HE SAID NO SIDE
音沙汰のない、心が途絶えたように空白だった、3日間を経て、私の掌には、「今」しか残されておらず、却って、清々しく思った。
キャンバスに、何を描こうが、誰が文句を言うわけもなく、日常が折り畳まれていく。
目に映す色彩は、やたら、空気が生温い、鮮烈な夢だった。
君は、何を欲する?
度々、耳に触れる言葉に、煩わしさを感じて、目覚めた。
聞いてくる相手には、きっと、答えなんてないだろう。
欲 し て い る も の な ん て。
君 の 答 え じ ゃ な い だ ろ う ?
自分にも、言われているような、鈍痛が頭に鈍く響いた。
HE SAID
NO SIDE
鋭い声と共に、耳鳴りがして、ふと言葉が浮かんだ。
いや、降りてくるに近いかもしれない。
カンナギとカンナミ
似たような、言葉なら、聴き覚えがあった。
日本神話のイザナギとイザナミだ。
携帯を取り出し、カンナギとカンナミを調べる。
すると、A Iによる概要は、このように、出力される。
カンナギ(巫、神和ぎ、神薙ぎ、神凪)
神憑り(かみだかり)や神降ろし(かみおろし)を行い、神の意思を人々に伝える役割を担っていました。古代においては、神に直接仕える特別な能力を持つ存在として重要視されていました。
カンナミ(神南、神並)
主に男性の神職を指す言葉です。
神事を行う神職のうち、特に神前で舞を奉納したり、神を祀る儀式を取り仕切ったりする役割を担っていました。
な、る、ほ、ど。
つまり、神の依代と晴明が唄う私の場合において、カンナギという名称が存在している。
と、な、る、と。
彼が私に、指南したことは、全てでは無いはずだから、今ふつと沈黙している時間にも、
何か今後の意味がありそうである。
し、か、も。
私自身のカンナギ的な要素に於いての、理由や説明があまり明確でない事に、起因している可能性はあるようだ。
「然るに、彼は万物創造を経て、全知全能を司る意味を知りました。
然し乍ら。全てを未だ、一度として、全てをお救いにならず、一度に全ての願いを叶えない意図を推し量りかねる万物に、納得する言葉が言えないまま、御自身をお救いにならないのです・・・・」
あれから晴明は、「仕事がひとつ、終わりまして。」と、帰ってきて、私に、講義を続けている。
「聞いていました?」
「ん、聞いていたよ。」
「私がしたい質問よりも、貴女が、お示しくださいませんか。」
「と、いうと?」
「この話を聞かれて、どう思われました?」
「願いを全てに一度で叶えたら、なんていうのは、暴論かな、と誰もが思うんじゃない?
まずひとつ、願いの種類にもよる。誰かと誰かが殺め合ったり、誰か一人が死ぬ願いでもしていれば、その人の願いを叶えても、もう一方の願いが叶えた事にならなかったりもするし、全てが、同じ瞬間に幸せになる事を、喩え神が望んでいたとしても、それは、神の力によってではなく、万物そのものが、理解して、解決して、実現しなければ、叶うということへの感謝や情熱がなくなって、やがて、叶うのが当たり前になった頃、誰も何かを遂げる事に感謝も何もしなくなるからでしょう?
もうひとつの理由として、不幸なんてものは、自分が作り出した情念のホログラムみたいなもので、それが無条件に、不幸の方が叶いやすいと、「信じた」「信じるしかない」現象を生み出す「経験」に対しての、思考の癖であろうし、突如として、襲うものの場合でも、「運命」とこじつけるには、早いかなとも思うよ。」
「運命というものは、決まっていませんからね。全ての集散した出来事が付合した結果でしかない。」
「そうね。」
「貴女の洞察で、いっ時でも、彼が救われると良いのですが。」
「こんな事、誰でも考えつくよ。」
「そこまで、考えてくださる方が、一人でも多くおりましたら。」
「何だかずっと、ニヒルだね。」
「ニヒル?」
「皮肉っぽいし、虚無的。」
「よく言われます。陰でね。」
「嫌味じゃなくて、心配しているんだけれど。」
「それは光栄ですね。」
「嫌味だなぁ。」
「ご冗談を。」
ごめんあそばせ、って事か。と、ひとつ納得して、そこは話を終えるなり、自宅の換気扇へ直行する。セブンスターのメンソールに火を点けて、やりきれなさを煙と一緒に吐き出して、それ以上考えることは、有耶無耶にしてみる。頭の中に、ただ霧を満たすようだ。




