第3話『修行開始』
翌日。
重厚な木の扉を前に、俺は意を決して拳を握った。
今朝方、自室で目を覚ました俺がミラから伝えられたのは、朝食前に父ヴィクター・フォン・ヴェイルハイム公爵に呼び出されているということだった。
コンコン。
「……入れ」
「失礼します」
手の汗をぬぐいながら、父の執務室へ入る。
華美な装飾の類は一切なく、実用的なキャビネットや小机があるだけの、質実剛健な印象の部屋だ。
扉を開けて、すぐ目の前にある黒檀のデスクについていた、壮年の男が俺をまっすぐに見つめてくる。
俺は背筋をピンと伸ばし、デスクから三歩ほど離れた場所で直立不動の姿勢をとった。
「ドノヴァンと決闘をしたそうだな」
開口一番、低い声でそう問われ、俺は喉が干上がるのを感じた。
(まずい。『夜会の席で決闘騒ぎだと!?』みたいな感じか?)
怒られ方を予想しながら、俺はごくりと生唾を飲み込み、かすれた声で返事をした。
「……は、はい」
「決闘でありながら、徒手でドノヴァンを打ち倒し、剣はとどめにしか用いていなかったとか」
「お、おっしゃるとおりです……」
(ひいっ! そっち方面でもお怒りなのか!?)
俺は冷や汗が背中を伝うのを感じながら、戦々恐々とする。
我がヴェイルハイム家の当主ヴィクターは、容赦のない男だ。
指令が下れば、たとえ長年の知己として振る舞っていた人物であろうと、なんのためらいもなく暗殺する。
その冷酷さは身内に対しても変わらず、稽古をサボった俺に対しても、幾度となく折檻を行っており、傍若無人なヴァンが唯一恐れる人物だ。
……と、俺の身体がそう言っている。
「……なるほど」
ヴィクターは俺の言葉を受け、ひとつ頷くと、自慢のカイゼル髭をいじりながら沈思黙考し始めた。
(こ、怖い! 煮るなり焼くなり好きにしていいから、早く解放してくれ!)
ガタガタ震えながら、お沙汰を待っていると、ヴィクターは両肘を机の天面につき、組んだ手で口元を隠しながら、こう告げた。
「よくやった」
「……へ?」
虚を突かれた俺は、思わず気の抜けた声を出した。
「い、いいんですか? 夜会で決闘騒ぎ起こしたり、決闘なのにルール違反スレスレのことやったりしちゃったんですけど……」
「受けた恥をすすぐのは、貴族として当然のこと。
それに、我らヴェイルハイムは勝利のためならば、どんな手でも使う。
そう周りに知らしめてきたのなら、叱る理由などない」
よ、よかった……。
俺は安堵のあまり、その場に崩れ落ちそうになった。
怒っていないならそれでいい。むしろ、ちょっと喜んでいる感触すらある。
チャンスだ。ここで一気に畳みかけろ!
「やはり、お前には才能がある。もっと稽古に励め」
よし、行くぞ。
俺は小さく深呼吸をすると、おずおずと申し出た。
「あ、あの、ひとつ、お願いがあるのですが……」
ジロリ、と鋭い眼光に射抜かれ、息の根が止まりそうになる。
だが、ここで怖気づいたらダメだ。
主人公ageのために雑に殺されるなんて、そんな悲惨な最期を迎えてたまるか!
「父上のほうから、龍老師のほうに、お口添えのほうを、お願いしたくて……」
「口添え?」
「はい。その、つまり……もう一度、老師の教えを受けたいと」
なんとか言い切ったあと、俺はヒヤヒヤしながらヴィクターの言葉を待った。
永遠にも感じられる数秒ののち、ヴィクターは再びうなずいた。
「……いいだろう。ただし、二度と逃げることは許さん。
老師にも無礼だからな」
「あ、ありがとうございます!」
「もう行っていい」
「はい!」
俺は深々と頭を下げた姿勢のまま後じさると、執務室の扉をそっと閉め――廊下で一人ガッツポーズを決めた。
(よしっ! よしっ! これでハードルひとつクリア!)
現状、老師は俺のことを完全に見放し、稽古すらつけてくれない状態だ。
理由は簡単。
ちょっとでも厳しくされると、ヴァンがすぐ泣きわめき「こいつを首にしろ!」と騒ぎ立てていたからだ。
そんな俺への稽古を再開してもらうには、雇い主であるヴィクターからの一声が必要だった。
(あとは俺次第だ。頑張るぞ!)
