌を、四、五人の男たちが取り囲んでいた。
ダボダボの服に、下品な笑い声。明らかに質の悪い連中だ。
「……失せな。あたしは今、機嫌が悪いんだ」
萌が低く唸る。
だが、男たちは怯むどころか、さらに距離を詰めた。
「怖~い! でもさ、そういう気の強い女ほど、泣かせ甲斐があるってもんだよなァ?」
「な、最近この辺のシマ荒らしてんだけどよ、お前みたいな上玉がいるとは知らなかったぜ」
一人の男が、萌の黒髪に触れようと手を伸ばす。
「触るな」
萌がその手を払いのける。
パチン、と乾いた音が響いた。
空気が凍りつく。
「……あーあ。やっちゃった」
「俺ら、暴力反対なんだけどさァ……教育は必要だよな?」
男たちの目が座る。一人がポケットからバタフライナイフを取り出し、チャキッと刃を出した。
萌の肩が、一瞬だけ強張るのが見えた。
彼女は強い。ケンカなら俺より強いかもしれない。
だが、萌は高校に入ってから誓ったのだ。「もう暴力は振るわない。普通の女の子になる」と。
だから彼女は、拳を握りしめたまま動かない。動けないんだ。
(――上等だ)
俺の中で、プツンと何かが切れる音がした。
手に持っていたミルクティーの缶が、握力でベコりと凹む。
「……おい」
俺は、これまでで一番低い声を出しながら、公園へと足を踏み入れた。
◇
「あ? なんだテメェ」
男たちが一斉に俺を見る。
俺はゆっくりと、だが確実に距離を詰めながら、持っていた飲みかけの炭酸飲料を地面に叩きつけた。
バシャッ!
派手な音と飛沫に、奴らの気が削がれる。
「テメェら、どこ中だ? あ? いや、高校か。知能指数が低すぎて区別がつかねェな」
「なんだとコラァ!」
「金髪だからってイキってんじゃねえぞ!」
ゾロゾロと男たちが俺に向かってくる。
ナイフを持った男が先頭だ。
「叶斗! 来んな! こいつらナイフ持ってる!」
萌の悲鳴のような静止を聞き流し、俺はニヤリと笑った。
内心? ビビってるに決まってんだろ! ナイフとかマジ勘弁してくれ!
だがな――。
(俺の惚れた女に、汚ねェ手で触ろうとしてんじゃねえよ……!!)
「死ねやぁ!!」
男がナイフを突き出してくる。
俺はそれを避けない。左腕で受け止める。
ザシュッ。
鋭い痛みが走る。鮮血がスカジャンを濡らす。
だが、肉を斬らせて骨を断つのがヤンキーの喧嘩だ。
ナイフが刺さった左腕で、男の腕をガッチリと掴んで固定する。
「は……っ!?」
「バーカ、大事なモン守るためなら、腕一本くらい安売りしてやらァ!!」
驚愕に目を見開く男の顔面へ、俺の右拳が炸裂した。
ゴガァッ!!
手応えあり。鼻が折れる感触。男は白目を剥いて吹き飛んだ。
「て、テメェ!」
「やりやがったな!」
残りの四人が一斉に殴りかかってくる。
多勢に無勢。正直、ケンカの技術なら萌の方が上だ。俺はただのタフな馬鹿だ。
ボコボコに殴られる。蹴られる。視界が歪む。
でも、倒れない。
萌の前で、無様に地面を舐めるわけにはいかねェんだよ!
