第14話『メインヒロイン登場』
我がAクラスの教室は、本館の二階にあった。
扉を開けると、すでに何人かの生徒が席についている。
黒板に貼り出してある座席表を見ると、俺とノナの席は教室の後ろのほうの並んだ二席だった。
「これが、教室……!」
ノナがソワソワした様子で、頬をほころばせながら辺りを見回している。
学校にも通ったことがないと言っていたし、さぞかし珍しく映っていることだろう。
「ヴァン様。なぜ後ろのほうの席ほど、床がせり上がっているのでしょうか?」
「そのほうが、黒板が見やすいからな」
「コクバン……?」
「黒板っていうのは、あの壁にかかってる緑色の板のこと。あそこに授業の内容を書いたりするんだ」
すると、ノナは不安そうに眉をハの字にした。
「あの、恥ずかしながら、わたしまだ読み書きがおぼつかなくて……大丈夫でしょうか……」
「平気平気。俺が教えるし、ノナならすぐ覚えられるさ」
そう言ってやると、ノナは安心したように胸を撫で下ろして微笑んだ。
その笑顔を見て、俺は改めて思った。
彼女には、なるべく普通の学園生活を送ってほしい、と。
やがて、生徒たちが次々と教室に入ってくる。
その中には、ルークの姿もあった。
やつの席は、教室最後列の窓際。主人公様の特等席だ。
そして、遅れて入ってきたのは、赤髪ツインテールの美少女。
燃えるような赤い髪を左右で結い上げ、琥珀色の瞳が強気な光を放っている。
やや幼いものの、可愛らしい美貌の持ち主だが、その表情には何者にも侮られまいという気の強さがにじみ出ていた。
彼女の名はリリス・フォン・クラウゼヴィッツ。
『ブレマジ』におけるメインヒロインだ。
リリスもまた、ルークに次ぐ要注意人物のひとりである。
リリスは教室を見渡すと、一瞬だけ俺のほうに視線を向けた。
「…………」
な、なんだ。美人の無表情は怖いぞ。
気圧されないよう、内心気を張っていると、やがてリリスの視線は逸れ、割り当てられた席であるルークの斜め前に腰掛けた。
なんで、リリスは俺を見てたんだ?
今のところ、俺と彼女の間に接点などない。
原作においても、ヴァンとリリスが個別に会話することすらなかったはずだ。
リリスの関心を得る理由があるとすれば……入学試験だ。
恐らく、俺とケネスの試合を見て、興味を持ったとか。おおかたそんなところだろう。
あれこれ想像を巡らせていると、
「あなたがルーク・エーデルシュタイン?」
「そうだけど、あんた誰?」
突然、リリスがルークへ話しかけた。
ちなみに、貴族であることを意味するミドルネームのフォンは、省略される場合が多い。
「リリス・クラウゼヴィッツ。あなたの入学試験、見させてもらったわ。ガレスのことは昔から知ってるけど、あんな負け方をするなんて思わなかった」
「そうかい。俺もだよ」
「率直に聞くわ。どんな手を使ったの?」
きっと柳眉を険しくするリリスに、ルークはかったるそうに嘆息した。
「なにも……って言っても、信用してくれそうにないな」
「あなたの動き、まるでド素人だったもの。ガレスの攻撃をしのげたのは、単なる偶然。それで彼が落ちてあなたが受かるなんて、どうかしてるわ」
「何が言いたいんだよ?」
「あなたみたいないかがわしい輩は、この学園にふさわしくないってことよ」
おいおいおい、なんか雲行きが怪しいぞ?
リリスのルークへの好感度は、最初からそれなりに高かったはず。
なのに、なんでこんなに攻撃的に……。
(あっ……!)
俺は思わず口を覆った。
そうだ、リリスは確か、ルークが模擬戦で大人顔負けの戦いぶりを見せたからこそ、彼に好感を持つのだ。
だが、俺が原作を改変したことで、興味を持つ対象が俺になり、主人公補正で勝利したルークを嫌悪するようになった。そういうことか?
