蒸気機関車の回想
『ぼくはね、この瞬間が永遠であってほしいんだ。永遠に、ずっと…。』
『そうだろ?君もそう思わないか?
もしそうなら、ぼくの仲間にならないか?
そうすれば…。』
◇◆◇◆
蒸気機関車が大地を揺るがすように疾走していた。煙突から吐き出される黒煙が空に立ち上り、風を切って進む車両は、まるで何かに引き寄せられるような勢いで走り続ける。窓の外には、青く広がる海がひたすらに広がり、波の音が風に乗って響いてくる。
その海の上、かつて街のシンボルの一つとして存在していた塔に目をやると、そこにはただの煤けた瓦礫と化し、いまだにところどころ灰色の煙をあげていた。
火の手に包まれたあの青年たちの姿は、今や記憶の中で輝き続けている。百年を超えた夢が、ついにその果てを迎え、彼らは壮絶に燃え尽きた。あの瞬間、まるで時の流れを超越したかのように、燃える炎が彼らの心を包み込み、何もかもを燃やし尽くしていった。その姿は、命を賭けた壮大な夢の成就そのものだった。彼らの意志は火の中で新たな力となり、今もなお記憶の中で力強く息づいている。
灰色の煙が遠くへと広がり、空がその跡を追うように静かに変わり始める。
蒸気機関車は一切の躊躇なく、無音の海を背にして進んでいく。車両がきしみ、鋼鉄の音が響き渡るたび、胸の奥に何かが重く響く。塔の焼け跡を越えて、さらに先へ、走り続ける。それが過去を超えるための唯一の方法だった。
マナテラ巌窟街の宿屋に残してきたトロントとエゾフのことが、ふとヴァルの心をよぎる。
あの二匹なら大丈夫だろうと自分を納得させるものの、心の奥底に小さな不安が残る。蒸気機関車が順調に進んでいれば、1日か2日もすればマナテラ洞窟街に着くだろう。その間に、何か問題が起こるわけがないと、再びヴァルは自分に言い聞かせる。だが、どうしても気にかかるのは、彼らを置いてきたことへの後悔だ。
それでも、車窓の外を流れる風景が次第に変わり、目的地が近づいてくる実感を得るたびに、少しずつその不安は薄れていった。
「大丈夫だ」と、もう一度だけ心の中で繰り返す。今はただ、蒸気機関車に揺られて過ごすしかないのだ。
窓ガラスに映る自分の顔を久々に見たヴァルは、ふと考えた。いつからこうも姿が変わらないのだろう、と。しかし、その答えを探す気力も湧かず、考えるのをやめた。
幾度となく太陽と月を見送りながら、どれだけの景色を通り過ぎたのか。旅路の先で目に映るものは新しく、それでいて変わり映えのしないものばかりだった。ただ、窓に映る自分だけが時を拒み、変わらぬままそこに佇んでいる。
やがて来る自分の終わりを、ヴァルは想像がつかなかった。しかし、あの男は違う。終わりという概念そのものを否定していた。あの男の執着は常軌を逸していた。英知を極めるためならば、どれほどの命を踏みにじろうと、彼にとっては些末な犠牲でしかなかった。
その犠牲の中に、自分たちも含まれているという事実が、ヴァルの胸を苦く締めつけた。
だが、そんな感情に飲み込まれるわけにはいかない。自分にはまだ、やらなくてはならないことがある。
この世に彷徨うアナスタシアの霊魂を探し出し、彼女を――。
それが、ヴァルが自らに課した使命だった。
窓の外には青々と茂った稲穂が果てしなく広がり、一面の緑が眩しいほどに目に飛び込んでくる。風が吹くたびに稲穂が波のように揺れ、その隙間から水田の水面がきらりと光を反射する。陽射しを受けた稲の香りが、蒸気機関車の振動に乗って漂ってきた。遠くに小さな案山子が立ち、田畑を守るように静かに佇んでいるのが見える。
