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番人の葬儀屋  作者: あじのこ
第10章 前編
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……よし。見なかったことにしよう

バッシュがエラと共に王都へと旅立った翌朝、リリアの館は慌ただしく動き出していた。


建国記念日の祝賀に出席するため、王都へ向かう準備が急ピッチで進められている。館内は忙しさに包まれ、部下たちが次々と指示を仰ぎに来る中、リリアは冷静に、しかし確固たる態度でそれを受け止めていた。


「荷馬車の準備は整ったか?」


リリアは静かな声で問いかけ、部下に目を向ける。その目は鋭く、どこか威厳を感じさせるものだった。


「はい、リリア様。すべて順調に進んでおります。」


部下はすぐに答え、次々と準備が整っていく様子を確認していく。まるで戦争でもしに行くようだな、とリリアは自嘲した。


リリアはその様子を一瞥し、無駄のない動きで館内を歩く。年齢を重ねたその姿には、ただの指導者というだけでなく、経験と知識に裏打ちされた重みが感じられた。彼女の一挙手一投足には、長年の政治経験と数々の試練を乗り越えてきたという確かな実力がにじみ出ている。


「トーマス。」


リリアはふと立ち止まり、若い部下を見つめた。


「準備は万全か?」


トーマスは少し緊張した様子で答える。


「はい、すべて整いました。ただ……リリア様、あの助言者に対して本当にあのような行動を取るおつもりですか? あの者の力は並外れています。無理に立ち向かうことは……リリア様の命を危険に晒すことにもなりかねません。」


リリアはその問いに、わずかに眉をひそめることもなく、毅然とした声で答えた。


「あいつをこのまま野放しにしていれば、いずれ王国そのものが滅びてしまう。私が何もしなければ、何も変わらない。」


彼女の言葉には、ただの理論ではなく、長年の経験と深い信念が込められていた。その瞳には、どこか冷徹でありながらも、揺るぎない確信が宿っている。


「リリア様…」


トーマスはその威厳に圧倒されながらも、再度彼女を見つめる。


「私達もお供いたします。お一人ではありません。リリア様の命を守ることが、私達の務めです。」


リリアはその言葉を聞き、少しだけ微笑んだ。その微笑みは、年齢を重ねた女性が持つ、どこか温かみを感じさせるものだったが、その背後には確固たる意志が見え隠れしていた。


「ありがとう、トーマス。……すまないな。」


リリアの言葉に、トーマスは目をぱちくりとさせた。


若い時には戦乙女の名を国中に馳せたリリアから、そんな言葉が出るとは思いもよらなかったのだ。彼女の強さと冷徹さを知る者にとって、その一言は、彼女が心の底からの感謝を示していると理解できた。


「頼みにしているぞ、トーマス。」


その言葉は、リリアの決意を確信させるものであり、トーマスの胸に深く響いた。彼は力強く頷き、心の中で決意を新たにする。


「……はいっ!」


その答えには、リリアへの信頼と、自分が果たすべき役目を全うするという固い決意が込められていた。


リリアは静かに馬の元へ歩み寄る。馬は彼女の姿に気づき、少し首を上げて警戒するが、リリアが優雅にその背に手を置くと、すぐに落ち着きを取り戻す。彼女の指先が馬の毛並みに触れると、まるで長年の絆を感じさせるように、馬は穏やかにその身を預けた。


リリアは一度深呼吸をし、軽く足をかけて馬にまたがる。その動作は、まるで長年の訓練を受けてきたかのように滑らかで、無駄がなかった。馬がその重さを感じ取るように、少し身を沈めるが、リリアはそれに動じることなく、しっかりと手綱を握った。


その歩みは確かで、どこか神々しいまでに重厚なものがあった。リリアは、王都へと向かう道を踏み出した。


リリアの心の中では、すでに決して後戻りできない決意が固まっていた。王の助言者に対して、その悪行を暴き出さなければならないという、揺るぎない覚悟が。


◇◆◇◆


時間はリリアが王都に向けて旅立つ数時間前に戻る。


トーマスは慌ただしく王都へと出発する準備をしていた。リリアの他に信頼のおける騎士と従僕で構成された小隊はおおよそ5日の旅程で王都へ向かう。


目的は王の助言者の背信を問うためのものだが、禁忌とされる魔術を政に使役したとなれば王の責任も問われるだろう。

建国記念日という日にわざわざ合わせたのはその場にいる王族、貴族にもその是非を問うためであり、その場の空気がどれほど重くなるかを考えると、トーマスは少し不安を感じた。


