喧嘩別れに現れたのは
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バッシュは反対した。
ヴァルの仕事を手伝うとは言ったものの化け物の次は切り裂きエルフが相手とは話が違う。
危険すぎる。
それにヴァルの運動能力や剣の腕は子供のバッシュにも素人のそれとは違うことはこの目で見て分かってはいたが、肝心の生き物を倒す武器という武器を持ち合わせていなかった。
ーーあの煌々と輝く虹の細剣は、生き物を殺せないのだ。
女の子もいることだし、とにかく逃げようとバッシュは言った。逃げるための出しにされた少女はギュッと服の袖を掴んだが、それでも少女は何も言わなかった。なにも『言えなかった』のだ。
「聞いてない!
そもそもこんなナイフを振り回すような奴を相手にするなんて聞いてない!」
バッシュの抵抗に、老医師で葬儀屋のシュヴァイツァーはあららと言って頭を掻いた。バッシュの抵抗にしばらく耳を傾けていたがふっと気がついたようにシュヴァイツァーは隣に立つヴァルに顔を向けた。
「…まさかとは思うけどヴァルくん。彼に大事なことを話していないのではないか?」
「バッシュとは出会ってから慌ただしい色々出来事があって…落ち着いたら話そうかなとは」
「ええ〜…」
大事なことは先に言っておいた方がいいと思うぞ、とシュヴァイツァーは旧友を嗜めた。
「おい、なんだよ。なんの話をしているんだ?」
バッシュは大人2人の会話に割って入った。
2人が自分のことを話しているのは紛れもなかった。しかも、おそらくあまりバッシュにとっては良い話ではなかった。
シュヴァイツァーは見守るように口をつぐんだが、ヴァルは結局「なんでもない」と言った。
「バッシュ。申し訳ないが彼とこれからの話を少しの間だけさせてほしい」と、ヴァルはバッシュにお願いした。バッシュは酷く傷ついた顔をした。いままで旅の主導はバッシュに握られていたのに、急に現れた大人に横取りされてしまったのだ。しかし、大人には敵わないと思ったのかバッシュは無言のまま背を向けてしまった。
3人の騒ぎを遠巻きに見つめる少女をヴァルはチラリと見た。少女の周りをシュヴァイツァーの神明の梯子がくるくると飛ぶと、目で追いかけて指先に乗せた。
「シュヴァイツァー…キミもそうなのか?」
「ああ、そうだ」
若い時の肺の病気さ。
そう言って大したことはないと言うふうに言ってみせたが、少しだけ咳をした。
「キランとは5年ほど前に出会った。…あの子はマケドニア帝国の奴隷商人から買ったんだ。
喉が傷ついているだろう。
…帝国の魔女狩りに遭ったんだ。あの子だけが生き残った。
仕返しを恐れた奴隷商が魔法の詠唱が出来ないように声帯を取っちまったんだ。だから話せないんだ」
「…ひどいな」
「あの国の血統主義には反吐が出る」
シュヴァイツァーが再び咳き込むとキランが駆け寄ってカップにお茶を注いだ。キランは気の利く少女だった。
ヴァルの分までお茶を注いでカップを手渡す。
ヴァルがありがとうと言ってキランからカップを受け取ると、キランはシュヴァイツァーに駆け寄って、その震える背中を小さな手が摩った。
ーーー彼の背中はこんなに丸くて小さかっただろうか。ヴァルはぼんやり思った。そして老医師と自分との違いに、足元から地面がなくなったかのような浮遊感を感じる。なるべくいつも通りの平静を装った。
「ヴァル、君は至って健康そうに見えるが」
「私の体は健康そのものだよ」
「そうか。まぁ、この話はこれくらいにしておいてこれからどうするかだ」
「城があると言っていたが…」
「無いよ。そんなものは無かった」
背を向けたままのバッシュが口を挟んだ。
「バッシュ…助けを必要としている人がいるんだ」
「オレだって助けてほしいくらいだ!
お前といるとロクな目に合わない!」
「バッシュ…」
大きな梟の死体に!気持ち悪いナメクジみたいな怪物!極め付けは切り裂きエルフだ!
