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番人の葬儀屋  作者: あじのこ
第3章 夢の国で会いましょう
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永遠の日常

ネモフィラ夫人の美しい顔はいまではその皮膚のほとんどが樹皮と成り果て白く乾燥し、所々割れ始めていた。それを見るとおそらく残された時間は僅かだとバッシュは思った。


「ププさんがここでの記憶を見せてくれました」


ヴァルは告げた。


「ネモフィラ夫人。エドワルド三世が食べたのは人魚の肉ですね?」

「に、人魚!?」


その突拍子のない単語にバッシュは驚いて大きな声を出した。人魚なんていうのは子供が見るおとぎ話のものだ。それを大の大人が言うのだからバッシュの反応も当然だった。しかし、ここではバッシュの常識的な反応は通用しない。


「…その通りです」


ネモフィラ夫人はヴァルに同意した。


「あの日、ピピがエドワルドに食べさせたのは人魚の肉でした」


人魚。

あの海の岩礁に座り船員を魔性の声で誘惑する。あるいは実らなかった初恋に嘆き悲しむあまり海の泡となってしまったおとぎの国の住人。そんなものがいるわけない。だがヴァルとネモフィラ夫人の間ではそれは"存在する者"として語られた。


「ヴァルさんのおっしゃる通り、人魚の肉を食べたことでエドワルドの"肉体"は永遠の若さと命を得たのです」

「肉体…?」


ネモフィラ夫人は"肉体"とはっきりと強調した。


「肉体はいつまでも若いままででしたが、いつしかエドワルドの精神は肉体についていけなくなりました」


三人の子供たちの無情で非業な死。

自分に付き添ってきてくれた従者たちの老いと死。

なぜ子供たちは死んだのか。

なぜ従僕たちは老いていくのか。…なぜ自分は歳を取らないままなのか。


ある時エドワルドの精神は限界を越えた。

不可解に若いままの自らの肉体に心がついていけなくなったのだ。やがて臨界点を越えた精神は幸せだった頃とあるはずのない妄想を行き来を繰り返すようになった。

そうして、戻れなくなったのだ。


エドワルド三世は自分にとって最も幸福な都合の良い妄想を愛した。そして其処に留まることを選び、愛した世界を守るようにこの森の霧は一層深くなった。


「そんなこと…いや、でもなんでピピはそんもの食べさせたんだ?」


ネモフィラ夫人がもう何度となく考えたであろう疑問をバッシュは口にした。しかし、答えたのはププだった。


「ピピは…ピピはこのまま永遠に続いてほしかったのだと思います」


ププが言った。


兄上様と姉上様と私とピピ。

4人だけで完結された永遠の日常。霧を出ればヴァルとバッシュたちに出会ったように予測不能の事象が襲う。毎日が同じことを繰り返す日常の安心は奴隷商人のところで過ごしてきた日々を思えばなによりも代え難い尊いものになっていった。ピピにとっては、である。


永遠が続くということがどういうことなのか、ピピは解っていなかった。いや、解っていて今の現状を選択しただろうか。

それは本人にしか分からなかった。


「それに…貴女が無理な延命をし続けるのにはもう一つ理由がありますね」


ヴァルはそう言って腕を伸ばして手首を軽く捻ったかと思うと、なにもない空間が一瞬煌々と輝きその光の間から虹色に光る細剣があらわれた。夢の世界で沈黙を守っていたリヒトの光が、霧の中で眩いばかりに光を放つ。


「私の亡骸を狙う、魔物が…。この数十年、樹木病を発症してからずっと私の亡骸が空くのを待っているのです」

「魔物って…まさか…」


バッシュは嫌な予感がした。

その予感は当たらないで欲しいと願わずにはいられなかった。


『もうすぐだね』

『もうすぐだよ』

『もーすーねー』


後ろから声がした。

それは子供の声のように聞こえたが、どこが真似をするかのようなわざとらしい音の響きが混ざっていた。バッシュは恐る恐る振り向く。

霧が濃い。

バッシュは自分の心臓がドクンドクンと音を立てているのが分かった。

ガゼボのそばにある其れ等がもう話したり笑ったり、泣いたりしないことはヴァルもバッシュもププも、そしてネモフィラ夫人も解っていた。分かっていたが、4人が声をする方へ視線を向けた時には全員が確信していた。目の前の事象を懸命に拒絶するようにバッシュは首を振った。


