時間停止の懐中時計2
重いな。
手に持つ剣の重さの話ではない。
弾かれた剣の先が空中で孤を描く。
衝撃で腕が跳ね返されたのだ。
想定外の出来事に面倒臭さを感じてやる気を削がれていたのか、あるいは油断、焦り…剣は自分の内面を投影する鏡だ。
絶対の自信。絶対の強者。その男の剣が弾かれたのだ。狼藉者は驚きのあまり眉ごと目を見開いた。
オレの剣が受け流された、だと?
狼藉者は失った視力の中で懸命に気配を察知することに努めた。白い闇の中でさえ嫌というほど強烈な存在感が手に取るようにわかった。
その威圧感に思わず狼藉者はトトンッと後方へ跳ねながら後退した。
「ヴァル!!」
シュヴァイツァーは大声で森に佇むその人の名を叫んだ。
徐々に取り戻しつつある狼藉者の視力が名前を呼ばれたそいつの姿を捉えた。
いつの間にか霧の晴れた森の中で暗闇と同化するかの如く黒いマントに身を包む、男とも女とも分からない顔。狼藉者を正面から見据えるとその手にした小型のナイフを再び男へと向けて構えた。
あんな小物で弾かれた、だと。このオレが。
少しの躊躇も戸惑いなく向けられる純粋な殺意に狼藉者は年甲斐もなく少しワクワクした。
間違いない。コイツはオレと同じ種類の人間だ。
こんなのは久々だ。戦争が終わってからというものつまらない仕事ばかりだった。依頼を受けて恐怖に慄く対象を殺すだけでは飽き飽きしていたところだ。めんどくせぇのは嫌いだが自分のことを強いと思っている人間を蹂躙するのは大好きだった。男が舌舐めずりをしたところで、殺意の外側から自分に向けて声を掛けられた。
「あ!お前!」
チョコレートの。と、バッシュは人差し指を立てて男を指した。
「なんだ小僧じゃねぇか…」
「なんでオッサンが…いや、な、なんだ?」
どうなってるんだ?と、バッシュは寝ぼけた眼を擦り、状況を把握しようと頭を毟った。
白髪の老人シュヴァイツァーは息も絶え絶えになっている。エゾフに至っては足を引きずながらも懸命に歩き、そして男に対して威嚇していた。その尋常ではない牙の剥き出し方にさすがのバッシュも青ざめて呑気に瞼を掻くのをやめた。
「オッサン、なにしてるんだよ…!?」
バッシュの問いかけに狼藉者は答えることなく再び舌打ちをした。男の頭の中では天秤が報奨金と現状との均衡に揺れていた。
老人と子供2人、手負の犬とそしてこの異常なプレッシャーを掛けてくるナイフを持った男女。対してこちらはガキの照明弾に眩んだ視力はやや戻りつつある。まだ体力もある…この時まだ男の中では金の方が重みがあった。この男女と愉しむのも悪くない。
その時、男の考えを見透かすかのように森が騒めいた。木々の枝が擦れ合い、まるで会話をしているようだ。白い霧は晴れたが急に風が強くなったような…いや、風ではない。騒めきは一層酷くなるばかりだ。
森が囁いている。
そんな言葉がバッシュの頭に浮かんだ。
ヴァル以外の全員が一様に頭上高く生える木々に視線を移す。
「…?」
これは…。
「あ〜あ。やめだ、やめ!」
狼藉者は先ほどまで溢れ出していた殺意をあっさりと手放して、ロングソードを腰の鞘に収めた。男の頭の中で天秤にかけられた面倒臭さが重みを増したのだ。
「4人と1匹対オレではさすがに分がないからな」
「いや、待て。誰の差金だ!」
シュヴァイツァーが大きな声で問いただした。その問いかけに狼藉者は背を向けて「知らねえよ。じゃあな」と言うとそのまま森の暗闇の中に溶けていなくなってしまった。
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狼藉者が去ったことを確認してからバッシュは大人たちにあの狼藉者と森で交わしたやり取りについて説明した。商人風だったこと、交わした会話の内容など。あのオッサンがこんなことをするような人間には見えなかったのは本当だ。いや、そんなことを言っても今は言い訳にしか聞こえない。そう思うとバッシュの声は次第に小さくなっていった。ぼろぼろの姿で現れたシュヴァイツァーとエゾフに申し訳なく思った。最初にちゃんと言うべきであった。