金輪際、お前となんか一緒にいられない!と言ってバッシュはヴァルが止めるのも聞かずに霧の中を走り出してしまった。
ーーー
霧はバッシュの視界を遮るように深く濃く広がっていた。
感情が爆発するままに荷物も何もかも置いて飛び出してきてしまった。運が悪ければあのまま死んでいたのかもしれないという恐怖を少年のバッシュは抑える術を知らなかった。それに自分の旅の主導を他人に盗まれたのがなによりも腹がたった。
「クソクソ…」
口の中でありったけの悪口を言い終わるとバッシュははた、と我に返って周囲を見渡した。
見覚えのない木々に囲まれてしまった。不用意にぐるりとあたりを見たせいもあって、バッシュの方向感覚は完全に森の中に呑まれてしまった。
やってしまった…。
焦っても仕方ない。
冷静になりつつある頭を動かして近くの小石に腰を下ろす。
すると「坊主、迷子か?」と見知らぬ声がかかり、思わず飛び退いた。
「わっ、だ…誰だ!?」思わず声が上擦った。
「あはは、そんなに驚かせるつもりはなかったのだけど。すまないね」
大きな木の幹にもたれる様にしてボロボロの格好をした商人風の男がタバコをふかしていた。
目深に被った異国風の傘帽子のせいで男の人相はよく見えなかった。
「この通りしがない旅の行商人さ。親とはぐれたのかい?」
「親…じゃない。親はずっと前に死んだ」
「そうかい」
特に気にする様子もなく商人はタバコに口をつけた。異国の香りのする煙はバッシュの喉を刺激した。
「なら、道に迷ったのかい?」
「道に迷った…」
そもそも靴の流された川の流れに沿って歩いてきたが、マケドニア帝国領近くまできているということは迷子になったどころの話ではなかった。王国への道とは全く見当違いだ。
あたりを隠す様に立ち込めるこの霧のせいかもかもしれないが、今はとにかくヴァルに対する苛立ちにバッシュの顔にはむしゃくしゃの虫が這いずり回った。
「なんだか話の要領を得ないな。まぁいい…かわいい坊主にいいものをやろう」
タバコを咥えたまま商人は懐を探った。バッシュは警戒して僅かに後ろに下がった。
「おめぇみてぇな骨ばかりで肉のないガキ、取って食いやしねぇよ。ホラ」
甘いもんだ、と言って商人と同じくらいボロボロの包み紙が放られた。バッシュは思わず手を伸ばしてそれを受け取った。チョコレートだ。
バッシュは今まで人生で数度しか食べたことのないその甘い芳香に思わずわぁと声を弾ませた。
「子供は甘めぇもんが好きだな」
「本当に貰っていいのか?」
「お前にやったんだ」
ありがとう、というとバッシュは思わず欲求に従って包み紙を破りそうになったが、この森の中で食事を取ってえらい目にあったことを思い出すと、指の力が自然と抜けた。また眠ったりなんかしたらどうしよう。
そもそもオレは今1人きりだ。これ以上軽率な行動はしない方が良いと判断してチョコレートの包みをぎゅっと握った。そんなバッシュの様子を見ていた男は「意外と慎重なんだな」と、笑った。
「オレが持ち込んだものだから食べても眠くはならんだろうが…心配なら森を抜けてから食べればいいさ」
せっかく貰ったものを疑う様に扱って気分を害したかなとバッシュは恐る恐る男の顔を覗いたが、表情は見えずとも気にする様子もなく男は再びタバコを吸い始めていた。
「1人で旅してるんじゃないんだろう?旅の仲間がいるんなら早く帰んな。心配しているぞ」
「旅の…仲間なんかじゃない」
「そうかい」
「なにがあったが知らねぇが、喧嘩別れならススメねぇなぁ…」
「あんたになにがわかるんだよ」
思わずバッシュは生意気な言葉を口に出した。あっと思ったがもう口から飛び出した後だったので、バッシュは気まずそうに足元の小石を蹴った。
そうだ。分かるはずがないのだ。
父親を探す旅の途中で巨大な梟の死体に出会したかと思えば、泥の様な怪物に現れてそれを空に浮かぶ光の球から出した剣で消し去ってしまった。調子の良い司祭の誘い文句に乗って笛の演奏をすればナメクジのような司祭に襲われる…そんな話一体誰が信じると言うのだろ。
「オレぁ人様に胸張って話せる様な生き方はしてねぇが色々経験してきた。おおかた自分の話を聞いてもらえなくて拗ねてンだろう」
「拗ねてなんかない!」
「男たる者こういう時に冷静になるもんだぜ」
そういうのを拗ねてるっていんだが坊主にはまだ分からねぇか、と男は笑った。図星だった。言い当てられたバッシュは顔を赤く染め上げた。
バッシュにとってはあれは正当な怒りであった。
だが、冷静に自分の怒りの感情の底を掘り進めればヴァルに話を聞いて欲しかったし、言って欲しかった。
旧友だがなんだが知らないがヴァルと今一緒に旅をしているのは自分なのだから。除け者のようにするのはやめて欲しかった。
「冷静になってよく考えろ。話し合え。分かったか」
「…わかった」
バッシュの返事に男は満足そうにタバコを深く吸った。男の方に体を向けてよく見てみれば、男は商人の格好をしていたが、その衣服に包まれた体は座っていても立派な体躯だとわかった。…本当に商人なのだろうか。
バッシュは違和感を覚えた。
「オレにも息子がいたが、大事にする前にいなくなっちまった。この歳になるといなくなるなら声ぐれぇ聞いておけばよかったっておもうよ」
おまえさんはそういうことのないように生きていけよ、と男が呟いた。遠くからバッシュの名前を呼ぶ声が聞こえた。ヴァルだ。
「オッサン。ありがとう」
「おう。気ぃつけていけや」
バッシュはチョコレートの包み紙を手に抱え、ヴァルの声がする方へと走り出した。




