2組目の来訪者
霧の中から現れた2組目の来訪者は慣れた手つきでヴァルに気付薬を含ませ、介抱してくれた。自らを医者だという白髪の老人はシュヴァイツァーと名乗り、ヴァルの古い友人だと言った。
「今では医師として村々を回っているが若い時の私は碌でもない放蕩息子でね。たまたま出会った彼の勧めで医師の道を志したんだが、こうしてあの時の恩を返せて良かったよ」
脈と呼吸は安定しているし、薬が効けば暫くすれば起きるだろう。そう言って白髪の老医師はニコリとバッシュに笑い掛けた。バッシュを安心させようとする老人の心遣いであったが、それが実に人間らしい理性的な笑い方だったのでバッシュはホッとした。
「でも、なんでこんな病気みたいに眠りこけちまったんだ…」
ああ、それは。老医師はヴァルの次にトロント、そしてエゾフの身体を診ながら言った。
「ここら辺一帯は池の魚や果物で溢れているだろう。それで人を誘き寄せて食べた人間を眠りの霧で眠らせる。
運悪く眠りが深ければ永遠に起きることなく、森の栄養にされてしまうんだ」
「栄養…」
バッシュは釣りをしながら食べた果物や塩焼きにした魚が胃の中からあがってくるのを感じたが、なんとか押さえ込んだ。
動物にも効くか分からないが薬の量を調節してやってみよう。そう言って再び少女の持つカバンから薬瓶を取り出すと、液体で薄め始めた。
「有名な話だから、たぶんヴァル君も知っているだろうけどね」
「えっ?」
「この一帯で人間に都合の良いタイミングでああいったオアシスが現れるのは有名な話だよ。
昔はそれをうまく利用しながら住んでいる村もあったけどね。ここ行き着くまでにいくつか小さな廃村があっただろう」
あれは村人が逃げたのか、それともみんな喰われたのか。
つまりバッシュたちが村人の作った‘隠し池’だと思っていたものはこの森が眠った人間や獣の体を肥料にさせて栄養を摂るためのものだったのだ。---人喰い池。
老人の説明を聞いたバッシュの頭の中で組み合わされた言葉が浮かんだ。
オレたちが食べたのはいままで眠りこけて栄養になった人間を養分にして育ったのか…バッシュは胃の中がムカムカするのを感じた。
それにヴァルだ。
こいつは知っていて魚や果物を食べたのだろうか。そういえばいつもよりよく食べるなとは思ったのだ。
どういう意図があってこんなことしたのだろう。バッシュはなんとしてもヴァルを起こして問いたださなければ、と意気込みヴァルの肩を揺すったがその瞼が開くことはなかった。
「はは…気持ちはわかるけど、そっとしておいてあげなさい。彼のことだから、なにか考えがあってしたことだろう」
そう呑気に言う老医者にバッシュは先程の狩猟帽子の男たちのことを話した。突然現れた貴族風の狩猟狩りに興じる背の高い男。弓を背負った耳の長いエルフの従僕。2人はこの辺りに城があるといって霧の中に消えていったのだ。
そんなものどこにもなかったのに。
「そいつらがまたやって来るかもしれない…とにかく変な奴らだったんだ。格好は綺麗だったけど、なんというか…古臭かった。
早くここから逃げないと…」
「ふむ…城か…」
老医師は考え込むように顎に触れた。
「このあたりはマケドニア帝国の長兄が拝受した領地になるんだ。
若い君は知らないだろうが、エルフの貴族だったかな?その娘と結婚するために王位継承権を放棄してこの辺りで暮らしていたんだ」
そう言って薄めた薬をスポイトに含ませて眠る黒犬の大きな口をこじ開けて垂らした。するとぶるぶると体を震わせて大きな黒い犬、エゾフが大きく咳き込みながら起き上がった。
「エゾフ!」
よかった!と言いながらバッシュはエゾフの大きな黒い毛に覆われた体を抱きしめた。エゾフはバッシュの腕の中で口の中の液体を吐き出そうともがいていた。
