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番人の葬儀屋  作者: あじのこ
第5章 巌窟のアルカナ
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記憶の回廊

瓦礫の街の片隅で、ヴァルは耳を澄ませた。


瓦礫の向こうから、かすかに声が聞こえる。それは無数の叫び声や泣き声、あるいは神に祈る囁きのようだった。実際に声が聞こえたのか、それとも記憶の中から響いてきたのか、ヴァルにはわからなかった。ただ、その音が彼の心をざわつかせ、否応なく過去へと引きずり込んでいった。


足元には、砕けた柱の破片や割れた石板が散らばっている。それらはかつてここで人々が生活していた証だった。壊れた食器や焦げた布切れが埋もれた瓦礫の中、目に見えるものすべてが無言の訴えをしているようだった。


次第にヴァルの目には、目の前の瓦礫ではなく、幼い頃の情景が映り始める。


彼の頭に浮かんだのは、白い砂浜だった。

海の向こうに広がる青い水平線、潮の香り、そして波打ち際で遊んだ記憶。故郷の匂いが、鮮やかによみがえる。しかし、その穏やかな情景は突然崩れ去った。


静かな波音が砲声に変わり、人々の悲鳴が響き渡る。ヴァルの瞳に映ったのは、海岸に押し寄せる敵の船団だった。次々と降り立つ兵士たち、炎に包まれる家々。すべてを焼き尽くし、奪い去る侵略者たちの姿。


その後、ヴァルは捕らえられ、大勢の人々と共に敵の船へと連れて行かれた。まだ幼い彼の体は縄で縛られ、抗う術もなかった。船倉に押し込められたのはほとんどが同じ年頃の少年たちだった。甲板の上では知らない言葉が飛び交い、怒声や波の音が耳を刺す。


薄暗い船倉の中、彼は恐怖と不安に震えながらも、ある呟きを耳にした。


「あいつらは兵士として使える男を欲しがっているんだよ。鍛えられる年頃の奴だけ……」


その言葉の意味を完全に理解できない年齢だったが、胸の奥に広がる苦しさだけははっきりと感じた。彼の中に、無言の絶望が芽生え始めた瞬間だった。


やがて、過去の幻影はさらに深い闇へと進む。長く続く奴隷としての日々。そしてその先には、眩い白亜の宮殿の記憶がかすかに蘇ろうとしていた――。


その宮殿は光を反射して輝き、純白の大理石の壁と装飾が、荘厳な雰囲気を漂わせていた。

高くそびえる柱、繊細に彫刻された模様、そしてそのすべてがこの場所の偉大さを物語っていた。


広間の中心には、見立ての美しい貴族が玉座のような椅子に優雅に腰かけている。彼の名はロイス。整った顔立ち、金色がかった長い髪、そして冷ややかな青い瞳が、彼の気品と権力を表している。


その前に立っているのは、商人風の中年の男性ガルザック。身にまとった服は上質な絹織物で、貴族が好みそうな模様や縁取りが施されている。彼の姿は質素さの中に上品さが漂い、その存在感は貴族の側近そのものだった。


ロイスが言葉を発した。


「ガルザック。それで、準備は整っているのだろうな?」


ガルザックは頭を下げ、低い声で答えた。


「ロイス様のご注文通りの奴隷兵士をご用意ができました。」


ガルザックの声は、堂々としているが冷淡な響きがあり、その口調に迷いはない。


「これは、あの死をも恐れずに戦うことで有名なザラフ族の直系血統にあたる奴隷兵士でございます。」


言葉を続ける彼の後ろには、粗末な布で全身を覆った姿が立っている。その人物の目元だけが露出しており、何とも不明瞭な存在感を漂わせていた。その姿は性別や年齢を見分けることができず、ただ暗いオーラをまとっているようだった。


