3人の子供
3人は長く暗い廊下を歩いた。
先頭をププが歩き、続いてヴァルと少し離れてバッシュがトボトボと歩いた。
「閣下に宴席での失礼をお詫びさせてほしい」
「兄上様からはお気になさらずと申しつかっております」
ですが…とヴァルは続けた。
客室に案内すると言われて2人はププの後に続いて歩いていた。廊下を歩く限りでは城を警護する兵士やメイドの姿さえ見えなかった。この広い城の中の管理をププとピピが行っているのだろうか。
「兄上様もすぐにお忘れになるでしょう」
豪華なレリーフの木扉の前までたどり着くとププは振り向きもせずに言った。
貴族は平民の言うことなど羽虫の戯言と指で払うように忘れてしまうのだろうか。バッシュが貴族であればそう思うであろう。偶然そばにいた羽虫など、気にも留めない。
木扉のギィと開く大きな音にバッシュはビクッと体を震わせた。
「ゆっくりお休みください」
「助けていただいたのに、失礼なことをしたのに申し訳ない」
「いえ」
ーーー大事なお客様ですから。
と、扉が閉まる直前にププはそう呟いた。
ーーー
客室は大層豪華だった。
足で踏むとギュッと音がするような絨毯を歩いて部屋に入る。銀製品と思われる燭台には蝋燭の火が灯り、部屋をほのかに照らした。
2脚の椅子に猫足のテーブル。ツヤのある深い色味のチェストなど、どれひとつとっても豪華そのものだった。二つの客室用ベッドは清潔なシーツが掛けられ、皺一つなかった。
バッシュは気まずさを隠すように広いベッドに大袈裟な音を立てて座った。
葬儀屋としての目的を忘れて我を通してしまったバッシュは、ヴァルになにか言われるだろと身構えた。だが、いつまで経ってもヴァルはなにも言わなかった。
霧が広がる窓の外をただじっと見つめていた。
バッシュはそのまま後ろに倒れてベッドへ横になった。こんなにやわらかなベッドに触れたのは生まれて初めてだった。
まるで雲の上にいるような気持ちになり、そのまま意識は夢の中にいながら夢の歪みへと落ちていった。
ーーー
バッシュは体を丸めて寝ていた。
背中を曲げ膝を折り腕は力無く体に添い、暗闇の中で体を横たえていた。バッシュはこれはこの前の夢の続きだと悟った。自分はあの3頭の怪物に食われてしまったのか。
ならば、ここは怪物の胃袋の中か。
体を包むその柔らかな感触が存外悪くはない。むしろ心地が良い。このままずっとここで寝ているのも悪くないと思えた。
いや、起きなくては。
起きてヴァルに仕事の邪魔をするようなことをして申し訳ないと謝らなくては。
謝る?だれに?あれ?
ーーーヴァルってだれだっけ?
ーーー
夢の中で夢を見ていた。
その不思議な感覚が一層体を気だるくさせた。
夢の中でなにもかも忘れてしまった自分がいた。いや、大丈夫だ。ちゃんと覚えている。
バッシュは昨夜自分がしでかした失態を思い出してフカフカな枕に顔を押し付けると「ああ〜」と後悔に叫んだ。
やがてそれも落ち着くとバッシュはベッドから起き上がり窓の外を見た。やはり窓の外は白い霧に覆われ、昼とも夕暮れとも分からない時間を運んでいた。
バッシュの体感では朝のような気分であったが、それを指し示すものはこの部屋にはなかった。そういえばここに着いてから時計を見ていないな。
バッシュは重たい瞼を擦りながら、ようやく部屋の中に自分の雇い主がいないことに気がついた。ベッドのそばにはここに持ってきた荷物がそのままになっている。
どこかに散歩でも出掛けたのだろうか。
「お目覚めですか」
「わっ!」
後ろから呼びかけられてバッシュは驚きのあまり大きな声を出して飛び上がった。
部屋の出入り口では耳の長いエルフ、ププが昨日と同じ白いブラウスとフリルの付いたエプロンそれに黒いスカートのお仕着せ服を着て立っていた。
「ご朝食のご用意が出来ております」