「おらぁぁぁっ!!」
雄叫びと共に、一人を頭突きで沈める。
もう一人の足を掴んで転ばせ、顔面を踏みつける。
血と泥にまみれ、息はゼーゼーと上がり、左腕の感覚はもうない。
「な、なんだこいつ……! イカれてやがる……!」
残った二人が、恐怖に顔を引きつらせて後ずさる。
俺は口の中の血をペッと吐き捨て、髪をかき上げた。
「……おい、どうした。まだ俺は立ってるぞ」
フラフラと、ゾンビのように一歩踏み出す。
「この街で、その女に声かけていいのは――」
俺は鋭い眼光で睨みつけ、言い放った。
「――世界で俺一人だけなんだよ。すっこんでろ、三下」
その迫力に圧されたのか、あるいは俺の血まみれの形相にドン引いたのか。
男たちは「お、覚えてろよ!」というテンプレごとき捨て台詞を吐いて、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
◇
静寂が戻った公園。
俺はその場にドサリと座り込んだ。
「いってぇぇ……。マジで死ぬかと思った……」
アドレナリンが切れて、激痛が一気に押し寄せてくる。
カッコつけて啖呵切ったけど、これ全治何週間だよ。明日学校行けねえじゃん。
「……バカ」
震える声が聞こえた。
見上げると、萌が涙をいっぱいに溜めて立っていた。
「なんで……なんであんな無茶すんだよ! ナイフだぞ!? 死んだらどうすんだ!」
「へへっ、うるせえな……。お前が殴り返したら、せっかくの『普通』が台無しだろ。汚え役は俺がやりゃいいんだよ」
そう言って笑うと、萌はボロボロと涙をこぼした。
そして、俺の前に跪くと、ハンカチを取り出して左腕の傷をぎゅっと押さえた。
「いっ、痛ぇよ萌ちゃん!?」
「我慢しろ! ……止血だ」
萌は鼻をすすりながら、俺の手当てをする。
その表情は、怒っているようで、泣きそうで、でもどこか安堵していて。
「……お前、ほんとバカ。大バカ」
「悪かったよ。でも、お前が無傷でよかった」
俺が素直にそう言うと、萌の手が止まった。
しばらくの沈黙の後、彼女はポツリと呟く。
「……『誰かのために傷つくことを恐れるな。その傷は、男の勲章であり、愛の証明だ』」
「……は?」
そのフレーズ。
聞き覚えがある。というか、俺が夜中のテンションで書いた覚えがある。
「ノートの、十七ページ目」
「!?」
俺は飛び上がりそうになった(痛くて無理だったが)。
顔から火が出る。いや、全身から火が出る!
「よ、読んだのか!? さっき最初のページで閉じたって!」
「嘘に決まってんだろ。……全部読んだよ。最後まで」
萌は涙を拭うと、濡れた瞳で俺をじっと見つめた。
そこには、いつもの呆れた色はなく、見たことのない熱っぽい光が宿っていた。
「わざと嫌われ役やって、人助けしてることも。……全部、知ってる」
「う、うわぁぁぁぁ! 忘れてくれ! 頼むから!」
「やだ」
萌は少しだけ顔を近づけてくる。
ドキリとするほど綺麗な顔。
「……叶斗はさ、軟派男なんかじゃないよ」
「う……」
「世界一、硬派で、カッコいいバカだよ」
そう言って、萌はふわりと笑った。
それは、元スケバンの怖い笑顔じゃなくて、年相応の、とびきり可愛い女の子の笑顔で。
不意打ちすぎるその表情に、俺の思考回路はショートした。
「……ご褒美。ミルクティーのお礼」
頬に、柔らかい感触。
一瞬の出来事だった。萌はすぐに顔を離し、真っ赤になってそっぽを向く。
「……勘違いすんなよ! 消毒だ、消毒!」
「しょ、消毒って……今の、キ、キス……?」
「う、うるさい! 早く病院行くぞ! 立て!」
萌は俺の無事な方の腕を引いて、強引に立たせる。
その手は、さっきよりもずっと強く、俺の手を握っていた。
俺は痛む体を引きずりながら、天を仰ぐ。
(……神様。ヤンキーやっててよかった。今日死んでも悔いはねえわ)
「何ニヤニヤしてんだ気持ち悪い!」
「してねーよ! 痛みに耐えてんだよ!」
夕焼けの中、俺たちは小突き合いながら歩いていく。
俺の左腕の傷はズキズキ痛むが、繋がれた右手の温もりだけで、あと百年は戦える気がした。
街一番の軟派ヤンキー(仮)の恋は、どうやら前途多難だが、捨てたもんじゃないらしい。
(了)




