第4話『天賦の才』
站樁地獄は、三日目も、四日目も続いた。
毎朝、日が昇る前に訓練場へ行き、老師の前で站樁の姿勢をとる。
そして、日が沈むまで、ひたすら耐え続ける。
倒れればゲンコツ。
姿勢が崩れればゲンコツ。
失神すればゲンコツ。
容赦のない老師からのしごきにも、俺は負けじと食らいついた。
(絶対に、強くなる……!)
原作ヴァンなら、とっくに泣きわめいて逃げ出しているだろう。
だが、俺は違う。
この修行の先になにがあるかを知っているからだ。
老師から暗殺拳を教えてもらえれば、死の運命を避けられる可能性が上がる。
そうでなくとも、男なら誰だって、一度は強さを求めるもの。
せっかく、大好きなゲームの世界に生まれ変わったのだ。
徹底的に強くなってみたいではないか。
一週間目。
俺の站樁は、一時間以上途切れることなく継続できるようになっていた。
太ももの震えも、背中の痛みももはや慣れたもの。
まるで背中に一本の杭を通されているかのように姿勢が安定し、一切ぶれることもない。
(やっぱ、ヴァンの身体はすげえな)
普通の人間なら、こんなに早く身体を鍛えられるはずがない。
やはり、こいつの肉体スペックは図抜けている。
(これは鍛錬のしがいがあるぞ!)
そうして時は流れ、一ヶ月が過ぎたころ。
「もうよい」
無心に站樁にふけっていた俺は、その言葉で我に返った。
辺りはすっかり朱色に染まり、カアカアとカラスが鳴いている。
(あれ? もう夕方か。早いな)
俺はひょいと膝を伸ばし、凝り固まった身体をほぐした。
そういえば、今日は一度も殴られていない。
俺の前まで歩いてきた老師が、タカのような目つきで俺を見た。
「……よもや、たった一月で站樁を修めようとは」
「き、恐縮です」
そこで、老師は目を細めた。
「お主、人が変わったか?」
「いっ!?」
ま、まさかこの爺さん、俺がヴァンに転生した別人だって気づいてるのか!?
俺はぎょっとして肩をすくめるが、老師はすぐ口元を緩めた。
老師が初めて俺に見せた笑顔だった。
それを見て、ようやく老師が俺を受け入れてくれたのだとわかった。
「冗談じゃ。本気にするでない。
……さて、站樁でお前の中には『軸』ができた。
これで、ようやく型を教える価値ができたわい」
「『軸』ですか」
「体幹が安定するようになったろう。それのことじゃ」
「なるほど」
俺は身体の中に、杭が通ったようなあの感覚を思い出す。
老師は、樫の木の前に立つと、ゆっくりと站樁の姿勢をとった。
綺麗だ。まるでギリシャの彫像のように、不安定なはずなのに安定している。
「よく見ておれ」
老師の両足が、肩幅に開かれる。
腰が落ち、両手が胸の前で、何かを抱えているように丸められる。
そこまでは、俺がこれまでやっていた站樁と同じだ。
だが、次の瞬間。
ドンッ!
老師の右拳がまっすぐ前に突き出される。
交通事故のような轟音が響き、巨大な樫の木が盛大に揺れた。
千切れた枝葉が舞い散る中、俺はその威力に息を呑んだ。
派手な構えも、複雑な動きもない。
ただ、站樁の姿勢から、拳を前に出しただけ。
だが、その一撃には、そんな単純な言葉だけでは、説明しきれない重みがあった。
「これぞ、『樁拳』じゃ」
老師は拳を引き、再び站樁の姿勢に戻る。
「站樁で築いた揺るぎなき『軸』を土台とし、そこから取り出した力を用いて直拳を放つ。それだけよ」
「それだけ……ですか」
俺は思わず聞き返した。
とても俺にはそうは思えなかったのだが、どうやら誤解されたのか、老師がくいっと片眉を上げた。
「不服か?」
「い、いえ! そのようなことは!」
「『樁拳』は我が『龍門拳』の基本にして究極じゃ。この一撃に、全てが詰まっておる」
もう一度、龍老師は樫の木に『樁拳』を放った。
ドォン! とさっきよりもすごい音がして、木の幹にヒビが入る。
おいおい、あんまり傷つけるなよ。
老師は拳を引くと、一歩その場を退いてから俺に命じた。
「やってみよ」
「は、はい!」
俺は老師に代わって樫の木の前に立つと、見様見真似で『樁拳』をやってみた。
コツン。
あんまり強く殴ると痛そうなので、直前で速度を緩めたのだが、
ゴツン!
