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番人の葬儀屋  作者: あじのこ
第4章 波間の約束
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信念

バッシュが体を動かすと「いてて…」と、小さく呻いた。腕や脚など、体のあちこちが痛む。興奮していて気づかなかったが、どうやら手鏡から地面に落ちたとき、全身を強く打ったらしい。


それを見たポトロは申し訳なさそうに眉を寄せ「これは…改善の余地がありますね…」と、言いながらポケットから分厚い手帳を取り出してメモを始めようとしたが、ミレーユに制止された。ポトロは制止されてやっと気がついたのか「すすすみません…!」と、言いながらもペンとメモを手放すことはなかった。


勝手に呼び出したのだから、少しくらい心配してほしいものである。


バッシュは薄暗い部屋の窓辺に立ち、外の景色をじっと見つめた。窓を通して流れ込むのは、夏の強い日差しだ。湿気を含んだ空気が肌にべっとりと絡みつき、遠くの海の青さがさらに鮮やかに目に飛び込んでくる。


バッシュは海を見たのは初めてだった。

(本当に水が溢れんばかりにたっぷりと注がれているんだな)

その感動はすぐに波のように打ち消された。

海の方へ突き出した崖のそばに、かすかに見える塔があった。


直線距離で少し遠く、煙のように霞んで見える塔の姿は、日差しの中でさらにぼんやりとしていた。しかし、そのぼんやりとした輪郭が、逆に何か異常に存在感を放っているように感じられる。塔は、まるで今にも海に呑まれそうなほど頼りなく建っていた。


あの古びた石の塔は、どれほどの長い時間あの場所にいるのだろうか。頼りげなく建つ塔の足元に荒い波が寄せるたび、その水しぶきが乾いた空気を震わせるように感じられる気がした。塔はこちらのことなど知る由もなく、ただ海の静寂に埋もれるように立ち続けている。


バッシュはじっとその塔を見つめながら、何か不気味なものを感じ取っていた。夏の蒸し暑さとは裏腹に、遠くの塔は冷たい影のように立ち尽くしており、その存在だけで空気が重く感じられた。


「アーク司祭様は、あの塔にいらっしゃいます…」


バッシュのそばに来たポトロがつぶやくと、空気の湿気が耳元でささやくような気がした。

バッシュは窓辺に立ったまま、海に浮かぶ塔を見つめていた。その視線は遠くの塔に引き寄せられ、胸の中に不安が湧き上がる。


ポトロが俯きながら言った。


「…司祭様が幽閉された理由の一つに、ボクの魔法道具の研究が教団の主義に反するって言われたからなんだ」


ポトロは少し沈黙し、手を小さく握りしめた。


「教団の主義に反するなんて、思ってもみなかった。ただ、ボクの研究には、人々を助ける力があると思って…それで…」


ポトロの声は、ふと弱々しくなった。


「でも、教団はそれを許さなかったんだ。人民が神明への信仰を惑わせるから…って」


ポトロの手の中の壊れかけの手鏡が震えた。

バッシュは魔法のことは全く分からないが、マナテラ巌窟街からここベッロハイズ商業特区までの移動を可能にする道具にはとんでもない可能性を秘めているのはバッシュにも理解できた。そしてそれを、見た目ではバッシュとそう変わらない少年が成し遂げてしまったことに周囲の大人たちがどう思い、どう考えたかについてバッシュは考え始めたところで、やめた。


ポトロはもう一度俯き、長い沈黙が続いた。


「それでも…ボクは諦めきれない。ボクの研究には、きっとみんなのためになる力があるんだ」


腕を組んだミレーユが説明を付け足すように口を開いた。


「それは司祭様が囚われた原因の一端だ。アーク司祭様はご自分の好奇心からポトロのような異端者…研究者を囲っていたことに目を付けられたんだが…もっと深い事情がある」

「深い事情?」


バッシュが問いかけると、ミレーユはゆっくりと息を吐き、視線を落とした。ミレーユは少し沈黙を保ち、視線を遠くに向けながら言った。


「謀略だ」


ミレーユがゆっくりと口を開けると、その顔は思わず目を引く美しさだった。端正な顔立ち、整った眉と鋭い目元、そして真剣な表情が、どこか冷徹さを感じさせる。緑色の髪は長く、カーテン越しの柔らかな光が差し込むと薄い光沢を放っていた。


そういえば村で出会った時に着ていた鎧はどうしたのだろうか。今のミレーユは簡素な衣服を着ている。軽装だが、腰には剣をしっかりと固定している。しかし、その簡素な服装の中にも司祭の守護者としての誇りと、無駄を省いた精悍さが感じられた。


「アーク司祭が巻き込まれたのは教団内部の権力闘争だ。司祭様の知識と影響力は、教団の…上層部にとって脅威だった。特に後継者指名の問題が原因だ。」


彼はゆっくりと口を開く。


「実は、後継者がアーク司祭と決まる前に教団の有力者たちは謀略を働いたんだ。自分たちの手にその座を掴むため…そのために…あの塔に幽閉された」


その言葉に、ポトロは黙って頷いた。

なるほど。教団内の権力闘争という言葉が出てきてバッシュにもようやく理解できた。


金や権力を持った大人たちのくだらない喧嘩である。そんなことにオレは巻き込まれようとしているのか。くだらない。

深刻顔の2人に気が付かれぬようにバッシュはハァと息を吐いた。しんとした空気が部屋を満たす。


「…じゃあ、アンタらはあの酔っ払い司祭を救うためにあの塔に行くってことか?」


バッシュの声は冷静だが、その裏には小さな悪意を滲ませていた。ポトロとミレーユは顔を見合わせ、うなずいた。


「そうだ」


ミレーユの短い返答には、揺るぎない決意が込められていた。その真剣な表情の中にバッシュは自分の逃げ道がないことを悟り、観念するようため息を吐いた。


これは想像以上に面倒なことになりそうだ。


そして今更ながらあの道で、あの馬車に乗った、あんな司祭に出会った自分の運命を呪い始めたのだった。

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