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番人の葬儀屋  作者: あじのこ
第4章 波間の約束
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波間の約束

『私』は揺られていた。

それもかつてないほど激しく。


『私』は雑多な荷物と一緒に上へ下へ時には左右へと揺さぶられていた。今の『私』に目があればいささか酔っていたかもしれない。


「早く!!はやく、走れ!」


とにかく走るんだ。

人間の少年が悲鳴に近い声をあげた。

最近になってよく聞くこの声の持ち主は利発だが恐れを知らない無謀な勇気を奮った。その声に感化されたもう1人の少年と思しき声が呻く。こちらは先ほどの少年より体力が無いのだろう。明らかに体力の限界に近づきつつあった。


少年たちのすぐ後ろからは歳を重ねた人間の怒号が弾け飛んでいた。いや、実際に少年たちを制止しようと幾らかの脅しのために飛び立つ金属の弾が少年らの足元の土を捲った。


それでも少年らは大人たちの激情を前にして逃げ出さなかった。いや、逃げるために少しでも前に進ませようと在らん限りの力で目の前の金属の【箱】を押していた。少年らはそれを空を飛ぶ車だと言った。

空飛ぶ車には1人用の運転席がある。そこには2人の少年の他にもう1人いたが、この木偶の坊は何の役にも立たなかった。他の人間と意思の疎通も満足にできない。いや、その意思さえ持たない木偶の坊ーーーその瞳は空と海の境目にあるような青い瞳を瞬きもせずにじっと前だけを見つめていた。その眼前には海の中に浮かぶように立つ背の高い塔があった。あれが彼らの目的地か。そこで『私』は他の荷物と一緒に大きく飛び跳ねた。


足元の車輪が泥に嵌ったのだ。

車輪は空回りする。

ああ。運が悪い。


「ああ…!バッシュさんもう、もうダメです…!」

「おい!ポトロ!諦めるなよ!!」


クソ!!動け動け動け〜!!!


少年らの叫び声を聞きながら『私』は昔を思い出していた。かつて、深い海の底で感じた肉体の記憶が浮かび上がる。波に揺られ、太陽の光を受けながら泳いでいた日々のこと。無邪気な笑い声が響く、仲間たちとの自由な時間。けれど、そんな日々が突然に終わりを迎えた。その記憶の片隅には苦しみや哀しみも染み込んでいた。


「やった…!エンジンに火がついたぞ!!」


そう利発な少年が叫びながら隣を見た。

そこにいるはずの少年がいない。

泥に足を取られたのか。それとも自分の体力の限界を悟って後ろから迫る人間の足止め役となったのか。

そのことに気がついた少年が僅かに車を押す力を緩め、後ろを振り返ろうとした時。


「ぼ、ぼくに…構わずい、行ってください!!司祭様を助けてください!!!」


その言葉に背を押されるようにして少年は唇を噛み締めながら、車を押した。空飛ぶ車は岸壁へと突き進んだ。岸壁の下は時化に荒れた海が広がり、波をその岩肌に打ち付けていた。


子供を追いかける大きな人間たちを笑うようにポムポムと間の抜けたエンジン音を出しながら空を飛ぶ車は岸壁から滑るように落ちた。


…人間の子供らはいつも馬鹿げた空想を追いかけている。


地に足のついた生き物が羽もないのに空を飛びたがるなど、その最もな例だろう。時には嘲笑され愚弄され、罵倒されそれでもなお自分の信じる道を歩む。

永遠のような時を変化なく生きていた『私』には出来ないことだ。


『私』はそんな彼らが愛おしく尊かった。


『私』は自分でも気が付かないうちに祈っていた。それがかつての『私』が信仰した海の神なのか、それとも別の神なのか分からないまま。


車輪は泥を抜け出した。ポンっと間の抜けた音を立ててなにかが爆発した。


『私』が揺られるなか、車は岸壁の上からついに宙へと飛び出した。少年は息を呑み、まるで夢のように見つめていた。彼の鼓動は高鳴り、恐怖と歓喜が入り混じっていたが、その瞳は純粋に輝いていた。


「やった…!本当に空を飛んでる!」


風が激しく車体に打ちつけ、全身が震えたが、確かに彼らは地面から離れていた。エンジン音が間の抜けた音を響かせるたびに車体がわずかに揺れ、少年は突貫工事で取り付けられた気持ちばかりの取手にしがみついていた。


背後では大人たちの叫び声が遠のき、岸壁に残された仲間の姿も見えなくなっていった。それでも彼は後ろを振り返らなかった。ただ目の前の塔、彼らの「目的地」へ向けて進むことに全神経を集中させていた。


車の揺れが次第に安定し、風に乗るようにして滑らかに進んでいった。その瞬間、彼は忘れていた自分の鼓動を聞き、手が震えているのを感じた。これが、自由なのか――地に足が着かない、抑圧から解放される瞬間なのか。


「このまま…塔に行ける!」


彼の心は希望に満ちていた。目的地の塔には、彼が救おうとする「司祭様」が囚われているはずだ。少年の内に芽生えた小さな決意が、空を駆け抜ける翼のように膨らんでいく。


『私』はそのすべてを静かに感じ取っていた。風の流れ、少年の想い、そして遥か彼方にある塔から漂う、不思議な力の気配。海の神か。あるいは別の何者か――『私』は祈り続けた。



◇◆◇◆


双子のハーフエルフたちの森を抜け、老医師のシュヴァイツァーとキランと別れた後、バッシュとヴァルが歩き出す姿を、私は荷物の中から静かに見守っていた。彼らは本来の目的地である王国へ向かう旅路の一環として、険しいマケドニア帝国の山脈を遠くに眺めながら進んでいる。私にはその景色がどれほど美しいかを感じ取ることはできないが、彼らの心に宿る期待や不安は、明確に伝わってくる。