……果たして味方となってくれる人間がどれほどいるのだろうか。


リリアからこの一件を聞いた時、胸の中に芽生えた不安の種は日に日に大きくなり続けていた。王の助言者は己の存在を巧妙に隠して、国の内政を牛耳っていたのだ。

しかし、それが最近ではその姿を隠そうとしなくなったのだ。それがかえって、不気味であった。


あの男は、いつから王の側にいたのだろうか?

今となっては、それすらもわからないままだ。


不安は膨れ上がるばかりだが、リリア様の決断には従わなければならない。……かつての父のように。それがトーマスにとっての誉れであった。


自分の役目は、彼女を支え、この難局を乗り越えること。それは理解している。だが、それでも心の中で渦巻く不安が消えることはなかった。


リリア様には伝えていないが万が一、リリア様がその場で逆賊扱いとなれば、全員がリリア様の盾となって守り抜き、リリア様の兄上のいるベッロハイズ商業特区まで脱出する計画だ。 

そのための準備も滞りなく終えている。


だが、おそらくリリア様は死ぬ覚悟で王の前に立つ気なのだ。


それが国を思うが故の行動なのか、それと殺された友人を想ってのことなのか、トーマスにはリリアの胸の内まではわからなかった。


だが、ひとつだけ確かなことがあった。

自分の父はリリアの指揮のもとで英雄として命を捧げ、国の礎となった。その誉れに、息子である自分も応えなくてはならない……トーマスは首を振るった。


やめよう。あまり暗いことばかりを考えてはいけない。頭の中に浮かび上がる不安を掻き消すように、最終確認のため荷馬車の元へと足を運んだ。


ふっと荷馬車の車輪付近を見ると、雪の上に何かが点々としている。血だ。僅かに赤い血が、荷馬車まで続いている。


血の後を追って恐る恐る荷馬車を覗き込むと、そこには誰かが隠れている気配があった。トーマスの目が鋭く光り、すぐにその人物の顔が見えた。


「お、お前は――!」


思わず声を上げそうになったが、そいつは唇に指を当てて静かにするように求める。トーマスはその仕草に一瞬戸惑ったが、荷馬車の外から仲間たちの声が聞こえてきてすぐに冷静を取り戻す。


トーマスは息を呑んだ。心臓が一瞬止まるような気がしたが、すぐに冷静を取り戻す。


荷馬車の中に潜んでいるのは、リリア様の屋敷で見た男――あいつは、リリア様の屋敷で見たやつだ。リリア様に請われて、トーマスが調べた助言者について説明をしたことがある。


女とも男とも取れる顔立ちなのに、その立ち姿からはただならぬ雰囲気が漂っていた。だが、何よりもその一瞬の目の鋭さに、トーマスはすぐに気づいた。あれは兵士だ。それも実践を積んだ古参兵さながらの眼光である。


トーマスは自分が勝てる見込みがあるかどうかを瞬時に計算する。いや、勝てるはずがない。トーマスは剣を持つが、どちらかと言えば文官寄りなのだ。荒事を避けるべきだと本能が告げていた。


さらに、時間がない。小隊は間もなく出発しなければならないのだ。ここで騒ぎを起こせば、リリア様の計画に遅れが生じる。それだけは避けたい。


「……。」


深く息をつくと、トーマスは自分に言い聞かせるように思考を整理した。


何かの役に立つかもしれない。

少なくとも、盾にはなるだろう。


それは無理に自分を納得させるための言い訳だったかもしれない。しかし、この場で最も合理的な判断を下すとすれば、ヴァルを見逃すことしかなかった。


「……よし。見なかったことにしよう。」


トーマスはそう心の中で呟き、何事もなかったかのように荷馬車を降りた。


トーマスは一瞬で判断を下し、隠れたヴァルをそのまま荷馬車に乗せた。やがて、リリアの小隊は王都へと向かい始める。


馬に騎乗したリリアが先頭を行き、その後ろを騎士たちが続き、ニズルを乗せた監獄馬車とヴァルが身を隠す荷馬車の車輪がゆっくりと動き出した。

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