そう言い残してププは下がった。
バッシュは飛び跳ねる心臓を服の上で押さえつけながら部屋の出入り口へと向かった。
ーーー
ププに案内されてバッシュは朝食の用意されている部屋へ行く間、やはり誰ともすれ違わなかった。
「あの…ヴァルがどこに行ったか知ってる?」
「お連れ様は先に朝食を召し上がりました」
ププがふっと足を止める。まだ完全に目の覚めていないバッシュはププの背中にぶつかりそうになって慌てて距離を取った。朝食の用意された部屋にたどり着いたらしい。ププが扉の取手に手を掛けると、ギィ…と音を立てて扉が開いた。
「ヴァル様は城の中を見学させてほしいとおっしゃっておりましたので、ピピに案内させております」
「ふーん…」
長いテーブルにはバッシュ1人分の食事だけがぽつりと用意されている。
バッシュ以外には誰もいない。
バッシュが起きる時間が遅すぎたのだろうか。それとも自分の無礼な態度がエドワルド夫婦を怒らせてしまったのだろうか。それを尋ねたくとも、すでにププの姿はなく室内にはバッシュただ1人だった。
目玉焼きに塩ベーコン。皿の傍には彩りよく野菜が盛られていた。焼かれたトーストを一口齧ると豊満な小麦の香りが口内を満たしたが、今のバッシュにはそれを味わう余裕は無かった。機械的にモグモグと口を動かし、流し込むようにコップの水を飲もうとした時。
「ねぇなにしてるの?」
「なにしてるの?」
「なにちてるのー」
「わっ!!?」
足元から声がした。子供の声だ。それも3人。
しかもテーブルの下からだ。
バッシュが慌ててテーブルの下を覗く。
いつからそこにいたのか。
テーブルの下には子供がいた。それも3人。
金色の髪の間から人間にしては長い耳がのぞく。小さな子供らが身を屈めて座っていた。
「…お前らなにしてるんだ?」
みつかっちゃうからしゃべらないで。
一番年長者らしい少女が話した。
お前らが話しかけてきたんだろう…と、バッシュはため息をついて呆れた。だが、遊びに興じる幼児とのやりとりは孤児教会出て以来だった。それがとても昔のことのように感じて、子供の高い声がバッシュの耳には懐かしかった。
金色の髪。そして特徴的な長い耳。
3人とも上等そうな白い服を着ていた。
この子供たちがエドワルド三世とネモフィラ夫人の子供であることはその姿から明らかであった。
「3人で遊んでんのか?」
「あそんでないよ。かくれてるの」
「かくれてるの」
「かくてるお」
子供らが口々に言う。
隠れている?子供の遊びだろうか。
バッシュはテーブルの下を覗き込んだまま子供らに話しかけた。
「そんなところじゃ簡単に見つかっちまうぞ」
「みつかんないよ。おとなにはみつけられないもの」
「…オレには見つかってるぞ」
「あなた、おとなじゃないもの」
「おとなじゃない」
「ぢゃない!」
お前らよりは年上だよ…と、言いかけたところで声を掛けられた。今度はテーブルの上からだった。
「---バッシュ、おはよう」
朝ごはんは食べられた?と、ヴァルが声を掛けてきた。相変わらず黒いマントで全身を覆い、男とも女とも取れる声は僅かに心配さを滲ませといた。
後ろには城の中を案内していたらしいエルフのピピが睨みつけるように立っていた。目を合わしずらく、バッシュはよそよそしく返事をした。
「テーブルの下になにか落としたの?」
「え?」
バッシュは椅子に座りながらテーブルの下を覗き込む体勢だった。
ヴァルのところからはテーブルクロスが邪魔をして、子供たちが見えないのだろうか。
子供たちは隠れていると言っていたから、城の中の人間とかくれんぼでもしているのだろう。だとすれば、ここでバッシュが子供たちがここに隠れていると明かせば子供たちの反感を買うだろう。これ以上の面倒ごとは御免被りたかったし、なにより子供は子供の味方になるべきだとも思った。
