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番人の葬儀屋  作者: あじのこ
第4章 波間の約束
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暗闇の中の思案

ヴァルは足音だけが響く静かな暗闇の中を歩き続けた。目の前には何も見えず、冷たい空気が肺の中に吸い込まれるたびに、胸の奥でひどく圧迫感を感じた。


あの人のことを、何度も思い出す。

その笑顔、悲しみ、無邪気さ、そして──あの日の、冷たく凍りついた顔。


「もっと早く君を助けることができたなら…」


自分を責める声が、ただ虚しく暗闇の中を響く。あの時、手を伸ばしていれば、違う結末が待っていたのではないか。悔やんでも悔やみきれない。あの時、もう少し――いや、何もかもが遅すぎた。


足を止め、彼は額に手を当てる。その冷たい感触が、あの日の感覚を呼び覚ます。触れたこともない氷のような冷たさが、胸にひびく。


「会いにきたよ…」


その時、目の前にぼんやりと浮かぶのは――巨大な氷。何人も寄せ付けない冷たい空気をそこかしこに張り巡らすその氷の中に、彼女がいた。

冷たく、無表情に凍りついたその体は、まるで時間そのものを閉じ込めてしまったようだった。手を伸ばしても、届くことはない。触れても、温もりは感じられない。


「アナスタシア…」


ヴァルはその名前を、震える声で呼びかけた。呼んでも、もう応えることはない。あの人の温もりは、氷の中で永遠に凍りついてしまった。


アナスタシアは氷の中に閉じ込められていた。


その姿は、まるで時間そのものを凍りつかせたかのように動かない。青白い氷が彼女の体を完全に包み込んでおり、まるで命のない彫刻のように硬直している。まぶたは閉じられ、口元は無表情なまま凍りついていた。


彼女の体には、もう生命の兆しは微塵も感じられなかった。指先から足先まで、すべてが氷のように冷たく、無機質な冷徹さで固まっている。呼吸をすることも、心臓が鼓動を打つこともない。まるで死そのものがその体にしっかりと根を下ろし、二度と動くことのないものとして存在しているようだった。


ヴァルはその姿を見つめる。

目の前にあるのは、かつてあの温かな笑顔を見せてくれたアナスタシアの面影だ。しかし、今そこにあるのは、もはや彼女の魂を欠いた、ただの肉体に過ぎない。氷漬けになった体は、無情に時を超えて止まったままだった。


その冷たさがヴァルの胸を締め付ける。アナスタシアはもはやこの世にはいない。彼女の心は、もうどこにも存在しない。冷徹な氷の中で、ただ時間だけが静かに流れている。


胸の中で冷徹な虚無が広がっていく。触れられぬ存在。戻れぬ過去。

ヴァルの足元には、ただ冷たい闇が広がっていた。


その時、背後から声が響いた。


「ここは…いつ来ても寒いな」


オレには寒すぎる。

ソッロの冷徹な声がヴァルの思考を引き戻した。振り返ると、彼は相変わらず無表情で立っていた。

黄金色の瞳が、じっとヴァルを見つめる。


ソッロが部屋に足を踏み入れると、思わず体が小さく震えた。冷え切った空気が肌に触れるたび、彼の赤毛が微かに揺れ、狐耳もわずかに縮こまる。まるで氷そのものが立ち込めているかのような冷気が、じわりと彼の毛並みを逆立てた。


彼は肩をすくめ、口を一文字に結びながら、赤みを帯びた毛先に触れて冷えを払い落とそうとする。まるでこの冷たさが自分に染みつかぬようにと、いつも冷静なその目に、わずかばかりの苛立ちが宿った。


「やれやれ、ここは相変わらず凍りつくようだな…」


震える声を抑えつつ、彼は淡々と呟いた。しかし、目の前に広がる冷気に満ちた空間を見据える瞳には、何か険しいものが宿っていた。


「どうだ?お前が魂の半分を使って契約した氷は今日もよく冷えているか?」とソッロが言う。


ヴァルは答えられなかった。

彼の胸の中で、未解決の感情が渦巻いていた。


「お嬢ちゃんの霊魂はまだ見つからないのか?」


ソッロが淡々と言った。


そうだ。アナスタシアの体には魂が欠けていた。死して彼女の霊魂はこの世界のどこかを彷徨っているのだ。体と魂を一緒にして葬送儀礼を終わらせなければ、彼女は本当の安らぎには辿り着けない。

しかし、魂を探し続けても、未だに見つからない。どこにいるのか、それが分からない限り、儀式は始められない。何年も、何度も探してきたが、答えは得られなかった。


「まったく。いつまで経ってもお前の魂も半分のままだな」


その冷徹な問いの後、ソッロは少し黙ってから、さらに続けた。


「お前も…あの言い伝えは知っているだろう?」


ヴァルはその言葉を聞き、胸の奥が冷たくなった。


「後継者が現れた時、すべては終わる…だろう?」


ソッロの声は冷静で、まるで運命を告げるようだった。


「そうさ。ヴァル。お前には時間がないんじゃないか?決断をしなけりゃならん」


ソッロはしばらく沈黙した後、ようやく言葉を続けた。


「だが、まだ心の準備ができていないのだろう。お前がその時を迎えたくないんだ。わかる、わかるよ…だけどな」

「ソッロ。頼む。頼む…1人ににしてくれ」


ソッロが全てを言う前にヴァルは会話を強制的に終わらせた。

ヴァルが静かに足を進めると、ソッロはその背を見守るしかなかった。無言のまま、ソッロは深く息を吸い込む。冷徹な表情の裏で、何かが揺れているようだった。だが、その表情はすぐに戻る。


「…警告したからな」


その言葉は、普段の彼らしく、冷徹で無感情だったが、響くには十分だった。


ヴァルはその言葉に振り返らず、ただ一歩一歩を踏みしめる。ソッロの視線が背中に突き刺さる。彼がどう思っているのか、気にしたところで何も変わらないと、ヴァルは分かっていたから。


ソッロは、足音を残しながらゆっくりと歩き出す。その背中に、ほんのわずかな不安が見え隠れしていた。彼が感じたのは、ヴァルが本当にその道を歩んでいいのかという心配だったのだろうか。それとも、彼自身が過去に踏み出すことを恐れているだけなのか。


その時、ヴァルの肩がわずかに震えた。ほんの一瞬だけ、彼の心の中で何かが壊れそうになった。しかし、それでも振り返ることはしなかった。


ソッロの足音が遠ざかり、やがてその姿が暗闇に飲み込まれていく。静寂だけが残った。ヴァルはその場に立ち尽くし、再びアナスタシアの顔を見つめる。


氷の中でアナスタシアの金髪が静かに輝いていた。透明な氷の中で、金色の髪が微かにきらめき、まるで星のように光を反射していた。その輝きが冷たい空気の中でひときわ目を引き、ヴァルの胸を締め付ける。


ただひとひらの金髪が、氷の中で永遠に動かない。あの日の彼女の温かな笑顔と共に、その髪の輝きだけが、静かに時間を刻んでいるようだった。

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