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魔王軍コンプライアンス室は今日も地獄より忙しい

作者: 三來


 魔王城の一角。

 そこは戦場の熱気も、魔術の輝きも届かない場所だ。

 あるのはただ、羊皮紙の乾いた匂いと、すり減っていく精神。そして果てしない絶望だけ。


『労働環境改善及びモンスター権利保護対策室』通称コンプライアンス室。


 それが俺の職場であり、俺の墓場だった。


「ですから室長!! 我々の要求は『歯の保険』の導入です!!」

「却下だ!!」


 俺、ベルフェゴールは叩きつけるように叫んだ。


 魔王軍団長『黒翼のベルフェゴール』と恐れられた俺が、今や中間管理職である。

 かつての威厳を思い出させるように、目の前でふんぞり返るゴブリン労働組合の代表をギロリと睨むが、奴らは全く気にした様子もなく主張を続けた。


「なぜです!! 最近の冒険者は兜が硬くてすぐ歯が欠けるんですよ。これは労災です!!」

「貴様らが一方的に奇襲して返り討ちにあっているだけだろうが!! 却下だ、次!!」


 ギャーギャーと喚くゴブリン共を衛兵につまみ出させると、俺はどっと疲れた体で椅子の背もたれに寄りかかった。

 天井の怪しげな文様を眺めながら深くため息をつく。


 全ては我らが主、魔王様が異世界通販で取り寄せた一冊の本から始まった。


『マンガでわかる!ホワイト企業の作り方』

 コイツのせいでガラリと変わったのだ。


「シナジーを高めウィンウィンな関係を築くのだ!!」

「軍のガバナンスを強化し全魔族からの信頼を勝ち取る!!」

「これからは魔王軍もクリーンな経営を目指す!!」


 なんて、魔王様の一声でこの部署が作られ、俺が室長に任命された。

 要はただのクレーム処理係である。


「し、室長……お疲れ様です……」


 秘書のサキュバスが差し出す『ヘルローストコーヒー』を飲み干す。

 最近は日に何杯も飲んでいるせいで内臓がおかしくなっている気がするが、飲んでいないとやっていられない。

 今日も今日とて、大量のクレーム処理が待っているのだ。


「次のアポだ、入れろ」


 秘書の案内で入ってきたのは、アンデッド部隊のスケルトン騎士団長だった。


「室長。我ら骸骨兵に『有給休暇』を認めていただきたい」

「……理由は?」

「『骨休め』が必要なのだ。最近どうも関節がキシむ。それにカルシウムも不足しがちで……」

「知るか!! 貴様らは死んでるんだから、死ぬ気で働け!! カルシウムは小魚でも食ってろ!!」


 騎士団長がションボリと帰っていく。ひとまず今日の直訴はこの二件のみ。あとは各地からの嘆願書を処理すればいいだけ……の、はずだった。


「し、室長! 緊急事態です!!」

 秘書が血相を変えて部屋に飛び込んでくる。いつものことだ、と書類に視線を落としたまま応えた。


「今度はなんだ、さっきのゴブリンが井戸にでも落ちたか」

「いえ、それどころではありません!! 『嘆きの断崖』で、ハーピィ族とミミックたちが大規模な抗議活動を……」

「なんだと!?」


 俺は山積みの書類の一つに「出張中」の札を突き立てると、舌打ちしながら現場へ飛んだ。


 『嘆きの断崖』は、魔王領でも有数の景勝地だ。……が、今はそんな絶景も台無しである。


「SNS映えは基本的人権! 映えない職場は今すぐ改善!」

「暴力反対! 叩かれすぎてフタが痛い!」


 断崖の頂上付近ではハーピィたちがプラカードを掲げて旋回し、麓の洞窟前ではミミックたちが隊列を組んでフタをパカパカさせている。カオスだ。


「室長! お待ちしておりました!」


 ハーピィの代表が、俺を見つけるなり急降下してくる。


「我々の要求はただ一つ! この、今我々が飛んでいる崖に巣を作る許可を! 見てください、この絶景! ここからお届けする『魔王軍での暮らしVlog』は絶対にバズります!」

「却下だ!! ここは人間の侵攻ルートを監視する最重要の偵察拠点だぞ。全世界に発信してどうするんだ!!」

「ならば話は決裂です!! 我々はこの要求が通るまでここを動かない所存!!」


 話にならん。俺がこめかみを押さえていると、今度は足元から声がした。

 見ると、ひときわ豪華な装飾のミミックが震えながらこちらを見上げている。


「し、室長……。我々ミミック組合も、これ以上は我慢なりません……!」

「お前たちはなんだ」

「我々はただそこにいるだけなのに、誰も彼もが武器で殴りかかってきます……!! 痛いのです!! どうか、我々の上に『殴らないでください』という看板の設置を……」

「それが貴様らの仕事だろうが!!」


 俺の即答にハーピィとミミックの代表は顔を見合わせ、そして一斉にわめき散らした。

「横暴だ!!」

「我々には労働者としての権利が……」

「要求が通るまで我々はここを一歩も動きませんぞ!!」


 ……そうか。


 わざわざ理由を説明してやっても、これか。

 書類、規定、コンプライアンス……。どいつもこいつも、本来の役割を忘れ無茶な要求ばかりしてくることに苛立ちを超えた感情が湧き起こってきた。

 

