第5巻 第2章 第1話 「現実と物語の狭間で」
気がつけば、蒼月トウカはデスクの前に座っていた。
モニターには、ついさっきまで書いていたはずの文章が並んでいる。
しかし、どこか違和感があった。
「……俺、ここに戻ったのか?」
ページの一文目に、こう書かれていた。
> 『蒼月トウカは再び桜の中に立っていた。』
――それは、彼が“夢の中”で体験したそのままの描写だった。
「おかしい……俺、書いてへん。こんなとこまで、まだ……」
頭の中が混乱する。
現実で書いた記憶と、夢で体験した記憶が入り混じっていた。
そのとき、スマホが震えた。
画面にはメッセージアプリで、アシスタントの美琴からの連絡が表示されていた。
> 「先生、原稿の続き、さっき届きました!
> でも、あれ……先生、途中で送信止まってたはずじゃ?」
「……届いた?」
トウカは思わずつぶやく。
送っていない原稿が、届いた?
しかもそれは、彼が“夢”の中で見た続きの内容だった。
そこへ、ドアがノックされた。
「先生、入ってもええ?」
柔らかい声。桐生さくらだ。
「あ、ああ……どうぞ。」
さくらは桜色のワンピースをひらりと揺らしながら入ってきた。
「なんや、先生顔色悪いで。原稿、大丈夫?」
「さっき……変なことがあってな。」
トウカは画面を見せながら説明した。
「送ってない原稿が、送られてる。」
「え……それ、怖いやん。まさか勝手に書かれたん?」
「そうなんや。それが、“俺が夢で見た内容”やったんや。」
さくらはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……ウチらの中でも、最近ちょっと変なことあるんよ。」
「変なこと?」
「夢の中で、ウチらが“回帰”してる気ぃする。
昨日話したはずのことが、次の日やと“最初から”やったり……
トウカはん、ウチらのこと……書いとる?」
彼は喉を詰まらせた。
――図星だった。
「……もしかしたら、俺が“書いてる”ことが現実を動かしてるのかもしれん。」
「ほな、ウチら……登場人物なん?」
その言葉が、胸の奥に重く響いた。
答えられなかった。
さくらの表情は、どこか悲しげだったが、すぐに笑みを浮かべた。
「でもな、ウチ、トウカはんの書く世界が好きや。
もしそれが“物語”やとしても、ウチらが生きとるなら、それでええ。」
その瞬間、彼の視界の端で“文字”が揺らめいた。
まるで現実の空間に、文字が滲み出しているように。
「……あかん、これ、もう境界が――」
再び、光が走った。
デスクの上に置かれたペンが浮かび上がり、勝手に動き出す。
> 【回帰引き継ぎ 第13章:現実と物語の狭間で】
ペン先が、彼の知らない物語を綴り始めた。
まるで、“誰か”が代わりに続きを書いているように。
「……誰や、書いとるんは。」
背後で、かすかに笑う声がした。
それは――男の娘、楓の声だった。
「そら、アンタ自身やろ。
“ワシ”と“俺”が入れ替わってもうたんや。」
「……なに?」
「福田朋広としてのワシが、トウカとしての“俺”を追い越したんや。
現実と物語、もう入れ替わり始めてる。」
トウカは息を呑んだ。
――物語の回帰が、ついに“現実”に侵食を始めた。