「っ~~~!」
「誰が手を抜けと言った。全力で打ち込め」
拳の代わりに頭頂部が死ぬほど痛い思いをした。
畜生、ハゲたらどうすんだ!
しょうがなしに、俺は覚悟を決めると、本気で右拳を突き出した。
ガン!
「いっ――!」
脳みそが痺れるような激痛。
指の皮が剥け、血がにじんでいる。
怪我の具合を確かめていると、
ゴツン!
「それしきでめそめそするな! 次!」
「は、はい……」
クソー、いちいち殴りやがって、覚えてろよ!
俺は泣く泣く痛みをこらえながら、ひたすらに硬い樫の木へ拳を突き入れ続ける。
「腰が逃げておる! 『軸』から拳に力が伝わっておらん!」
10回。20回。30回。
もう指の感覚などない。
手首から先は、隙間なく針を突き刺された肉の塊だ。
「もっと腰を回せ! 『軸』を基点とし、自重全てを拳に載せよ!
たわけ! 誰が足を動かせと言った!」
50回から先は、数えるのをやめた。
機械のように、自動的に、たびたび叱り飛ばされた通りにフォームを修正していく。
そうして、いつの間にか視界が夕焼け色に変わっていたころ。
(あ。わかった)
不意に、俺の中に直感と呼ぶべきものが訪れた。
次だ。次の一撃は、必ず決まる。
下半身はどっしりと重くし、力を溜める。
膝から腰へ。わずかな動きを鋭い回転へ変換する。
腰から背中へ。回転の力を、わずかも漏らさず伝導させる。
背中から肩へ。伝導させた力を、ハンマーで杭を打つように腕へと出力する。
そして、
ドォン!
初めて、俺の『樁拳』が樫の木を鳴かせた。
枝や葉っぱがざわめき、ぱらぱらと木の葉が降ってくる。
「……よい。今日は休め」
「あ、ありがとうございます……」
老師が短くつぶやくと同時に、途中から見守ってくれていたミラが駆け寄ってくる。
「ヴァン坊ちゃま! 包帯と水をお持ちしました! これで手当てを……!」
「あ、ありが……いや。ご苦労」
気がつけば、足元にはちょっとした血溜まりができていた。
げ、これ全部俺の手から出たやつかよ!
しかし、ミラはスカートが汚れるのもかまわずに膝をつくと、俺の手を濡れたタオルで拭き、ガーゼと包帯を巻いてくれた。
な、なんていい子なんだ……。仕事とはいえ……。
「あまり、ご無理はなさらないでくださいね、坊ちゃま」
「ふん! 俺を誰だと思っている。メイド風情に心配されるほど、落ちぶれてはいない!」
「ふふ、そうですよね」
ミラはそう言って、おかしそうに微笑んだ。
あれ? なんだかちょっと反応が違うな。
いつもなら『す、すみません!』みたいな感じで恐縮するのに。
ひょっとして、ミラの態度が変化してきてる?
怪訝な顔をしていると、ミラが頬を染めながらうつむいた。
「……坊ちゃまは変わられました。坊ちゃまがこの一ヶ月、ずっと修行に励んでおられましたところ、ミラは見ていましたから」
「……お、おう」
な、なんだこの空気は!
どういう反応すればいいんだ!? こんなのゲームにはなかったぞ!
うろたえていると、老師が鬱陶しそうにしっしっと手を振った。
「乳繰り合いならよそでやれ。見るに堪えん」
「し、失礼いたしました! 行きましょう、坊ちゃま。立てますか?」
「当然だ」
ヒエッ、もう包帯が真っ赤になってる!
これ貧血で死ぬんじゃないか? 大丈夫そ?