幾つもの森と丘を越え、彼らはついに最初の目的地であるマナテラ巌窟街に辿り着いた。街は自然にできた巌窟を利用して作られており、階段や坂道が入り組んだ迷路のような造りになっている。私は、その街の絶景を彼らの視点で感じながら、バッシュの驚きに満ちた表情を見つめていた。彼にとって、これほど美しい場所は見たことがなかったのだろう。


「なぁ、これからその【契約士】って人に会いに行くのか?」バッシュが問いかけた。彼の声には少しの緊張感が滲んでいる。


「そうだよ」

ヴァルの返事は淡々としている。


その瞬間、私は彼らの間にある契約の重みを感じた。葬礼教団の決まりとして、彼らは雇用契約を結ばなければならない。ヴァルは平然としているが、バッシュは急勾配の階段に足を取られ、筋肉が悲鳴を上げているのが分かる。彼の心の中には、街の美しさへの感動と、無数の階段への辟易感が共存している。


「別に王国までの旅の仲間なのだから、そんなことしなくてもいいのではないか?」バッシュの心の声が私の中に響く。彼の葛藤を感じ取ると、私は彼の存在に共感した。


「契約は君にとっても悪い話ではないよ。むしろ君を守るためのものだから。」ヴァルがその心情を察したかのように言葉を続ける。彼の言葉には温もりが感じられるが、バッシュの不安はますます深まる。彼が本当にこの契約を結ぶべきなのかーーー『私』には興味がなかった。


彼がどの道を選ぼうと、『私』は興味がない。ただ彼らの荷物のひとつとして、私の存在がどのように影響を与えるのか、気にも留めていなかった。自由を求めるバッシュの心の中で、何が生まれようとも、それは彼自身の問題であり、私には関わりのないことだと冷静に思った。


マナテラ巌窟街の道を進むにつれ、岩肌に掘られた家々が現れ、バッシュはその独特な風景に目を奪われていた。遠くから響く水の音や、商人たちの声が交じり合い、賑やかな雰囲気が漂っている。街の雰囲気に圧倒されつつも、彼の心には新たな冒険の期待が膨らんでいた。


◇◆◇◆


ヴァルとバッシュは宿屋の厩にトロントとエゾフを預けた。エゾフはすぐに広い厩の中を縦横無尽に歩き回り、元狩人の犬としての性なのか他の馬を牽制しながらトロントの側にやってきた。黒い犬は、年老いた小馬に近づくと、頭を軽く寄せてその背中に鼻を押し当てた。トロントは少し驚いたように耳を立てるが、すぐに穏やかな顔をして、静かに鼻先をエゾフに向ける。


ヴァルはその光景を静かに見守りながら、口元に微笑みを浮かべた。エゾフはまるで、トロントを守るように寄り添っている。年齢差を感じさせるトロントの動きに対して、エゾフはトロントの前だけではまるで無邪気な子犬のように、その小さな馬を慕っているように見えた。


「君たち、いつの間にか仲良くなったんだね」ヴァルは少し呟きながら、ふっと顔を緩めた。


バッシュが飼料を用意しながら肩をすくめ、「どう見ても、トロントが年寄りだから、エゾフは優しくしてるだけだろ」と言った。


だがヴァルはそんなことを気にもせず、じっと二匹のやり取りを見つめていた。エゾフがトロントの首元に鼻を擦り寄せると、トロントはそのまま目を閉じて、少しだけ幸せそうな表情を浮かべた。まるで、どちらも年を重ね、ゆっくりと共に時を刻んできたような、穏やかな雰囲気が漂っていた。


「ふふ、エゾフもお前が好きなんだな」


ヴァルはトロントの顔を優しく見つめながら、少しだけ笑った。まるで、そこにある静かな絆を感じているようだった。


その瞬間、トロントがもう一度エゾフに軽く鼻を押し付けると、エゾフは嬉しそうに尾を振り、少しだけ踊るようにその場を歩き回った。トロントはその様子を静かに見守り、穏やかな顔を浮かべていた。


「さて、行こうか」


バッシュが無理にその場を切り上げるように言った。ヴァルはまだ少しだけその場に留まりたかったが、深く息を吸ってから、ゆっくりと歩き出した。


「ああ」


ヴァルは小さく頷き、最後にトロントとエゾフに目を向ける。その静かなやり取りに、少しだけ心が温かくなった。


そして二匹の姿を背に、ヴァルとバッシュは厩を後にした。これから向かう先にはソッロの家が待っているが、今はこのひとときを心の中に留めておきたかった。


◇◆◇◆


「ここだ、ソッロの家はこの先だ」


ヴァルが立ち止まり、手で指し示した。古びた木製の扉が、周囲の岩と一体化するように存在している。


「ソッロって、どんな人なの?」


バッシュは少し緊張した面持ちで尋ねた。彼の目の前に広がる景色は美しいが、これから会う契約士については未知の部分が多い。


「心配しなくていい。ソッロは少し傲慢かもしれないが、信頼できる友人だ。私の旧知の仲だから」


ヴァルは優雅な微笑みを浮かべた。その表情は、彼がソッロとの再会を楽しみにしていることを示している。


「なるほど…」


バッシュは自分の気持ちを整理しつつ、ソッロとの対面に対する不安が少しずつ和らいでいくのを感じた。


ヴァルは扉をノックし、静かな音が響いた。その瞬間、バッシュは心臓がドキドキと高鳴るのを感じる。次の瞬間、扉がゆっくりと開いていく。


目の前には赤色の毛並みを持つ狐ーーー『契約士』ソッロが姿を現した。

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