死から覗く闇
暗闇の中から、かすかな光が差し込む。夜の帳を切り裂くように、太陽が海の水平線を越えて顔を出した。その光は、まるで深い闇を解き放つかのように、穏やかに海面を照らし、波が金色に煌めく。どこか遠くから聞こえる波の音と、柔らかな風が部屋に流れ込む。
部屋の中で、動きは止まり、静寂が支配する。その静けさの中で、老人の呼吸が最後に途絶えた。まるで時間が止まったかのように、すべてが静まり返った瞬間。
老師は、静かに息を引き取った。
ベッドに横たわるその姿は、もう生気を失い、ただ優しい光に包まれている。
その瞬間、モルディナは深くうなだれ、頭を低く落とした。彼の中にあったすべての葛藤と後悔が、今、目の前の事実を受け入れさせる。目を閉じた彼は、どこかで希望を求めていたが、現実に打ちのめされた。
モルディナは膝をついて、肩を震わせながら深く俯いていた。彼の表情は過去の罪に悩む者のように苦しげで、言葉を失っている。アークはその姿を見つめ、静かに歩み寄った。
「モルディナ…いや、師兄。顔を上げてくれ。」
アークの声は穏やかでありながら、どこか強い決意を感じさせた。
モルディナは、しばらくそのままでいた。だが、やがて静かに顔を上げ、目を合わせた。彼の目には悔恨の色が浮かび、口元がかすかに歪んだ。
「アーク、私はなんと罪深いことを…」
その声は震えており、心の中で自らを責め続けていることがよく伝わってきた。
アークは静かにモルディナを見つめた後、ゆっくりとその肩に手を置いた。
「師兄、貴方のしたことは消えない。」
彼の目にも深い悲しみが浮かんでいたが、同時に決して揺るがぬ意志が感じられた。
モルディナの目に一瞬、涙が浮かんだが、それを必死にこらえた。
「私は、あの時、自分の欲望のために…貴方を、老師を、そしてあろうことが神明さえも裏切った。」
言葉の一つ一つが、過去の罪を背負い込んでいるようだった。アークは少し間を置いた後、深く息を吐き出し、静かに言った。
「過ちは消せないけれど、それを背負い、歩んでいくことはできる。今ここで諦めれば、あの時と同じように…何も変わらない。」
モルディナは無言でその言葉を受け止め、目を閉じた。やがて、ゆっくりと頷き、低い声で答えた。
「そうだな…」
アークはその言葉に微笑み、肩を叩いた。
「そうだ、師兄。過去を悔い、そしてその悔いを力に変えて、共に進もう。私たちは、まだ歩き続けることができる。」
二人は静かに立ち上がり、互いに目を見交わした。その先に待つ困難が何であれ、彼らは共にそれに立ち向かう覚悟を決めていた。過去を背負いながらも、新たな歩みを踏み出すために。
その時、部屋に差し込む光が一層強くなり、海の煌めきとともに終わりを告げるように、全ての痛みが静かに消えていった。
老師の息が途絶えた後、部屋にただ静寂が残った。太陽の光が照らす海のように、すべてが変わり、そして永遠に続いていくのだと信じたくなる、そんな瞬間だった。
◇◆◇◆
床に落ちたグラスからこぼれた液体は、まるで生き物のようにじわじわと動き出す。その動きは滑らかで、異常に静かなのに、不気味さを感じさせる。液体は、最初はただ無目的に広がっているように見えるが、次第に床を這うように動き、まるで何かに引き寄せられているかのようにその進行方向を決める。
やがて、液体はヴァルによって倒された衛兵の近くに到達し、まるで狙うように、その瞳に入り込んでいく。衛兵はほんの一瞬だけ苦しみ、瞳は無表情で開かれているが、その奥には生気が失われ、ただ死が宿るだけの空虚な黒い瞳には死が広がった。
しかし、液体がその瞳に接触した瞬間、瞳の中で何かが蠢いた。ゆっくりと、まるで力を込めるように、液体はその目の奥に引き込まれていく。液体が沈み込むごとに、瞳の中の闇がより濃く、深くなる。
その瞬間、衛兵の顔がわずかに歪んだ。口元が震え、手足の動きは止まったままだが、瞳に何かが入ったことによる変化が静かに、そして確実に現れる。目の奥で何かが暴れ、液体がその中で渦巻くように動き出す。まるで死者の魂が解き放たれ、何か異質なものがその肉体に宿りつつあるかのような恐怖を感じさせる。
衛兵の目は、もはや人のものではなくなり、その黒い瞳の中でうごめく闇が、次第に膨れ上がり、目の縁を赤く染めていく。
だが、そんなことに周りは気が付かない。
衛兵の体内で、何かが目覚めたかのように、液体は徐々に動き始めた。それは生物とは思えぬ動きで、まるで有機物と無機物が混ざり合い、意識を持ったかのように活発にうごめていた。
「モルディナ、老師様に飲ませようとしていたのは…」
アークの声が低く震え、恐怖と理解の狭間で止まった。
「あれは…」
モルディナが口を開きかけるが、その言葉は途中で途切れた。
その瞬間、衛兵の体が不自然にぎくしゃくと動き出す。だが、誰もが感じたその異常な動きよりも先に、衛兵の体は驚異的な速度でヴァルに向かって飛びかかってきた。その動きは、人間の肉体的限界を超え、目で追うことすらできないほど速かった。
「くっ!」
ヴァルが反応し、剣を抜こうとしたが、その速度には到底間に合わない。衛兵の手が彼の肩を掴み、次の瞬間、ヴァルは強烈な力で突き飛ばされた。
「がっ!」
その力は、まさに人間の枠を超えた恐ろしい何かだった。ヴァルは背中が壁に激しくぶつかり、その力をそのままに受け止め、脆い白壁を突き破った。
呼吸が一瞬で奪われる。痛みが体中に走ったが、ヴァルはすぐに立ち上がろうとした。
その瞬間、衛兵の顔が歪んでいくのが見えた。もはやそこにあったはずの人間の表情は消え、代わりに黒い渦巻く闇がその顔を覆い尽くしていた。
「ヴァル!?」
バッシュの叫び声が響くが、衛兵はその反応を全く無視し、さらに速く動き出した。
ヴァルは倒れたまま、必死に体を起こし、衛兵を見つめた。
「あれは…!?」
ヴァルの心に浮かんだその思考は、確信へと変わった。
「逃げろ!」
だが、モルディナがその答えを出す暇もなく、衛兵の体から爆発的な力が放たれた。
衛兵の瞳の中で暗闇が渦を巻き、液体が完全にその奥に沈み込んだとき、静寂を破るように彼の体が微かに震えた。首筋から手先にかけて、まるで力が湧き上がるかのように筋肉が硬直し、その手がゆっくりと、異様に滑らかに動き出す。
何かに操られているかのような動きだ。暗闇に潰された目は、手は確かにモルディナに向かって伸びていった。
モルディナがそれに気づく間もなく、衛兵は突如として彼に向かって手を伸ばす。そして、その手にはしっかりとした力が宿り、鋭い刃がモルディナの胸元を突き刺す。
「!?」
モルディナの体が反応する間もなく、刃が深く入り込む。血が瞬時に滴り落ち、衛兵の顔には痛みとも恐怖とも取れない、ただ無表情な笑みが浮かんだ。彼の目にはもはや人間の感情は一切感じられない。液体が浸透したことで、別の存在がその体を操っているかのようだった。
モルディナは一瞬、何が起きたのかを理解できないまま、その場で動けなくなった。