老師をこの家に引き止めておければ、主人公が老師の教えを受けて成長することはない。
それどころか、俺自身が強くなれるのだ。
(主人公様には悪いが、俺も死にたくないんでね。勘弁してくれよ)
昨夜、いろいろと考えた結論はこうだ。
決闘イベは、起こるものとして動くべし。
この世界が、どれだけ原作通りなのかはわからないが、ドノヴァンに『超回避』を再現した能力が備わっていたところを見ても、その忠実度はかなり高いと見ていい。
もちろん、ギリギリまで回避できるようには努める。
だが、最悪の事態を想定しておいて損はない。
それに、俺自身、原作知識をフル活用すれば、どんなことができるのか、結構ワクワクしている。
原作を超えて強くなるのはもちろん、原作に登場したヒロインを、主人公から奪ってやることだってできるかもしれない。
(いやあ、楽しみ楽しみ……)
俺はスキップしながら朝食が用意されている、食堂へ向かった。
◆
朝食後。
俺は意気揚々と、屋敷の奥にある訓練場へ向かった。
石畳の中庭を抜け、使用人たちの詰め所の脇を通り抜けると、やがて開けた運動場に出る。
周囲を高い塀で囲まれた、外部からは見えない場所だ。
足元は、文固められた土。
所々に木製の人形や、剣の打ち込み用の柱が立っている。
俺は運動場の中央付近まで歩を進めると、キョロキョロと辺りを見渡した。
「龍老師……? いらっしゃいますか?」
返事がない。
もしかして、まだヴィクターから話がいっていないのだろうか。
それとも、完全に見限られていて、稽古は断られた?
そう不安になりかけたとき、ふと運動場の端にある、大きな樫の木の木陰に、人影があることに気がついた。
木の根元に、あぐらをかいて座る老人。
初春の冷たい風が吹いても、じっと動かず、まるで置物のようにこちらを見つめている。
(あれが、龍老師)
俺は生唾を飲み込むと、その老人のもとへ恐る恐る歩み寄った。
小柄な体躯。
年季の入った、シワだらけの皮膚。
だが、ただ座っているだけなのに、見るものを寄せつけない気迫のようなものを放っている。
龍の刺繍が施された、灰色の民族衣装を身に纏ったその姿は、何かを極めた者特有の、超然とした雰囲気を醸し出している。
俺は乾いた唇を舐め、問いかけた。
「あ、あの……龍老師。これまでの非礼をお詫びします。どうか、もう一度稽古をつけてはいただけませんか?」
「……ふん」
老師は鼻を鳴らしただけで、立ち上がろうともしない。
その俺を見下げ果てた視線の冷たさに、骨の髄まで凍りつきそうになるが、なおも言葉を紡ぐ。
「父上から、お話は……」
「聞いておる」
低く、しわがれた声。
「どこぞのボンボンを倒したそうだな、小僧」
小僧。
仮にも貴族の子息を捕まえて、とんでもない言いようである。
しかし、抗弁などする気はない。
俺は黙って首を縦に振った。
「それで、自信がついたから、儂のもとに戻ってきた、と」
「……はい」
老師はゆっくりと立ち上がった。
170センチはある俺より、頭ひとつ小さいはずの矮躯が、2メートル超えの大男のように感じられた。
「いったい何度、お前は儂の修行を放りだした? 三度か? 四度か?」
「そ、それは……」
「少々のことで泣きわめき、親に泣きつき、儂を追い出そうとした。違うか?」
ぐうの音も出ない。
俺の身体に残った記憶が、老師の言葉を事実だと告げている。
クソー、俺が悪いわけじゃないのに……!
老師は俺の目の前まで迫ってくると、じっとこちらを見つめた。
「…………」
値踏みしているかのような、長い長い沈黙ののち。
老師は小さくため息をついた。
「まあいい。旦那様の命だ。教えてやらんこともない」
俺はほっとして、弾かれたように一礼した。
「あ、ありがとうございます!」
「だが」
龍老師は眉を険しくした。
「次はない。いいな」
もしまた投げ出せば、たとえ公爵家の当主に命令されようと、俺に教えは授けない。
そんな無法を通せる自信があるからこその宣言だ。
俺は震えそうになる喉を叱り飛ばすように、大声を発した。
「はい!」
老師は鼻を鳴らすと、再び木陰へ戻り、あぐらをかいて座ると、こう俺に命じた。
「站樁」
「え?」
「知らんのか。站樁だ。儂がいいと言うまでやれ」
站樁。
ああ、あれか!