「我々の言葉も理解し、文字の読み書きから作法躾もきちんと仕込んであります。」


ガルザックが続けると、ロイスの表情に微かな満足が浮かんだ。彼の青い瞳はガルザックの言葉を受け止め、何かを計算するような雰囲気を漂わせた。


「よろしい。」


ロイスの言葉が続く。


「高い金を払うのだ。聖女を守るために、これらの兵士が役立つことを願っている。」


その言葉に、商人ガルザックは深く頭を下げた。


「お任せください。必ずや任務を全ういたします。」


ガルザックの背後に立っている性別不明の人物が、その言葉に何も言わず、静かに立っていた。


ロイスが問いかける。


「それにしても其奴も……その、噂のアレをしているのか?」


貴族は笑いながら意味深に問いかけた。その笑みには冷徹な侮蔑と嘲笑が色濃く浮かんでおり、まるで相手を見下すかのようだった。


ガルザックは一瞬、目を細めてから落ち着いた口調で言った。


「もちろんでございます。というよりも……この者の半身は……まあ、生まれつき他の者とは異なる特徴がございます故」


その言葉の端々に、何かを匂わせる暗示が込められていた。ロイスは一瞬、言葉の意味を掴めず、不審そうな顔をして周囲を見回した。しかし、その表情の曇りに付き人が耳打ちをしたことで、ロイスの顔がすぐに笑みを浮かべた。


「そんな人間がいるとはな」と、彼の笑いは嫌味そのものだった。目の中に隠しきれない嘲笑が滲んでいる。


「まぁ、それは良い。ガルザックお前には期待している。我が国の騎士団は甘い理想や正義の幻想に心を奪われて、聖女を守るという大義を果たせなかったのだからな。」


その言葉には明確な軽蔑と敵意が込められており、近くにいた近衛兵はバツの悪そうな顔をして俯いた。


かつて聖女を護衛していた騎士団は、聖女を異端視する者たちによる暴動を抑えきることができなかった。その暴動は騎士団の統制の甘さや内部の心の乱れが招いたものであり、結果として騎士団は暴徒たちを鎮圧できず、聖女は付き人の機転であやうく難を逃れたのだ。


この失態を受け、聖女の護衛を金で雇える奴隷兵士に置き換えたのだった。金を払えば忠実に仕事を遂行し、信頼性において騎士団よりもはるかに安定していた。その決断は、結果的に問題の再発を防ぐことには繋がったが、騎士団の名誉と存在意義を大きく揺るがすこととなった。


その事実を思い起こしながら、ロイスは冷ややかな笑みを浮かべる。


「だからこそ、今はこうして奴隷兵士たちが代わりを務めるわけだ。金さえ払えば、忠誠も確実だ」


その一言一言には冷徹さと現実主義が滲んでおり、ロイスの言葉が兵士たちの心に重くのしかかる。


「聖女は国の所有物なのだ。我々が管理し、保護してやらなくてはならんのだ」

「ロイス様の絶え間ないお力添えと、その御心の広さのおかげで、私どもは安らかな日々を過ごすことができております。まさにそのご苦労は並大抵ではなく、私たちがその恩恵を受けさせていただいていることを、決して忘れてはならないことでございます」


「ガルザック。お前のところの奴隷兵士は質が良いと聞く。期待しているぞ」


ロイスの言葉に対し、ガルザックはすぐさま深く頭を下げた。彼の声は悦びと畏怖を同時に滲ませている。


「ははー…!有難きお言葉でございます。ロイス様のような偉大なるお方にそのようにお言葉を頂戴できるとは、身に余る光栄に存じます!」


その口調はまるで忠誠の具現化そのものだった。丁寧すぎる言葉遣いと芝居がかった仕草に、ロイスへの絶対的な敬意が込められているかのように見える。

しかし、その裏では、ガルザックの胸中にくすぶる思いがあった。苦労も知らない貴族が、いかにも権力者然としている――そんな軽蔑の念を、表情ひとつ変えずに隠しているのだ。