夏の日差しを浴びて青々と茂る稲穂が、窓の向こうでどこまでも続いていた。風に揺れる稲の穂先が、波のようにさざめきながら穏やかに広がる。しかし、その明るい景色とは正反対に、車内にはどこか陰鬱な空気が漂っていた。
汽車に乗ってからというもの、ヴァルは一言も発さず、じっと窓の外を見つめている。その目に映るのは果てしなく続く緑の景色――それとも、遥か彼方に置き去りにした過去の断片か。どちらにせよ、彼の顔には疲れの色が滲んでいた。
あの得体の知れないものに取り憑かれた衛兵に突き飛ばされた時の衝撃が、まだ身体のどこかに残っているのだろうか。
ヴァルの無言の様子を横目に見ながら、バッシュは不安を拭いきれず、気取られぬようにひっそりと目線を動かした。腕の動きや足の置き方に異常はないか、息遣いはいつも通りか――わずかな変化を見逃すまいとするように。だが、彼が視線を動かすたびに見えるのは、ただ窓の外に投げられたヴァルの冷たい横顔だけだった。
どのくらいの時間が経っただろうか。
列車は大きな川のそばを通過する。川面は朝日を浴びて光り、湿地帯の草が風に揺れている。列車が鉄橋を渡る間、車内にはガタンゴトンという響きが強調され、水鳥が翼を広げて飛び立つ様子が見えた。
やがて川を越え、列車は丘陵地帯に差しかかる。窓の外には緩やかに起伏する地形が広がり、小高い丘の上に木々が群生している。
バッシュは深く息を吸い込み、ヴァルに声を掛けようとした。しかし、言葉が口をついて出る前に、ヴァルが静かに口を開いた。
「バッシュ。キミに…話しておかなくてはいけないことがあるんだ。」
その言葉に、バッシュは一瞬驚いた。今までの静かな空気の中で、ヴァルの声がひどく重く、どこか沈んだ響きで心に引っかかった。バッシュは少し目を見開き、思わず息を呑む。
「話しておかなくてはいけないこと…?」
彼は心の中で何かを感じ取るように、すぐに立ち止まると、顔をヴァルの方へ向けた。少しの間、二人の間に微かな沈黙が流れた。バッシュの頭の中で、いくつもの可能性がぐるぐると回る。ヴァルが言うなら、きっとそれはただの雑談ではない――重要なこと、あるいは辛いことを話すつもりなのだろうか。
バッシュは少しの間、口を開こうとするが、言葉が出ない。それが恐れではなく、ただの予感だと気づいたとき、彼はしっかりとヴァルを見つめた。
「なんだよ?」
バッシュは普段の冷静さを保ちつつも、声のトーンに微かな不安を滲ませた。その問いかけは、少し自分を気にかけるような響きがあった。ヴァルが話すべきことを決して簡単なことではないと、彼自身も感じ取っている。だからこそ、ヴァルに優しさを込めた、そしてどこか安心させようとする気持ちが見え隠れしていた。
ヴァルはその視線を受け、少しだけ目を逸らす。顔を少し俯けるその姿が、バッシュにとっては何よりも答えを物語っていた。
「……実は、ずっと言えなかったことがあるんだ。」
ヴァルは静かな声で続け、バッシュの顔をしっかりと見つめる。彼の目には、今まで隠していた秘密の重さがあるようだった。バッシュは息を飲み、無意識に拳を握りしめる。何か、もっと深い話をしようとしていることが感じ取れたからだ。
「……今はまだ言わなくてもいいと思っていた。でも、もう、あんな事があったのだからキミにだけは知られておくべきだと感じた。」
バッシュはその言葉に、一層の緊張を覚えながらも、静かに頷いた。何が語られるのか、心の中で覚悟を決めるように。
「わかった。」
その一言が、二人の間に流れる静かな空気を切り裂いた。バッシュはヴァルがこれから語るであろう言葉に耳を傾ける準備を整えた。