よく、漫画とかで中国拳法キャラがやってるやつだ。
確か、老師が教える暗殺拳の基本中の基本。
えーと、足を肩幅くらいに開いて、腰を落として、腕はなにかを抱えるみたいに丸くして……。
「このたわけ!」
「ひいっ!」
とつぜん怒鳴りつけられ、俺はぶったまげた。
な、なんだ!? なにが悪かったんだ!?
慌てていると、老師がズカズカと俺のもとへ歩いてきて、ガツンと脳天にゲンコツをくれた。
「っ~~~!」
痛みのあまりかがみこむと、今度は尻を蹴り上げられた。
「腰を下げるな! ……そう、そこじゃ。そこから少しでも動いてみよ、もう一度拳をくれてやるぞ!」
冗談じゃない。
あんな石みたいなグーパン、何度も食らったら、今度こそ病院送りだ。
俺は死ぬ気で站樁の姿勢を維持し続ける。
(1,2,3,4……)
頭の中で秒数を数え、時間を計測する。
最初のうちは楽勝だったが、だんだんキツくなってくる。
15分ほど続けたところで、太ももがガクガクと震え始めた。
(うぎぎぎ……!)
しばらく耐えていると、震えが止まる。
だが、身体が楽になったわけではない。
筋繊維が一本ずつ、ブチブチと千切れていっているかのような痛みが絶え間なく続く。
(30分……!)
また震えがきた。今度は全身にだ。
肩の高さに持ち上げている両腕、背筋にもかなりきている。
「ぐうっ……!」
とうとう耐えられなくなり、俺は尻もちをついてしまった。
天を仰ぎながら、瀕死のような喘ぎ声を漏らしていると、老師がまたこっちに来て、ありがたいゲンコツをくれた。
「ギギギ……」
「立て。もう一度じゃ」
「は、はい……!」
畜生、休憩なしかよ! 死ぬって!
だが、文句など言えるはずもない。
俺は殊勝な返事をすると、生まれたての子鹿のような足取りで立ち、再び站樁を始めた。
今度は10分と保たずにぶっ倒れ、またぞろゲンコツをもらった。
その繰り返しが、いったい何十回続いたことだろう。
太陽が西の山脈に沈んだとき、ようやく老師は待ち望んでいたことを言ってくれた。
「今日はここまで」
「あ、ありが……とう、ございました……」
俺は踏まれたカエルのようにうつ伏せになりながら、感謝を述べた。
もう、指一本動かす気力も残っていない。
(た、耐えた……耐えたぞ……!)
鬼のしごきを乗り越えた自分を褒めながら、俺は老師の去りゆく背中に問いかけた。
「あの、老師。明日は、なにをいたしますか……?」
すると、老師は振り返りもせずに言った。
「今日と同じじゃ」
「っ…………!」
絶句する俺を残して、老師は今度こそ去っていった。
(……い、いや。仕方ない。いきなり技なんて教えてくれるわけないよな。当たり前だ)
老師はまだ、俺のことを完全には信用していない。
当然だ。何度も裏切られてきたのだから。
だが、老師の温情でチャンスはもらえた。
あとは、俺が本気だということを証明するだけだ。
そうすれば、老師からあのクエストが与えられる……はず。
(待ってろよ、老師! 俺は絶対諦めねえ!)
そう心の中で啖呵を切ったものの。
…………。
(……ていうか、動けないんだけど)
地面の凹凸や小石が食い込んで痛い。
だが、もはや寝返りをうつことすら敵わない。
にっちもさっちもいかなくなっていると、様子を見に来たミラが肩を貸してくれ、ようやく俺は屋敷に戻ることができた。
「大丈夫ですか、ヴァン坊ちゃま……?」
「ふ、ふん……大したことはない……楽勝だ……」
くっ、なんとか気が触れたと思われないように、ミラに感謝を伝えなければ……!
俺は回らない頭を無理やり回転させ、褒め言葉をひねり出した。
「……少しは気が利くようになったな、ミラ」
「えっ? あ、ありがとうございます……」
ミラは黒目がちな瞳をぱちくりさせていたが、不審には思っていないようだった。
よし、この調子で少しずつ、態度を改善していこう。
目指すは『ありがとう』だ。『ありがとう』を素直に言える男になるぞ!
※ ※ ※
ここまでお読みいただきありがとうございました!
すでに第一章(10万字)は書き溜めているので、これから順次投稿していきます。
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