昼下がり
家に帰ってきてみると、あの割れた姿見は中途半端にひび割れが直って、
気づくか気付かないか、多分、後者の判定で「まだ使えると思って」と彼がそのままにしてあった。
ゴミ袋があちこちにや溜まっていて、家事が仕事に追いつかない所を垣間見る。私の携帯は、
実家での療養中に、他の人格が壊して使えなくなっていた。
これまで膨大な密度の霊体験をして、彼らも、沈黙するのにもキレて、精一杯ではあった。
さて。
ここからが、自由だ。
これから、あの現象の答え合わせをしなければならない。
生活や日常も取り戻さなければ。
姿見の修復現象は、スピリチュアルとしか言いようがない。
今までも色々調べる事が、沸々と、頭に浮かんでは消え、妖精の前髪は、私には掴めない。
幾度、諦めも浮かんだ。だが、どうしても気になる。
この部屋で療養中、恋人の異変に二度、気付いた。
一つは、病気の症状に分からないなりに接しようと献身的であった姿。
もう一つは、何かが取り憑いていたような影が、入り口の、小さな窓に映った時。
後者の時、彼は私に指輪を渡してきた事があった。包まれていた箱に貴方と結婚しない、という意味の
英語の羅列をボールペンで彫った筈だ。
だが、確かめても、その跡は、指輪の化粧箱には、見当たらない。
彼に聞くと、箱を取り替えるなんて思いつくほど、跡に気付いたことも無かったと言う。
台所の天井近くの棚に、英字のリメイクシートでコーティングしてあったのに、棚の戸の入れ替わりは、
元に戻っていると気づいた。
上には何も取り出すものなど入っていない。
あくまで飾り棚として使って、触れる機会もなかったのに。
裸足で出て行った頃には、動かされておらず、その後、実家で療養している頃としか考えられない時間軸で、
戸棚の左右は逆になり、英字は互い違いに写っていた記憶があったはず。
やはり記憶は二重にあり、錯綜としている。
解決には時間が要ると思った。整理したい気持ちは変わる事がない。
そこから、とんと、霊現象が2ヶ月ほど、止んでいる。
何かの啓示が立て続けに、再開される予兆も、見られなくなり、3ヶ月目を迎え、4ヶ月目辺りに、入院先の院長が、主治医になって、しばらく経った。
「解離性だね。」
私のカルテを見て、『解離性人格障害』の病名を入院生活を振り返ってから、診断を書き加えた。
全ての出来事は、全く話していない。
宙を見て、誰かと交信するかのように、「会話」しているだとか、夢中で、叫んでいたり、
それだけじゃない、私には、既に自覚があったからこそ、そこに辻褄や整理をつけるための
説明をしたが、主治医は、淡々と、決めただけのようだった。
だからと言って、そこに片付く話ではなかった。
相変わらず、私は、カウンセラーにと、話を続けた。
何より、興味深げに聞く姿勢、頼り甲斐があった。
経験がなくとも、傾聴し、自身で推察する力が、彼独自に、ある。
私は、彼と、情報を整理し始めていた。
主権は私に、軸を持たせたまま。まず、そこに、感謝した。
彼は、病院付きのカウンセラーではなかった。
だからかもしれない。
互いに、要らぬ先入観なぞ、持ち寄らずに、話すことができた。
それが、とても楽で、自由で、合理的だった。
「最近、どうですか。」
「入院中まで、あれだけ、話しかけていた晴明が、ぱったり音信不通で、何だったんだか。」
「人格というには、ちょっと逸脱した予言も残していて、そう感じるんだね。」
カウンセリングというのは、井戸端会議に似た入り口から、私たちは、いつも始まる。
内容が突飛なので、それはそれで、常軌を逸している。ただ、それが、普段通り。
あくまで、カウンセリングは、治す事に長けているのではなく、問題の解決に必要な糸口の整理を
患者に促すことによって、自然と治っていく時期が早まる、という印象。
「あれから、言葉の意味合いは、調べ続けているの?」
カウンセラーの言葉に、ふと考え込む。
意味が分かったとしても、その関連性で芋づるに、次の謎が後に続く分、終わりが見えない。
それを続けることに、意味や事実があるとすれば、私が全てを知ったとして、何の影響をこの世界に、
来すか。それだけだろう。言葉は、選ぶべき。
発することで、その人の行く道の選択や決断に影響し、何かを書き換えることにもなる。
「調べても、謎が引き続いてくだけで、収穫までとは行かないですね。」
お茶を濁す言い方を自分でもしていると、思いながら、嘘は言っていないと、自分を宥める。
カウンセリングからの帰宅後、携帯を取り出して、
検索窓に俄かに降りてきた言葉を打ち込んだ。
『Thousands belong 和訳』
検索結果が出力されるが、カタカナで発音が出るだけだ。英語からドイツ語に直してみる。
『Tausende gehören』そこから日本語へ。
『千の所属』
さてここからが思案の為所である。
何か続いて降りてくるので、それを打ち込んだ。
『how long many thousands』
日本語に訳した。
(何千年も)
さて、これは誰に向けての言葉だろう。
メモアプリを開き、頭に流れてきた言葉を打ち込んでみた。
『you long before』
再度、翻訳機アプリで翻訳をかける。英語は漢字より文字から受ける視覚的なインスピレーションが少なく、
文法の語感のニュアンスしか私には訴えてこないからだ。
(あなたはずっと前に)
なるほど。輪廻を意味しているのはわかるが
千の所属という文言がずっと気になる。
続けて、また文字が流れ込んできた。
『you got before long name is it』
翻訳してみる。
(あなたはすぐに名前を得ましたか?)