「うそだ…そんな…だって」


3つ並んだ墓石のそばに小さな子供たちが楽しそうに笑ってこちらを見ていた。


3人の子供たちは確かにププの記憶の中で死んでいた。そのはずだ。間違いない。

しかし、いま目の前には確かに白い服を着た子供たちが並んで今にも駆け出して遊び出しそうな姿をしていた。


あ、そうか。

これは夢だからか。

ここはエドワルド三世の都合の良い夢の世界で、その中ではまだ3人の子供たちは生きているのか。そうであればあれはきっと害のない存在に違いない。いや、そうでなくては困る。

そんな仮説を立てたバッシュと虹色の細剣を持つヴァルは3人の子供たちと対峙した…バッシュの仮説はすぐに否定される。


『わたしたちはね、まっているの』

『まっているのー』

『まーてーのー』


それは「お行儀良く出来たから褒めてくれるでしょう?」と言わんばかりの台詞だった。

子供たちが数歩、歩くと霧の中に隠れている奇妙に大きな黒い影が蠢いた。


風が吹く。

辺りを覆う霧がざぁ…と流れるとその黒い影の全体が少しだけ見えた。

白く霞む霧の世界で其処だけ黒い液体を溢し、子供が落書きをしたような、それは正しい生物としての形を成していなかった。大きすぎる胴体に、その体を支えるには小さすぎる手足。

土の下で眠る子供らのことなど気にすることなくその小さすぎる手足が墓石を踏みつけ、青い芝生を荒らした。

ネモフィラ夫人が悲鳴にならない声をあげて白く枯れた指先で口を覆い隠した。


不気味に蠢く黒い影はカエルのようにも見え、子供たちの背中に繋がる触手のような3つの管はやがて一つの太い管となり黒い影に結ばれている。


「ケガレが、どうしてこんなところに…!」


バッシュはそう言った後で3人目の子供の葬儀の際に墓石に黒い聖水を振り掛けた司祭を思い出していた。おそらくヴァルも気がついてあんな顔をしていたのだ。あの小瓶の中身は。


「あの司祭がケガレを呼び込んだ」

「な、なんで司祭が…」


わからない。

ヴァルはそう言うと1人前に出てケガレに対峙した。小柄なヴァルよりも優に大きなケガレはヴァルの敵意を感じ取ったのか、その大きな体を小さな子供らの後ろに隠した。


『あの人…こわいひと』

『こわいひと』

『こーいーひとー』


「なんだあれ…」


ケガレと繋がった子供たちは口々に言った。

子供たちが話し始めるのと同時にネモフィラ夫人の嗚咽が背後から聞こえた。


「私が…私が悪いのです。

あれは子供たちではない。生きている子供たちはもうとっくに亡くなった。この地の番人として、消滅させなくてはならない。頭では分かっているのに…時折、笑う声や遊んでいる姿が…いままでずっと殺すことができなかった」


ププがネモフィラ夫人の震える背中を摩った。

嗚咽混じりの叫びはヴァルにも聞こえているだろう。だが、ヴァルは少しも動じることなく正面をみつめた。


「あんなの…どうするんだよ」


化けているとはいえ、完全に子供の姿をしたそれを斬り殺すのか?いや、3人と1匹のうちのどれが本体なのか、そもそも本体が存在するのか。

それさえもわからない怪物を前にしてバッシュは足が震えた。少しでも力も失えばそのまま膝を折ってしまいそうだった。懸命に足に力を入れて踏ん張った。


「…仕事をするだけだよ」


ヴァルはそう言うと虹色に光る細剣を構え、ケガレとそして3人の子供たちと正面から対峙した。

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