潮風とカーテン
言い訳をするように、昼下がりのカーテンが揺れている。
昨日の事を思い出していた。
私が見たかった茜空なんて、既に出会っている。
学校の最後の挨拶が好きだった。
「先生、さようなら。みなさん、さようなら。」
自殺遺書に近い気持ちで、なぞるように言った。
ドス黒い感情を込めて。
帰り道だった。
白い雲が、少し赤く染まり始めて、雲から空へと降りて来るグラデーョンは、ピンクがかった雲の下、薄紫になっていた。太陽の近くは赤く、地平線に近づくほど、その赤は深い紅色をしていた。トンボの群れが、私を囲んだ。
いつも、公園の中を通って、帰る。とても長い敷地面積をした公園。文化会館に行くまでに、小学生の足で、40分はかかった。
トンボは間近をぐるりと囲んで、私を見守るように、群をなした。
どんな速度で歩いても、合わせてくれるようだった。
夕焼けが、昔から好きだった。
みんな、そうだと思っていた。
夕焼けを見ると、悲しくなるサラリーマンの話を聞いた時、解釈違いがあるんだと知った。
終わりを好きな者は、特異なものだったのか、と唖然とした。
一日、一日を、終わらせたかった。
でなければ、布団の中で、目を閉じる事さえ、叶わなかった。
それくらい、毎日が辛かった。
生きていることが、とても辛かった。
忘れていくことが、できなかった。
恥も、外聞も、かなぐり捨てる事ができる年齢などでは無い。
自分のプライド、羞恥心、孤独、庇護への渇望の抑制。
どの場所にいようと、綻びは許されない。
生き抜く事を選んだ時期があった。
高校に入った時、全てそれを凌駕するような、クラスの中心になった子が居た。
一目置かれ、人を自分よりも自然と、下にするような話術に長けた子だった。
その子の言葉は、自己愛性人格障害によるものだと知った。
皆、気を使った。
私も、気を使った。
けれど、その子は、私に気を使うことはなかったし、傷付けることばかり言った。
最初の冬、年賀状に書かれてた言葉があった。
「生きるって、なんて簡単なんでしょうね。」
言い残すように、余韻が降りた。
私への不器用さを冒涜しつつ、自分の多彩さを上に載せるような、見下しの口語訳だった。
その子が、誰に復讐するつもりで、生きてるのか、理解する前に、白けた。
その子が、見下してくるほど、私も、その子を見下す構図ができた。
でも、クラスで明らかに、私は、振る舞いが浮いていた。
その子へ、何もかも、祝福するみたいな、周りの反応に、鬱屈とした。
うまくやる、何にも信頼を置かない、敬意も示せない、筋の通らない、裏ルートで入国するみたいな精神が嫌いだった。
人にラベルを貼り、自分にステッカーを貼るような、勝ち組の見せ方。
白けるほど、バカらしくて、否定すら起きなかった。
好きにやれ。
無法地帯化してく時代を呪った。
信念のない、筋の通らない、敬意のない、やり方が嫌いだった。
ああ、そうだ。
私は、あいつが、嫌いだった。
ふざけんなよ。
言ってやればよかったのに。
憎まれっ子、世に憚る。とは、よく言ったもんだ。
お幸せに。
人は理由があって、誰かを嫌い、阻害すると思っていたけど、生まれたままの気質で、蔑まれる事もあるんだと、知ってから、何かが狂うように、音を立てて、私を急き立てた。
私には、つくづく、何も味方してくれない、とさえ、思った。
何か取り柄があるわけじゃなかった。
部屋で、口づさんだ歌を、「お前の歌は、公害だ!」と、父親が怒鳴った事があって、
以後、歌えなくなった。歌おうとすると、声が出ないのだ。
他クラスの子に、帰り道、歌詞が知りたい歌があるから、歌って!と、頼まれ、「下手だよ。」と添えて、歌った時、「上手いじゃん!」と言われたことがあった。
きっと、目を丸くしてた私に、「歌なんて、自己満足でいいんだよ。」と言われた。
あれがなきゃ、今は、何も、歌えてない気がする。
自分の人生の、細やかな部分を、鼓舞するような、一コマをずっと抱えて、温め続けてきた。
だから、死ねない。
一瞬でも、自分に笑いかけてくれた人が居た。アルバムがなくても、書いてくれた手紙が、見つからなくても。ずっと、胸の中にいる。きっと。これからも。
私は、冷たいものばかり、見すぎたんだろうな。
まだ、温かいものは、残ってるのかも知れない。
かもめの鳴き声と、潮の匂いが、窓から吹き込んだ。
荒れた私の気持ちが、幾分、穏やかに染まった。