ドクンッと、心臓が脈打った。何が始まろうとしている?
これは私に話しかけているようだ、とも思った。
英語でのNoの使い方は、自分でも曖昧なので、
「Non」
(いいえ)
仏語でメモ画面に打ち込む。
またすぐ返答があった。
『you after tomorrow never thing』
(明日以降は決して何もしない)
「why」
(なぜ)
感覚のまま、ニュアンスだけで返答してみる。
返答が返ってくる。
『you don't pretend』
(あなたは偽りを言うな)
また簡単に語感だけで返答する。
「is true thing better?」
(それは、本当に最善の策か?)
『it’s true thing better』
(それは本当だ)
「I’m writing story」
(私は、物語を書いている。)
主語も何もないが、向こうは私の、今書いている物を認識していると思い、返答した。
僅かに間を置いて、返答が来る。
『ok you things better we can』
(わかりました、私たちはもっと良くすることができます)
明日から、調べてはいけない。
そう言われているようだった。
そして、ずっと気になっていた「四十八願」を検索窓に、打ち込んだ。
出力された結果に、面食らった。
『四十八願とは、浄土教の根本経典である「仏教無量寿経」に説かれる、
阿弥陀仏が法蔵菩薩として修行していた時代に立てた48の誓願のことです・・・』
これが、晴明の言った、私の身の上の事?
また、あのフレミングの法則の逆手をして、晴明が割って入ってくる。
「自覚がないからこそ、悟りを一から得る姿勢は、素晴らしい事ですが、彼の人が、
貴女に生まれ変わるからこその難しさというものもありましょう。困った命だ。」
「入院中、私の病気をややこしくした、鏡に映った小狐から、聞いたけど、狐の眷属には、
阿弥陀が守ってくれているって。どういう事なの?」
「あの子たちは、色々と真実と虚像を織り交ぜて、自分の欲しい方向へ誘いがちですね。」
「自分の欲しい方向?」
「つまり、貴女に守って欲しいのですよ。自分達をね。」
「ああ、そういう事か。」
「でも、本当に、貴女は理解が。早いですね。」
「先に進むために、最も合理的で、割り切った、思い切りのいい選択をしなければ、長い疑問は、片付かないし、過去は、解けなくなるから…。」
「その上、足が縺れるほど、前には進まない。貴女って、怖い人です。」
「それは、お互い様かなと。」
「でしょうかね。」
晴明は、笑んだ。
カウンセリングの翌日の午後。
洗濯物が、風に棚引いている。
穏やかに、昼下がりの陽だまりを背に受けながら、私は、コーヒーを啜った。
こんな瞬間を、『何もない生活』と呼ぶのは、塩梅、少ないのでは。と思う。
時間の流れを感じたり、背に暖かさを受けながら、風を眺めて、満ち足りた心地を感じているのなら、
『何もない』は、相応しくない。
調べてはいけないのに、体内に、宇宙を感じる。
妙に、奥深い。その光景は、私の胸の奥で、見つめている世界だ。
人は、体内に、それぞれの宇宙を秘め、生活している。
その惑星の間に、間に、膨大なネットワークの光がある。
私の中の、検索窓に、様々な文言を同時に、打ち込みたくなる。
だが、そこに答えを得るとしても、世の理からすれば、『偽り』になるかもしれない。
この世に、裏付けをするのは、やはり、この現でしか、為し得ない。
「何も、調べてはならない・・・」
晴明の気配がして、私は、無言になる。
頬杖をつく、右手の人差し指が、私の右頬を、つんつん、と突く。
「どうしたの?」
聞き返した私の、小首が傾げられ、苦笑いをした晴明が、
「調べたくなっているんでしょう。」そんな、茶々を入れ始めた。
「わかるのが、早いに越したことはない。とはいえ、向こうも、準備がいるのですよ。何もかも、期が熟してから。最も、良い形で、収穫されるようにね。」
昔、母親は、手相を見れる人だった。霊感もあった。
身内は見れない、というのを無理やり見てもらい、たった一言。「あんたは140年生きるよ。」と言うのを、
ただふと、思い出しただけで、
「長い人生ですから。」間髪入れずに、そう言ってくる晴明の、一言に、苦笑いしか浮かばない。
息をつくと、コーヒーのお代わりを入れに、台所へ立ち、換気扇のスイッチをオンにしながら、
タバコに火をつける。
何かあるようで、何もあってはならない、昼下がり。
煙が吸い込まれていく行方を、ぼんやりと眺めていた。