俺は慌ててミラとともに屋敷へと駆け出していった。
◆
訓練場に残った老師は、樫の木の幹をじっと見つめていた。
「…………」
硬い樹皮の表面には、無数の拳の痕が刻まれている。
下のほう。老師が打ち込んだ痕は、深く、鋭く、木の繊維を破壊している。
だが、上のほう。ヴァンが最後に放った『樁拳』の痕は、
「……よもや」
老師は思わずつぶやいた。
深さこそ、老師の拳痕のほうがはるかに深い。
しかし、衝撃の伝わった範囲が違う。
ヴァンの拳痕の周囲には、蜘蛛の巣のように細かいヒビが走っている。
軽く指を突き入れると、まるで枯れ木のように幹はえぐれ、ぽっかりと大きな穴が空いた。
「『透骨勁』……ありえぬ」
老師は首を振った。
ヴァンが――あの泣き虫小僧が、『樁拳』どころか、『透骨勁』――打撃した部位のみならず、その内部をも破壊する『樁拳』の応用技――をも習得するとは。
しかも、たったの一日で。それも、無意識にだ。
常人であれば、『樁拳』で一年。『透骨勁』で五年はかかる見込みであるというのに。
「天賦の才、か……」
老師の口元が、知らず歪む。
あの小僧は、確かに変わった。
一ヶ月前までは、泣き虫で、怠け者で、すぐに尻尾を巻いて逃げ出す腑抜けに過ぎなかった。
だが、今は違う。
何度殴られても、何度倒れても、必ず立ち上がってくる。
血を流しながらも、歯を食いしばって拳を繰り出し続ける。
「……久方ぶりじゃな」
老師は空を見上げた。
群青色の空には、早くも星々がまたたいていた。
ただの努力家なら、腐るほど見てきた。
天才と呼ぶべき者も、それなりに見てきた。
だが、その両者の素質を併せ持つ存在となると――三本の指にも余るほどしかお目にかかれていない。
胸の奥に、熱い炎が灯ったようだった。
己の拳の全てを、才ある者にあますところなく注ぎ込む。
そうして育ちゆく若木が、どれほどの高みに登るかを、間近で見守る喜びは、なににも代えがたい。
これぞ、武を極めし者の至福といっていいだろう。
もっとだ。
もっと強くなれ。
もっと儂を愉しませろ。
「クックック……」
不気味な笑い声を上げながら、老師は訓練場を後にした。
◆
翌朝。
いつものように訓練場へ向かうと、老師が木陰で待っていた。
「おはようございます、老師」
「……ふん」
老師は普段通りの冷たい様子で鼻を鳴らす。
けれど、その目には、昨日までとは違う輝きが宿っているような気がした。
例えるなら、獲物を見つけた狩人のようなギラつきが……いや、気のせいか。
「小僧、お前に試練を課す」
俺の心臓がバクンと大きく跳ねた。
きた! クエストだ!
「試練、ですか」
俺は内心小躍りしながら、次の言葉を待った。
老師は懐から、一枚の羊皮紙を取り出した。
「王都から北へ半日ほど行った森に、盗賊めらが巣食っておる。
彼奴らを始末してこい」
よし! 原作通りだ!
俺は今にも飛び上がりそうなのを我慢しながら、必死に平静を装った。
「一人で、ですか」
「無論じゃ」
老師は冷酷な眼差しで俺を見つめた。
「できぬとは言わせん。逃げ帰ることも許さん。必ずやり遂げよ」
俺は震える拳を握りしめた。
(これが……主人公の成長イベント!)
『ブレマジ』では、主人公がこの盗賊団を倒し、アジトで『秘薬』と呼ばれるアイテムをゲットする。
使えば任意のステータスにポイントを割り振り、成長させることができるというものだ。
この世界では、どう再現されているかは不明だが、『秘薬』によるステータス上昇はバグレベルだ。
なんとしても、主人公に渡すわけにはいかない。
さらに、盗賊団にはヒロインの少女が囚われており、助け出せば仲間にすることもできる。
この子もまた、ヴァンと同じく才能の塊で、ぜひとも戦力として加えておきたい。
というか、そうでなくとも性格が好みだから絶対に助けたい!
(ぜんぶだ。ぜんぶ俺が横取りしてやる……!)
俺は老師に向かって力強くうなずいた。
「わかりました。老師の期待に応えてみせます!」
「口だけは達者じゃな」
くるりと老師は俺に背を向けた。
「3日後の朝、出立じゃ。準備しておけ」
「はい!」
老師が去ったあと、俺はひとり練習場に残り、何度も『樁拳』を繰り返した。
(3日後か。それまでには拳も治るな)
昨日、医者に診てもらった右手は、すでに治りかけていた。
普通はこんなに早く治癒するものではないらしいが、そこは個人の体質ゆえということらしい。
便利は便利だが、その代わり『魔力無効化体質』のせいで、回復魔法をかけてもらうことができないから、実質トントンだ。
盗賊団の人数は、確か十数人とボス格がひとり。
原作では、そこそこ苦戦した記憶があるが、今の俺なら大したことはないだろう。
「絶対に、いける!」
俺は朝日に包まれながら、『樁拳』を打ち続けた。




