揺るがすべきなのは、国か、それとも王か
エラは冷静な口調で話を続けた。
「建国記念日の祝賀にセンペルも必ず参加する。その前に、私はセンペルに契約を持ちかけるつもりよ。」
リリアは腕を組みながら興味深そうに聞き入っている。
「契約だと?」
「ええ。私があの巨大な塔の建造に必要な空間魔法を使役する代わりに、センペルにキランの喉の傷を治すよう要求する。」
エラの瞳が鋭く光る。
「センペルは応じるわ。塔が完成しなければ、彼の野望――“永遠の妙薬”を地上にばら撒く計画は実現しないから。」
「あの男……そんな恐ろしいことまで計画していたのか。」
リリアは顎に指をあてて、わずかに俯く。
「だが……それでどうやってセンペルを倒す?」
「ソッロが仲介して、センペルと私の間に契約を結ぶ。」
バッシュが不安げに口を挟んだ。
「それだけでうまくいくのか?センペルってやつ、そんな簡単に隙を見せるような相手なのかよ?」
「そこが契約の鍵よ。」
エラは冷ややかに微笑んだ。
「ソッロに契約の履行を塔の中限定にしてもらう。塔は特殊な魔術空間で、契約の力を安定させるためにはそこに留まる必要がある、と説明すればセンペルは疑わないはずよ。そして、センペルとキランの物理的距離が離れて契約履行不可能になった瞬間、契約は破綻したとみなされる。」
エラは冷静に続けた。
「契約が破綻した場合、代償としてセンペルは自らの命を差し出すことになるわ。契約魔法には“履行不能時の命の代償”が原則。彼の過信と焦りを利用すれば、これを見逃すでしょうね。」
リリアは眉をひそめながらも、興味深げに頷いた。
「なるほど。」
その言葉にバッシュは息を呑んだ。リリアは鋭い眼差しでエラを見据えたままだ。
「……面白い。」
リリアは微笑を浮かべた。
「だが、それだけでは終わらないな。」
「ええ。」
エラは静かに頷いた。
「センペルの後ろ盾を失ったアナスタシアを、貴女が倒す。それが私の計画よ。」
リリアはしばらく黙って考え込んだが、やがて冷たい笑みを浮かべた。
「ふむ……なかなかの策だ。だが、お前が本当に信用に足るかどうかは、これから証明してもらう。」
「もちろんよ。私も命を賭けているわ。」
エラは肩をすくめて言った。
ソッロが眉間にしわを寄せ、慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「しかし、建国記念日に、しかも王のいる場でこのようなことを持ち出すのか?危険すぎるだろう。大丈夫なのか?」
リリアが薄く笑い、淡々と答える。
「まぁ、大丈夫か大丈夫でないかといえば、大丈夫ではない。」
「え」
バッシュが困惑した声を上げる。
「どんな事態であっても、王の御前で剣を抜けばそうだろう。なるべく、王城での武力行使は避けたいところだ。」
リリアは肩をすくめた。
「とはいえ、この国には“政に魔術を使役してはならない”という不文律がある。仮にその不文律を破った者がいるとすれば――その責任は重大だ。」
ソッロが目を細める。
「……それが王を指しているのだとしたら、弾劾に等しい話だぞ。」
「ふん。とはいえ……」
リリアは暗く視線を落とした。
「捕えているあのニズルとかいう男と貸家魔女エラ、センペルの館を見たバッシュたちの証言がそのまま王に受け入れられるとは思えない。」
リリアが続ける。
「できれば、我々とは異なる第三者の証言が必要だ。しかし、建国記念日までは時間がない……」
「異なる、異なるねぇ……」
そのとき、バッシュが天を仰ぎ、何かを思い出したように口を開いた。
「あの時……そうだ。」
全員がバッシュに注目する。
「知っているぞ。たぶんセンペルが飲ませた永遠の妙薬?を飲んだ人間の異変を見たやつが、オレたち以外にも他にも。」
「そんなやつがいるのか?どこの誰なんだ?」
ソッロが目を光らせる。
「ええっと。あいつだ。あのうっさんくさい笑い方する……あーく、アーク司祭だ!」
「アーク司祭?」
リリアが驚いたように声を上げた。
「まさかベッロハイズ商業特区のヴァレンティノ・アークか!?」
「ああ。そうだよ。たぶん、そう。めちゃくちゃ偉そうだったな」
「何故お前がアーク司祭を知っているのかは聞かんが……これは僥倖だ。兄上の統治するベッロハイズから、しかも教団絡みであれば上の連中も無視はできない。」
リリアが腕を組みながら頷く。
「ヴァレンティノ・アーク――彼ならば、王とその助言者が本当に魔術を政に使役したのか、証人として十分な役割を果たせるだろう。」
「そいつ信用できるのか?大丈夫なんだろうな?」
ソッロの言葉に、バッシュはあの港町での出来事を思い出していた。
アーク司祭の師兄にあたるモルディナは、尊敬する老師を死から救うために“永遠の秘薬”に手を出した。それは結局、アーク司祭とヴァル、バッシュ、そしてミレーユによって阻止され、老師本人もその禁忌を拒絶した。
老師がその秘薬を拒絶した時、彼の瞳には、死を超えてなお繋がる何かを信じる静かな覚悟が宿っていた。
それを目にした瞬間、その場にいた人間は「死はただの終わりではない」という理解が、言葉にされぬまま形を成したのだ。
「信用……は、出来ると思う。少なくともオレたちの味方にはなってくれると思う」
バッシュの言葉にソッロが声を低くする。
「……王の行いを問い質すということは、この国そのものを揺るがすことになる。とんでもないことになるゾ」
リリアは冷ややかに笑った。
「揺るがすべきなのは、国か、それとも王か――どちらだろうね?」