絆
お互いが自分のなすべきことを確認し終えると、誰が言うでもなく散会の雰囲気が漂い始めていた。
その中で、ソッロはバッシュにこっそりと話しかける。
「なぁ、バッシュ。ヴァルはそんなに具合が悪いのか?」
「ああ……」
バッシュは一瞬、リリアの方を見た。リリアは何も言わず、ただ手のひらを出入り口の方へと向けた。その仕草が、まるで「お好きにどうぞ」と言わんばかりに見え、バッシュは頭を下げるとエラとリリアを部屋に残してソッロをヴァルのところへ案内した。
バッシュはそのまま、足早に2階の客間へと向かった。ちょうどロスベルトがヴァルの休んでいる部屋から出てきたところだった。
「ああ。バッシュさん。ヴァル様は特段変わったこともなく、休まれていおりますよ」と、優しい初老の男は穏やかな口調で言った。
「ロスベルトさん。長い時間空けてすみませんでした。」バッシュは深々と頭を下げた。
「いえいえ。お嬢様と皆様がお話をされていると、侍女から報告を受けておりましたので。」
「お嬢様がまた外に出かけられる前にお食事を召し上がっていただかなくてはいけませんので、これで失礼しますね。そうでもしないと、あのお方はすぐに自分を痛めつけるものですから。」
ロスベルトは、リリアの世話をすることが今生の楽しみのようで、嬉しそうに歩いていった。その姿に、ほんの少しの安心感が漂っていた。
バッシュはそれを見送ると、ふと、ヴァルの部屋に向かう足取りが重く感じられた。扉の前に立つと、しばらくその静けさに耳を傾ける。返事がないのは当たり前になってきたが、それでも少しの間、ノックすることを躊躇してしまう。やがて、覚悟を決めたように、バッシュは静かにノブを回した。
廊下のひんやりとした空気を押し合うように、暖かい空気が頬を撫ぜる。バッシュが扉を開けると、部屋の中は静寂に包まれていた。
ヴァルはベッドに横たわり、まるで時間が止まったかのように動かない。
その光景に、ソッロが一歩踏み出し、驚きの表情を浮かべた。普段、冷徹な目を持つソッロにしては珍しく、その目に一瞬の戸惑いが見えた。ソッロはヴァルの姿をじっと見つめ、静かな空気の中で何かを探しているかのようだった。
その目は、無意識にヴァルの胸元に焦点を合わせ、まるでその中に潜む死の気配を探しているかのようだった。
一瞬、部屋の空気がひんやりと冷たく感じられ、ソッロの心臓がわずかに早鐘を打ったような気がした。
ヴァルの動きが止まり、静寂が深くなる中で、死が近づいているのを感じ取るような錯覚を覚える。
だが、次の瞬間、ようやくヴァルの胸が僅かに上下しているのを見て、ソッロはほっとしたようにベッドのそばで膝を付いた。
「……ヴァル、どうして……」
その声は、普段の彼の冷静さを欠いて、少し震えていた。
ヴァルの息遣いさえも感じられないほど、部屋は静まり返っていた。ソッロは一歩、また一歩とヴァルの元へ近づき、手を伸ばす。けれど、触れる前にその手を止めた。何かを恐れるように。
バッシュはその様子を見守りながら、心の中で問いかけるように呟いた。
「一体、何があったんだ……?」
「色々話せば長くなるんだが、結論から言えヴァルをこんな風にしたのは……アナスタシアだ」
アナスタシアがセンペルの手先の男に仕向けて頭を殴打した。その事実をバッシュが告げると、ソッロはヴァルの無表情な顔を見つめながら、深く息を吐いた。そして、バッシュに向き直ると、冷徹な目で言った。
「バッシュ。……今日の話は、ヴァルには秘密だ。」
「えっ?」
バッシュは目を丸くしてソッロを見た。
「こんな怪我しているやつ、戦力にならねだろ?。……こいつはもう休んでいた方が良いんだ。」
その言葉は冷たく響いたが、ソッロの目には一瞬、ほんのわずかな懸念の色が浮かんだ。彼はヴァルに対して何かを感じているのだろうが、それを表に出さずに、あくまで突き放すように言葉を続けた。
「このまま無理して動くようなことになれば、余計に傷が広がる。……だから、黙って休ませてやって欲しい。」
バッシュはしばらくその言葉に言葉を失ったが、やがてソッロの真意を汲み取ると、ただ黙ってヴァルの横顔を見つめた。
「コイツはもう十分戦ったんだ。番人にも人間にも神明にも尽くした。1000年だぞ?こんな姿のコイツから、これ以上なにを絞り尽くそうって言うんだ。」
「ソッロ……」
確かに、この傷では二週間後の建国記念日に前と同じように動けるとはとても思えない。
バッシュは静かに言葉なく同意した。
ソッロは少しだけ目を細めた。
「だからこそ、アナスタシアの肉体を取り戻すしかない。」
その声は静かで、だが確固たる決意が込められていた。
バッシュは一瞬、言葉を詰まらせた。アナスタシアの肉体を取り戻すということが、どれほど危険なことかを理解しているからだ。しかし、今のヴァルの状態がその決意を一層強くさせていた。
「俺たちがやらなきゃ、誰がやる?」
ソッロの言葉が、バッシュの胸に響いた。
バッシュは無言で頷き、拳を握りしめた。
「……やろう。ヴァルのためにも、オレたちがやらなきゃならない。」
ソッロはその言葉に満足げに微笑んだ。
「そうだな。やってやろうぜ」
二人の間に、しばらくの沈黙が流れた。しかし、その沈黙の中には、決意が固まったことを示す強い絆があった。