阿汰止
明け方、妙に早起きをしたら、晴明は、私に授業を行った。
「あなたは、時折、『あたし』と言う事があるのをお気づきですか?」
「そういえば、そう言う時も、あるかもね。」
またフレミングの法則の逆手が、ペンを取り、走り書きする。
「『阿』『汰』『止』。調べてご覧なさい。」
携帯を取り出し、書かれた字の一つ一つの意味を索引する。ちょっと、面倒だな、と思った。
『阿』は、おもねる、へつらう。と言う意味以外、中国語で、疑問文に添える、あっさりした疑問の気持ち。を、表すらしい。
『汰』は、「洗って、より分ける」と言う意味がある。
『止』は・・・多分。言わずと知れた、「止める」を意味するのなら、索引は不要だった。
「これが、何を意味するか、あなたの言葉で、訳してご覧なさい。「
「自分を卑下してる状態を選別する事への疑問?を止めたい、とか。」
「いいでしょう。『汰』は、度を過ぎる、と言う意味も指します。解釈としては、度を過ぎた媚び諂いの自分を止めたい、あなたの願いです。切実な、ね。」
「ふー・・・ん。」
呆然としながら、返答の音を上げてみるが、実感が伴わないのは、明白だろう。
何か、思案の裏をただ見守るだけのような、不安定な心を顕にしてしまった気まづさを感じつつ、また私は、思考の裏を漂い始めた。
「自分なんて、ないんだ。」と、父は生前、繰り返し、私に言った。
「自分は、在るの。」と、母は、私を真っ直ぐ見つめて言った。
その二人の言葉を、迷いの森のように行き交うだけの自分へ苛立った。
自分を構築しなかったが為に、陥っている沼だ。と、気付いている。
掘り下げる時間を奪われた、苛立ちなのだと。もっと早く、母の否定の言葉を欲していた。
自分で答えを見つけようとする度、誰かの指針に汲みする方が、明らかに、楽だった。
でも、片方を失って、その意味が重くなる時、迷わず、天秤は、簡単に、傾く。
晴明が、一体、どんな答えを持っていようと、私の傷を否定しようものなら、噛み付くことくらいはするだろう。私の中で、一番、重いのは、痛みそのものの感触だった。
晴明は、私に、何を気づかせ、その後、何をさせたいのか、裏の意図を探ろうとする思考に、邪魔されて、岸辺に座礁したようになる。
私が心から、欲しているのは、生きるために、憎む対象が現れる事だった。
それだけで、生きていたし、生きて来れたからだった。
でも今は全て、無駄に感じるのだ。何の材料を持ってしても、私の生きる意欲なぞ、湧いてくる気配なぞ、感じもしなかった。
正解は、宙を泳いだ。とても掴めそうには、なかった。迷いの森を徘徊する自分に苛立つ。
自分が必要とされる事を、いつからか渇望するようになって、それが、世界一難しいんだと思い知らされる日常の中、報われない火種となって、自分を前に進ませる推進力であり続けた思いは、よもや真実を見る事を塞いだ。
なら、私が私を愛する条件なんてものは、とても叶えられそうになかった。
「お前は愛されない」と父が論拠していく日常会話に、水を差してくれる誰かを待つこともせず、すべきことは、もはや無かった。それが、私の価値に等しかった。
全ては、無駄。なんだよ。
何もかも持ちうるものなど持たなかった自分に。
光が刺すとしたら、それは、まごうことのない、消えいる将来と、終わらせる未来の、
眩しい茜空の夕焼け。
死は、とても怖いものだ。
最後の審判から、終わり損ねた自分を恨んでいた。
けど、何も犠牲にせず、死ぬる事を欲した。それも、無意味だと、どこかで悟っていた。
自分で生まれる場所も環境も選べない事を嘆くように、生まれ落ちて、最後に死ぬ機会さえも選べなくて、多く人は悩む。自分で決められることなんて、何一つない気がした。
ただ、無価値だと言う事実を押し付けて、思い知らせて、それでも生きていろ、と云われる性が苦痛でしかない。
少しマシな結果を寄越すなら上等で、人は、その選択に甘んじて、妥協して、孤独になる。
それしか与えられなかった者の描く将来なんてなく、白紙のスケッチブックだけが残る。
病的に黒で塗り潰すのは、言い表せない恐怖のSOSだった。
誰か、気づいて。
誰が気付かなくても、信頼をいっ時でもした、恋人ですら、私を言い表せない。
どんなに近しく、それが運命だとしても、自分の荷物は、自分で持ち歩くしかない。
誰も、気付かない。
だから、私は、いつからか、嘘をついて、泣きたいのに、泣けなくなった。
泣こう、と、決めなければ、涙は、流れなくなった。
そのくせ、可哀想と思われたら、敗北だと、思うようになった。
お前の言いたい事は、言い残す事は、それだけか?
他に欲すものはあるか?
あって叶うものじゃない。世界は変わらない。相変わらず、濁ってる。
私が消えても、叶わない。
私が死んでも、変わらない。
特別な存在なんて、みんなが、偶像礼拝や統帥で成り立っているだけの、逃避思考の塊。
たった一つの大事な事を、歌い慰めたいアーティストや、自分の感情を絵に堕とすしか、自己表現のない画家、みんなと話したくてたまらなくて、動画投稿を始めるYouTuber、言葉を飲み込んだ分だけ、理解してきた事を、表明したくて、タイプライターを打つ、小説家。色んな経験を昇華できる手段のある人が、みんなの心の支えにされる。
自分の身に起こる事を慰め、消火したい。鎮火したい。鼓舞したくて、生きていたくて、皆、偶像礼拝する。誰かを依代に生きていこうと、絶えず現状を飲み込もうと、飲まれていく。
ああ。支えって、なんだっけ。
ああ、君から、何か私は、言われていたっけ。
ああ。たった一人でいいから、誰かそばにいて欲しいって言う、自己愛でしか、私は、人を求めてないんだったね。
誰も、幸せにしない思考回路だったんだ。
ああ、何で、こんなに、迷うしかなかったんだっけ。
理由を探しても、きっと、良い捨て駒でしかなかったんでしたっけね。
悪戯に、遊んでいて、きっと楽しかったでしょう。
自分を引き受けてくれる、「依代」であっただけで、川に流したら、終わりなんでしたか。
振り替えられることも無く、きっと。
これから、私は、ソファにでも座って、宙を見つめて、多分、灸を据えるような言葉を、静かに、頭の中で、探せるんだろうけど。
それを、したからって、何になるんですか・・・と、しか思わないけど。
きっと、願い方が、下手なだけなんだと、思うな。
いつも、忘れた頃に、叶っている気がする。
いつも、思わない形で。
叶いたい形じゃなかったとしても。
手放した時、掌に落ちてくる、何かになっている。
決して、ゴミを宙に投げた覚えもないけれど。
必死すぎたんでしょうね。
何もかも、信じちゃいなかった事が、全ての・・・・、敗因だったんじゃないかな。
自分を傷つける人を、なんでこんなに、必死で、理解していこうとしていたんだ、
自分の非難される部分を、必死で、消そうと努めて。
あなたでも、私でも、何者でもない、物体に落ちて、ただ、気付いただけだったよ。
私は、まだ、前に進んでもいなかった。
長い遠回りを、延々と、繰り返して、今も、頭の中が忙しいよね。
不格好で、不器用で、不細工な自分を信じて、やっと解けた洗脳みたいに、一つ上がった、フェーズ。ただただ、戸惑っていた。時間だけが、ゆっくりと過ぎていた・・・。