いやいや、それはよくない。
ルークの野郎がどうなろうと知ったことではないが、それでも俺はルークに惚れているリリスが好きだった。
そんな彼女の好意まで横取りしようとは思わない。
それに、万が一リリスに惚れられてしまうと、あとあと大変に面倒なことになる。
なんとかして、原作通りルークとリリスがくっつくよう仕向けなければ。
しかし、やはり原作は下手に歪めないほうがいいな。
世界の強制力が働いて、思わぬ部分にひずみが生じてしまう。
今回のルークとリリスの反目がまさにそれだ。
リリスからの攻撃に、ルークはうんざりしたように両手を挙げた。
「わかったから。それで、俺みたいな輩はどうしようっての?」
「別に、どうもしないわ。ただ、一言いっておきたかっただけ」
「あっそ。言うだけ言ってスッキリしたかったってだけね。……ガキかよ」
ボソッと毒づいたルークに、リリスが目尻を吊り上げた。
「は?」
「は? じゃねえよ。自分で売った喧嘩だろ。てめえの機嫌くらいてめえで取れや。だいたい、裏口とかそういうこすいやり口は、あんたの専売特許だろ、成金貴族さん」
「っ!」
ヤバイヤバイヤバイ。めちゃくちゃ険悪になってる。
自然と大きくなった二人の声は、今やクラス中に響き渡り、生徒全員の注目を集めていた。
仕方ない。極力、彼らには関わらないつもりだったが、俺が蒔いた種のようなものだ。
責任を取って仲裁しよう。
俺は二人の間に割って入った。
「落ち着け。ルークは不正なんてしてない。リゼ……学園長もそう言ってただろう」
すると、リリスの目がじろりとこちらを向いた。
「あの学園長、条件次第でどんな融通も利かせるって話だけど。知らないの?」
知ってる。誰よりも。
俺は爆発寸前のリリスをなだめるように、手で彼女を制した。
「噂だろ。証拠はない。それに、学園長は特級魔法使いだ。仮に、百歩譲って裏口入学をさせてたとしても、一人や二人ならお咎めなしさ。責めたってしょうがない」
ノナみたいにな。
俺は諭すように言った。
「文句があるなら、お前も特級魔法使いか、魔法協会の理事長にでもなって、学園長に直接物申すしかない。この国はそういうルールだ。違うか?」
リリスはしばらく押し黙っていたが、やがて決然とうなずいた。
「……あなたの言う通りよ。実力がすべてだものね、このエルドラン魔法王国は。さすが首席入学者ね、わかってるじゃない。ヴァン・ヴェイルハイム」
「わかってくれたか」
ほっとしていると、リリスがルークに指を突きつけた。
「だから、決めたわ。わたしは在学中に特級魔法使いになる! そして、ルーク・エーデルシュタイン! あなたを退学させてやるわ!」
「やってみろよ、できるもんならな」
「ええ、やってやるわ!」
怒りと決意に燃えるリリスと、そんな彼女を煽るように不敵な笑みを浮かべるルーク。
「在学中に特級魔法使いかよ。大きく出たな!」
「確か、リゼット学園長も、特級になったのは卒業してからだろ?」
「いや、クラウゼヴィッツ家の出身なら、あるいは……!」
「へへ、面白くなってきやがった……!」
勝手に盛り上がる外野たちを尻目に、俺は愕然としていた。
なぜだ! 二人を仲直りさせるどころか、決定的な亀裂ができてしまったじゃないか!
これは……まずいぞ。
「さすがです、ヴァン様……! ああしてリリス様を煽ることで、ルーク様を潰させようという策略なのですね!」
「あ、ああ……もちろんそうさ」
目をキラキラさせるノナに、俺は余裕ぶってそう答えるしかなかった。
そんなわけねーだろ!