ガルザックがこの場でロイスを持ち上げるのは、単にそうすることが求められているからに過ぎない。本心では、ロイスの言葉を皮肉交じりに受け流しているのだった。


ロイスはガルザックの反応に満足げに笑みを浮かべ、何気ない様子を装いながら、しかし興味深げな表情で言った。


「ところで……その奴隷兵士の顔を見てみたいな」


ガルザックは一瞬、言葉を失い、すぐに警戒した表情を浮かべる。


「顔……ですか? このような下賤な者の顔など……殿下にお見せするようなものでは……」


声に抵抗が滲んだ。ガルザックは奴隷たちの顔を見ることを躊躇していた。しかし、その躊躇はロイスの冷淡な声によって切り裂かれた。


「よい。許可しよう。私は見てみたいのだ」


ロイスの言葉は圧力を伴い、ガルザックの心に重くのしかかった。ため息をつき、渋々と奴隷兵士に向かって声をかけた。


「ヴァル。布を取れ」


ガルザックの言葉に従い、奴隷兵士がゆっくりと布を取り去ると、その姿が明らかとなった。その瞬間、ロイスを含め周囲にいた貴族や従僕たちまでもが一瞬の間、見惚れるような表情を浮かべた。


ロイスは美しいものが好きだった。男女を問わず、優雅で洗練された容姿や気品を持つもの、あるいは何かしらの美しさを感じさせる存在に対して、心からの憧れを抱く性格だった。そのため、彼の周囲にはしばしば美しい者や気高い存在が集まっており、その好みは彼自身の生活や行動にも強く反映されていた。


そんなロイスの好奇心は、美しさそのものを目にするたびに止まらなくなる。人間の美しさ、自然の造形、あるいは謎めいた優雅さを秘めた物事が目の前に現れると、彼の目は輝き、心が揺れることがあった。


このため奴隷兵士の顔を見たいという突発的な興味も、単なる好奇心や権力欲からではなく、「美しさ」を追い求める心の表れでもあった。


「ほぉ……奴隷にしておくには勿体無いほどの美しさだな」

「はぁ、いえ……その、殿下。有難きお言葉でございます」

「ガルザック。お前の商品に対する審美眼は確かなものだ」


その一言に込められたのは、単なる評価や興味以上に、彼が美しいものに対して抱く純粋な憧れと、そこから生じる冷淡な残酷さだった。


奴隷兵士の顔立ちは確かに美しく、洗練された容姿を持っており、その姿に誰もが思わず息を飲んだのだった。


「よい、もう下が……」

「ロイスお兄様!」


扉を勢いよく開ける少年の姿が目に飛び込んできた。近衛兵が止める暇もなく、センペルはロイスに駆け寄ってきた。


ロイスは優しい笑みを浮かべた。


「センペルではないか。どうした?また何か頼みに来たのか?」

「ああ!お兄様、お願いがあるんだ!お兄様のところから船を出してよ!」

「船だと?」

「研究していた人魚の材料が足りなくなっちゃったんだ」

「またあの研究か……お父様はなんと言っているんだ?」

「お父様に聞いたらロイスお兄様にお願いしなさいと言われたんだ。ねぇ、お願い!どうしても研究に足りないんだ」


センペルの目は輝き、無邪気な笑顔が顔いっぱいに広がっている。その様子にロイスの顔も柔らかくなった。


「そうだなぁ……しかし、私のところの船団も今は忙しいんだよ。船の手配は難しいかもしれないな……そうだ!」


ロイスがひらめくように手を打ち、ガルザックを呼び止めた。


「ガルザック!ちょっと来てくれ!」


ガルザックは一瞬、めんどくさそうな顔を見せた。しかし、すぐに商人特有の柔らかい笑顔を浮かべた。


「……どうされましたか?ロイス殿下。私に何かお手伝いできることがあれば、ぜひ仰ってください。」


ガルザックの口調には、いかにも丁寧な敬意が滲んでいる。しかしその言葉の裏には、どこか冷淡な響きが隠れている。彼がロイスを敬い、支えているように見せかけながら、その心では取引の駆け引きや計算が渦巻いていることは明白であった。


ロイスは続きを話す。


「船の件だが、いい話がある。お前の力を借りられるか。」


ガルザックは優雅に頭を下げる。


「お任せください。私にお任せくだされば、お力添えできると思いますよ。」


ガルザックの表情に一瞬だけ薄い笑みが浮かんだ。その笑みにはロイスに対する真の感情――優位性を保ちながら支配する冷徹な意志――が、巧みに隠れていた。


奴隷兵士はそのやり取りを無表情で見つめていた。

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