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番人の葬儀屋  作者: あじのこ
第5章 巌窟のアルカナ
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契約士ロッソの選択

5-12


ロッソは命からがら、崩れかけた自分の家の前にたどり着いた。街全体はまるで巨大な獣に蹂躙されたかのように破壊し尽くされ、煙と埃が立ち込めていた。建物の瓦礫が路地を埋め尽くし、かつて街を彩った賑やかな看板や装飾品が無惨に散乱している。


その中には、ロッソが見覚えのある家々の欠片も混じっていた。壊れた瓦屋根の破片が鋭い牙のように突き出し、折れた木材や鉄の柱が道を塞いでいる。


焦げた匂いが鼻を突き、焼け焦げた紙片が空を舞っていた。風に混じるのは、崩れ落ちる壁のかすかな音と、どこか遠くで誰かのすすり泣き。だが、その音さえも、ゆったりと動くゴーレムの足音にかき消される。


ロッソは迷わず一歩を踏み出した。瓦礫の山を越えるたびに、足元が不安定になり、崩れた木材の尖端が靴底を突き刺してきた。それでも彼は止まらない。倒れかけた街灯を押しのけ、絡み合ったロープや布を払いのけながら、ロッソは必死に進んだ。


家々の間を抜けると、視界の先にようやく自分の家の残骸らしきものが見えてきた。

壁の大半が崩れ落ち、屋根は跡形もなく消えている。だが、ロッソの目はただ一点、崩れた瓦礫の向こうに隠れるようにして残っている一枚の扉に向けられていた。


それはロッソの家の一部でありながら、ただの扉ではなかった。魔法の力で守られているその扉だけは、奇跡的に無傷のまま、瓦礫の間に孤独に立っていた。崩れた壁の隙間から入るわずかな光が、その木製の表面を静かに照らしている。


ロッソが扉にたどり着いた瞬間、地面に亀裂が走った。彼はその音に反応し、無意識のうちに地面を見下ろした。割れた地面の中に、古びたランタンが滑り込もうとしているのが目に飛び込んだ。


「まずい!」


ロッソの顔にギョッとした表情が浮かび、素早く手を伸ばした。彼の手が宙を切り、地面に落ちるランタンを掬い上げる。そのランタンはかすかに揺れて、やがてロッソの手のひらに収まった。

ロッソはその古びたランタンをしっかりと握りしめた。心臓の音が速くなり、緊張が体全体に走った。


ロッソは古びたランタンを手に息を整える間もなく、瓦礫をかき分けながら一目散に扉へと向かった。その足音は急かされ、心臓の鼓動も次第に速くなる。次々と崩れ落ちる石や木材が背後で音を立てる中、彼はただ扉に向かって進み続けた。


それは、あまりにも重く、あまりにも意味深い扉だった。ロッソにとっても、ヴァルにとっても。


その扉の先には、ヴァルの大切な人――アナスタシアの遺体が眠っている洞窟が待っている。ロッソはその扉に手をかけ、震える指で鍵を開けるように押し込んだ。だが、その扉を開けることは、ヴァルの深い悲しみを再び呼び覚ますことであり、彼にとってあまりにも重い決断だった。


「はぁー、とんでもねぇことになっちまったなぁ……!」


ロッソは静かに呟き、扉を押し開けた。中に広がる闇に一瞬ためらいながらも、足を踏み入れる。その先に待っているのは、ヴァルが何度も訪れ、何度も心を砕いた場所――そして、アナスタシアの眠る場所だった。


扉を開けた瞬間、冷気が一気に押し寄せてきた。洞窟の中は異常な静けさに包まれ、ただひとつ、ヴァルの大切な人――アナスタシアの眠る場所がその静寂を支配していた。


氷に包まれたアナスタシアの遺体が、まるで時が止まったようにその場に横たわっている。


ヴァルが彼女の肉体を腐らぬようにまたケガレ共に犯されぬように氷の中に閉じ込め、魂の契約を交わしたその時から、アナスタシアは永遠に死の眠りに閉ざされていた。氷は彼女を守る牢屋のように、ヴァルの魂の痛みとともに彼女を封じ込めていたのだ。


ロッソは深く息を吸い、覚悟を決めた。

ヴァルがこの契約を結んだ時、彼はその代償として魂の一部を悪魔に渡していた。その魂の片割れを取り戻すためには、アナスタシアの氷を解かなければならない。


ロッソはゆっくりと歩み寄り、氷の塊を見つめた。彼の手が、無意識に震えていた。アナスタシアに対して、罪悪感と共に深い哀しみが湧き上がったからだ。しかし、それを乗り越えなければ、ヴァルは永遠にその魂を失うことになる。