バッシュはテーブル下の子供たちのことは触れないと決め「フォークを落としただけだ」と、 ぶっきらぼうに答えた。
「…姉上様が中庭でお呼びだ」
腕を組み壁にもたれたままのピピはこちらを見下すような視線をバッシュたちに投げた。
ナイフ狂のエルフと一緒にいるのは嫌だったが、ここにいても仕方がないのでバッシュも渋々付き合うことにした。
ーーー
城の外へ出ると辺り一面見事な霧の世界だった。体に纏わりつくように立ち込める霧にバッシュは無意味と分かりつつ、手で払った。
「霧でなんも見えねぇじゃんか…」
「人間、ずべこべ言うな。さっさと歩け」
ピピは迷うことなく霧の中へ進んでいった。
ヴァルも慣れたように歩いて行く。
2人に置いていかれないように、バッシュは少し小走りで後をついて行った。目を離すとすぐに見失ってしまいそうな濃い霧。
「なぁ、あの貴族一家とお前ら以外にこの城には他に誰かいるのか?全然見掛けないけど…」
ピピがヴァルを案内しているのであれば、子供の遊び相手はププの方なのだろうか?それとも貴族夫婦が子供の遊び相手をしていたのか。あるいは他に従僕やお仕着せメイドがいるのだろうか。この終始不機嫌なエルフのピピならばテーブル下の子供たちの存在にすぐ気がつきそうであるが、なにも言わなかったことにバッシュは違和感を感じていた。
その違和感の正体を知りたくて、質問をしたのだがバッシュはすぐに後悔した。
「それがどうした。そんなこと、お前に言う必要があるのか」
ピピは石畳みの通路から進路を変えて、芝生の上を歩いて行った。芝生のフカフカとした感触が過酷な旅路を強いられてきた靴裏には心地よかった。
ピピが立ち止まる。
同じく立ち止まったヴァルがピピを制止するように両手を広げた。それも意に介さないかのように、ヴァルの体越しにピピはジロリとバッシュを睨みつけた。
「オイ、人間。オレがお前らを案内してやっているのは姉上様の意思に従っているだけだ。次に無礼を働いたら…人喰い池の餌にしてやるぞ」
尖ったナイフを思わせる眼光にバッシュは思わずヴァルの体に隠れた。昨晩の宴席では確かに怒らせることを言ったが、今のはそこまで怒らせるようなことを言っただろうか?
「この広大な城があまりにも綺麗に管理されていらっしゃるから、バッシュも私も不思議に思ったのです」
伸びた腕に沿ってヴァルの黒マントが広がった。ヴァルのさほど大きくない背中は黒マントの広がりのおかげで実際よりも大きく見えた。大きく見えるのは自分が頼っている所為だ。それに気がつくとバッシュの胸の中になんとも言えない感情が交錯した。
「先ほど拝見させていただいた城内はどこも清掃が行き届いていました。外の植え込み一つ、乱れていない」
「ププが全て手入れしている」
「ええ、全てが完璧でした」
「…オイ、人間。なにが言いたい?」
「この城を維持管理していくだけでも相当重労働なはず。なのに従僕はあなた方2人しかいない」
「………」
「私たちは、ここがあなた方の誰かが見せる夢の中だと知っている」
ピピはもう心のうちの不快さを少しと隠そうとしなかった。露骨に顰めた眉と眉間の皺が深くなる。ピピが腰にぶら下げたダガーナイフの柄に指を掛けたところで霧の中から呼び止められた。
「---ピッピ。おやめなさい」
声が掛けられると同時に風が吹いた。まるで神明が下界を覗き込んで気まぐれに「どれ。あの辺りはどうなっているのかな」と、カーテンを捲るかのようにその一瞬だけ、バッシュたちのいる一帯は霧が晴れた。
霧の晴れた芝生の上に貴族がお茶を楽しむためのガゼボがあった。
四方を白亜の柱に囲み、半球型の透明な天井を支えていた。中央に置かれたテーブルと数脚の椅子。
その一つには風に靡く豊かな青い髪と長い耳---ネモフィラ夫人がププを従えて座っていた。