項垂れるバッシュの肩をポンポンと叩く。ヴァルであった。
「命があったのは幸運だったな」
「ああ、まったく。いい運動になったよ」
くたびれたと言って白髪の老人は座り込むと盛大な咳をした。キランがそばに駆け寄ってきて、心配そうに老人の背中を摩った。シュヴァイツァーは最初に会った時よりもずっとくたびれていた。
「とてもゴロツキとは思えない剣筋だった」
「あのジジイ…ヴァル達を殺せば金が貰えると言っていた」
「金、か…誰の仕業かな」
ヴァルは記憶を探るように瞳を左右に行き来させた。この様子では思い当たる節が沢山ありすぎて分からないのかもしれない。
顎に指を当てて考え込むヴァルの元にキランがロバのような小馬のトロントを連れてきた。
トロントは騒ぎのことなど気が付かなかったようだ。のんびりとそこらの草を喰むトロントに内心ホッとしたような表情をみせたヴァルはキランとトロントの何処にも傷が無いことを確認した。
「キランがトロントを守っていてくれたんだね。ありがとう」
礼を言われたキランの顔が赤くなり、すぐにシュヴァイツァーのほうへと戻っていった。
ヴァルはトロントの頬をゆっくりと撫で、危機から脱した愛馬を誉めたあと、なにかに気がついたようにヴァルはふっと横に視線を向けた。
「シュヴァイツァー…疲れているところ悪いがまだ仕事が残っているんだ」
そう言うと人差し指である方向を指した。
いつの間にかあたりを覆っていた白い霧は晴れ、頭上を高く伸びる木々の間からは数多の星が輝いた。
ヴァルの指差す方向を一同が見ると---なんと、見ている目の前で木がぐにゃりと曲がった。
「き、木が勝手に動いている…!?」
木々は静かにゆっくりとその体躯をアーチ上にしならせていく。まるで意志を持つ生き物のようになまめかしい。両側から生い茂げると頭上に見えていた星を再び隠して、緑のトンネルが完成した。
『こっちに来いって言ってるわよ』
ヴァルの胸元がふわっと輝いた。
リヒトだ。
『あ〜どうなることかと思った!』
「おまえ…何処にいたんだよ」
全然見掛けないと思っていたが、急に存在を主張した発光する浮遊球はヴァルの胸元から飛び出ると『あら、ずっといたわ』と言って自由に気ままに空を泳いだ。
「あっちじゃ一言も話さなかったじゃないか」
『ヴァルは夢を見るけど、私は夢なんて見ないもの』
なるほど。分かったような分からないような。
『夢っていうのは不完全な生き物が作り出す頭のまやかしなの。あーだったりいいな、こーだったらいいな、なんて欲求。このリヒトにはないもの』
そうは言うけどいつも文句と怒ってばかりで口うるさくする欲求はあるじゃないか、と口から飛び出しそうになったがやめた。どうせ怒られるからだ。
『まったく他人の夢の中に入るなんて仕事とはいえどうかしているわ。アンタ達、あのまま取り込まれて戻れなかったらどうするつもりだったの?』
「え?ちょっと待てヴァル。戻れないってそんな事は一言も…」
「そうだったかな?まぁ戻ってこれたからよかったじゃないか」
抗議を上げるバッシュを置いてヴァルは木々のトンネルの様子を見に行った。
咳が治まったシュヴァイツァーがようやく立ち上がった。それを支えるようにキランが横に着く。
「まさか…ここを通り抜けていくつもりか!?」
うんざりとした声を出すバッシュにヴァルは「仕事だからね」と当たり前のように言った。
一切の明かりがない暗く不気味な森のアーチの奥にいったいなにがあるというのか。バッシュの足はここへ止まるように懸命に堪えていたが、胸の中ではこの奥に一体なにがあるんだろうと珍しいもの見たさで騒つく好奇心がそっと背中を押した。だめだ、やめろ。いや、この奥にあるものがなにか知りたくは無いか?
「奥で待っているんだろう…この森の番人の“本体”が」
シュヴァイツァーとそれを支えるキランが先頭となって歩いていくと続いてヴァル・リヒトとトロントがアーチを潜り、最後にバッシュとエゾフが木々のアーチに足を踏み入れ、一同は森のさらなる深部へと向かった。




