最期の仕事
そこのエルフの好男子さん。
いや、そこのアンタだよ。アンタ。
そうそう…こっちに来てくれねぇか…ああオレたちぁ怪しいもんじゃねぇ。怪しい?
ひでぇなぁ、コッチは海から山を越えてはるばる来たってぇのによ…え?海を知らねぇ?
神メェ様が作られたひろーいひろーい桶の中にたっぷり水が入ってる場所のことを言うんだよ。これが舐めるとしょっぱいんだ。人間にはとても飲めたもんじゃねぇが、そこにはうめぇ魚がいっぱい泳いでるんだ。
中には不思議な珍しい魚がいてな…ホレ。
こんなふうに虹色の鱗を持った魚がいるんだ…不思議だろう。こうして切り身にして木箱の中に入れても腐らねぇんだ。
これがまた不思議な力を持ってる。
知り合ったのも何かの縁だ。アンタにだけ話してやるよ…これは…これを食べた人間は永遠の若さと命を得られるって話だ。…嘘に決まってる?
オレたち狩人商会は嘘なんて吐いて商売なんてしねぇよ!
どうだ?この見事な肉といまアンタが持ってるだけの金と交換してやろう。たいして持っていない?いや、構いやしネェ、金だけで商売はしてねぇさ。商売はシンヨウが大事なんだ。
オラァよぉ元気が無さそうに歩いてるアンタの役に立てられればオレたちぁ海から山を越えここまで来た甲斐があったってモンだ。
弟もそう言っている。
どうだ…おうおう…結構持ってるじゃねぇか。
ひひっ!まいどあり。
ーーー
あの時、あの2人組の狩人たちの話を信じたわけじゃ無い。魚の肉を食べて永遠に生きられるなんて信じるのは子供ぐらいだ。
ただ、俺は海を見たことがなかった。恐らくこれからも見ることはないだろう。この肉が本当に魚ならば…魚好きの兄上様は喜んで食べてくれるだろう。
永遠なんて信じていない。だから俺も食べたんだ。あの美しく料理された魚を。
ププは嫌がって食べなかったが、城の住人たちの分もあれば食べさせたかったくらい美味かった。
…あれを食べればみんなずっとずっと『永遠』に生きていけただろうに。
ピピは息が上がるのを感じた。
本気で走るエドワルドには全く追いつけなかった。踊り場で立ち止まった時に追いつけるかと思ったのだが、兄上様は窓をじっと見て独り言話していたがすぐに走り出した。
ピピも同じく窓の外を見るとあの葬儀屋と名乗る男女がなにも無い所に向かって腕を振り回していた。その様子はまるで踊っているかのように軽やかにも見えたが、やがて見えないなにかにぶつかって勢いよく転がった。それを見るとピピはニンゲンの心配よりも日常が壊されていくようで怒りを感じた。握りしめた拳のままピピは中庭へと駆け出した。
あいつらが現れなければここはずっと幸せのままだったのに。
ピピもププもここにいられて幸せだ。これがずっとずっと続けばいいのに。みんなもそう思っているんだろう…そう尋ねようにも今この場には自分1人しかいなかった。
ーーー
「ああ…そんな…!」
ネモフィラの腕の中で血塗れのエドワルド。それを見て、ピピはその場で膝を折った。その血の量からもはや救命することは不可能だと本能的に悟った。なにが起こったのか…どうして…ピピは気が動転していた。
「ピピ…」
「アイツら…あの肉を食べさせれば永遠に生きるって言ったじゃ無いか!」
ドンっ!と、荒れた芝生の上を叩いたくとその場で蹲り、殆ど半狂乱のように泣き喚いた。その様子に双子のププでさえ声を掛けるのを躊躇った。
その背後にヌゥッと黒い影が現れる。
ヴァルだった。ヴァルはじっと足元のピピを見ると一つため息を吐いてから膝を折った。
「この世にあるものは全て変わっていかなければならない。永遠に変化しないものは…この世のものでは無くなってしまうのだから」
ヴァルの言葉にバッシュは胸の中がザワザワした。どうしてこんなに気持ちが揺らぐのか、バッシュは分からないまま無意識に自分の胸元の衣服を握りしめ、ピピの方を見た。
自分の子供の姿をしたものが、あるいはエドワルドがこの世のものでなくなる前にネモフィラは終わりを選んだのだ。このずっと続いてきた日常を。
黒衣の葬儀屋はピピを諭すように言葉を紡いだが「うるさい!」と、ピピは再び叫んだ。腹の底から全てを拒絶する声だった。
「ピッピ…」
微かな声がピピを呼んだ。ネモフィラだった。
肌の露出した部分は樹皮となってその殆どは白く枯れており、もはやその場から動くことは叶わなかった。ネモフィラの膝の上でエドワルドが幸福そうな顔のまま事切れていた。
「こちらへ…」
「姉上さま…」
絞り出された声に誘われてピピはネモフィラの元へフラフラと歩き出した。それを追うようにププもネモフィラの元へと歩いた。
「ピピ…ププ…私の大事な妹弟…」
涙が溢れるピピの頬をネモフィラの白く枯れた指先が優しく拭った。駆け寄ったププの頭をそっと撫でた。
「あの時の…この森で私達と出逢わなかった方があなた達にとって幸運だったのかもしれません…」
「そんなことはけっしてありません!」
涙でぐしゃぐしゃになったピピの顔。
物心ついた時から奴隷商人のもとで道具のように働かされ、自分達以外の家族を知らず、エルフとして生きる法も知らず、ましてや他人と触れ合うことも知らなかった2人にとってはここでの暮らしは全てだった。
それが、不幸せだったとは考えたこともなかった。
ネモフィラは静かに口の中で古い言葉を呟く。それはこの森の番人としての最期の仕事だった。
(あとは…森が決めるでしょう)
「えっ…?」
「姉上様なにを言って…」
ネモフィラがそういうやいなや、あたりを一層濃い霧が漂い始めた…いや、霧が集まっている…?
立ち尽くしていたバッシュが異変に気がつく頃にはエドワルドとネモフィラ、そして2人の双子エルフの姿は完全に濃い霧の中に包まれていた。
そして周囲は白い嵐に見舞われた。
四方八方から強く吹く風が立つことさえ困難にさせていた。もはや近くにヴァルがいるのかどうかさえバッシュには分からなかった。
「な、なんだ…なんだ!?」
なにが起こっているんだ…バッシュが強い風の中でなんとか視界を確保するように両腕で顔を守るように覆った。その隙間からネモフィラ夫人の姿が微かに見えた。完全に枯れた樹木になり果てたハイエルフの夫人は、バッシュに気がつくと微笑んだように見えた。
そう思ったのも束の間、バッシュの視界が真っ白の闇に覆われる---そこでバッシュの意識は完全に遮断された。