「恨むんじゃないぞ、ヴァル……。これはお前を救うために必要なことなんだからな……」


ロッソは震える手で、魔法陣のような光のひと筋を描きながら、深い呼吸とともに呪文を紡いだ。


「……古の契約よ、汝に命令する。」


その時、突然、ロッソの背後で低く響く声が洞窟の中に響き渡った。


『獣人か。ずいぶん勝手なことをしてくれるじゃないか。』


ロッソは振り向くことなく、冷徹に答えた。


「終わりだよ、クソ悪魔!お前のクソ契約もアナスタシアのクソ呪縛も、今日で全部クソぶっ壊してやる。」


悪魔の声が、じわじわと冷たく響く。


「終わり?そんなに簡単に終わると思っているのか?。」


ロッソは冷笑しながら言った。


「あんた、まだそんなこと言ってんのか? もう、お前の手のひらで踊らされるのはゴメンだね。」


悪魔の声にわずかな苛立ちが混じる。


「フン、人間如きにそこまで執着するとはな……まるで哀れな小狐だ、獣人よ。お前のその傲慢な意志とやらで、何が守れる?結局、すべてを失う運命だろうに。」


ロッソは一歩踏み出し、挑発的に返した。


「運命ダァ? ふざっけんな。俺は俺のやりたいことをする!俺の意思で決めたことだ。お前がどうしても奪いたいなら、好きにしろ。だが……この契約魔法士ロッソ様から、奪えるもんならな!」


その言葉が洞窟の中に響き渡ると同時に、ロッソは一歩前に踏み出し、胸を張った。

彼の上等なスーツの裾が軽く舞い、狐の耳が鋭く立ち上がる。しなやかな手が前に差し出されると、手のひらに微かな光が集まり、青白いオーラが幾重にも重なり合った。


「契約は、魂を結ぶものだ。」


ロッソは静かに呟き、手を掲げる。


「だが、契約を解くのもまた、我が力。」


その時、空気が凍りついた。ひと瞬間、静寂が訪れ、すべてが彼の手のひらに集約されるような感覚が広がる。ロッソの指先が動き、魔法陣が空中に描かれる。


「封じられし契約よ、時の流れと共に眠れ。

汝が交わされし誓約、その力は今や果たされた。

古より繋がれし縛鎖よ、その呪縛を解き放ち、新たなる自由を迎えよ。

契約士ロッソの名において命ずる――

この地に宿る拘束を消滅させ、

全ての因果を清浄と為せ!」


ロッソの声が洞窟内に響き、魔法陣がひときわ強く輝いた。


その瞬間、彼の手のひらから放たれた青白い光が、アナスタシアの遺体を包み込み、氷を打ち破る力となって溶かしていった。


氷は静かに融け、やがて完全に消え去った。

その時、周囲の空気が歪み、薄い青白い光がふわりと舞う。


光はロッソの周囲を漂い、まるで道を見失ったかのようにあてどなく揺れ動く。それらの光は、まるで何かに迷い込んだ魂のように、無目的に揺らめきながら彼の周囲を取り巻く。


ロッソは手を振り、光を捕まえようとするが、それらは抵抗するかのように彼の手をすり抜け、次々と空中に広がっていく。


「……お前の居場所はここじゃないだろう?」


ロッソの心が静かに囁く。

彼の目には、透明な魂のかけらが揺れているのが見えた。青白く光る粒子たちは、何かしらの未練や迷いを抱えているように見えた。


その光景は、死者がまだ現世の重力に囚われているかのような哀れな姿だった。


「これが……ヴァルの魂……。」


ロッソは深く息を吐き、手をランタンに伸ばした。古びたランタンが手のひらに収まる瞬間、魂たちはランタンの光に引き寄せられるように揺れた。


ロッソがランタンを開くと、その瞬間、漂う魂たちが一斉に光を求めるようにランタンに向かって流れ込んだ。目に見えない抵抗や波動が混ざるが、ロッソは念じることでその光を確実に捉えていく。


「こっちだ。ヴァル=キュリア。迷わず、こっちに来るんだ――」


魔法陣が青白い光を灯し、魂たちは光に包まれてゆっくりと収束していった。その揺らぎと混沌が、ようやく秩序を取り戻していく。


「契約より放たれし魂よ。心の平穏を、安らぎの光よ……我が名に従え。」


彼の声が空気を切り裂くように響き、光がランタンに収束する。青白い光の波動が穏やかに揺れ、ランタンの内部にかすかに形を成し始めた。魂は、もう迷いを振り切るかのように、静かにランタンの光に安堵しているようだった。


ロッソはランタンを両手で静かに包み込んだ。


「ヴァル、お前の魂の半分は……確かにここにある。ここにあるからな」


その言葉が、静かな確信を持って彼の唇から吐き出された。


アナスタシアの遺体は、もはや氷に閉じ込められることなく、静かに眠り続けていた。


その長い金髪は、まるで純粋な黄金の糸のように輝き、冷えた空気の中でも美しい輝きを失っていなかった。

氷の薄い膜が、彼女の髪を覆い、まるで透き通る結晶のように光を反射していた。その湿った髪の一筋一筋が、氷のような冷たさに触れるたびに細やかな波紋を描き出すように揺れ、まるで命の残滓が息づくようだった。

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