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番人の葬儀屋  作者: あじのこ
第5章 巌窟のアルカナ
87/241

死者送りのされない街で

5-6


バッシュは肩をすくめながら先を歩くヴァルの背中を追い、狭い路地へと入っていった。石畳の上に乾いた風が通り抜ける。辺りはやけに静かで、街灯の薄明かりがぼんやりと地面を照らしている。


ふと、視界の隅で何かが動いた。気がした。


「……?」


足を止めて、振り返る。


路地の奥、壁際の石畳に、人の形をした影がひとつ。だが、その場所には誰の姿もない。


バッシュの喉がひとりでに鳴る。


「なんだ……?」


影はまるでそこに“いるべき誰か”が忘れられたかのように、地面に張り付いている。じっと見つめていると、次第にそれがこちらを向いているような錯覚さえ覚えた。

オレはよほど疲れているのか。人がいないのに影が見えている。こんなものが見えるなら早く宿屋のベッドで寝た方が良いのかもしれない。


「バッシュ、どうした?」


優しく響く声に、バッシュははっと我に返った。振り返ると、ヴァルが数歩先で立ち止まり、こちらを気遣うように見ていた。


「あ、いや……なんでもねぇよ!」


慌てて答え、もう一度影の方を見た。しかし、そこにはもう何もない。ただの石畳と壁だけがひっそりと佇んでいる。


見間違いだ。

オレは疲れているのだ。

そうに決まってる。


「……行こう」


ヴァルの静かな声が、肩の力を抜かせた。


促されるまま、バッシュは急ぎ足でヴァルの後を追う。心臓が少し早く脈打っているのを自覚しながら、路地の先に見える灯りを目指して歩いた。


◇◆◇◆


ロッソの家に着くと家の主人は尾をふわりと揺らしながら、細めた瞳で二人を見つめた。


「まったく……急にいなくなったと思えば、またとんでもないことに首を突っ込んでたんだな」


バッシュはむっとした表情でロッソを見上げる。


「好きで巻き込まれたんじゃねぇ!」

「……ロッソも、責めるつもりで言ってるわけじゃないんだ」


ヴァルがそっと口を挟み、バッシュを宥めるように穏やかに語りかけた。

ロッソはふん、と鼻を鳴らして肩をすくめる。


「まぁいいさ。それよりオレの素晴らしい契約魔法が役に立ったんだ、感謝してくれよな」


ヴァルは微笑みながらロッソの方に視線を向けた。


「確かに、ロッソの魔法がなければ、バッシュを見つけるのは難しかっただろう。ありがとう、ロッソ」


ロッソは得意げに胸を張り、尻尾を一振りした。


「分かればいいんだよ。オレは頼れる契約士だからな」


ロッソはふいに懐からぶどうの房を取り出し、器用に一粒を摘まむと口に放り込んだ。


「まぁ、無事ならよかったさ」


そう言いながら、ぶどうを噛む音が微かに響く。バッシュが怪訝そうに眉をひそめた。


「そんな呑気なこと言ってる割には、どこか気が立ってるように見えるが?」


ロッソはバッシュの言葉を聞き流すようにしつつ、さらにぶどうを一粒頬張る。


「ヴァル。オレは近いうちに、この街を離れるつもりだ」


その言葉にヴァルが眉を寄せる。


「どうしたんだ、急に?」


ロッソはちらりとヴァルを見上げ、尻尾をぱたんと一振りして呆れたように首を振った。


「お前、分かってるんだろう?」


ヴァルが沈黙すると、ロッソは小さく舌打ちをして続けた。


「この街はしばらく“死者送り”がされてねぇんだ。霊魂を送る儀式が滞ったままだから、そこかしこに未練を抱えた魂が溢れ始めてきてる。まぁ、フツーの人間には分かりにくいだろうがな……」


バッシュは顔をしかめた。


「霊魂だって? そんなもん……あ。」


バッシュはロッソの家に入る前に見た奇妙な影を思い出していた。人がいないのに壁にうつる影の正体に気がついてゾッとした。


「フン。見たのか」


ロッソが口元に薄く笑みを浮かべる。


「だが、オレたちみたいな“契約の術者”や、ヴァルみたいな奴には、そういうのが見えたり感じたりするんだよ。うるせぇったらない。それがなけりゃ、この街に長居する気にはなれねぇって話さ」


ヴァルは軽く息をつきながら、視線をロッソに向けた。


「……どこまで影響が出ているんだ?」


ロッソはぶどうをもう一粒食べ、面倒そうに答える。


「たとえば、誰もいない路地裏で妙な気配を感じたり、夜中に重苦しい空気が漂ったりな。そんなもんが増えてきてる。特に最近は酷い。放っておけば、いずれ霊が“物理的”に影響を及ぼし始めるかもな」


ロッソは椅子に深く腰掛け、尾をゆっくりと揺らしながらぶどうを一粒口に放り込む。口を動かしながら、ヴァルの言葉に応じた。


「この街にも司祭だか葬儀屋がいただろう?」


ヴァルが静かに問いかけると、ロッソはふと目を細め、軽く鼻を鳴らした。


「ああ。エリオスとケルメル親子のことか?」


呆れたような声色で、吐き捨てるように続ける。


「ありゃもうダメさ」


ロッソは椅子の背にもたれ、うんざりした表情を浮かべた。


「子のエリオスは才能がないくせに無理に後を継いでいてな。正式な後継は結局現れねぇ。で、父親のケルメルはその甘さが仇になった。息子に何も言えず、肝心なことは全部先送りだ。そしてとうとう、自分は病に伏せちまったってわけだ」


重苦しい空気が部屋に満ちる。ロッソの声には皮肉と諦めが混じっていたが、彼の揺れる尾はどこか不安げに見えた。


「……それなら、最後の死者送りはあれが最後か」


ヴァルが低い声で呟く。


ロッソは苦笑し、ぶどうの房から新たな一粒を摘み取った。


「そうだよ。ケルメルの代わりにお前がやり遂げた、あれが最後だ。それからは、まともに死者送りをしなくなった」


ロッソはぶどうを噛む音を立てながら続けた。


「この街の奴ら、誰も気づかねぇんだ。魂が行き場をなくして彷徨ってることにな……」


ヴァルは静かに目を伏せた。


話がひと段落し、部屋には沈黙が訪れた。その静寂の中、バッシュの体が小さくカクンと跳ねる。椅子に座ったまま居眠りをしていたらしい。よほど疲れが溜まっているのだろう。


ヴァルはその様子に目を向け、少しだけ口元を緩めた。


「ロッソ。私たちはこれで失礼するよ」


ヴァルが立ち上がりながら言葉を続ける。


「行き先が分かったら教えてくれ」


ロッソは頷きつつも、尾を揺らしながら椅子にもたれていた。


「ああ……それに、例の扉はあの魔女にお願いして一緒に連れていってやるさ。安心しな」


ロッソが軽く笑いを浮かべながら答えると、ヴァルはわずかに微笑み、バッシュの肩を優しく揺すった。


「バッシュ、行こう」


バッシュは目をこすりながら顔を上げ、寝ぼけたような声で返事をする。


「……ん、ああ、わかった」


ヴァルは立ち上がったバッシュを促し、ロッソに軽く会釈をしてから家を後にした。ドアが閉まると、再び静寂が戻り、ロッソはふと一粒のぶどうを口に放り込む。


「まったく、気苦労が絶えねぇな」


独りごちにロッソの声が静かな部屋に響いた。

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