涙間の記憶
海辺に立つ私の目の前で、青年が波の中を歩いている。
彼は無邪気に足を水に浸し、何度も波を踏み越えて遊んでいる。その姿が、遠くからでも私の胸の奥に温かな灯をともすようだった。私はただ、海面に浮かんだまま彼を見守るしかできない。
ふと、視線を少しずらせば、海の向こうにそびえる塔が目に入る。薄青い空と海の狭間に立つその影は、どこか現実離れした威圧感を持ちながらも、同時に抗いがたい魅力を放っている。塔の先端は雲間に溶け込み、その全貌を捉えることはできない。それは、地上に根を張りながら空を目指す、まるで人間の果てなき夢そのものだった。
その塔を挟むように、砂浜には青年が作った飛行船が佇んでいた。翼は折れ、帆は千切れたままだが、彼の執念を反映するかのように、修理を施された痕跡がいくつも残されている。塔が冷ややかに未来を見つめる存在だとすれば、この飛行船はその未来を掴もうとあがく者の証だった。
「ほら、あれ、俺の船だ」
あんなんになっちまった。海の中から振り返り、青年が笑う。その笑顔にはどこか挑むような明るさがあり、同時に傷ついた誇りを隠しきれていないようにも見えた。
「失敗したけど、諦めない。塔の先にある景色を見たいんだ――あの空を、自分の手で掴みたい」
彼の声には、塔への憧れと、それを越えようとする決意が滲んでいる。私は静かに目を細め、尾ひれを揺らして彼の言葉に応じる。言葉を発することはできないけれど、彼が何を思い、何を目指しているのか、その全てが私には伝わっていた。
「いつか、また空を飛ぶよ。海から見ててくれ」
青年はそう言いながら、波を蹴って砂浜に戻っていった。その背中にちらつく影を見ながら、私は塔と飛行船を交互に見つめる。それは対照的でありながら、どこか同じ未来に向かっているように感じられた。
「今日の海は、いつもより静かだな」
青年が再び私に向き直って言う。
私の尾鰭が波をほんの少し揺らし、彼に応じた。
◇◆◇◆
夢を見ていた。
遠い日の記憶。
胸の中で今はもう失われた心臓が高鳴るような気がした。
薄暗く、埃臭い場所に閉じ込められた中で霞んでいった記憶を呼び起こしたのは、波の音のせいだろうか。
『私』は相変わらず鞄の中で揺られていた。
ここはずっと騒がしい。
あの日々の穏やかさを思い出してしまうくらいならば、まだあの埃臭い場所で閉じ込められていた方がどれだけましだっただろうか。
「ま、待て!待ってくれ、ポトロ!」
「待ってなんかいられません…!!僕の、ハァハァ…僕の記憶が正しければ、あれは…!」
少年たちの声が混ざり合い、騒々しく空気を震わせる。鞄の中に揺られる『私』は、その声を煩わしいと思った。まるで自分が静寂の中に溶け込みたいと願っているのを邪魔されているようで、不快感さえ覚える。
だが、不思議なことに――その騒々しさの隙間から、何かが胸の奥を小さく突き上げるような感覚もあった。
(……くだらない)
そう思い切ろうとするのに、その声の熱量に触れるたび、遠い記憶の中で眠っていた何かが、微かに目を覚ましそうになる。
やかましい。それでも、その熱気に巻き込まれてしまうような――そんな予感が、静かに波打つ心の中を揺らしていた。