そして小馬のトロントもスポイトの薬を飲ませるとゆったりとした動作で起き上がるやいなや、何事もなかったかのように目の前にあった草を食べ始めようとしたので慌ててやめさせた。また眠ってしまったら敵わない。
バッシュが2頭をなんとか抑えようともがいていると、少女が持ってきた自前の水筒から木の皿に水を入れて運んできてくれた。トロントもエゾフもそれをコクリコクリの飲み舐めた。
少女の長く豊かな金髪は三つ編みに編み込まれていた。普段はフードマントの中に隠しているのだろうか。少女にはすこし大きい濃くくすんだ紫のコートが少女の体を包んでいた。霧の湿気のせいで首にくっ付く髪を少女が指先で払うと、その喉元には大きな古い傷があった。
バッシュは無意識に、自分の喉を手のひらで触った。
少女は無言のままいつの間にか沸かした湯でお茶を淹れカップに注ぐとバッシュに手渡す。
「あ、ありがとう…」
バッシュは少女に向けて言いかけたが、ちょうどその時ヴァルが頭を手で抱えながらゆっくりと起き上がった。
「ヴァル!」
バッシュは思わずヴァルの胸元に飛び込んだ。本当に心配していたのだ。バッシュの泣き出しそうな顔と旧友の顔を交互に見たヴァルはすぐに自分が深い眠りに落ち過ぎてしまったのだ、と理解したようだった。
「ごめん…すこし寝過ぎてしまったみたいだね」
「お前…本当に、心配したぞ!馬鹿野郎!」
「あの量でこんなになるなんて思わなくて…食べ過ぎてしまったのかな…ごめんね」
バッシュはヴァルに背を向けて袖で顔を拭った。泣いた顔を見られたくなかった。
「なにはともあれ無事で良かった。ヴァル、久しぶりだな」
「シュヴァイツァー…こんなところで会うなんて君とは本当に縁があるな。君が助けてくれたのか」
「バッシュくんに感謝しろ。彼が起きなかったら今頃みんな森の養分かエルフに食われていたかもな」
ウィンクしながら冗談っぽく老医師は言ったが、バッシュには冗談には聞こえなかった。
エルフが人を食べるのかは分からないが、バッシュが起きたばかりのヴァルに早口で先程出会った風変わりな狩猟帽子の2人組の男に出会った話をした。
「…その2人組は城まで戻って行ったんだね」
「ああ、だから早くここから逃げないと…」
バッシュは背中に当てられたナイフの感触を思い出した。あれは脅しなどではなく、本気だった。バッシュが荷物を持って立ち上がると、ヴァルはその腕をぐいっと握った。
「バッシュ…その狩猟帽子の男があの手紙の差出人かもしれない」
眠りから覚めたヴァルはまだ寝ぼけているかのようなことを言った。あの悪趣味な狩猟帽子を被る男たちが立ち上る炎の中から手紙をよこした葬送儀礼の依頼主だと言うのか。
そもそも葬式は死んだか、あるいは死ぬ間際の番人がよこすのものなのではなかったのか。そうであればあれは死とは無縁の快活な男だった。それにあの小柄なエルフも。
「シュヴァイツァー。
君も手紙を受け取ったのか?」
「ああ…」
この土地に入って野営をし始めたら焚き火の中から手紙が送られてきた。老医師は封蝋にはマケドニア帝国の双頭竜と末弟エドワルドが使うの蝶々が刻まれていたと言う。
それともう一つ、これは庶民が使う安い封筒が老医師の手には握られていた。
「実はこの一帯を観ていた木こりの葬儀屋が私の友人でね。彼が半年前に手紙をよこしたんだ。‘’この手紙を受け取って1か月後、オレが私の元に現れなかったら森に来て欲しい”…と」
彼は現れなかった。
それと共にこの森には頻繁に眠りを誘う霧と人喰いオアシスが現れ、君たちのような旅人を食らうようになっていったみたいだ。近くの村も廃村を余儀なくされた。このままでは【ケガレ】が現れるのも時間の問題だろう。
老医師シュヴァイツァーは後ろに控えていた少女からカバンを受け取り、小袋を取り出す。
すると中から光りの玉が現れて、宙を浮かんだ。
「この森の番人、葬送儀礼を執り行わなくてはならない」
この老人もまたヴァルと同じく【番人の葬儀屋】だった。