俺が内心頭を抱えていると、チャイムが鳴り響いた。
教室の扉が開き、担任と思しき初老の男性が入ってくる。
おどおどした様子で教壇の前に立つと、小さな声で言った。
「え、ええと……皆さん、入学おめでとう」
年齢は四十代後半くらいで、体格は中肉中背。
薄くなった髪を隠すように撫でつけ、よれよれのローブを着ている。
冴えない顔立ちに、自信なさげな態度。
確か、入学式で最後に一瞬だけ喋っていた、副学園長のおじさんではなかろうか。
「私が、このAクラスの担任を務める、エドガー・フォン・シュミット……です」
教室はまだ、騒がしいまま。
誰一人、エドガーの話など聞いてはいない。
「特級ってどうやったらなれんの?」
「魔法協会からの推薦。まあ、そうそうもらえるもんじゃないけどな」
「学園長はなんでもらえたんだ?」
「帝国の一個旅団を一人で殲滅したんだってよ。……壊滅じゃないぞ、殲滅だぜ? 半端ねえよな」
「ひえー。特級はやべえな」
「あ、あの……静かに……」
興奮した様子で、リゼットの武勇伝を語り合う生徒たちの耳には、エドガーのささやくような声など届いていない。
……どこにでもいるんだなあ、こういううだつの上がらない先生って。
中学生の頃にも、似たようなおじさんが学校にいた。
生徒からは完全に舐められ、授業は常に動物園状態。
他のクラスからクレームが入っても、そのおじさんは生徒を静かにさせることすらままならない。
結局、精神を病んだとかで休職し、そのまま辞めてしまったっけ。
あのときは、俺も不良が怖くて助け舟なんて出せなかった。
でも、今は違う。
俺は立ち上がり、教室全体に響く声で指示した。
「静かにしろ」
その瞬間、クラスメイトたちが静まり返った。
全員の視線が、俺に集中する。
「担任のエドガー先生がお話ししている。聞け」
一部、反感を抱いたように睨んでくるやつもいたが、逆に睨み返してやると、すぐ目を逸らした。
「あ、ありがとう。ヴェイルハイムくん」
「礼には及びません」
感激したように、ぎこちなく頭を下げるエドガー。
俺の名前がすっと出てくるあたり、予習はしてあるのだろう。
頼りなく見えるが、担任としてはちゃんとしているようだ。
「では、自己紹介をお願いします。……では、アッシュフォードくんから」
「はい。俺はグレイ・フォン・アッシュフォード。出身は――」
一番前の生徒から、自己紹介が始まった。
俺は彼らの話を頭に入れながら、なにを話すべきかを考える。
……うん、無難にいこう。変に目立つ必要はない。
さっきは焦れったくてエドガーを助けてしまったが、本来ああやって敵を作りかねないことは禁物だ。
学園での目標は、死なずに三年間を終えること。それだけだ。
「では、次。ヴェイルハイムくん」
名前が呼ばれたので、返事をして立ち上がる。
再び、皆の視線が俺に集中した。
「俺はヴァン・フォン・ヴェイルハイム。出身はブエナ地方。趣味は武術の研鑽だ。よろしく」
平民がいる可能性のある場所や、公の場で名乗るときは、フォンをつけるのが常識だ。
むしろ、つけないと貴族ではないと勘違いされてしまう。
「ねえ、ヴァン・ヴェイルハイム」
特に突っかかられるようなことを言ったつもりはなかったが、不意にリリスが話しかけてきた。
不意を突かれ、ちょっとドキッとするが、落ち着いて返した。
「ヴァンでいい。なんだ」
「首席入学者なんだっけ? このわたしを差し置いて」
「そうだが?」
話の流れが読めてきたぞ。
嫌な予感を覚えながら、俺は続きを促した。
リリスはエドガーのほうを向くと、律儀に挙手してから発言した。
「先生。自己紹介のあとは、レクリエーションですよね? クラスメイト同士の交流を深める時間」
「は、はい。そうですが……」
「校則では、教師の監督下であれば、生徒同士の模擬戦も認められているとか」
「ええ。……まさか」
「わたし、ヴァンと勝負したいんです。監督をお願いします」
リリスがにっこり笑いながら、俺に宣戦布告してきた。
……なんだ、この展開は! 原作もクソもねえじゃねえか!
原作では、もう少しあとにリリスがルークに決闘を申し込む展開が訪れる。
それが、なぜかこのタイミングで、俺が標的になってしまった。
リリスに勝てば、いらぬ注目を集めてしまうし。
負ければ首席入学者の面目丸潰れで、今度は下に見られてしまう。
どっちに転んでも、面倒なことになるわけだ。
うーん……強いて言うなら、見下されるほうが嫌だな、俺としては。
よし、いい感じに接戦を演じて、辛くも勝利って感じにしよう。
そうすれば、リリスの面子も立つし、お互いウィンウィンで終われる。
俺はおもむろに立ち上がり、リリスの挑戦的な視線を真っ向から受けた。
「いいだろう。受けて立つ」
わっとクラス中が盛り上がった。