 俺はゆっくりと、ため息をつく。


 次の瞬間、俺の体から黒い闘気が静かに立ち上った。それは、この数年間書類仕事のストレスと共に腹の底に溜め込み続けていた、純粋な魔力と圧力の塊だ。


「ひっ……!?」

「な、なんだ……!?」


 騒いでいたモンスターたちが、蛇に睨まれた蛙のように凍りつく。

 空気が鉛のように重くなり、ピリピリと肌を刺す。それは、彼らが忘れていた、目の前の男がただの中間管理職ではないという絶対的な事実だ。


 俺は無言で足元に転がっていた馬車ほどもある岩を、片手で軽々と持ち上げた。

 

 そして。


 ぐしゃり、と握り潰した。


 岩は轟音も立てず、俺の指の間から砂となって、さらさらと風に流れて消えていく。


「……もう一度だけ言う」


 地を這うような低い声。それは、かつて戦場で『黒翼のベルフェゴール』と恐れられていた死の声だ。


「決定は、却下だ。異論があるか?」


 シン……と、世界から音が消えた。

 数秒後。


「「「「いやああああああああああああーーーーーっ!!!!」」」」


 ハーピィたちは絶叫しながら我先にと空へ逃げ帰り、ミミックたちは宝箱の擬態も忘れて無数の足で蜘蛛の子を散らすように洞窟の奥へと消えていった。


 数分後、断崖には静寂が戻った。


 俺は黒い闘気をすっと体内に収めると、スーツについた砂を払い、再び深いため息をついた。


 ああ、また書類仕事が増える……。


『断崖の岩損壊報告書』に、『威力業務妨害による抗議活動の鎮圧報告書』……。

 俺は重い足取りで、我が城であり、我が墓場であるコンプライアンス室へと戻った。扉を開けると、そこには更に追加された書類の山が、俺の帰りを待っている。


「ああ、もう!! 埒が明かん!!」


 魔王様への定例報告まで、もう時間がないと言うのに、今日一日でこの地獄を片付けなければいけないのだ。


『ドラゴン(380歳・男性)より:生贄の姫が増えすぎて邪魔。人間界に返したい』

「お前が要求したんだろ!! 最後まで面倒見ろ!!」


『ミノタウロス(28歳・男性)より:ダンジョンが複雑すぎて俺が迷う』

「お前がボスだろ!! しっかりしろ!!」


『キメラ(5歳・合成獣)より:頭が三つあるのに食料が一人分なのは納得がいかない』

「胃袋は一つだろ!! 却下!!」


 インクが飛び、指は真っ黒。疲労で目がかすむ。鳴り止まない伝令用の魔法水晶、そして迫り来る報告書の締め切り。その全てに嫌気が差しながらも必死で今日も職務をこなしていく。


「し、室長……。本日提出分、これが最後の束です……」

 秘書が、もはや同情を通り越して憐憫の目でこちらを見ながら、新たな羊皮紙の束を机の隅に置いた。


「…ああ、そこに置いといてくれ」


 もはや一枚一枚、まともに目を通す気力もない。俺は流れ作業のように、右から左へと羊皮紙を動かし、判子を押し、処理済み書類の箱へと放り込んでいく。


 承認、却下、保留、却下、却下、承認…。


 その流れ作業の中、ふと一枚の羊皮紙が目に留まった。

 やけに整った、ムカつくほど綺麗な文字。吸い寄せられるように、その内容を読んでしまう。



【 た ん が ん 書 】

 なまえ: 勇者

 けんめい: ボスが強すぎ!

 ないよう: 洞窟の中ボス、ゴルゴメイラが強すぎます! 毒攻撃は避けられないし、石化ビームを何回も撃つのはズルいです。

 すぐに弱くしてください。

 あと、無駄になったハイポーション3本を弁償してください。



 シン……と、部屋が静まり返った。


  「ゆうしゃ……」「べんしょう……」


 その単語を脳が理解した瞬間、俺の中で何かが、プツリと大きな音を立てて切れた。


 俺は静かに立ち上がると、腹の底から、この理不尽な世界すべてを吹き飛ばすほどの声で、叫んだ。


「お前は自分でどうにかしろッ!!!!!」


 その日、魔王城には一人の管理職の魂の絶叫が、いつまでもいつまでもこだましたという。








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― 新着の感想 ―
RPGゲームの部隊の魔王が現代社会によくあるコンプライアンスだの社員への扱いだのにやきもきしている様子が読んでいて面白かったです。 問題提案をしてくるモンスター達も内容がそれぞれ本当にありそうなライ…
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